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ワーズ・クリーナー  作者: hinokahimi
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第3章

~第3章~


 もしもし。読み込みできたかな。君の問いかけへの答えを、この素敵な木の年輪にインプットしたよ。僕のテレパシーを君が変換できなかったみたいなので、僕の伝えたい物語をこの木が変換して伝えてくれるそうなんだ。どうやって伝えてくれるんだろう。よく分からないけれど、この木に誘われて、この木の根元で僕の物語を聞いてくれるひとときを思い描いて。

 君は僕を見つけて驚いた様子だったのに、すぐに微笑んで、僕に優しい気持ちを向けてくれたね。とてもうれしかったよ。僕に気づく人はいなかったから。そして僕の目をじっと見て、「あなたはだあれ?」と尋ねた君と仲良くなりたくて、何度も君に思いを飛ばしてみたけれど、やっぱりなかなか分かってもらえる周波数が発見できなくて。だから、君が大好きなこの木に思いを託すことにした。


 僕は、美しいもの、綺麗なものが大好き。そんな美しいものたちを探して、星々を旅している。長い旅路の途中でこの星を見つけた時、本当に美しいと思った。その全体の美しさに見とれているとき、胸の奥を締め付けられるような美しい光、淡い優しい光を見つけた。とても小さいものなのに、その光は魅力的な力をもって、僕を引き付けた。一瞬の力で僕を引っ張ったという感じだった。そして気づいたら、僕はこの星に入っていた。そこは、圧倒的な緑の色彩の慈愛というべき精緻な空間だった。いろんな星にお邪魔するとき、ゲートウェイには門番のような存在がいる星が多いのだけど、その存在にご挨拶と許可をいただくことが僕のルールなんだ。でもご挨拶の前にこの星に入ってしまっていた。だから驚いてしまって、どうしたらいいかわからなくなった。僕を引き付けたあの光はあたりに見当たらず、繊細な流れを感じていると、前方から僕の存在全体を抱き締めるごとくあたたかなぬくもりが包み込み、何かの意志が伝わってきた。その思いを吸収したとたん、僕はその対象物の中に入り込んでいた。そして、

 “恐れずともよい。この星は貴方を歓迎しています。まずは、われと同じように、天と地に一本のアンテナを立て、通し、直結せよ”

 穏やかで威厳がある声が降り注いだ。なんとなく言われていることが理解できて、目を閉じて、自分の中心とこの星の中心、そして天空を結んでみた。その瞬間、ものすごい音と風と圧力が僕を駆け抜けていった。でも不思議と心地よくてね。そうしたら、眩い光に包まれた。目を開けると、目前に大きな鏡があって、僕の姿が写っていたんだ。

 “この星での姿を、貴方の記憶と心の軽度で造形化いたしました。よろしいですか?無邪気さと好奇心の数値が高めで楽しい限りです。”

 僕の身体が軽やかな虹色に光っていた。僕は声なく頷いた。

 “この星の大多数が認識しているチャンネルに合わせてあります。そして同時にこの星の意思疎通の方法をインプットした帽子のような形状のものを頭にかぶってもらっています。同時にそのチャンネルにおけるおおよその知識なども入れてあります。欲しい情報は意図すれば自ずと理解できるでしょう。おおよその存在と会話することは可能ですが、人間という存在は、より物質化した言語を使用しているため、理解できるものはごくわずかだとご記憶ください。あなたが、その言語を使用してしまうと、旅の途中の貴方がすぐにこの星を後にすることが難しくなるため、現レベルでの方法で留めていただけるとよいかと思います。もし人間とコンタクトを取りたいなど、ございましたら、その場でまたお聞かせください。できれば訪れた地にいる大木に語りかけるとより繋がりやすいと思います。簡単な説明となりましたが、何か聞きたいことはありますか。”

 “ありがとうございます。急にお邪魔してしまって、心苦しかったのですが、受け入れてくれてうれしいです。僕は、この星を眺めていた時、小さな小さな淡い光に心奪われて、気が付くとここにいました。あの光はなんだったのか、教えていただけませんか。”

 “人間という存在の言葉が物質化した欠片、結晶のようなものの光です。光を見たのであれば、その言葉を発した人間の心に呼応して光っているようです。心が入っていない欠片は、光りません。この星のものは、善くも悪しきも性質の違いであり、すべて必要のあるものです。すべて愛おしい星の子どもたちです。どんなものでも。”

