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顔も知らない美少女に告白されたけれど、展開が何か思ってたのと違う。  作者: true177
Chapter3 内からの蝕み

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File27:Ryutaro-kun

「お疲れさまー! 次回も、また見に来てほしいな!」


 配信終了のボタンを亜希が押し、熱も冷めやらぬ美紀のデビューは終わりを告げた。コメント欄は、最後まで驚きと祝福の嵐だった。

 物陰から一部始終を見守っていた龍太郎は、暫く様子を見ることにした。蚊帳の外の人間が幸福の空間に入るには、まだ早い。


「……ちゃんと……、出来てた……?」

「大成功だよ! 美紀だったから、ここまで見てくれてる人も盛り上がってくれたんだよ! 美紀がいなかったら完成してない」


 天使の微笑み顔になった亜希が、美紀の真っ黒な髪の毛を撫で始めた。その長く張った髪の、根本から先端までを丁寧に整えていく。

 撫でられている方は撫でられている方で、息切れが収まらない。終始力の入っていた太ももは、床にだらんと着地していた。一大任務を終え、疲労が全身に回っているようだ。


(そうだよ、美紀がいたからなんだよ……)


 亜希単身でも、それなりの成功は収められた。今までの実績で、並みの収益は得られたに違いない。

 『正直さ』が初期状態でセットされている少女が加わって、アバターが二次元から三次元に変化した。亜希の活発アイドル高校生と、美紀の自身に正直なギャップ系少女。別方向の矢印が合成して、新たな層にも刺さる物へと具現化されたのだ。

 添加物でない、主体としての働き。自尊心を喪失していた少女にとって、原動機を復活させる大きな第一歩となる。

 余韻を味わう二人は、くっ付いたまま離れない。


 配信画面を確認すると、『配信終了』のテロップがでかでかとパソコンに映し出されていた。中身バレの心配は消えた。


(……やりきった、なぁ……)


 龍太郎は重い役職に就いてはいなかった。機材の移動、相談への返答、画面外からのフリップヘルプ……。途中出場一分の選手が勝利セレモニーに参加するようなものだ。

 それでも、龍太郎は確かに歓喜の輪の中にいた。腕は組んでいなくても、配信が完結した瞬間の達成感を共有できた。




----------☆----------☆(回想)☆----------☆----------




『……どうも、ゆっきーです。新しく、この『ちゃんねる!』に……』


 美紀の第一声は、控えめな女子高生そのもの。マイクから距離があり、音もあまり拾われていなかった。念を押して送り出した初球がコレでは、行く末が思いやられる……。

その思考が廻ったのも、つかの間だった。

 龍太郎側からは、コメント欄が確認できない。配信舞台の裏方なのだから当然なのだが、救う対象に入る少女への反応にペンが遅くなっていた。


『あ、どうも初見さん! そうだよね、ゆっきー、いいよねー!』


 亜希のフォローが、第三者の盛り上がり方を暗に伝えていた。コメントは敵陣営でなく、無事味方に加わってくれていたようだった。


 美紀にしては、雑多な動き方。身振り手振りが大げさで、口を開けば論理に違和感を覚える飛び飛び言葉。いつぞやの『カノジョ』的行動が思い出された。

 あちこちに放り出された伏線たちを回収するのは、勿論頼れる大親友。適度に美紀へパスを出しながら、拡散する話を源流へと集約させる。龍太郎が百人集まってやっと実行できる大仕事を、彼女はたった一人でこなしていた。


 敷かれたレールの上には、公表された事前課題もあった。が、短時間で目まぐるしい情報量に晒された美紀、ゆっきーが処理し切れるはずもなく。


『……あたま、真っ白になっちゃって……』

『いいの、いいの。……こういう正直なところも、ゆっきーなんだから』


 ひとつながりになった会話は、途切れさせない。バックパスにも対応できるスーパーマンがいた。

 龍太郎の先読みに忠実な彼女の背中側へ、亜希の腕が回り込んでいた。もしもの時の安全機能が搭載されている配信ほど安心できる物はない。

 天井から操られる糸引き人形にせず、『ちゃんねる!』としての『ゆっきー』を引っ張り出そうとする亜希だからこそ、場の重力が弱くなるイレギュラーを発生させられるのだろう。


 不自然な波に揺られ、カンペの助け舟も受け取って、配信は過ぎ去っていった。美紀の不安も、計画そのものへの疑念も、全てが杞憂になった時でもあった。


 そして、配信が締められようとする間際。


『改めて、よろしくお願いします!』


 配信の初めにオドオドしていた女の子は、そこにいなかった。一時的にもありのままを曝け出し、自ら降りることなく完乗した『メンバー』だった。




----------☆----------☆----------☆----------




(何処まで狙ってたんだろうか、亜希は……)


 亜希効果による錯覚かもしれない。ここを出れば解けてしまう、一種の魔法かもしれない。それでも、美紀は確かに仮想空間で羽ばたいていた。トライ&エラーを繰り返して、声を発していた。

