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File15:隠されし束縛

 四月が少し進み、日はまだ傾斜を保っている。どういう風の吹き回しか、春にしては長袖をたくし上げる人が多かった。


 大通りを二本外れた、波音一つ立たないブロック塀通り。龍太郎は首も影も長くして、まだ見えない星を指で追っていた。


「……今日もありがとう、登川くん……。お財布、大丈夫……?」

「……人のこと心配してる暇があるなら、自分のことを心配してくれた方が……」


 同じく両腕を目一杯持ち上げて伸びているのは、美紀である。彼女の満腹中枢は、いくらか満たされているようだ。


 昨日の件があって、美紀の綱渡り生活を知った龍太郎。違和に感づけなかった自身を責めたくて仕方ないが、ケジメを付けるのは苦難の元栓を閉めてからにする。


 今日も、彼女のバッグに栄養補給は考えられていなかった。いや、放棄させられていた。朝晩で不足分を埋めているのでもない。チャックが破裂しそうな程詰め込まれたバッグを背負う美紀が、重労働の子供と重なった。


 授業で扱うだけだった、貧困。別世界の健康問題だったソレが、簡単に壊せない壁として龍太郎に立ちふさがっている。


(……美紀は、あんなに大きな弁当を持ってきて……)


 前『カノジョ』時代。定食の大盛を拡大解釈した二段構えの弁当箱を、彼女は潔い笑顔で差し出した。あの時の美紀の栄養状態を遡ってみると、恐ろしくて声にならない。

 自らで、独り占めしたかっただろうに。作戦の犠牲にしてしまったのである。


 彼女を錯乱させるまで追い込んだ『好き』の欠落を、元凶を、龍太郎は滅す。土下座されても、溶鉱炉に放り込む。


 鬼の形相で腕を組んでも良いことは降ってこない。憤怒の念を脱し、美紀に話題を投げかけた。


「……亜希に作ってもらった、『一日一善ノート』はどうなってる? 中身までは言わなくてもいい……」


 身を引かれるかと心を備えたが、反して彼女は楕円型に潰れていた瞳を元に戻した。


「もちろん、毎日付けてる。昨日は……、『成瀬ちゃんに叱られたけどフォローも入れてくれて、ちょっぴり近くなった』かな……」


 高校でトップクラスの番長を張る成瀬は、他の傲慢我が儘ガールとは一線を画していた。弱きを助け、強きを監視する……。社会主義にやや傾倒しているのは否めないが、成瀬なりのバランスなのだろう。


 亜希とは別の方角から、彼女は美紀の忘れ物を探していた。体で、心で、言葉でぶつかり、身を持った体験で昔を思い出させる荒技である。

 善悪判断はともかく、成瀬もまた、美紀の弱点を補強しようとする同志だった。


(……二人に比べたら、俺の力は小さいけど)


 亜希と成瀬、ベクトルの違う二大巨頭。この二人が含む領域は、無限大に近い。


 しかし、全ての範囲はカバーできていない。残りの溝や隙間を埋めるのが、龍太郎のような一般人にも出来る事だ。


 美紀の暴露があった後、龍太郎は青空を無視して帰路についていた。


 金欠で困窮する少女を、見捨てられるはずが無い。足が地面を掴む旅に、地球から龍太郎への問いかけが返ってくるようだった。


『……どうにか、するんだろう?』


 金銭の問題は、現実と切実に直結している。いくら社会性重視の世であっても、金が無ければ何もできない。高校に通うことすら難しい。


 ただの知り合いに、家庭の経済問題が解決できるのか。美紀を窮地から引っ張り出す、一発逆転の手段を取れないか。


 龍太郎が結論を出すのは、早かった。


(無理だ。俺一人だったら……)


 知名度ゼロの男子高校生が持つ影響力など、想像の範囲内に収まる。夢を越えて他人に接触したり、集団を先導して問題解決に向かわせたりは出来ない。


 だからこそ、強力な助っ人を呼んだ。


 反対側の道路から駆け足で跳ねてきた、一つの人影。


「……美紀、龍太郎、おまたせ。これでも、スクランブルで早いほうだよ」


 気合十分の微笑を顔に出しているのは、期待の和製助っ人外国人の亜希。天に召されそうな印象の白統一でなく、ブレザー姿である。所々髪の毛が師団に分かれているのはまさに緊急発進して来てくれた証だ。


