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File14:閉じこもり

 遅刻の牢獄を出ても、龍太郎は授業に何も集中できなかった。成瀬の正体、美紀の昼食問題、取り巻き達の性格の悪さ……。どれを取っても、無限に議論が出来る。

 龍太郎の記憶は、一限を知らせるチャイムから昼食の始まりまでワープする傾向にある。今日も、そのパターンだった。


 授業が終わるや否や、弁当も持たず教室を出た。『美紀を助けたい』。一メートルでも先へ、先へと脳が命令を発していた。


 幸いにも美紀のクラスは自習だったようで、担当教員はいなかった。

 自由時間中の生徒を止める権限は原則無いのだが、うるさい教師は一定数存在する。今日の運勢は、大凶ではないのだろう。その調子で、美紀に災いが降りかかっていないと信じたい。


 窓際の一番後ろに配置された、美紀の席。彼女は果たして、ぐったり横になって外の駐輪場を眺めていた。


『昼になっても、弁当箱取り出さないし……』


 成瀬からの情報が、龍太郎の体内を駆け巡る。少しでも留まっていると、破裂してしまいそうだ。


 目立たないことに気を掛けていられなかった。彼女の席へ、一目散。


「……あれ、登川くんだ……。……おごるお金は……無いよ……?」


 放心状態で鎮火していた炎が、静かに燃えだした。電池は切れていなかった。冗談を口に出来るなら、瀕死の心配はしなくてもよい。


 しかしながら、彼女に付属するアクションが無い。迂回して空中遊泳したり、考え事の最中に手で遊ぶといった『無駄』が見えないのだ。


 この美紀の体調では、午後の授業で座っていることさえ苦痛のはずだ。やや小柄な彼女の安静時消費カロリーは小さいとは言え、確実に内部の燃料は消費されていく。


「美紀、お昼はどのくらい食べた?」

「……授業終わったばっかりだよ? ……もう少ししたら、食べる……」


 いつもの頬の赤みが薄い美紀が席を立ち、何処かへ行こうとするのを腕で押し止めた。体当たりでこじ開けようとする勢いも、亜希の家で龍太郎を閉じ込めた腕力とは程遠い。


 龍太郎と美紀は、同じ穴のムジナ。行動パターンは、隅々まで周知している。


(自分が受け止められる範囲内で、隠そうとするんだ……)


 人とコミュニケーションをあまり取らない人種は、苦悩が体内に蓄積しても放出できない。大きな手段である『友達との会話』が使えないからだ。

 多少の悩みは、時間経過が解決してくれる。これに甘えて、龍太郎らは独り悶々と引きこもることになるのだ。早期に処置する機会を逃し、他人に見て取れるほど膨れ上がるまで……。爆発する寸前で他人に助けを求めるが、その時には手遅れであることがほとんど。

