準備と決断の夜
夜になると、街は中途半端に電灯が機能しているところと、完全に真っ暗なままのエリアに分かれた。
照明がつかない通りに入ると、異様な静けさが広がっている。
屋内にいる人が多いらしく、道路にはほとんど車が通らない。
風の音だけが、どこか遠くから聞こえる。
でも、風の質がいつもの日本の夜とは明らかに違う気がした。
石川大吾は自宅に近い小さな倉庫の扉を開け、懐中電灯の薄暗い光の中でキャンプ道具を引っ張り出している。
「火を起こすセットに寝袋、ガスバーナーに予備缶……あとは水筒や折り畳みタープも欲しいな」
そうブツブツと独り言を言いながら、空のリュックに次々と突っ込んでいく。
机に座って頭を使うより、こうした準備作業の方が向いているのを自覚しているから、手際は悪くない。
外からかすかな足音が聞こえ、翔太と梓が連れ立ってやってきた。
翔太は未だにサッカー部のユニフォーム姿で、足元はスニーカーのまま。
梓は小さめのリュックを背負い、筆記具や手帳をまとめてあるようだ。
「うなぎパイとこっこも入れておいた。
栄養バッチリだ」
大吾は自信満々に笑い、リュックをぱたんと閉める。
翔太は妙に嬉しそうな表情で、「それ最強かも」などと真剣に頷く。
梓はやや冷めた目を向けながらも、すぐに地図のメモを広げる。
「まず北東の草原へ行ってみるのがいいと思う。
あそこには妙な花や木があるって話も多いし、魔物らしき生き物がうろついているという情報が集中してる。
どれだけ危険かわからないけど、見極めたい」
翔太は地図をのぞき込みながら、「俺、一応スタミナだけはあるから先陣切ってもいい」と鼻息を荒くする。
大吾は静かに唇を引き締める。
「気をつけないといけない。
未知の世界だから、人間に敵意がある生き物も出てくるかもしれないし、毒虫や毒草だってある。
軽装備で行くのは自殺行為だぞ」
そう言いながらも、彼自身の装備はほぼキャンプに近いものだ。
手慣れたアウトドア用品でなんとかしのげると信じているが、実際に魔物が襲ってきたらどうにもならないかもしれない。
梓はメモ帳をしまい、息を整えるように軽く肩を回す。
「命を落とすわけにはいかない。
だから危険を避けながらできる範囲で探る。
もし戻れそうにないほど危なくなったら、即座に撤退しよう」
翔太も大吾もうなずき合う。
もとから無謀な冒険者というわけではないが、現状では自分たちで動かなければ何も始まらない。
夜明け前に出発する手はずを整え、解散するときには、一種の緊張と高揚感があった。
家の窓を開けて外を見ると、遠くの暗闇にうっすらと光る植物らしきものが散在しているのがわかる。
日本の夜景にはまず見られない色合いで、青や黄緑に淡く光る葉が揺れている。
まるで星屑を地面に並べたかのような幻想的な光景を前にして、静岡県が確かに異世界へ飛ばされたと改めて思い知らされる。
こうして三人は、それぞれに決意を抱えながら眠りにつく準備を進めていた。
明日の朝、まだ見ぬ世界へ足を踏み出すときがやって来る。