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11 いのち

          ◆



 レオナルドは辺境伯の王都の屋敷へと移された。そこには副官もいた。


「今朝になって、殿下の処刑が早まった事を知ったんです。ブランカ様はいないし」


 ルビーノ伯が王に掛け合って執行を中止させた。父も知らなかったそうだ。大方兄王子たちが役人たちを買収したのだろう。辺境の大貴族は笑いながらレオナルドを出迎えた。


「少しやり過ぎましたな。憲兵がフォクス殿下らの元に向かっております」


 辺境伯が動いただけで形勢は逆転した。王子は礼を述べた。


「助かった。ありがとうルビーノ伯」


「礼はあの狼にどうぞ」


 どういうことだ。王子は副官を見た。レフは目を逸らした。そして言いにくそうに、辺境伯の力添えを得た経緯を説明した。



          ◇



 応接室で話していたレオナルド王子が急に出てきた。庭でうたた寝していたブランカは顔を上げた。


「ブランカ!」


 ものすごく怒っている。きょとんとしていると王子は狼の目の前で立ち止まった。


「お前、命を売ったそうだな?」


 なんだ。そのことか。ブランカは地面を引っ掻いた。


「と・り・ひ・き・し・た」


 王子を助けてもらう。その対価が必要だった。


「…」


 彼は跪くと狼を抱きしめた。お風呂に入った後だけど、相変わらず良い匂いがする。悪い奴らも片付いた。辺境伯が領地に帰る時がお別れだろう。ブランカは王子の匂いを思い切り嗅いだ。


(覚えておこう。ずっとずっと)


 ブランカが感傷に浸っていると、王子は立ち上がり手を出した。


「ブランカ。お手」


 犬じゃないんだけど。しかし本能が前脚を出させる。


「おかわり」


「ワフ」


「お座り」


「ワフ」


「良い子だ」


 レオナルド王子は狼の頭をくしゃくしゃと撫でた。軟禁を解かれたお母上も来てくれた。大好きな2人と会えた少女は、心から幸福だった。



          ◆



 ブランカは辺境伯にその身を売り、レオナルドを助けた。どうやってもその恩は返せまい。


 手を出せば素直に脚を載せる。命じれば伏せる。彼が笑えば喜びに尾を振る。これほどまでにレオナルドを信じ愛してくれるのに。この先共にあることはできないのだ。王子は詫びた。だがブランカは書いた。


「と・も・だ・ち・い・る」


 だから大丈夫だ。辺境伯の家族は皆優しい。近くの森には群れの仲間もいる。


「あ・そ・び・に・き・て」


 私も王都にお供に来るから。


「ま・た・あ・え・る」


 約束ね。ブランカはレオナルドの手を舐めた。王子はいつまでもその頭を撫でた。



          ◇



 翌日。レオナルド王子とルビーノ辺境伯は王城に行った。王の前で沙汰が下されるのだ。ブランカも特別に供を許された。


 初めてお城の中枢部に脚を踏み入れた。謁見の間は大きくて豪華だ。きょろきょろと周りを見る狼を、人々は遠巻きにした。


 罪人の様に後ろ手に縛られた王子2人と、令嬢が引っ立てられてきた。その後、王が仰々しく現れ、沙汰が下された。



          ◇



「此度の騒動の首謀者であるフォクスとラクンは継承権を剥奪のうえ、流罪。アドラー侯爵家は子爵に降格。アイリーン・アドラーは平民に降格。国外追放とする」


 淡々と王の決定が読まれた。あまりに重い罰に宮廷人はざわめいた。


「なお、レオナルド王子は継承権第一位とする」


「!!」


 見上げると、王子は手を握り締めていた。顔色が悪い。ブランカはそっと彼の足に頭を擦りつけた。


「そんな!父上!」


「お慈悲を!」


 金髪の元王子らは喚きながら連行されていった。簡素なドレスのアイリーン嬢は、美しい顔をレオナルド王子に向けた。


「あの人たちに脅されたんです。言う事を聞かなければ殺すって」


 涙を流して訴える。


「助けてレオナルド。お願い」


「…」


 王子は立ち上がった。そして彼女に向かって冷たく言い放った。


「アイリーン・アドラー。お前との婚約を破棄する。二度と顔を見せるな」


 令嬢の態度が豹変した。


「よくも見捨てたわね。覚えてなさい。朴念仁!死ね!」


 呪いを吐き散らしながら、元令嬢も連れ去られた。立派な悪役だった。



          ◆



 レオナルドは継承権第一位となった。風見鶏たちが群がり来る。辺境伯は父と話している。謁見の間はパーティーのようにごった返していた。敵は皆退けた。その安心感から気が緩んでいた。


 広間を囲む2階の回廊から何かが放たれた。


「ギャウンッ!」


 王子の心臓を狙った矢が、深々とブランカに刺さった。石弓だ。狼は咄嗟に跳んで彼を庇った。


「キャアーッ!」


 人々は逃げ惑う。護衛が盾となり王子を囲む。狼は矢が刺さったまま回廊に駆け上がった。第2射が当たるのも構わず、暗殺者に襲いかかった。


「ブランカ!」


 人が多すぎて見えない。やがて警護の兵が下手人を捕らえ、床に倒れた狼が見えた。またもやブランカは王子を救った。その命を犠牲にして。



          ◇



 矢はブランカの腹と目を貫いていた。


(痛い…何も見えない)


 ルビーノ伯は狼を担架に乗せて屋敷に運ばせた。レオナルド王子とお母上、眼鏡も付き添ってくれた。


「ブランカ!しっかりしろ!」


 王子の声が聞こえる。


「狼ちゃん!お願い!」


 お母上が前脚をさする。


(ダメだ。まだ死ねない)


 少女は残った片目を無理矢理開けた。暗くて狭い視界に大好きな2人が映る。ブランカはお母上の手を舐めた。別れを伝えたい。しかしもう地を引っ掻く力が残っていない。


「ブランカ様。文字を」


 前脚の裏に固いものが当てられた。レフが爪を動かせと言う。狼は弱弱しく文字を書いた。その動きを眼鏡が読んでくれた。


『帰る。またね。元気で』


「帰る?どこにだ?」


 レオナルド王子が訊いた。本当はあの隅っこの小さなお屋敷に帰りたい。でもまだすることがある。


『西へ。旦那様。連れて行って。早く。生きているうちに。マーガレットとリリーに会う』


「誰だ?」


「うちの孫です。いいのか?最期を王子に看取られなくて」


 ルビーノ伯が確認した。ブランカは頷いた。


『また会える。待っててレオ様。お母上』


 もう何も見えない。王子の匂いが鼻先にした。ブランカは彼の手を舐めた。それが狼と王子の別れだった。


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