File12:小さな一歩
時計の長針も『5』の文字を指し、日も傾いてきた。クリーム色のカーテンが作る影は、橙の幻影だった。
ゲーム大会は野球の後も続き、美紀は連戦連勝。運ゲーはおろか、実力がモノをいう将棋や囲碁でも腕力でぶちのめしていた。視点を変えると、(ほぼ)初心者の亜希が善戦している、とも取れる。
気が奮ってきた美紀は、勢いに乗って『学業でも……』と無謀な挑戦状を投げつけた。一度は身ぐるみを剝がされるまで劣勢だった亜希が盛り返し、美紀がベッドに立てこもったまま出てこないのが今の状態である。龍太郎の当初の想像より、情緒豊かなお嬢様だった。
(……どうして、『好き』だけ……?)
原理も過程も分からない。
「おーい、みきー! そろそろお暇する」
「……どうぞ……」
底辺校の中間層と、進学校の上位層。天変地異が起きてもひっくり返らない戦いに挑んだ、無謀の極み少女である。気を落とすことでもないだろうに。
美紀は、まっピンクに染め上げられたベッドにくるまっている。何かのキャラクターが描かれた、細長い枕が床に転がっているのは、彼女がどけたのだろう。
ウサギ耳の目覚まし時計が、アラームをかき鳴らした。短信が一周して、午前と午後が反転した時間を知らせていた。
「……亜希、早起き過ぎないか……?」
「五時くらいに起きると、ちょうど日光浴が出来て体が覚めるんだよ? これだけ健康に良い生活は無いと思うけどなぁー。……そんなことを言う龍太郎は、人のことを言えるのかな?」
「……言えません……」
スマホに溺れて日付が変わるまで神経が興奮しっぱなしの龍太郎は、遅刻するギリギリを攻めている。『カノジョ』というバフがかかった美紀になぎ倒されたもの、元をたどれば龍太郎の不摂生にあった。
毛布から髪を結んでいない美紀が首を出し、アラームを止めてまた潜り込む。猫とあまり変わらない。
窓際に飾ってある、幼女用のフィギュア。誕生日に買ってもらったものだ、と亜希が足踏みしてはしゃいでいた記憶がある。
(今は、もう遊んでないんだろうな……)
過去の産物が、この部屋には蓄積している。何度ひっくり返したか覚えていない、ボロボロになって台の角が見えるボードゲームの箱。付き合わされて食材を全て突っ込んだ、おままごとの入れ物。写真には残らない、亜希との思い出が回想される。
「……亜希、この枕みたいなのは……?」
仮想現実のキャラに、あまり精通していない龍太郎。印刷されてあるキャラは、女子人気の高そうな王道イケメンであった。
言及するが早いか、
「……これは……、グッズだよそうグッズ……。推したい人を応援するとき、よく買うでしょ?」
「なーるほど……。枕にしては、長いような……」
「……横になるとき、丁度いい長さになるんだ」
亜希は長枕を取り上げ、盛り上がった毛布の頂上に乗せた。いつにもまして、俊敏な手足の動きである。
「……さあ、帰ろう……」
「……これだ」
今度は、ベッドの上に全身が出現した。キャラのグッズを持ち、登り棒を上がるように抱き着いていた。
「……登川くん、これはこうやって使うもの」
「……ミキ……」
スローモーションにも残らない瞬発力で、亜希がベッドに飛び込んだ。自信がもっともよく知っている部屋だ、動きが違う。
乱闘にほどなく勝利し、頭を押さえて今にも涙が決壊しそうな美紀がベッドに放置されるのは自明だった。
----------
甘ったるい空気から、数時間ぶりに現世へと帰ってきた。新たに肺にため込まれるは新鮮そのものだが、時の進みが早い心安らぐ空間を名残惜しく思う自分もいた。
休日の夕方ともなると、住宅街に人影は無い。あるのは、二人仲良く手を繋ぐカップルもどきの男女だけだ。美紀が最後の意地を張って亜希宅に残留したことが、残念なニュースである。
女同士の物理的大乱闘の最中に閃いた、自称『ファングッズ』の正体。馬鹿正直に亜希へ指摘を飛ばした時が運の尽き、シベリア送りにされる。
(……あれ、抱き枕だ……)
人間を辞めて神になった第一号候補の彼女でも、乙女心を備えていた。小学校からの緩く甘い付き合いで無ければ、この場で告白玉砕していてもおかしくない。
たまに、下心アリアリで亜希に近づくド変態から、カップルでないのかと質問をぶつけられることがある。部活を引退してからは登下校も同じになった男女ペアだ、外からだとそう見えたのだろう。
龍太郎は、断言できる。『ノー』だと。それは、これまでもこれからも、不変の回答だと。
親友は、恋を抱く異性とイコールにならない。好感度がカンストしていようが、アプローチが激しかろうが、心を奪われなければ恋愛が始まらない。
(……亜希が、どうなのかは知らないけど……)