 最後の言葉の響きが胸の奥を優しく撫でた。

 “どうぞ、貴方の一路平安をお祈りして、これにてお別れいたしましょう。”

 “はい。ありがとうございます。またお会いできますことを願って。”

 僕は、このままここにいたいと願うほどの心地よい空間を後にして、見える風景一瞬一瞬にうれしい驚嘆を噛み締めながら一歩一歩歩み始めた。振り返ると、先ほど入り込んでいたのはそれはそれは立派な大木だったことが分かった。辺りは沢山の木々が立ち並び、森と呼ぶ場所だと分かった。そして自分の体の動きに意識を向けた。さっき天地に自身を結んだ時、呼吸することもダウンロードしていた。この星の呼吸の歓びは、その都度、この世界との交信ができるほどの偉大な体験だった。身体を膨らませて美味しい空気を介した祝福を存分に味わうこと、できるだけこちらの優しいものを含ませて、世界にノックすること。その音と振動が全世界を彩り、シンフォニーと化していた。こんな素晴らしいことが永続的に繰り広げられている美しさをしばし味わってほほ笑んだ。

 しばらく進むと、目前に岩という物体ががゴロゴロ横たわる坂が迫ってきた。その坂の上を見上げた時、僕の身体は飛ぶことができるとわかった。風が僕の周りを踊り、僕もそれを真似たけど、身体がくるんと回って、雲にぶつかって笑った。なんて軽快なリズムなんだろう。地との結びつきを解くこともなんと楽しいことなんだろう。キラキラした光を纏って、僕の空中ショーは綺麗な音楽を奏で、虹色のシャワーが降り注いだ。クルクルと遊んでいると、びゅっんと一塊の風の威力が僕の身体を押し付け、解き放った。なんとも香しい香りが鼻の奥を満たし、不思議と笑みがこぼれた。

 “君かい?”

 鋭い光を宿した大きな目が第一に認められ、その後に、その全体に見るからに柔らかく風を孕んだ毛並みがずっと向こうまで伸びていた。

 “この星に遊びに来たのか?心からの歓迎を伝えよう。”

 “はい、はじめまして。ありがとうございます。”

 そう言って、自分のことを伝えようとしたとき、僕の身体をそのものがクルクルと螺旋状に回り始めた。その間、僕の生まれた星の大好きな場所、光の草原が目の前に現れ、その場所へと気を向けようと手を伸ばした瞬間、その場面が消えた。

 “素晴らしいところから来たんだな。私は、この星を整えているもの。人間が龍と呼ぶ存在だ。君のことがこの星のネットワークに流れていたから、会ってみたいと閃いて、ここに来た。少し君の今まで見てきた美しいものを見せてくれないか?”

 “もちろん。この宇宙には美しすぎるものが溢れかえっています。あなたは、他の星に行ったことはありますか?”

 “実際にこの形状で赴いたことはない。ただ、この場にいながら、心はどこへでも行ける。”

 “なるほど。”

 “今はこの星が今一番気に入っている。気になっている。…さぁ、私の目を見て”

 鋭いが慈愛に満ちた瞳をまっすぐに見つめ返した。しばらくそうしていると、相手の見てきた風景も穏やかに流れ込んできた。目の奥の記憶の在処をお互いが認め合った。

 “素晴らしいな。ありがとう。良き経験だった。”

 “こちらこそ、ありがとうございます。”

 “よかったら、この星をぐるりと空から眺めてみないか?”

 “わぁ、うれしい。”

 少し強い風が僕の身体を持ち上げて、龍という存在の頭上あたりに押し上げた。僕は、そのしなやかな毛並みに触れて跨った。

 “さぁ、行くぞ!”

 風を纏い、起こし、放って、空間を自在に移動し始めた。今思い返しても、あの体感は高揚感と幸福感が心地の良い圧力で心をマッサージして、ゆるやかにほぐれていく素晴らしいものだった。いつかきっと、君もあの背中に乗れる時がきたら、それはそれは楽しいはずだよ。天空や地上を夢見心地で眺めていると、あたりに水の粒々が包み始めて、潤い始めた。

 “少し雨と同化してみよう。”

 時折、その存在は自身を透明化して雨の道筋を一緒に辿って、祝福して回っていることが分かった。

 “手を離さないように。”

 その慈愛に満ちた存在は低く心地の良い音を発していた。強力な力をこうも穏やかにしなやかに使いこなせる存在はそうはいない。そう感じた。

 “まずは、山のフィールドへ連れて行ってあげよう。少しお茶目な陽のエネルギー強き存在に会うと楽しいと思う。”

