09 謀反
◇
眼鏡の男はブランカの名を呼んだ。よく見たらレオナルド王子の副官だ。確かレフとか言った。よく窓を開けてくれたっけ。彼女は仲間に攻撃をしないように合図した。
「神のお導きです!お助けください!」
彼は地面に平伏した。一応貴族だ。なのに薄汚れた服を着て、単騎で大森林を抜けようとしている。
(レオ様に何かあったんだ)
ブランカは直感した。すると側近の狼が馬とレフを欲しがった。
『お頭。この鹿と二本足、喰って良い?』
『食べちゃダメ。ちょっと黙ってて。こいつと話すから』
とは言うものの本が無い。仕方なく彼女は前脚の爪で地面を引っかいた。
「な・に・が・あ・っ・た」
「殿下に謀反の疑いがかけられました!」
レフはブランカが去った後の事を話し始めた。
◆
レオナルドはアドラー侯爵令嬢と婚約を交わした。嫌がらせも止んだ。思惑通りに事は進み、彼は満足していた。母だけが相変わらず不機嫌だった。
「私は反対よ。あの令嬢は全然きれいじゃないもの」
と、よく分からない理由で臍を曲げていた。
「世間では絶世の美女と謳われていますよ」
「男には分からないのね」
母はブランカがいなくて寂しいのだろう。レオナルドはもう放っておくことにした。侯爵家の力を借りて地盤を築く。それしか生き抜く道は無いと信じていた。
婚約者は気立ての良い令嬢だった。日々手紙を交わした。茶を飲み、芝居も見に行った。少しずつ距離も近づいたと思った。軍の仕事に逢瀬や社交と、忙しい日々が数か月続いた。
「レオナルド王子に謀反の疑いあり。連行する」
突然司令部に王直属の憲兵隊が来た。抗えば殺される。縄が掛けられる前に、王子は副官に命じた。
「山の民に助けを求めろ」
ヒョードリ砦で共に戦った部隊だ。レオナルドは王城の牢に入れられた。拷問は無かったが、厳しい詮議が続いた。謀反の証拠として挙げられたのは手紙だった。
「侯爵令嬢からの通報だ。反乱分子と通じているとな」
彼の筆跡に似せた手紙を見せられた。令嬢へ出したものが元になっていた。レオナルドは嵌められたと気づいた。
◆
憲兵の取り調べは終わった。1週間後の裁判で有罪が確定すれば即刻処刑だそうだ。1回だけ許された面会に母が来た。レフは既に出発していた。母は屋敷に軟禁されている。レオナルドの近衛も同様だ。
「1週間では無理ですね。…申し訳ありません。母上」
母は泣かなかった。息子を救うために伝手を辿っているらしい。だが貴族たちは風向きに敏感だ。誰も力にはなってくれまい。
「ルビーノ辺境伯様が、取り調べ不十分につき再度捜査を、と陛下に進言してくださったのよ」
意外だった。一言二言、話しただけなのに。
「では私の死後は伯を頼ってください。きっと…」
「まだよ。まだ分からないわ。レフを信じて」
親子を隔てる柵を握り締め、母は顔を歪めた。
「ごめんなさい。レオ。逃げるべきだったわ…」
もっと早く。あなたの右目が失われた時に。父は母に妙に執着している。逃げられるわけがない。全ては定めだったのだ。
(なぜあの時ブランカを救わなかったんだ。アイリーンなど捨て置けばよかった)
レオナルドは悔やんだ。一目でも良い。あの紅玉のように美しい眼が見たかった。
◇
愛する王子が処刑されてしまう。ブランカは咄嗟に駆けだそうとした。王都の方角は分かる。匂いで彼を探すこともできる。
『お頭!?』
仲間がいたのを忘れていた。彼女は踏みとどまった。王子一人を奪還してどうする。遠くへ逃がすのか。お母上も連れていこうか。いや、皆お尋ね者になる。
(手紙を作らせた黒幕を捕まえて…処刑を延期…ダメだ。狼の手に余る)
ブランカは下を向いて正解を考えた。唯一雌の側近が心配そうに寄ってきた。
『お頭。どうしたのさ?』
『好きな人が死にそうなの。でも何ができるのか分からない』
簡単に事情を説明する。雌狼はちょっと考えて言った。
『もっと強い群れの頭に頼んだら?取引するんだよう。助けてもらう代わりに』
大貴族を頼る。良い案だ。しかしブランカは狼なのでつてがない。また引っかき文字でレフに訊いてみた。
「た・よ・ろ・う」
有力者に。誰かいないか。
副官は考え込んだ。王子のお母上は子爵家出身で、その遠戚で最高位は辺境伯だと言う。レフ自身は男爵家の出だそうだ。
じゃあ辺境伯を頼ろう。レフは首を振った。
「薄い縁です。タダでは動かせません」
取引には代償が要る。ブランカに差し出せる物は一つしか無い。
「わ・た・し・の」
命。人語を解する狼だ。死ぬまで飼われても良い。白い毛皮を剥いでも良い。辺境伯に売り込みに行こう。
「ブランカ様…」
彼女は群れを離れる事にした。もし自分が帰ってこなかったら、次の頭を決めるよう側近たちに命じた。
『お頭!』
『嫌だ!行くな!』
仲間は反対した。だが雌狼だけは賛成してくれた。
『惚れた男に命を賭けるって言ってんだ。邪魔すんじゃないよ!』
『ありがとう!』
ブランカはその言葉に励まされ、副官と辺境伯領を目指した。