「急に呼び出してゴメンな。俺一人だと、どうあがいても自己嫌悪になりそうだったから」


 考察と考察が連鎖した巨大思考回路は、処理能力の良くない龍太郎には持ち切れなかった。押しつぶされて嘆き苦しむのが関の山だっただろう。


 亜希に、正面から肩をさすられた。


「大正解! 『一人で溜め込まない』って、何度言っても聞かなかった龍太郎が、ねぇ……」

「亜希はお姉ちゃんにでもなったのか……!?」


 亜希が妹でも姉でも、龍太郎のコントローラーを握っていそうだ。兄弟げんかは、いつも彼女が勝つことだろう。


 亜希が一息つき、龍太郎の隣に立つ少女に向き直る。たゆんでいた心を引き締め、適度に顔を緊張させていた。


「……美紀、言葉にしなかったら、誰も気づいてくれないよ? 私にかかれば、どんなことでも朝飯前なのに……」


 自身を指さし、姿勢を正して大きく見せる。脅しではなく、自らに転嫁させている。


 美紀の自尊心を、如何に傷つけないか。

 涙の欠片しかない彼女自身を鼓舞する力は、これでも淡く成長してきた結晶である。中心に肉眼で捉えられない鉄球を据えて、亜希らのサポートで大きくなってきた成長途中のものである。

 人に呵責の念をぶつけて好転するなら、うつ病はいらない。


 力強く数多の経験を含んだ手が、自信なさげにうつむいたやや色白の手を取った。光の差し込む方向へ少女を導く御神託だ。


「お昼ご飯、食べられないんでしょ? 節約の方法、今度教えてあげる」


 直接内容に斬りこまず、外堀からやんわりと埋めていく。相手から自発的に門を開けるよう、誘導している。


 一方の美紀は、いつにもまして影が濃かった。コクコク、と一言一句を抱きしめて、胸の内にしまっているようだ。


「……美紀、明日か明後日くらいに、手伝いに行く。もちろん、この家事ロボットも付いてくるよー」

「誰が全自動何でもやります機だ」


 『行こうか?』でなく『行く』。亜希の折れない意志が、ありありと繁栄されている。軸の揺れる少女に、バトンを渡さない。


 右手が塞がっている美紀が、反射的に左を持ち上げようとした。


「……登川くん……?」


 彼女の遠慮気味な手の甲を、角ばった不器用な手で抑えた。波で受け渡されるはずの拍動が、龍太郎のそれに遅れていた。日頃の負荷に、身体も悲鳴を挙げているのだ。


 拒否信号は、送らせない。


 プライドでなく、現状維持。自信の持てない者は、人間関係が崩れることを恐れ、定位置に安住しようとする傾向がある。無論、美紀も龍太郎も。


 助けを拒むのが彼女の真の意志なら、止めはしない。


「……ちょっとだけ、待ってて……」


 突発的な船降りは、阻止する。思考の共有が効く龍太郎に出来ることだ。


 それから、上方への抵抗は無かった。


「……乗り込んでいい? 最終的に決めるのは、美紀だけど」


 羽毛布団を被せるようなほの温かい声に、金欠の少女は反応しなかった。亜希から視線を外そうと左右に振っているが、亜希に追尾されて抜け出せていなかった。


 龍太郎の中で、細く元気のない手が助けを呼んでいた。無風の春真っ盛りに、震えが止まっていない。

 美紀自慢のしとやかなロングヘアーも、日光を吸収して輝きを失いかけていた。


 彼女の耳に、半径十センチしか聞き取れない擦れ声でささやく。深呼吸だ、と。


 一拍、二拍、三拍……。うっすら目を閉じ、過去も未来も脇に置いた。新春の新鮮な空気を吸い込み、滑らかに膨らむ双丘が服で形を成していた。


 作っていた緊張が崩れたのか、亜希の眉が下がる。


 一切合切の邪念を排出した少女は、瞼を上げた。横目で見える瞳に、現状へと縛り付ける鎖は確認されなかった。


「……親がいなくて、実質独り暮らしだから……。いつでも、どうぞ……」


 一文が心から抜け、美紀の影が幾分か取り払われた。固まった筋肉で支えられていた肩が垂れ、憑りついていた妖怪も抜け出た顔になっていた。




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 程なくして美紀と別れ、この場には龍太郎と亜希の二人きり。勿論恋物語は始まらない。


(……上手くできたのか……?)


 過ぎ去ったものは振り返っても仕方ないとは言え、最善手を打ち続けられていたかは怪しい。

勝手に複雑へとなりゆく迷路へと、足を踏み入れかけていた。


「……龍太郎、やっぱりすごいよ。あそこで美紀を止められるのは……」


 蜘蛛の糸を垂らしてくれたのは、やはり小学校からの大親友。ナイスパス、だ。


 突然の環境変化に『NO』を突き付けようとした少女を制止できた理由。それは、龍太郎も同一の性質を備えていたからだ。他人は持ちえない、別視点からの横槍を持っていたからだ。


「それで、分かった? 龍太郎にも武器があるんだぞ、ってこと」


 語尾を撥ねさせ、綺麗に整列している歯を見せた亜希。左腕を龍太郎の腰に回し、一気に引き寄せる。

 ダイヤモンドが埋め込まれたような輝きを放つ目に、龍太郎の意識が吸い込まれていく。彼女が何かしらの敵役だったならば、龍太郎の灯は消えている。


(俺の武器、か……)