 天空から雨と一緒に地上へと降りて行った。

 “この星を支える山々の集合意識が集う次元がある。そこには、山に属する存在たちが自在に形を変えて行き来している。情報交換やお互いの力を出し合って、足し合って、補い合って、変換し合って、などなどだ。今は、あの山の地下にその場を設けているようだ。その場は変化していくんだが。”

 “わぁ、すごいですね。”

 雨と一緒に大地に染み込んで行った。闇に包まれていくのだけれど、心は安心感で軽くなって、そしてまばゆい光の空間に出たんだ。丸い可愛い光、揺れ動く光の流れ、なんと美しい空間かと感動していると、隣にいた長き形状の存在は、すらりと長身の麗しいという形容が適した人型として立っていた。

 “この空間は自在に見える世界を変えられる。私はこうした形状も楽しんでいる。どこかに空間を変換する機能がついているはずだが…。”

 僕のおでこのあたりを濃い紫色の瞳で眺め始めた。そして、僕の頭に乗っている帽子のようなものに触れた。

 “これは、意図すればよいものになっているな。”

 僕は、見目麗しい男性の存在となった龍と呼ばれる存在と同じチャンネルに合わせた。

 “可愛らしい童のお出ましかな。人間劇も楽しいものだ。”

 前方から、またも美しい男性が姿を現した。柔和な笑みを穏やかにたたえ、透き通った腕を伸ばして、僕の頬をやさしく包み込んだ。

 “ようこそ。お会いできて嬉しく思います。”

 “ありがとうございます。こちらこそお会いできて光栄です。”

 僕は、高貴な気持ちを味わって、丁寧に答えた。

 “こちらは、この星で一番高い山にて、秩序を護り調整する総司令官のような存在だ。私が会わせたかった存在とは、この方だ。”

 “これは、光栄だな。”

 お茶目な笑顔を僕に向けて投げかけて、すぐに凛とした視線を龍のお人に移した。僕は、その方々の動作ひとつひとつから放たれる光というべき、香りというべき何かから感じられる心地よさにうっとりとしながら、二人を見つめていた。

 “人間劇チャンネルでは、こういうときは、お茶を差し上げるかな。どうぞ、向こうへ移動しましょう。”

 山の貴人は、優雅に歩を進めて、周りに集まる人たちの頭上を祝福するかのごとく、なぞっていった。そして、ちょうどよい椅子に凛と座った。龍の人と僕も後をついていくと、山の貴人の後に出来上がった人のトンネルを、祝福を受けながら通っていくことになった。中には同じ目線の女の子が、可愛い花を差し出してほっぺにキスをした。甘くあたたかな気持ちで見つめ返すと、なんとも幸せな気持ちの交換が優しくなされた。そして、僕にはフワフワのソファが用意され、目の前には、美しい緑色の飲み物とピンク色のお菓子が並んだ。

 “よろしければ、どうぞ召し上がってみてくださいね。”

 “ありがとうございます。”

 僕は早速ピンクの丸いお菓子を口に入れて、甘さを頬張った。

 “この星は気に入ってくださいましたか?”

 龍のお人も隣で丁寧にお茶を口に運び、眼差しを向けた。

 “はい、とても美しく、皆様のお優しさのおかげで、とても居心地がよいです。”

 僕は心のままに話した。

 “それは良かったです。ご滞在の間、ネットワークを通じて、貴方に最高のおもてなしをと伝わっております。どうぞ素晴らしい旅路となりますように。”

 “ありがとうございます。”

 “愛らしいお客様の前での話になって申し訳ないが、”

 山の貴人は、僕へと意識を向けたまま、龍のお人に語りかけた。

 “やはり、限界値が近づいておるようだ。”

 “そうですね。雨だけでは動かしきれない。私も働きかけるが、動かない。”

 僕は、二人が真剣な面持ちで話し始めた内容に意識を向けた時、この星を訪れた時に見たあの淡い光を思い出した。

 “君を招き入れたあの光のことをお話しているのですよ。”

 “はい。”

 “すべてはバランスです。どちらかに傾けば、調整せねばなりません。”

 “私が、人のすこし上を保つことが難しいばかりに…。雨を呼び起こすことしか…。”

 申し訳なさそうに話す龍のお人のお心が淡く青白く揺らめいていた。

 “よく働いてくださっています。深く感謝しています。”

