File32:女帝(後)
「……生きてる心地がしなかった……」
開口一番、弱音を吐いたのは山下りくん、もとい龍太郎だった。声が出るだけ、精神が恐怖に支配されなかった証拠だと思いたい。
被害者の少女は、机の上で干からびたまま動くそぶりを見せない。昼休みのあいだ、休憩から抜けだせない状態だ。過呼吸で息苦しそうな様子が引っかかりはする。
(……美紀、購買に触れたばっかりに……)
腫れものに気づかず、ためしに踏みいれただけ。治外法権とも思わされるこの底辺高校では、その『ちょっと』が命とりにつながる。底なし沼に引きずりこまれて、下半身は泥まみれで戻るハメになった。
悪者は、購買部の面々。防げない事故だった。
「……成瀬、よくケンカを吹っかけにいけた……」
自身より実力が上の人に挑もうとする態度は、さすがの一言。龍太郎と性別を入れかえた方がいい。
成瀬は、袖についたホコリを払い落とした。
「龍太郎クンがいたからね。おとりには適役だった。成瀬ひとりだったら……、もうちょっと乱暴な手を使わないといけなかったから」
実際に窮地を救ったヒーローには、手も足も出ない。いつのまにか犠牲にされていただけで、自身を粗末に扱っていないのでセーフだ。
成瀬ひとりであっても、解決策を見いだして結果は変わらないだろう。では、龍太郎に置きかわったとすれば?
(お金を払って、穏便に済ませそう、だな……)
暴力ざたで勝機が差しこんでこない場は、白旗を揚げるよりない。運動不足気味の根暗高校生に、選択肢なるものは元より無かった。
「……その……、成瀬。成瀬が俺で、一人しかいなかったとしたら……?」
独りでに、相談の言葉が発音されていた。
疑問が浮かんでも、自己で完結。小さい頃から反復されてきた習慣は、かんたんに矯正できない。たとえ解決不可能な難問にぶち当たったとしても、だ。しいて、亜希にさりげなくヒントをもらうくらいだろうか。
(……次回、美紀に間に合わないかもしれないから……)
人的災害の現場に、成瀬や亜希がいつも居あわせている保証はゼロに近い。龍太郎のみで重い扉を開くときはやってくる。
『美紀』を一片たりとも欠けさせたくない情が、固まっていた方針柱をも打倒した。
「龍太郎クンが、か……。それは、言われるがまま払う、しかない? シャクだろうけどね」
「そこは『信念で戦う』とか、『男ならやるしかない』とか……」
「それで美紀が守れそうなら、それでもいいんじゃない? 映画の主人公が弱虫だったら、制作会社に乗りこむ準備くらいはするけど」
新幹線は速い、と復唱された気分だ。感情ありきで突撃するものとばかり思っていた。
『龍太郎が上級生相手に対等な勝負ができるか』。オッズ一倍のギャンブルが開幕する。初期の目標も、どこかへ消えてしまっている。
(……ステレオタイプに毒されてるのは、俺の方か……)
成瀬をさんざん高圧的なTHE王女様タイプにはめておいて、自らが特大の罠の上で踊らされていた。視野が狭く、目的と手段を取りちがえていた。
成瀬への質問は、何百個も積みあがっている。
「……今回だったら……」
「……ここまで追ってくるか……。面倒くさいなぁ……」
龍太郎の向上心は、足音軍隊の襲来に妨げられた。
廊下に見えるのは、数人の上級男子。堂々と竹刀を掲げて、奴隷レベルたちを蹴散らしていた。人を人ともみなしていない。
対する絶対的女王は、肩をひと回し、ふた回し。目に焼きつけたものすべてを消し炭にする眼光に、龍太郎も引きさがった。
解放されたドアから、にっくきぼったくり集団が進入してきた。教室内の一年生は、我先にと教卓へ避難していく。成瀬ウィズ龍太郎・行動不能の美紀をのぞいて。
長机越しでも、筋肉が緊張していた。地獄の花が咲いたここから、抜けだしたい。射ぬかれてしまった少女がへたりこんでいなければ。
「……購買部だ。あいつの制裁をしにきた。当然、お前らも連帯責任」