 自ら視界を遮るヘルメットを着けていた今までは、考えてもみなかったこと。能力のレーダーチャートで、何か一つ亜希を上回れるものを見つけた試しがない。

 龍太郎が特化しているもの。それを発見し活用するのが、課せられた使命なのかもしれない。


 公的教育を受けてきた間、ずっと暗がりで生きてきた。本格的な闇には身を染めず、ライトの当たる場所にも出てこない。付添人がいて、初めて公の場に出てこれた。

 光ばかりに注目していたのでは、龍太郎の長所が発現するはずも無かった。


「……亜希は、どんなところだと思う? 自分なりに、『これだ!』はあるんだけど……」

「私が教えちゃったら、つまらないよ。自分のことは、ある程度自分で探していかないと。……それに、その様子だったら言うまでもないし、ね」


 ウィンク一つで、また魅力ポイントが積み上がっていく。


 龍太郎は、どちらかと言えば『闇』側の人間。積極性に欠ける、受け手な人物だ。

 だからこそ、美紀のような自分と同じ側の人間に共感できる。心理行動を予測し、対策を立てられる。


 平面上の何処にも無かった『武器』は、Z軸に伸びていた。

 今日、また一つ身体を覆う殻が割れた気がする。


「ところで、龍太郎。美紀の状態、どう思った? 十字以内で述べよ」

「……昼飯を節約するまで金欠になってて、後ろに隠れてるものが……」

「文字数オーバーしてる!」


 なんちゃって理系の龍太郎に、国語の記述が解けるはずがない。肩の力を抜いてくれたことは心から感謝している。


「……でも、私もおんなじこと思ってた。ダイエットする性分じゃないし……」

「それだったらデザートばっかり注文しないだろうな……」


 合いの手を入れる。昨日目撃した限り、美紀はカロリーそのものを我慢はしていなかった。


「……美紀があんなことになってるなんて……。中学校は給食があったから、なのかな……」


 ポツリと漏れた、万能ガール亜希の独り言。いつもの亜希らしくない、引きずった後悔だった。


 この場に居るだけで、雰囲気を作る敷居が低くなる。何でもない話題でも、拾ってはボールにし、投げ返してくれる。


 どれくらい、彼女に助けられてきたのだろう。下手をすると、三百六十五日で自活出来た日が無いのではないだろうか。


(亜希でも、そういう風に思うのか……)


 完璧で隙の無い人間は幻想世界フィクションにしか存在しない、と確認させられた。


 龍太郎のやらかしの数々も、塵の一つに過ぎない。このようにプラスで考える頭を幼少期から手に入れていれば、どれだけ生活が楽になっただろう。


(……そもそも、どうして美紀が……)


 彼女が今の窮地に至る道筋を思案してみるのだが、正規ルートが浮かんでこなかった。


 美紀の背景に、何か得体のしれない怪物が潜んでいる気がしてならない。両親がいるのに一人暮らし(下宿ではない)を強いられているのも変だ。


 『お金が無い』。単純で、破壊力満天の言葉。折角蓄積された交友関係が、この一撃で破壊されても驚かない。金は絆より重いのである。


「亜希、俺の思い違いだったらスルーしてくれ。……美紀が『好き』になれない理由も、そこに絡んでるんじゃないか……?」


 お金で人を釣れるかどうかは論じていない。強力な束縛器具として、『お金』が働いている疑惑だ。


 美紀の自信の無さが、『好き』欠落の主要因。このことは、龍太郎と亜希の共通見解になっている。本人に直接的な表現をしていないのは、自己を責める負のループが起きかねないからだ。


 余分な物にお金を掛けられないと、基本的な欲求に従って生きるよりなくなる。『食欲』、『睡眠欲』、『性欲』。この中で、美紀が補おうとフル稼働しているのは『食欲』であり、他の二つは無視されてしまっている。


「……そうだね、確かに。その線も濃そう」


 眼鏡をかければ立派な探偵姿になる亜希が、立ち止まったまま体を前後に揺らす。彼女は『光』分野のエキスパート。龍太郎が介入する余地は無い。


 世界が膠着しそうだと、龍太郎が肩を回そうとした矢先。


「……そうだ、私たちでお金を稼いじゃえばいいんだ!」


 亜希が手を打って、活気を再起動させた。鼓膜が破けるかと思った。


 コウノトリが運んできたような、突飛なアイデアに聞こえる。第一、高校でアルバイトが禁止されていると言うのに。


「……どうやって?」

「それはね……。龍太郎、もうちょっとだけ耳近づけて?」


 促されるがまま、龍太郎は軽く膝を折り曲げる。


「……しらない! でも、明日までには考えてくるから、龍太郎もお願いね?」




 ……俺の期待を返してくれ。

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