File30:暴走機関車
外出する気のない日曜日は、平和なものだ。異質な訪問者も来なければ、中堅校のように課題に追われる生活にもならない。各々の想像世界に入りこんで、至福の時間を過ごす。
ほどけかけていた結び目を固く縛りなおしたことで、気がかり要素も解消された。昨日、亜希が垂らしてくれた助け船は、ノアの箱舟だった。
(……亜希と作戦会議するなら、また来週以降かな……)
美紀関連の作戦に全面協力してくれている亜希だが、全ての時間を割く余裕があると勘違いしてはいけない。彼女はれっきとした優等生、部活に課題に配信活動に、とスケジュールは固まっている。
彼女の力が必要不可欠であることは前提としつつ、龍太郎もあらゆる視点から美紀の『好き』を引き出す策を練らなければならない。
高校での、いわゆる『普通の生活』を監視できるのは、龍太郎(と一応成瀬も)しかいないのだから。
そんなこんなで、美紀に想いを馳せながらも、龍太郎は最終的な問題解決を目指してインターネットの海を泳いでいる。
恋愛感情が自然に湧きあがるのを待つ、のは現実的に難しい。中学校時代の様子はくわしく知らないが、少なくとも本人が受け身のままでは始まらないことは確かだ。
特に最下層の高校は悲惨なもので、男子が女子に誘いをかけるパターンは決まっている。その型の中に、純粋な恋心は一ミリしか含まれていない。成瀬ほど強ければ割合も高まるのだろうが、美紀のような弱い立場の女子には獲物狩りのハンターしかやってこない。
考えられる限り最悪な環境下では、仮にお誘いを受けたとして、負の感情が膨れあがることはあれど逆はありえない。二たび美紀はどん底に突きおとされる。
(すくなくとも、高校内じゃ解決しようがなさそうだ……)
美紀の保証が無い高校で、安全な出会いは訪れない。
『ピンポーン』
龍太郎の思考が切れた一瞬を狙ったかのように、呼び鈴が鳴った。貧乏暮らしの学生に、画面付きは高望みというものだ。
昨日のお礼に、美紀が身銭を切って訪ねてきてくれたのだろうか。交通費はもちろん出すつもりでいる。ほんの少しだけ願ったことも、叶うときは叶うものだ。
はねた心臓を保持して、玄関へ向かう。ドアチェーンの保険をかけ、扉を開いてみる。
ショートヘアのボーイッシュ女子が、目を充血させていた。不動明王が移送されてきたのならば、人違いなので返品したい。
胸から飛びだそうとしていた心臓が、肋骨を盾にして奥へ引っこんだ。命まで取られたくはないのだ。
気迫に押され、龍太郎は二段階のカギをロックしてしまった。
『……』
扉の向こう側からは、声のひとつも聞こえない。男子高校生が独り暮らしするマンションに、顔パスなどという高尚なセキュリティは備えつけられていないのだが。
(……まてまて、俺の住所、教えたつもりはないけどなぁ……)
龍太郎と関係を持つ人口が希薄な地球上では、絶対女王も手段が限られる。そのうち、亜希は拷問を受けそうになってもかわしていく厄介さをもつ。おそらく、リーク元は某美紀さんだろう。
突然の修羅場を、いかに最小限の損害で済ませるか。『恋』かどうかの相談といい、波の振れ幅が大きい。
籠城作戦も、龍太郎の手札にはあった。今日のところは(傍点)耐えきれるだけの食糧も備蓄されている。まさか水攻めはしてこまい。
しかしながら、龍太郎は成瀬と同じ高校。ネズミが自らネズミ捕りに入るようなものだ。明日の世界が暗くなってしまう。
噴火の引き金となりそうな安全装備を全て外し、龍太郎は扉をわずかに開いた。物音が立たないよう、慎重を期して。
「ここで会ったが百年目! 龍太郎クン、美紀に何かしたよね!」
扉が目前に迫り、龍太郎は廊下へ投げだされた。覚悟していたこととはいえ、ドアチェーンをもう一度付け直したくなった。
「話せばわかる! ……だから、いったん落ち着いて……」
「問答無用! ……じゃなくて……。言い訳があるなら、どうぞ」
そのやりとりを知っているなら、もうすこし勉強して上の高校に行けなかったものか。成瀬のことなので、偏差値そのものへの興味がなかったに違いない。
高校を支配する絶対王者の仁王立ちは、見るもの全てを屈服させる威風がある。多少の交友がなかったならば、龍太郎は土下座していた。
成瀬は笑顔なのだが、唇が上下に揺らめいている。台風の目に入ったがゆえの、一時的な好天である。
「まーず、金曜日、成瀬を呼ばなかったよね? 何でかな? 邪魔だったのかな?」
美紀に関する情報は全て筒抜けと考えた方がよさそうだ。おもに本人から事情を聴いているはずなので、疑う余地を提示するのは不可能である。
くだんの金曜は、配信によって美紀に生活費をもたらす実証実験。前提として、投げ銭を稼がなくてはならない。
成瀬が突入して、亜希と調和がとれるだろうか。画面の見知らぬところで口ゲンカがはじまり、視聴者が離れていってしまう。
