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File18:上辺だけの団欒

 太陽が傾き、最後の抵抗が燃えるような赤となって部屋に差し込んでくる頃。小学生の登下校と重なっている時間帯だが、はしゃぎ声も足音も響いてこない。


 龍太郎は、居間のちゃぶ台前で謹慎させられていた。正座姿で、両手を膝の上から外すことも禁じられている。


「……りゅうたろうくん、ズレてる」


 再び棒読みモードになった平坦な声が、龍太郎の気の緩みを正させる。


 何処からか見つけてきた警棒を手にした、女王成瀬。打撃の快音を手で響かせ、龍太郎の後ろにそびえ立っている。姿勢が崩れると、警棒で優しく調整させられるのだ。

 ちゃぶ台の反対側には、足を伸ばして肩の力が抜けた亜希と、全身を緊張させて龍太郎から視線を外そうとしない美紀。家族会議の法廷バージョンである。亜希も後半部分は共犯な気がするのだが、裁判所は認めてくれなかった。


 普段の生活が営まれる居間には、真っ黒で移りそうにないテレビが置かれていた。外のアンテナ状態で電波を捉えられるはずがなく、リモコンも無造作にひっくり返してある。

 スマホ無し、テレビ無し、娯楽無しの質素生活。美紀の家周辺だけ、昭和の貧乏生活に逆戻りしてしまったようだ。


「……それで、美紀を覗いたんだって? 女の子の弱みを狙った事、絶対に許さない……」

「ドアの向こうで何が起きてると思ってたんだ……」


 成瀬が情報化の波から取り残されていた。彼女が述べた事が現実なら、警棒を構えているのも納得である。


 美紀をほったらかしにした罰は受ける。が、これ以上誤解で誤解を証明されてはたまらない。


「……風呂を上がろうとしたら、美紀がいるのを忘れてて……」

「……悪気は……、無かったと思う。もしあったら……、何か、体に触られてるだろうし……」

「龍太郎がそんなことする人間じゃないのは、私が保証するよ」


 現場で事実を目撃した証人二人が、代わる代わる状況証拠を上げていく。


 浴室を出た時から、妙な心騒ぎはしていた。直観に従わず、美紀を驚かせてしまったのは反省しても悔いが残る。


(……美紀が立ち直る邪魔になったら、どうしようもなかったからな……)


 幸い、美紀に拒絶されなかった。何か月かの十字架を背負わなくても良くなったのだ・


「……そう? 偶然……で起こり得るか……」


 成瀬が警棒をしばく音が止まった。首の角度を固定された龍太郎には見えないが、一時の噴火危機は乗り越えられたようである。


「成瀬も、龍太郎くんを汚しちゃった責任はあるからね……」


 この事態を作り上げた源であることが重なり合って、追及の手を強められていない。

 どろんこになったのは、龍太郎が暴れたからと言えば龍太郎の責任になる。身体面でも、言論面でも。現状落ち着いている成瀬に伝えるべきではない。


 部屋の明かりは、つるされた電球一個。部屋の中は異様にすっきりしていて、教科書類が隅に積まれているだけだ。


 成瀬が腰を下ろしたタイミングで、新たな発言が飛び出す。


「そういえば……、龍太郎が異性を名前呼びするの、珍しいね。……そもそも話しかける人に友達がいないってのもあるけど」

「余計なお世話だよ」


 事務的に話しかける女子には勿論、活動や学習グループが同じの女子にも名前では呼びにいかない。飛び越える敷居の高さが段違いなのだ。

 美紀は、例外中の例外である。『カノジョ』時代は、名前も苗字も分からないのっぺらぼうだった。代名詞で呼ぶしかなかったところに『美紀』が加われば、名前呼びになっていくのは当然であろう。


(……名前呼び……?)


