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File2:忍び寄る人影

 教室に戻った後、同じような顔のクラスから少女を探した。が、残念ながら、美少女と呼べるような女子すら配属されていなかった。

 屋上で赤の他人を呼びつけた少女は、他クラスから生贄を選び出したことになる。目を合わせることが無い分、罪悪感を少なくする作戦なのだろう。


 龍太郎は、特に仲間も作らず、終始単独で漂流していた。隅でうずくまる奴に寄って来る、物好き人間はいなかった。犯罪の標的にされていないとも解釈出来るので、一概に悪にはならない。


 太陽が頂点に達した頃、龍太郎は教科書の詰まったカバンを背負い、寂しい大通りを進んでいた。


(……全く、何だったんだ……)


 初対面から、少女とは音信不通。連絡手段が対面しか無いのだから当然である。

 入学者名簿から氏名を調べようとしても、顔写真までは記載されていない。プライバシー保護が厳しくなった昨今、他人を特定する手段は限られてきている。


 青信号が、点滅し始めた。大通りの横断歩道は、如何せん赤信号の待機時間が長すぎる。


 全力疾走の準備に入った時、ポケットが軽くなる感触がした。定期券か何かが滑り落ちたようである。

 急ブレーキをかけ、手を伸ばそうとした矢先。


(……あの人影、見覚えがアリアリだな……)


 動作をフリーズさせてしまった。


 緩やかな弧線を描く黒髪がくっきりと映った影が、忍び寄ってきている。電柱を障害物にして、跡を付いてきたようだ。顔までは確認できないが、候補は一人だけ。


 追いかける、という手段もある。滞るラブコメを進展させるには、キャラに会って好感度を上げるしかない。『人間なんだから分かり合える』、過去の偉人(?)の心強い味方もいる。

 あいにく、龍太郎は三択の選択肢から正解を選べる技量は備えていない。


(……やめとこうか……)


 一度対戦した経験から導ける結論は、『少女からの一方的な攻撃に倒される』と言った自明な事実だけだ。


 彼女は、龍太郎の異変に気付かないのか。敷かれたレールの上を走るセリフしか発せないのだから、考慮にも入れていないかもしれない。

 定期券を拾い上げ、再び家路に復帰する。

 彼女のことを考えていても、紐が絡まって息苦しい。消しゴムで消し去りたいのに、野望がそれを許さない。


「あ、龍太郎だ! 久しぶりだねー」


 横道から、ひょいと顔を覗かせたのは、亜希あきだ。この近所に住む、龍太郎の唯一の知り合いである。努力が実を結んで上位校へ入った彼女と、だらけて流されるがまま底辺校に入った龍太郎を同じにしてはいけない。

 唯一の友が異性であるのも、集団と群れない龍太郎らしいのだろうか。

 少女がこびりついて抹殺出来ない所では、彼女が天から降ってきた救世主だ。


「久しぶり。……いつだろう、卒業式以来……?」

「……忘れちゃった? 次の日に、カラオケで大熱唱したよね?」

「……それは亜希だけだ」


 初っ端から注文を繰り返した龍太郎は、時間制限いっぱいまで横になっていたのだった。興味を削られる記憶は、脳が削除してしまっていたようだ。

 亜希は亜希で、水も摂らずに三時間休憩無しでマイクを握りっぱなし。リズムから一拍だけ遅れる歌声は、彼女の素だった。


(……もう、いっそ亜希を彼女だということにして、別れちゃおうか……?)


 美少女をモノにしたい。その薄汚い欲望の裏に、荒波をボロの小舟で乗り越えなくてはいけない予感がする。尾行する性格の女子が、付き合いをフェードアウトさせてしまうサバサバ系のはずがない。

 亜希の切れ長の目は、あの少女のまん丸とは対立している。美人に決まった型が無いのは、本当だ。


「……高校で、友達はそこそこ出来たんだけど……。深めなことを言えるのは、やっぱり龍太郎だけ、かな……」


 高校生活に順応出来るのが、うらやましい。見渡す限り両極端なタイプしかいない龍太郎の高校では、成しえない事柄である。


 亜希の視線が、瞬間乱打された。彼女の高校は、徒歩圏内にない。何を気にすることがあるのか。

 彼女の唇が、軽く曲がった。


「龍太郎、『好き』っていう感情、知ってる?」

「いきなりだなぁ……。何回破れたか分からない」

「だよねぇ……。多かれ少なかれ、気になる人はいるよね……」


 声を掛けられてから、胸が綱で締められる苦しさを味わったこともある。慣れていく内に気持ちは消えたが、勘違いしやすい方だとは自覚がある。


「私の周りに、『それを感じたことが無い』って訴えてくる子がいるんだよ。美紀みきって言うんだけど……」


 亜希が顎を手に乗せ、瞼をそっと閉じる。


 人間の三大欲求は、『食欲』、『性欲』、『睡眠欲』。恋愛表現は、言うまでもなく『性欲』である。獰猛な獣ではしたないイメージが強い『性欲』だが、人間の根本を占めている大切な要素だ。