男のうちの一人が指した先には、無謀な挑戦者にされた龍太郎、のはずだった。
一歩前に出た成瀬の身体が、指先の弾丸を遮った。
「そうだよ。購買に行ったら値札と違う額を要求されて、呆れて教室に帰ってきただけ。おつりを返しにきてくれたなら、いらない」
全員の視線が、商品を手に持つ成瀬に集中している。体格も、性別も異なる異種目混合対決にタイマンを張る、学年の統治者に。
「……おつり? そうだ、おつりだよ。……バカガキをひっ捕らえろ」
号砲も何もなく、男たちは波状に前進してきた。
その竜巻の猛威に、腰も脚も吹き飛ばされることはなく。
「正規価格で買ってなにが悪いんだ。……おまえら、加勢してくれ。購買部、乗っ取るぞ」
成瀬は、後ろの面々にアイコンタクトを送った。
指をくわえていることしかできない。流れを生みだしているのは、体を張る武闘派成瀬だ。
迎撃が端に寄っているために、男子陣は一人ずつでしか応戦できない。教科書の基本例題を忘れない、優等生の鑑である。
先陣を切ったのは、ドクロ頭の人体模型。理科室に安置してあるタイプだ。奥で目を閉じている美紀にしか目がいっていない。よだれが垂れそうになっては引きもどす、下心丸見えの不審者男である。
「お嬢ちゃん、いくら威勢がよくっても、女は男に勝てない……」
緩慢な拳のテイクバックを、成瀬が許すはずがなかった。
ローブローで、金的に一発。机に頭を強打して、そやつは地に伏せられた。
一息つかすまい、と次鋒の男がやってきた。痛ましい惨事を目の当たりにして、ガードが下に寄っている。
お構いなしに放たれた、強烈な一撃。二度は通じず、あえなく腕のガードに吸収されてしまった。
(……長期戦になったら、勝ち筋が……)
日和見主義の取り巻き達は、戦況を刻々と見守っている。一度形勢が男たちに傾いてしまえば、帝国は崩壊する。
「その程度はお見通しなんだよ!」
相手も、初撃を耐えてしまえば終わり、そう断言した。
一コマ進めても、寸分たがわない映像が放映されていた。成瀬のスカートは腰までめくれあがり、中履きの短ズボンが姿をみせている。
床に転がっている両者とも、股間を抑えてうずくまっていた。
「……ほら、これくらいの強さしかない。……今からでも遅くない、参加したヤツにはみんな、稼いだ金を分配するから」
勢いよく駆け込んできた集団も、気づけば三人。それも、女子が独力で二人片づけてしまった。雪山の春は、すぐそこに迫っていた。
専守防衛に努めていた成瀬が、狙いを定めたタカになって一人の首ねっこに襲いかかる。
二度あることを三度させないよう、下半身を徹底的に固めていた。が、あまりにも意識が下方に集中し過ぎていた。
人体の弱点をよく知る女王の手刀で、その男は崩れおちた。半分が陥落するまで、十秒強。ゲームのRTAをも凌駕している。
残存勢力が半分を割ったのを号令として、傍観を決めていた野次馬が次から次へとなだれこんでいく。戦闘巧者であろうとなかろうと、数の暴力には勝てない。
「そのまま、購買部まで突撃するよ!」
総大将成瀬の指示で、反乱軍は敗走する残兵を追走していく。戦国時代にタイムスリップしたかのようだ。
成瀬と取り巻きの大半が抜けた教室には、欲望の『よ』の字も出せなかった意気地なしが数人と、背中を眺めるばかりだった地蔵に、土台を崩されかけた少女。
(成瀬、行っちゃった……)
生産されつづける質問は、あとの機会に取っておくことにする。
不参加を決めこんだ面々は、各自の日常へと溶け込んでいく。襲来などなかったかのようにふるまっている。
ようやく胸をなでおろした龍太郎だったが、余計な騒ぎがひとつ。
(……美紀への目線、冷たくなかったか……?)
成瀬とともに帰ってきてから、美紀が白い目を受けているように映った。カースト下位は見くだされるのが普通、なのだろうか。
面倒ごとに発展しなければいいのだが……。