 引き込みがちな少女の新たな分野を刺激することは、『金欠』の一点集中では為し得なかった。短期的にも、長期的にも最善の采配を打っていたのだ。亜希は亜希だった。


 思考ある案山子になっていた龍太郎へ、へたれこむ彼女からお呼び出しがかかった。


「その、登川くん……。さっきの……」


 目線が水平よりも下がる美紀。一旦染みついた癖は、型で矯正しようとしても簡単に直ってくれない。龍太郎が現在進行中で経験している。


 行く末を案じる力強い手のひらが、彼女の肩甲骨をゆっくりなで下ろした。


「美紀に気になることがあるんだけど。……『登川くん』って呼び方、変えてみない?」


 少女の揺れが収まった。撤退させられたと例えるべきなのだろうか。


「赤の他人だったから、その呼び方になったと思うけど……。名前で呼んであげた方が、もっと頼りがいが出てくるよ? ね、龍太郎」


(俺は亜希を頼りっぱなしなんだけどな……)


 下の名前で人を呼ぶことは、形式的な呼び名以上の価値を生み出す。距離感が狭まり、より深層へのアクセスが出来るようになるのだ。脳の認識にしても、単なる知り合いから『友達』以上へとグレードアップされる。


 美紀の瞳が、亜希と龍太郎の間で迷子になっていた。


 龍太郎自身も、下で呼ばれた経験は亜希を除いて無い。呼び捨てならまともで、川下り、川流れ、鯉流れと好ましくないあだ名が付けられたこともあった。

 どう反応して良いのか分からない。素っ気なく返事をしていいのだろうか。同性から軽く呼びつけられたのなら、応対を知っているのだが。


 意を決したのか、つるしていた美紀の腕が胴体に引きつけられた。


「……龍太郎、くん……? これからも、よろしくお願いします……」

「敬語なんて堅苦しいよ。同じ学校の同級生なんだし、無礼講でも問題ない! それに、龍太郎に敬称を付けるのは敬称に失礼だから……」

「尊敬できない人物リストに入れてくれるな……」


 目を離したらすぐ攻撃される。一瞬の油断も許されない、抜け目のない女子だ。


 常套句をいつものように躱した龍太郎。その脇から、


「……龍太郎くんの尊敬できるところ、いっぱいあるよ……」


 今までは重たいものを抱えて塞がっていた美紀の唇が、鎖から解き放たれていた。彼女はきょとんとする亜希にもたれかかり、満足そうにだれた。


 くだらない、些細なボケ。道路に転がっているような、何の変哲もない小石。重荷を運ぶだけだった少女が、明確な意志を持ってそれを蹴飛ばしていた。


(……美紀が純粋に微笑んでるの、見たことあったか……?)


 生存欲求が満たされて笑顔になったことはあれ、いわゆる『人生に必要でない物』で笑っているのを見たことがない。龍太郎の付き合いが短いのではなく、あの亜希の目が点になっていることから読み取れる。


 配信中にも、兆候はあった。


『ぷにぷにしてるもの……。……お菓子はれいがい!』


 いくら誘導に乗っかっていても、自ら進んで初めてゴールにたどり着く。今日は、一粒の勇気で前進した美紀がいた。


 頭の中で、スペースが空いた。何でもない冗談に突っ込む余地が生まれたのだ。恋愛感情とは結び付かないが、彼女に『余裕』がもたらされていた。


「……美紀、笑った? 今、面白いって心で思えた?」


 思いがけぬ矢で打ち抜かれていた亜希が、我に返った。寄りかかる少女に腕を回し、大切に抱いている。


 美紀の陰は、一部が取り払われていた。


「……ちょっと、……龍太郎くんをイジリすぎかなって……」


 手で唇の輪郭をなぞり、うっすら上方にカーブしていることを嚙みしめていた。肌の裏側に隠れている血色も、いつにも増して赤くなっている。


 三人組の中の大黒柱は、目を平たくして頷いた。味変した美紀を嗜んでいるかのようだった。龍太郎イジリを控えめにしてくれると尚助かる。


 写真を額縁に飾っておきたいが、あいにくノーマルカメラは持ち合わせていない。『心に保存しておけ』と指示する連中は、勝手に消去される事態を想定していないから言えるのだ。


 凪が場を支配せんとした時、破ったのは相も変わらず。


「……美紀、龍太郎。大事なこと、忘れてなーい?」


 『一件落着』を翻す宣言にも、頭は回らない。はて?