 亜希がわざわざ指摘するのだ、龍太郎は誰かを名前で呼んでいる。そのはずだ。亜希と美紀は除外するとして、余った異性は一人しかいない。


「そうでしょ、ハヤナルちゃん?」

「『瀬』が抜けてるの、『瀬』が! できれば、『成瀬』って言ってほしい」


 何処に飛び込んでも馴染む亜希の親和力は一旦脇にのけて、龍太郎の脳内にはハテナマークが増殖していた。


 思考を繋ぎとめようともがく龍太郎に、亜希が感づいたようだ。


「ああ、そういうことか……。ハヤナルちゃんの苗字は『早矢はや』だよー。勘違いしてたんだ」

「だからハヤナルちゃん呼びはやめて」


 間髪入れずに、成瀬がツッコんだ。会話を引き出すとっかかりを亜希は作ろうとしている。見習いたいが、龍太郎にコピペするのは不可能に思えた。


 『成瀬』が名前であっても、地にへばり付いた物を引き剝がすのは困難。今更『早矢』と言い直しても、強烈な違和感が襲ってくる。


「……成瀬って名前、どこの由来? 苗字に苗字を付けてるみたいで……」


 苗字のような名付けをすること自体が、他者からの注目を浴びる的になる。『成瀬』にしても、やいのやいのイジられる材料になる恐れもあったはずだ。

 第一、女子に与えるファーストネームとは程遠い。成瀬が味の濃い性格で無かったら、浮いていたかもしれない。


 底辺校を支配下に置かんとする女王様は、少々腕を組んで、


「……かっこいい名前だから、だったかな? 成瀬としては、気に入ってるけど」

「それはハヤナルちゃんが屈強だから……」


 亜希も同様の懸念を持っていたらしい。身を軽く台の上に乗り出し、茶色がかった成瀬の髪に視線を添わせていた。


 『成瀬ちゃん』。いい響きなのか、そうでないのか。配下に指示を出して自らも現場に赴く彼女と照らすと、どうでもよくなってくる。


 正座の重圧に耐えかねて、血流が滞ってきた。たまらず、体勢を崩そうとする。


 懐に収納されたばかりの冷えた黒い警棒が、龍太郎の腰に据えられていた。


「……あれ、許されたんじゃ……」

「成瀬がどろんこにしちゃった分を相殺しただけ! これは、美紀の分」


 成瀬の日に焼けた腕が一センチでも腹側に食い込めば、龍太郎の一日はそこで終わりになる。いくら刃物でなくとも、彼女の一言だけで棒も鋭利になっているのだ。

 本人に対応を問うでもなく、無断移動を禁じようとしていいものか。抗議書を提出したいが、窓口が見つからない。大声を出しても、周辺に住人はいない。


 何やら、亜希が美紀の脇腹を肘で突いている。まどろみの中にいた少女が、はっきり目を膨張させた。


(……あれ、居眠り……?)


 ハヤナルちゃんこと成瀬のやりとり中、美紀の生命信号がピタリと止まっていた。頭が揺れていなかったので無視していたが、体の形を維持したまま混沌に潜っていたようである。


 掛け時計すら存在しない、安宿風のリビング。木の床はありのままで、座布団を下に敷いてようやく座れる。太陽の仕事終わり光線が、夕方真っ盛りを知られてくれていた。

 ゲームもない、スマホもない、テレビもない。人工光から遮断された空間に住んでいると、体内時計も過去に若返るのか。


 大あくびをかまし、瞳がこぼれないよう指で押さえる美紀。整える時間も無かっただろう上まつ毛に、電球の輝きを取り込んだ水滴が付いていた。


「……うーんと、なあに……? ……ごめんね、いつもはぐっすりしてるから……」


 龍太郎に、一個の質問が生まれた。


「……いつ、起きてる? 早寝早起きにも限度が……」

「登川くんといっしょ、だよ。太陽が昇ったら、やる気になる」


 意図の不明瞭な質問に、美紀の動作が鈍くなった。肩を何回か回し、手を広げて真横に伸ばした。緊張と弛緩の移り変わりに、彼女の重荷が抜けた声が漏れる。


 リラックスする少女に対し、龍太郎の疑問は枠から逸脱した。


(……睡眠時間が、長い……)