彼女からも、そのような暴露をされたことはない。今の関係に慣れきって、変化を脳が受け付けないのだ、きっと。
「……美紀、まだまだ時間かかりそうだね……」
道路の白線を目で追っている亜希。どうしようもなく、体を動かしたそうだ。
美紀の『好き』を探す。この目的において、今日一日は貢献をあまり果たせていなさそうだ。
見慣れない美紀の斬新な行動が、龍太郎の記憶から退いてくれない。
「今日の美紀、随分暴れん坊お嬢様だった気がする。学校であんな姿、見かけたことないぞ……?」
うんうん、と亜希が軽く相槌を打つ。
「あー……、龍太郎は初めてだったか。私と一緒に居る時の美紀は、割とあんな感じ。あれが、本当の美紀だと思う」
高校での美紀は、常に奥手で目立とうともしない。最序盤の悪評が未だに擦られているが、基本は地蔵少女である。
亜希と戯れる彼女は、少ないながらも主張は通し、負けず嫌いで興奮していた。消極的なのは相変わらずだが、ありふれた女子高生像に近いものだった。
亜希は遥か先の避雷針を見つめ、深呼吸した。
「バカやったり、しょうもないことで競争したり……。どうでもいい事って、一番大切な事なんじゃないかな」
「……多分、そうだと思う……」
龍太郎から、いわゆる『無駄』なひと時を肯定する発言が出ようとは、誰が予想していただろうか。オッズは宝くじがゴミに見えるほど高かったはずだ。
内部の変動期に、龍太郎はいる。構造が着実に変容しているのを、身に感じている。
(……俺も、亜希みたいに……)
性格を全てコピーしなくてもいい。相手の本質をさらけ出させる、人間的な魅力を龍太郎は欲していた。
美紀の話題が流れると、タイミングを見計らったかのようにまた新たな悩み事が降ってきた。
「……今日の俺、ちょっとは美紀に何か出来てたか?」
暴れるとほどける程度に手を繋いでいる亜希は、前を向いたままだった。夕陽の向こう側を、達観していた。
「それは、龍太郎が一番知ってると思うよ。……それでも心配なら、思い当たること、全部言ってみて」
他人に、自己の承認を求めている。勝手に肯定の言葉を期待している。
(……まだまだ、甘いよな……)
自己を研鑽するには、まだまだ修行が足りていない。
今日、美紀にしてあげられたこと。故意であろうとあるまいと、彼女の航海を一秒でも短くさせられたこと。
「……ハイタッチしたこと、とか? ……あれは美紀からだけど」
「それでいいの。手を合わせたのは、龍太郎が志してやったことだから」
今までの冷徹になり切っていた龍太郎なら、軽く流して幕引きしていたこと。美紀に当てられたスポットライトを、少しでも長く。その想いで、互いの体温を交換した
今日の『一日一善』ノートに、美紀は何を書くのだろう。いざこざから仲直りしたことだろうか。亜希をゲームで下したことだろうか。
(俺の名前、入ってるかな……)
人に憶えられる事が、待ち遠しい。
亜希が空中に絵を描き始めた。斜め横からでは、その全貌を捕えるには至らない。
「……やっぱり、龍太郎は良い男なんだよ。自分で自分を捻じ曲げようとしてるだけで、私の言うことも素直に実践してくれてたし」
いささか重みのある一文に、疲労して地面に寝そべっていた龍太郎の心が舞い上がる。
もしかすると、実践した素振りさえ鈍い人は気づかないかもしれない。
亜希は、全て見てくれていた。その事実で、止まりかけた足が元気になった。
(……ちゃんと、見てもらえてる……)
実現には至らなくとも、プラスを作ろう。空振りし続けた龍太郎の、最初のファールだった。掠っただけの当たりでも、バットに当たった事実は変わらない。
「そーれーでーも! ぜんっぜん、足りないからね。もっともっと、一秒に一回心をぶつけていかないと」
龍太郎の開いた扉が、進言を受け入れていく。この扉が開くのも、何か月かぶりだ。
歩みをストップさせ、亜希が龍太郎に美しさの詰まった顔を向けた。
「……成せば、成るように努力すれば、何とかなる。龍太郎、明日も、だよ?」
龍太郎は、顎が体につくまで深く頷いた。
彼女の一言一言が、糧となり、礎となる。
明日の自分は、今日の自分より一ミリ高い位置から始まる。そう予感がした。
亜希がスマートフォンを取り出し、駅の時刻表を確認した。龍太郎の最寄り駅は普通しか停まらない。逃せば、三十分は棒立ち確定である。
あれよあれよという間に、彼女の口が垂れ下がっていった。
「……あと三分だ……」
「……本人を置いていってどうするんだよ!」
スプリントフォームで世界の全てを置き去りにした亜希を追って、龍太郎も夕陽に呑まれていった。
Chapter2 end
ブックマーク、いいね、評価をして下さると大変更新の励みになります!