 美紀も、災厄の循環に嵌まってしまっている。


「……今すぐ。とりあえず、お弁当か何か出してほしい。見せてくれるだけでいいから」


 龍太郎は確信していた。栄養失調で保健室送りになるまで、彼女は昼食抜きを続けるだろうと。


 バッグを開けるのさえ渋って胸に抱えていた美紀だったが、龍太郎の顔色を引き目で伺い、両手を高く挙げた。


 女子のバッグを漁る日がやってくるとは思わなかった。のんびりとしていられない事態だ、怯むことなくチャックを開けた。


 空っぽだった。


「……美紀、何も食べないつもりか……?」


 語気のある声で責め立てそうになるのを抑えた。保護者視点で何でも叱責に持っていくのは、龍太郎の良くない癖だ。


 人に言われて修正出来るなら、龍太郎はこの高校に通っていない。異性の友人が亜希以外にも出来ている。

 心を閉じさせないように、傷の舐めあいもしないように。そんなもの、一回で達成できるわけがない。

 平均台を目隠し片足で制覇できるのは、平衡感覚の特に優れた一部の人間だけだ。この場に亜希が居合わせてくれたら、どれ程美紀の負荷が減らせただろうか。


 今、傍にいるのは龍太郎。代替にはならないにしても、明日に繋げたい。


「……晩は食べてるから……、まだ……」

「……話すのがキツいなら、それ以上口を開けなくてもいいんだぞ……」


 下校時も、この儚き少女を介護する必要がありそうだ。


 龍太郎は急加速し、自身の弁当を取りに戻った。嘲笑が僅かに耳へと入ったが、どうでもいい情報に対処する時間は無かった。


「……弁当、半分食べな。拒否権は無し」


 美紀が頷くより早く、龍太郎はプラスチックの箸を握らせた。抵抗せずすんなり受け入れた彼女を見ると、危機がそこまで迫っていたのを感じる。

 箸を落とした時用に割りばしを携帯していたのが、役に立った。


 一心不乱に、白米を口に詰め込む美紀。性格を差し押さえて、生存本能が表に出てきている。生肉でも構わず口にしそうなほど獣だ。


(……どういうことだ……)


 食糧危機をひとまず凌いだことで、龍太郎の意識は結果から背景へと移った。


 高校生は、男女とも栄養が最も必要とされる時期。摂取量の不足は、生涯にまで影響を及ぼす。


 女子高生の昼飯抜きで、話題に上がるのはダイエットだろう。だが、美紀には当てはまらない。

 美紀から昼食を取り上げ、危険を押し付けるもの。今のところ、原因は思い浮かばない。


 少女の横で腕組みに沈んでいた龍太郎。俄かに起こったざわめきで、現実に引き戻された。


「龍太郎くん、美紀の調子は……?」


 証明写真に使えそうな真顔で、成瀬が教室に入ってきた。心なしか、眉が若干落ちている。

 また、陰で言い合う教室の女子たち。誰一人として彼女の歩行を妨げないのを見るに、成瀬はただの上位層でないのだろう。


 大量の白い目が美紀に集中している。成瀬の登場で、場の属性が百八十度変わってしまった。


「……よくはない。……朝、成瀬が言った通りだった……」


 彼女の洞察力と情報収集力は、侮れない。異変に気付けたのは、認めたくないが成瀬のおかげだ。


 空き椅子をどかして、目尻に力の入った成瀬が美紀に近寄ってきた。強引に道を作るその意志に、龍太郎も通路をあけた。


 彼女は美紀を立ち上がらせ、背中におぶった。大柄ではないものの、体に軸が通って体幹は安定している。


 食べかけの弁当が、指で示された。


「龍太郎くん、ソレ持って付いてきてね」


 一方的に通告して、美紀を引きづっていく。傍観者全てが、呆気に取られていた。


 硬直から最も早く復帰したのは、龍太郎。皆が動き出す前に、手際よく残りをまとめる。


 成瀬が何を考えているのか、大まかな見当もつかない。が、ぼんやりしていては時間が過ぎるだけ。提供された渡し舟に乗るしかない。


 弁当の包みを結ぼうとするが、手汗で滑って摩擦が効かなかった。体裁を整えるのはあきらめ、まとめて手に取った。


 龍太郎は、二人の残像を追って動き出した。




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 例の空き教室の扉を開けると、ぐったりした美紀と背中をさする成瀬がいた。当てずっぽうだったが、『避難するならここだ』という推測が当たった。