 日本人の睡眠時間は、他国と比較して短い。至極一般的な生活を営んで美紀の睡眠になるとすれば、気にも留めなかった。

 栄養とコミュニケーションの狭間で苦しむ少女には、『健康』が足りない。身体は勿論のこと、精神も負の感情を発散する機会を失って燻っている。

 消費エネルギーを最小限に抑える方法、それが睡眠なのだ。休息を欲してではなく、生存戦略の睡眠を強いられているのだ。


 恐る恐る、根本の食事にも手を伸ばす。


「……朝晩を抜く、なんてことは無いよな……?」

「……流石にない。けど……」


 美紀が、やたら台所を気にしだした。四人の空間から意識がふらっと抜けては、また戻ってくる。


 この場で嘘を付く理由はない。もしそうならば、信頼を作れなかった龍太郎たちの責任だ。


「まだ、『許す』とは一言も言ってない!」


 成瀬の制止を振り払って、台所へと踏み込んだ。部外者が安易に立ち入るべきでないのは確かだが、龍太郎には確認したいことがあった。

 コンロの反対側に、不自然なスペースがある。床も凹んでおり、いつ床下まで貫通してもおかしくなさそうな状態だ。


(……冷蔵庫か……)


 美紀は、保冷設備も失っていた。


 コンロのスイッチに手をかけ、点火にボタンを回す。オレンジの炎が上がるが、とても肉の中まで熱が通りそうにない。


 乱暴に設置された棚には、単品の野菜たちがゴロゴロ転がっていた。中には、埃のかかっている放置されたものもあった。

 野菜の細かい皮が付いた、刃の部分が崩れそうな包丁。中央が黒ずんだまな板。

 まともな調理がされた形跡を見つけられなかった。


 ちゃぶ台に視線を返すと、首だけを回転させていた美紀が光の陰に埋もれていた。照明が当たっているのに、彼女の周りはブラックホールが形成されていたのだ。


(……食材を、まるごと……)


 適当に水洗いして、野菜を丸かじり。原始時代に帰化した営みを送ってきたのか、この少女は。


「美紀、こんな生活で……」


 彼女の食事情は、龍太郎の第一印象よりも余裕で下回っていた。亜希の予測すら裏切っていたかもしれない。


 傍で面倒を見ていた温暖な親友が、美紀の肩に手をそっと置いた。


「頑張らなくても、大丈夫。胸の中に溜めてること全部、ぜーんぶ、打ち明けていいんだから……」


 不安定で穏やかな声が美紀の心の中に入り込んでいく。龍太郎には、その光景が見えた。


 たった一人で耐え忍んできた少女は、体の軸が固定から外れていた。どう自身の肉体が支えられていたのかを、忘れてしまったようだ。


(どれくらいの間、孤独だったんだ……)


 亜希にも隠していた、彼女の食糧不足。夏も冬も、腹が満たされないまま感情の欠けた世界をさまよっていたのだ。

 美紀の目の前には、クッションがひかれてある。嘲笑や軽蔑の無い、何でも受け止めるものが……。


 反対側の成瀬も、下唇を強く噛んで右手を体に引きつけていた。

 成瀬が諭しや抱擁といった類に不得手なのは、薄々気付いている。美紀を慰めようとして、逆に慰められるくらいなのだから。

 今の彼女は、強く出る自我を人格の殻に抑え込もうとしている。


 時計の針すら鳴らない、空気に詰まった静寂な空間。まるで、何かを待っているかのようだ。


「……ごめ……」

「私たちに謝らなくていい。龍太郎だって、ハヤナルちゃんだって、美紀の笑ってるところが見たいんだよ?」


 顔を覗き込んで塞がれようとした蓋を取り払い、沈み込んだ美紀の目線を浮上させる。諦念などどこにも見えない、人を思いやる目だった。


(……亜希みたいに、自分も言ってあげられたら……)


 台所で立ち尽くすだけの龍太郎に割り込む余地は残されていない。今は、美紀と一番親しんできた大親友に運命を託す。


 ハッタリをやめた少女の顔が、平静を保てなくなっていた。眠気由来でない大粒の滴が、目元に集まっていた。


 ようやく金縛りを解いた龍太郎は、床の耐久度にお構いなく彼女へと足を向けた。踏み抜くかどうかの雑念など、今はいらない。


 蚊帳の外で見守っている訳にはいかない成瀬も、空っぽのちゃぶ台を迂回して美紀の傍らへ着く。


 全員が、一点に集合した。体温のぬるさが、一斉に中心の美紀を覆う。


 集結した仲間たちを一周見回した少女が、一言ポツリ。


「……家で食べる時、最後にお料理を見たの、いつだろう……」


 美紀のすらりと長い黒髪が、正座をしていた龍太郎の両ももに乱れて被さった。

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