「……あの日は、亜希が主催する配信の収益を美紀に分ける計画だった。それで、成瀬と亜希の水が合わなさそうから呼ばなかった。成瀬が『邪魔』って言ったのは、ある意味正しい」
隠しても、後から問いつめられるだけ。それなら、正直にはらわたを洗いざらい出してしまう方に賭ける。
侮辱とも取れる発言に対して、成瀬は顔色ひとつ変えない。トップを張る系女子は起伏が激しいものとばかり思っていたので、意外な一面だ。
「……それで、美紀はどうなったの? 美紀は、どうなったの?」
先の質問との差を取ると、勢いが弱まっている。あくまで、成瀬比ではあるが。
考えるものでもない。率直な意見を、焼け石に振りかける。
「美紀は……、重圧から解放されて、ずっとリラックスしてた。……成瀬も会ったんじゃなくて……?」
「会ってないから聞いてるって、分からないかな……? だれも、美紀の家まで行ってわざわざ確認なんてしてないから」
そっくりそのままオウム返しが答えである。単独で来たことにして、美紀を無関係の人間に仕立て上げようとしているのか。
(何で、成瀬はトップに立ち続けてるんだろう……)
先頭を取る意欲は誰にも負けず、亜希とも張りあう総合力。転じて、カーストの力で叩かれていた美紀を救いだそうとする保護者の一面。取り巻きを認めている点を除けば、小学校の教師が適任にみえる。
龍太郎は、成瀬のような圧の強い人種を避けて人生を通ってきたが、ステレオタイプで人を透視するのをやめる段階に到達しているのかもしれない。
「……最後に確認。……やましいこと、何にもしてないよね……」
一定間隔で棒読みだったセリフに、鋭い針がついた。引きぬかれたら最期、食道がズタボロになる。
彼女の『やましいこと』基準は判明しないにしても、禍根を残すのは防いでおきたい。高校内で暴力の嵐から美紀を救えるのは、成瀬しかいないのだ。龍太郎は身代わりにしかなれないが、成瀬は攻撃そのものをやめさせられる。
自分で口にするのは、意識が飛びそうになる。
「……俺は……、美紀のことが好きらしいんだ……、亜希曰く……」
言葉にすると同時に、電気信号で美紀が繰りかえされる。こちらに手を振る、ほがらかな美紀……。夢のようなひとときだったのだ。
龍太郎と成瀬の間には、沈黙という大きな岩が置かれた。『美紀が好き』、その情報だけが宙を飛びかう。
腕を組んでいたはずの成瀬は、腕をだらんと垂らしていた。瞳で燃えていた炎は弱火になり、お決まりの目尻も下方へと動いている。
(……断罪、されない……?)
刀の下に切り捨てられるものとばかり考えていたが、彼女の刃は前を向いていなかった。元の鞘になおし、敵意がないことを示す右脇に置いていた、
「龍太郎くんって、ずいぶん度胸あるんだね。嘘でも付こうものなら、どう料理しようかレシピを作ってたけど……」
龍太郎に歯向かう度胸はない。美紀と内通している時点で、隠しごとが無駄だと気づいただけのこざかしい人間である。
「嘘ついても仕方ないから。事実しか話してないし」
ガワだけは強気を張っておく。
「金曜日、成瀬を呼ばなかったのは……正解だと思う。成瀬としては悔しいけど……。きっと衝突してたし、それで配信を妨害してた」
もの言いたげな目になった成瀬が、しぶしぶ頷いている。心情は龍太郎にもよくくみ取れる。勝手に美紀を救う計画が実行されていたのだから。
「……それにしても、龍太郎くんが美紀を……」
成瀬が目を丸く(当社比)しかけて、顔ごと真横に向いた。
ドタバタと乱入してきたのは、とくに『彼氏』を押しつけてこない少女であった。アポ無し突撃はもはや当たり前になっている。
「間に合ってなかったー……。龍太郎くん、何もされてない?」
「されてない……けど。またまたどうして美紀がここに?」
事情を問いつめる用があった成瀬と異なり、美紀は理由すら持たない。不思議なものである。
「亜希に『ハヤナルちゃんは暴走するから先まわりして!』って言われて……。なにも起きてないならよかった……」
その場にへたり込んで、龍太郎と成瀬を交互に見つめる。真剣な空気にほんわか少女が混ざり、まだ四月だと分かる暖気がようやく肌に伝わってきた。
手持ちぶさたになった美紀を、みすみす帰す手はない。日曜の惰性は遠くに去り、少女の膨らんだほっぺたが招きいれるよう龍太郎を催促してきた。
「……これにて一件落着……? 何もないならゆっくりしていっても……」
「美紀、一緒に帰ろう? ……心配かけちゃって、ごめん」
「元々、やらなくちゃいけないこともあるし……。龍太郎くん、また明日!」
理想はそう簡単に叶うものではなかった。
かけ足で上陸した台風は、腰を据える暇もなく去っていってしまった。龍太郎の呼びかけ虚しく、美紀は成瀬に連れられて階段へと歩いていく。
(……『美紀が好き』を聞かれなくてよかった……?)
自らの想いを悟られずに安堵したと同時に、残念に思う心があることにしばし驚きを隠せない龍太郎なのだった。




