File26:舞台裏
「さん、にー、いち、スタート!」
映画監督兼主演女優のアクションと共に、『ちゃんねる!』の生配信は始まった。配信空間から隔離された龍太郎が捉えられる画面には、早速数件のコメントが流れている。
パソコンの中央には、亜希一人。新メンバーのくだりまで、彼女が配信を回す。いつものことで言葉に迷いはなく、カメラの位置も頭の片隅に置いて進行できている。
「はーいどうも、『らっきー』だよー! リスナーさんたち、早速挨拶ありがとうねー! ……ちょっと画面が暗い? もう日が沈む時間だもんねー……」
扱い慣れた弾み言葉を、躊躇なく配信画面の向こうへと綴っていく。予定された原稿が机に置かれていないのが不思議だ。
『らっきー』とは、亜希が持っている仮初のキャラクターなのだろうが、本名を直接弄っては身バレする懸念で頭を働かせたのは容易に想像できた。なにせ、『ハヤナルちゃん』の名付け親である。
軽く手を振ってみるが、擬人化亜希アバターに無視された。少なくとも、龍太郎たちはモニターの視界から外れている。
中の人が露になってなお、いや露になっているからか。龍太郎は幼馴染の配信に釘付けになった守護霊になってしまっていた。なんとも頼りにならなさそうな守り神だ。
ぼんやり配信者の一部始終を見届ける訳にはいかない。序盤トークを亜希が構築している内に、龍太郎たちは新メンバーの準備運動をしなければいけないのだから。
同じく親友が張り切る後ろで目を輝かす美紀の服を、遊び半分でちょいと突いてみる。
「……なあに、登川くん……?」
「……裏でリハーサルしておかないか? 緊張をほぐすためにも……」
「……一応、さっきやったよ……? ……あれの通りやれば、いいんだよね。それに、いざとなったら……」
笑顔を含んではいるが、顔面筋がうまく機能していなさそうだ。
台本無しのアドリブを強制してはいない。定刻ギリギリまで、亜希お手製の『進行書』なるものに沿って、身振り手振りから発言内容まで一通り練習した。
(それでも……。俺も人のこと言えないけど、美紀だったら……)
練習特有の緩い雰囲気と、荒縄でがんじがらめにされた本番の雰囲気は別物。予想外の一撃に筋書きから外れ、フリーズしてしまうこともある。
これはお節介なのだろうか。幼い植物が芽吹く、計測不能な生命力に天運を任せた方が良いのだろうか。
いや、と龍太郎は返す。
舞台裏で出番を待つ少女が何を好んで何を嫌うかなど、他人には読み取れない。想像が無限大に広がっても、現実に映してみなければ結果が判明しないのだ。
改めて彼女に正対し、カンペ用に渡されたボードとペンを差し出した。ハテナで詰まった頭を傾かせる美紀に寄り添って、囁き声を出す。
「……言おうとしてること、不安なこと、洗いざらい書いてみて。このまま美紀が配信に出たら、こんがらがってショートしちゃうと思う」
「……そうなったら、カンペで助けてほしい……」
「美紀が何を思ってるか分からないと、パスを出そうにも出せない。だから……」
皆まで言う必要は無かった。意図を受け取った美紀が、ダムの緊急放流ペースで箇条書きを連ねていく。
主要なプレッシャーは、亜希が全て受け持ってくれる。コメント返し、話題の提供、時間の管理……。常人なら潰されかねない重荷を、彼女が肩代わりしてくれている。
お膳立てされたまっすぐな道を、踏み外さずに進むだけ。凪の路が、美紀を悪夢のループから脱出させる。
後は、美紀が大地を踏みしめられるかどうか。本人の自活に、鍵が含まれている。
(俺は、その手助けをする。美紀が前を向ける動機になるのなら、何だって……)
手の届く範囲まで、と付け加えておく。
今の美紀は、自転車に乗れないちびっ子に例えられる。不安定そのもので、いつ溝に転落してもおかしくない。放っておけば、泥をかぶってケガしてしまうだろう。
そのような子供には、補助輪や大人の手が要る。自立できない内は、サポートを受けられる権利があり、また行使すべきだ。
