02 奇襲
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うんざりする。また兄達の嫌がらせだ。たった500であの難攻不落の砦を落とせだと?しくじったら責任を追及して、俺を軍から追い出す気だろう。
幼い頃に毒を盛られた。右目が見えない俺は継承権争いから外されたはずだ。まだ叩こうと言うのか。どこまで追い詰めれば気が済むんだ。玉座などに興味は無い。勝手に潰しあってろ。クソが。
俺は決めている。母の葬式が済んだら出奔する。それまで何としても生き抜いてやる。父に媚びへつらおうとも、兄達にいびられようとも。剣を振るしか脳のないアホのふりを続けてやる。
母の地位は俺の働きにかかってるんだ。失敗できないぞ。おい、蝶よ。助けてやった恩を返せよ。砦の攻略法を教えてくれ。どうしたら良いんだ。
◆
レオナルドは地図を睨んでいた。正面から挑んでは勝てない。側面に抜ける道がないか。忘れられた坑道はないか。斥候部隊は何も発見できなかった。
「あ。こらっ」
副官が入ってきた。同時に白い蝶がひらりと飛び込んできた。いつもレオナルドにまとわりついて来る奴だ。天幕の中に入ってきたのは初めてだ。
「すみません。追い出します」
捕まえようとする副官から蝶は逃げ回る。そして地図に舞い降りた。副官はその羽に手を伸ばした。レオナルドは制止した。
「待て」
白い蝶はじっとしている。そこは今、彼らの軍が駐留している場所だ。のそのそと蝶が歩き出した。山を大きく迂回して砦の背後に出る。蝶は何度もそのルートを歩いてみせた。
「何を言いたいのでしょう?」
副官も興味を持ったようだ。
「道が…ある?」
レオナルドの呟きに、蝶が頷いたように見えた。まさか本当に恩返しをしてくれたのか。彼は急ぎ、斥候部隊の隊長を呼んだ。
◇
良かった。伝わった。少女は彼の役に立てて嬉しかった。斥候部隊があの古道を見つけたそうだ。あとは彼女の考えた作戦を伝えるだけだ。
(大きな岩を、こう、ゴロゴロっと)
6本の脚を駆使して説明するが難しい。軍人達は首を捻っている。
「崖の上から…どうしろと?」
「滑り降りる?何かを落とす?」
近い。すると少女の思い人が叫んだ。
「分かったぞ!崖を騎馬で駆け降りるんだ!」
「おおっ!まさかそんな方法があったとは!見事です!」
全然違う。しかし男達は血気盛んに賛同している。
(危険過ぎない?)
馬って崖を下りられたっけ。山羊でもなし。いくら心配しても伝える術がない。軍は慌ただしく動き始めた。
◆
「殿下。あの白い蝶は、もしや神の遣いではないでしょうか」
副官のレフが言った。奴は信心深い。何でも神の啓示と考える癖がある。いつもなら聞き流すところだが、今回は本当にそんな気がした。
「そうかもな。日頃の行いが良いせいだ」
レオナルドは笑って答えた。奇襲の準備は整った。出発する段になっても、まだ白い蝶は側にいた。彼の周りをひらりひらりとうろついている。
「遣わしたのが何であろうと、勝てば良いんだ。来い。“白”」
指を差し出すと蝶はとまった。こちらの言葉が解っている。
「名付けたんですか?」
「ああ。俺の女神だ」
「オスかもしれませんよ?」
ブランカは飛び上がるとレフの頭に体当たりした。怒っているようだ。レオナルドは吹き出した。か弱い攻撃だが副官の眼鏡が鱗粉まみれになる。恐れ入ったレフは平伏して謝った。笑いが止まらなかった。
◇
副官に報復して気が済んだ少女は、愛しい人の手に戻った。色々と分かってきた。彼は王子だ。名前は“レオナルド”。平民には一生縁が無い雲上人だ。
(美しい蝶で良かった。王子さまに似合ってるもの!)
“白”という呼び名までもらった。少女は満足だった。
真夜中。王子達は馬を引い静かに古道を進んだ。ブランカも眠いのを我慢してついていく。崖の上で夜明けを待っていると王子が囁いた。
「お前はここで待て。いいな」
ブランカは頷いた。ふわりと彼の頭上を一周して離れる。日の出の光が谷を照らす前に、王子はサッと手を振り下ろした。数百騎の人馬が崖を駆け降りる。地鳴りのような轟音が奇襲の始まりだった。
◆
砦の奇襲に成功した。レオナルドの麾下は山岳民族の出身者で占められている。落馬した者はいない。
背後を突かれた敵は1時間と持たなかった。大勝利だ。すぐに伝令を都に送った。味方は喜びに浸っている。総司令官たる王子は気を引き締めて指示を出した。捕虜の処遇に砦の修繕。怪我人の搬送とやることは山ほどある。
「そう言えばブランカはどうした?」
レフが部下を崖上にやっていた。副官は顔を曇らせた。
「いなかったそうです」
「そのうちまた来るだろうよ」
それきり、王子は白い蝶のことを忘れてしまった。あまりに忙しかったから。
◇
ブランカは油断した。お腹が空いたので崖を離れた。そして花畑に戻る途中、引っ掛かってしまった。粘る糸の網が張り付いて取れない。日が昇り網の全貌が見えてきた。黒と黄色の縞模様。8本の長い脚。沢山の眼が彼女を写す。
(蜘蛛っ!!)
彼女の意識はぷつりと途切れた。