(……恋自体が、わからない、と……)


 自然と湧き上がるはずの、他人を愛する心情。当たり前に備わっている機能が欠落している世界を想像するには、龍太郎は未熟だった。

 亜希には悪いが、相談役にはとてもなれそうにない。


「最近、かなり拗らせちゃってるみたいで……。……こんなこと、話してもどうしようもないよね」


 底なし沼に嵌まっていた亜希の心が、浮上してきた。


 『恋愛』の存在しない世界。三本柱の一本が欠け、不安定な陸地。社会は回っていくだろうが、全てが味気なさそうだ。


 彼女の心配事を引き受けることは出来ないが、共有なら辛うじて行える。龍太郎は、亜希の肩に手を回そうとした。


「おしまい!」


 スピーカーから増幅された爆音に鼓膜が破れそうになったのは、その時。拡声器が、龍太郎と亜希の隙間にめり込んでいた。

 接する勇気を持てなかった少女が、背後に立っている。目線をやるまでもなく、強制告白の彼女であった。


「のざ……、登川くん、浮気はダメですよ!? 亜希ちゃんも、帰った、帰った!」

「……ただの友達なんだけど……。……龍太郎、後は任せた」


 情報処理が追い付かない。リスニングでこのやり取りを流されて、正解にたどり着ける人間が、この世に何人いるのか。龍太郎は、最初の設問で脱落する。

 少女の発言の補足になるが、龍太郎の生から苗字が変わったことはない。『登川』一本打法である。


(……亜希の知り合いか……)


 空気を読んで退散したか、とも考えたが、亜希は順応性が非常に高い。多少の性格の齟齬など、亜希の前では無に帰す。振れ幅が大きいのだ。尾行少女のような異端児が紛れ込んでいても、不思議ではない。


 亜希が、路地の向こう側へと消えていく。助け舟は、無常にも立ち去ってしまった。龍太郎の自力が試される。


「……私とキミは、付き合ってるよね?」

「そう。君から告白してきたんだ」

「それだったら、他の女の子と関係を持ったらいけないよね?」


 問の答えに窮した。手に拡声器を構えたまま尋ねることを止めてほしい。


 背中に彼女がアリの逃げ場もなく密着しているのだが、心は新春の冷風で凍っている。不気味に柔らかく、ほのかな芳香が鼻をそそる。心臓の拍動がスローダウンし、汗が額から滑り落ちていく。


(俺が求めているラブコメじゃない……!)


 女の子と触れ合うのも、肌身離さず会話するのも、龍太郎が望んでいたこと。小説の主人公がヒロインとやり取りをするたび、自身と置き換えて妄想を発展させていた。

 これじゃない。


「……亜希は、小学校中学校からの付き合いだよ。そうでなきゃ、出会い頭の女子と会話しないだろ?」

「……ふーん、付き合ってたんだ……」

「文脈を察してくれ、文脈を……」


 日本語は、文章の流れから意味を判断することがしばしばある。彼女に対しては、その語彙も注意せねばならぬようだ。


 少女の目つきが、鋭利さを増す。みじん切りにされ、食材として『龍太郎』が並ぶかもしれない。


「……私も、亜希ちゃんに彼氏がいないことくらい、知ってるよ。知ってる……」


 彼女が詐称をしていなければ、だが。


(亜希って、彼氏作ってないんだ……)


 新高校生だから当然、というのは世間一般の考え方。龍太郎は、中学から、男子たちが順番に特攻しては敗北するのを目の当たりにしてきた。あの物量なら彼氏ができていてもおかしくはなさそうだったが、彼女は潔白を貫いたようだ。


「とーにーかーく! 他の女子と、淫らなことをしない! 次からは、きちんと守ること!」

「いつどこで俺がそんなことをしたんだ……」


 約束で彼氏(?)を雁字搦めにしてくる、厄介な監視系彼女だ。少女自身に、彼氏を作っている自覚があるかも怪しいが……。


(これ、身動き取れなくならないか……?)


 日が過ぎると共に、禁止事項は右肩上がりで追加されるだろう。ただでさえ高校三年間に好転の兆しが見いだせないのだ。病人として生きる十代の一年は、金を払っても戻ってこない。

 凡夫であれば、関係の終焉を切り出す。重荷をしょって明日に向かう縛りプレイを、積極的にしようとは思わないのである。


(……でも、自分で始めた物語だし……)


 そもそも、平凡ならば、このストーリーの幕を開けていない。彼女の相手をする決意をした。龍太郎は、無難なルートから外れたのだ。


「……カノジョは、カレシのことが好きなんだから……」


 少女が口にする言葉の一つ一つが、機械音声に聞こえてならない。文章にはなるが、単語の羅列と差が分からなくなる。


(……裏が、ある……?)


 何処までも、自らを大渦へ巻きこんだ張本人を深堀りするのは、お人よしであるのだろう。


 それでもいいや、と龍太郎はか細い息を吐き出した。

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