 追撃の野次馬がやってくる前に、扉の鍵を下ろす。埃を被っていたものの、さび付いてはいなかった。


「……ちょっと手荒だったね、謝る。こうでもしないと、取り巻きがうるさくて……」


 成瀬は乱れた襟を正し、一つため息をついた。威圧感の塊だった教室の女王は、何処にもいない。やはり、場面によってキャラが異なっている。


 周囲に群がる女子軍団は、彼女の意志と無関係に形成されたもののようだ。権力者の傍に付き、自らを高地位だと誇る能無しが多いイメージだが、果たして。


 美紀の方はと言うと、血色はほんの少し改善していた。青かったリンゴがほんのり桃色になった程度である。


 手にしていた弁当を、二度美紀へと差し出す。『半分』という条件も、もうどうでもいい。彼女がお腹いっぱいで満たされることを、龍太郎は望む。


「……それはそうと、龍太郎くん。成瀬を見る目、どう見ても細いよね? ……何を疑ってるの?」

「……それは、初対面の人に急接近されたら、誰でも……」

「それだけじゃない。隠し事しようとしても、この成瀬から逃れられると思わない方がいいよ?」


 自己の格を上げる言動から、誇り高き人種なのは見て取れる。


 成瀬に対する疑念、不信感をさらけ出せるのか。上にみて忌避している感情を、正直に出せるのか。

 世間一般に、成瀬のような女子生徒は『カースト上位』と名付けられるのだが、具現化して本人に伝えることはない。負の印象が強く、蔑称としての意味も持ってしまうからだ。

 龍太郎の抱えるモヤモヤは見抜かれた。生きているステージが一般人とは違う。全知全能神、亜希と立場が近い。


(……美紀がいるんだ……)


 一対一であれば、嘘を突き通せる。被害範囲が最大でも龍太郎に留まること、それが大きい。

 助けたい美紀に、彼女の生命線に、成瀬も絡んでいた。刀を振り回して追い払うことは出来そうだが、同時に成瀬の莫大で未知数な情報網をドブに捨てることを意味する。

 自分勝手な判断で、美紀を巻き込めない。


「……何がしたいのか分からない、成瀬は……。そもそも、女子の中で明らかに上にいる成瀬が、美紀に近づく意味が分からない……」


 出口が閉ざされた、密室の教室。外では、野次馬男女がよだれを垂らしてスクープを待っているだろう。次期女王、成瀬の失態を。


 龍太郎は白旗を掲げていた。


 刹那、成瀬の眼光が和らいだ。


「初めから正直に言ってくれれば、脅し文句も必要なかったのに……。変なところで意地張るから……」


 彼女は肩を回し、体の張りをほぐした。やる気スイッチの切り替えが上手い人だ。


 ひょっとすると、怠惰の波に飲まれない方法としてピラミッドに登っただけかもしれない……。


「どれから、答えていこうかな……。まず、この学校の上位っていう認識は、ダメ。『トップ』が正解」


 そんなこと聞いていない。自ら言い出すあたり、山を張る気質である。先程の推定は大外れだったようだ。


 ただ、自らカーストの頂点にいると断言できる圧倒的な胆力と自信は、凡人がたどり着けない領域にある。その分彼女は人間的に強い。


「……こんなこと言ったら驚くと思うけど、弱い子のこと見逃せないんだ、成瀬は」


 美紀に目を落とした彼女は、巣立つ小鳥を見守るかのようだった。


 女子事情に詳しくない龍太郎でも、美紀の立場が危うい事は知っていた。入学早々告白をかまし、話題がそれで持ちっきりになってしまったからだ。

 新聞のトップ記事を奪われた女子の中間層が、指を咥えて見ているはずがなかった。

 目障りに感じていた者達は、彼女をカースト外へ追いやってしまったのである。支配を受けない、と言うことではない。庇護下に入る権利を奪ったのだ。この高校の女子生徒だと扱われなくなったのと同義だ。


 成瀬が関連していなさそうなのは、目前にいる彼女の言動で分かる。


「そういうわけで、龍太郎くんも手伝ってくれるかな?」

「……ひとまず、な……」


 信用を置くかは、未だ決めかねている。龍太郎は彼女を知らなすぎる。


(それでも、志は似通ってるみたいだし)


 『美紀を救う』。この一点において、龍太郎と成瀬は合致していた。


 五感全てを食に全振りしていた美紀に、成瀬が手をかけた。怒りも、慰めも籠っていない。心配の純度が高い呼びかけだった。


 栄養不足でぼんやりとする少女に、成瀬が何かを耳打ちする。美紀の黒目が一時けいれんしたが、徐々に収まっていった。何度も頷き、龍太郎の目に合わせてきた。


「……登川くん、成瀬ちゃん……。……お金が、無い……」


 充実した生を渇望する瞳が、切実な事情を訴えていた。金銭関係あるあるの汚れが付いていない、純粋な事実であった。

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