やりすぎと言われるまで、補助を付ける。脇に控えた龍太郎に出来ることである。『金銭』という切実な目標で見失いがちだが、この少女が持つ根本的な問題は『恋愛の欠如』だ。『金銭』は要因の一つにすぎず、本質ではない。
固定されていた美紀の表情が、流動的になってきた。視線移動が鋭敏になり、淡い色が浮かんでは消えていく。
ぎっしり詰め込まれたボードが、龍太郎に開かれた。
「……できた。……心がスッキリした気がする」
彼女が示したフローチャートには、亜希の『進行書』に記載されていないものも書かれていた。
『亜希に迷惑かけたくない!』
どの項目にも、場を提供してくれた親友への配慮が込められていた。一人で整理するには溢れる黒っぽさである。
視線を滑らせようとした龍太郎は、危うくケガをしそうになった。
『亜希との関係を聞いてきたら、友達と返す』
『それでもしつこく迫られたら、強く言い返す』
具体的案件の連続だった。彼女が数を起点とする勉学に不得手な理由も、ここに詰まっているのかもしれない。
(……完璧主義がちょっと見え隠れしてるな……)
進行は『指示書』通りなのだが、不確実要素も無理やり規定してしまっている。マニュアルから一歩外れた事態に対応できない人間そのものだった。
ランダム性のある配信で、プロット通り進めることは不可能。多かれ少なかれ、アドリブ力で制圧する展開が起こる。
幸いにも、亜希は心眼で龍太郎たちの動乱を確認してくれている。会話テンポを崩さないまま雑談を引き延ばす話術は一級品だ。
配信の心配事をとりあえず棚に上げ、心臓が止まっている美紀の震える手を取った。
「……配信で『コメントにこう返す』なんてここで決めたら、それ以外の時はどうするんだ、美紀?」
「それは、……その場の状況次第で……」
「だったら……、『美紀のことが好きダゼ!』なんてコメントが飛んできたら……?」
「私のこと、が……?」
処理できない文字列を示されて、配信前夜の少女はしゃがみ込んでしまった。今ある持ち物で対処法を考えようとしているが、湯気が頭のてっぺんから抜け出ている。勘違い野郎と自己肯定感、どちらに対しての沸騰かは分かりかねる。
人前に躍り出たことが無い人間は、横から飛んでくる槍を躱せない。亜希が簡単にいなしているのは、経験値の賜物だ。彼女は素人時代の時点で体得している気がしないでもないが……。
一寸先の闇を案ずる龍太郎に、視界の下からフリップが飛び出てきた。
『……私って、人に良く思われてるのかな……。『好き』って感情も分からないし……』
美紀のセルフ辞退が姿を現していた。親し気を持って接近する将来の親友を遠ざける元凶だ。影の中に生きてきた種類の人間は、誰しもが有す『お節介』である。
(他人にどう思われてるか気になる、そうなんだよな……)
人目を創造して、孤独の場でも監視に怯える。美紀は、典型的な受け身の人。生気が脱出しかけた体を保とうとする少女は、何処までも龍太郎と同類だ。
亜希からバトンを受け取って、第一コーナーを曲がっている。最初のカーブだが、一度脱線すれば戻ってこれそうにない。『美紀の救出』という、一大作戦のレールから。
龍太郎はペンを走らせ、膝元の彼女へとフリップを戻した。
『美紀が話せば、みんな明るくなる』
語彙が稚拙でも何でもいい。光を照らさないでどうしろと言うのだろう。
前進の力を与えるのには、プラスのエネルギー。肯定を付け加える度に、真下を向く風見鶏も上向きになっていく。
二人密接して、フリップで会話をする。へんてこりんのように見えても、両者の間を保つのに最良の手段であった。
たゆまない緊張の一部分にやって来る。弛緩の波。他に気を紛らわす物も無く、交換フリップが唯一の望みになっている。
『主役で話したことがなくて……。良いアドバイスがあったら、教えてほしい』
デビュー前ヒロインのお悩み相談コーナーが始まっていた。
龍太郎には、とっておきがあった。亜希から別途で方策を授かっていたのだ。