 美紀も状況が呑み込めていない。見つめられても、カンペは出せない。


「お金だよ、おーかーね。あんまり口に出す言葉じゃないけどね……。準備は良い?」

「そうだった……」


 一人でロケットエンジンを噴射する亜希。脱線させてから元に戻す操作はピカ一である。


 『金欠』。断じて逞しいと形容出来ない少女の両肩にのしかかった負の遺産。道端に転がっている大学生の口癖より、何百倍も深く抉られた傷跡がある。


 マウスカーソルが投げ銭へと重なった。小一時間の配信で積み上がった総額が、画面中央にふんぞり返っている。三桁区切りで、丁度枠に収まっていた。


『100,000』


 目を擦って、じっと凝らしてみる。ゼロが増えも減りもせず、五つ鎮座していた。


「……あああ、ああ、あ、亜希い!?」


 地球が半回転するけたたましい叫び声は、龍太郎より一回り小さい少女のものだった。学校で俯いて出す普段の大きさからは測れない。綺麗なまでに階段状だ。


 十万円。家電という家電が使えず、制約の範囲内で飢餓生活を余儀なくされた美紀には、持て余す金額だろう。何か月もの間の食事代を支払っても、おつりが十二分に返って来る。


 マウスで事務作業に勤しむ亜希は動じない。そっと目を遣っただけで、美紀を横目で観察しつつ配信内容を巻き戻している。


「五万円。美紀の取り分、半分。美紀が自分で稼いだんだよ、この額」


 さらっと言い流しているが、半分に割ったとて諭吉なり栄一なりが複数出現する時点で高額だ。普通の大学生のアルバイト分を、たった一時間少々で稼いでしまっている。


 貧乏暮らしの少女は、魂が宙に浮いていた。平均台を渡り終えた安堵感で、支えが失われていた。


 冷や汗がしたたり落ちる暇を与えず、龍太郎がバックアップに入る。


(……片時も目を離せない……)


 間一髪、床へと倒れかけた美紀を抱きかかえた。両脇に腕を通し、万に一つも外れないよう固定する。乱暴でも、彼女の後ろに居た人間が出来る最大限だった。

 脱力して、尚も床へ垂れさがる。ゆっくりと、地面へ彼女を着地させた。


「……やっちゃった……。……龍太郎くん……」


 背筋は伸びたものの、パソコンの画面に釘付けで動きそうにない。


 亜希の言う通り、この金額は美紀の手柄。無条件で受け取ってしまえる。


「……美紀のもの、あれは……。みんなを楽しませたご褒美で、自分自身を配信の舞台へ持ってきたご褒美」


 彼女が獲得した最初の報酬は、自らを張ったもの。没収する輩は誰もいない。

 新メンバーとなった少女から流れる、けたたましい悲愴のメロディは止んでいた。確実に表示されている『十万円』を噛みしめて、心の不純物を取り払っていた。


 『金欠』の重荷は、風化して崩れ去ったのである。




----------




「……ねえ、龍太郎くんに一つ、お礼をしたい。だから少し……、いい?」


 まだ名前呼びに慣れていない美紀。口の形を作ってから発音しており、初々しさがまた一段と彼女の素直さを増幅させている。


 気がすむまでね、と快く待機を受け入れた亜希に軽く感謝を述べ、こちらの耳へと口元を持ってきた。


 女子高生の唇がすぐそこに存在することに、分かってはいても身体が避難しようとする。何事も気にしない気楽さが欲しいものだ。


 歯車の動き出した少女の吐息が、薄い音として鼓膜を震わせた。


「……龍太郎くん、言ってくれたよね、『パニックになったことを言ってもいい』って……。一人で焦らなくてもいい、って……」


 転ばぬ先に杖を何本も準備した配信と言えど、即興性が求められる場面があった。美紀の素性についてのコメントだっただろうか、無作為にコメントを釣り上げていた彼女が停止したのは。


『結局、らっきーってただの貧乏人?』


 これが百戦錬磨の亜希なら、やんわりと断りを入れられた。何なら、華麗にスルーして(アカウントを)亡き者にしていただろう。


 亜希は亜希で雑談の収束にリソースを費やしていて、不穏コメントを阻止できなかった。アリ一匹も忍び込めない完璧な防御だったはずが、ほころびが生じていたのだ。


 咄嗟に掲げた、龍太郎のカンペ。


『何も思いつかなかったら、そう言っていい』


 すがる藁を探し求めていた彼女は、龍太郎の垂らした命綱に掴まった。正直になった。横から援護射撃がやってきた。


「……とんでもないこと、言いそうになってた。龍太郎くんが、いなかったら……」

「美紀が俺のことを信じてくれたからだろ?」


 蚊帳の外にまで聞こえてしまうが、返事をせずにはいられなかった。

 すくめた肩に手を回し、面を優しく撫でる。角ばった自身より、何処までも丸かった。


 分からないを、『分からない』と認める。取り繕うのでなく、正直に話してしまう。一時気が沈んでも、最後の晴れやかを掴める。

 全て、美紀の力。他人の頑張りの上で手に入れた仮初の称号ではない。


(……よくやったんだよ、美紀は……)


 いつから、龍太郎は保護者になったのだろう。実の娘のように思えてくる。


 一旦空気中を彷徨っていた『美紀』が、また龍太郎に浸食してきた。


「……ありがとう、龍太郎くん」


 耳が火傷してしまいそうだ。人の吐息は、これ程までに熱を持てるものなのか。




 龍太郎にくっついて離れない温かみは、永久の安息を与えてくれるものだった。

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