(転ばぬ先の先の杖、よく読んでるなぁ……)
積み木から生み出された彼女の千里眼には脱帽するしかない。
龍太郎は半分に折りたたまれたメモ用紙をポケットから取り出し、フリップの下に忍ばせた。光が入るよう、美紀側にフリップを被せて。
『自分でがんばりましょう。龍太郎なら出来るよ、だいたい』
妙に自信を感じられない文字が並べられていた。
総大将からのゴーサインを待つ二人の空間に、野外のメモリが殴り込んできた。
「……そうだね……、今日の新しい子について、か……。ネタバレになるけど、それでもいい?」
モニターを舞台にして宙を舞う幼馴染は、背中に隠した右手で龍太郎たちを招いていた。心なしか声量も増幅されている。
燃料投下のタイミングではない現状で、亜希からの合図。
「名前から言っちゃおうか。……ゆっきー、っていう子だよ。画面の前に出てくるのが初めてで、返事に詰まっちゃう子だけど、優しく、ね?」
成長しないネーミングセンスはさておき、誘導係の適性が高い。いささか不自然な紹介文を、自然の中に溶かしている。
突貫工事で建てられた道標は、確実に遭難を防ぐようになっていた。猛吹雪で一歩も踏み出せない少女が一休みできる、頑丈な避難小屋だ。
「趣味とか、これからの抱負とか……。いっぱい、聞いてあげて!」
亜希から直接返事は聞けないが、悪路の舗装に熱心なことは感じられる。
目を白黒させていた美紀に、追加メモリが取り付けられた。まだエラー数は多そうだが、フリーズせずにやり繰り出来ている。大人しく寝そべっていた瞼も、引っ張り上げられていた。
力の戻った手を広げた催促に従い、龍太郎は空っぽのボードを渡す。アドバイスが不要になって何よりだ。亜希の予言に反している気がしないでもないが。
時代劇さながらのボロ家に、バーチャル空間が広がる。感染性の無さそうな分野に。龍太郎たちは入り込んでいる。
いっそ仮想空間で新生活が送れたとしたら、美紀がどれほど楽になるのだろう。短絡な楽天家が、思考を横断した。
『私は、できる』
返ってきたメッセージは、一言だった。字の大枠は立っていて、インクの幅も太い。最低限の見込みが立ったのだろう。
「……さあて、と……」
秒針が長針、長針が短針になる程、幕の裏は時空が歪んでいる。その時空も、終端点に到達したようだ。
(……そろそろだぞ、美紀……。いくらでも、何なら乱入してでも、成功にしてみせるから……)
亜希からの目配せが痛い。期待の圧力が封じきれなくなりつつある合図だ。集団のパワーには、いくら万能神と言えども疲弊してしまうようだ。
まじまじとフリップに食い入る少女の手を取り、立ち上がらせた。準備万端とは行かないまでも、いくらか血行の良いピンク色に回復している。
瞳の中を、全て食べ尽くさんと注視された。食欲旺盛なほほ笑みは、ぎこちなくも安心が滲み出ていた。
精一杯に握り返されて、ここが現実世界の一部分であると気づいた。
「……さあ、本番。外野の俺が言うのもおかしいけど、初めての配信、楽しんで」
感情を持たない文字でなく、空気を震わせる言葉で伝えたかった。マイクに拾われない微細振動で、隣の彼女へ投げかけた。
適当な言葉が見つからない自分が恥ずかしくてたまらない。この期に及んで、船出の挨拶もままならないのでは一人前と呼べない。
美紀の顎が深く沈んだ。軽く呼吸を切り、両方のほっぺたに気合を打ち込んでいた。
「そろそろかな? みんなが楽しみにしてる、新メンバーちゃんだよー!」
神様のはきはきとしたナレーションが、二人だけの一息の終わりを告げる鐘になっていた。
影から光に踏み出す少女の背中が、少し頼りなくて。
「……頭が真っ白になったら、『頭が真っ白で……』ってバラしちゃってもいい」
龍太郎の呼びかけに振り向いた美紀。まん丸の目には、幾ばくかの灯りが宿っている。
「……ありがと、登川くん……」
平均台の端に乗り上げた彼女の足腰が、今日は頼もしく映った。
創作意欲が不安定なため、次話投稿時期は未定です。すみません……。