 やはり、山の貴人の発する精妙な波は、声や表情、動きを使って、慈愛を放射し続けている。

 “貴方をこの星へ引き付けたことも、幾分強引さを否めません。”

 “なぜ、君を引っ張ったんだろうな。”

 “驚かれたでしょう。”

 山の貴人の穏やかな同調の言葉が、心地よかった。

 “はい。でも、最初にお話できたあの大木に受け入れてもらえて安心しました。”

 “はは、じいやですな。彼は本当に慈愛深い存在です。この星を支える逞しさは、敬服いたしております。”

 “じいやさんだったのですね。お年を召していらっしゃるのですか。”

 “そうですな、在り方がじいやなのですよ。”

 無邪気に笑った山の貴人は、子どものようにおどけて言った。龍のお人もつられて笑って、

 “ネットワークの管理は彼が行っている。最高のおもてなしをと通達を出したのは、じいやさ。”

 “そうだったんですね。ありがたいです。またご挨拶に行きます。”

 “今なぜ、このチャンネルで人間劇を行っているかと言うと、あの欠片、光を発している人間の心の流れを今、より感じるためなのさ。より繋がることで、欠片の処遇についていい案が生まれるかと思ってな。”

 龍のお人は、そう言いながら、ピンクのお菓子を口に投げ込んだ。

 “もしこのお話に居心地の悪さを感じたら、ご遠慮なく、貴方の心の赴くままに行動を取っていただいてよろしいのですよ。勝手にこのお話を始めてしまったことを深くお詫びいたします。すこし切羽詰まった状況のため、彼が来てくれたことをいいことに、こうして話し始めてしまいました。申し訳ないことをしました。”

 “いいえ、お気になさらないでください。僕は、このお話をしっかり聞かせてもらって、何か力になりたいと思い始めています。”

 “お優しい気持ちをありがとうございます。しかし、旅を楽しんでいただきたいのに、このように足止めしてしまっては、心苦しく、じいやにも小言を言われそうで…”

 “僕を引き付けたということが、僕にとってとても意味のあるような気がするのです。”

 龍のお人が僕に向かって頭を下げていた。今まで何かに必死に頑張って来た思いが垣間見えた気がした。見えないところで一生懸命に働いてくださっていたのだ。

 “僕は、人の少し上という状況を保ち行動することができます。そして、他の星でも行ったことがあるのですが、分身を使うことができます。そのふたつの要素が、お役に立てるのではと思うのです。僕は、この星の慈愛の深さが大好きになりました。いろんなことをさせてもらえて、支えてもらえて、とても素晴らしい星です。だから、旅の良きご縁を大切にしたいのです。でも、僕は旅を続けたい存在です。美しいもののすべてを見るには、はてしない物語を辿らないといけないのです。だから、皆様が笑顔になられたときをもって、僕はこの星を去らせていただくことをお許しください。”

 僕は頭を下げた。すると、龍のお人の大きくあたたかな手のひらが、僕の手のひらを心地の良い力強さで包み込んだ。

 “もちろんです。思いのままになさってください。いつでもあなたの思いのままに、すべてを選んで、心地の良い方へとお進みいただくことが私たちの歓びです。”

 山の貴人もゆったりと僕に言葉を向けた。

 “ありがとうございます。”

 僕は、こんなにもこの星を愛おしく思えたことに驚いていた。僕は旅人。属することや囚われることを極力避け、軽やかに天空を駆けることを、美しいものをこの身に浴びせて喜んで味わってそして次へと移っていくことを楽しんできた。幾分長い滞在の場所もあったが、それは味わい尽くすには時間が必要だっただけ。出会ったこの存在たちの慈愛の深さが僕の同じところを呼び覚まし、深い共鳴を起こし始めていることが分かって、不思議と心地よく感じていた。他の星々でも沢山の慈愛を感じてきたが、この星は濃淡の深さが醸し出す慈愛、闇が深ければ深いほどその対極にある光がまばゆいという印象だった。

 “ひとつわかったことは、熱によって形状を変化させることができる。その後の変容についてはよくわかっていませんが。”

 山の貴人も、目の前にあったピンクのお菓子を口に含ませた。少し落ち着こうとしている様子に見て取れた。

 “今、そんなに欠片が増えてしまっているのですか?”

 “そうですね。貴方が惹かれた光の放つ欠片であれば、ある程度バランスをとることができるのですが、光を放っていない欠片がかなりの影響力を持ち始めてしまっています。人間たちの世界に変化変容、進化などあることは当然のことです。しかし、自省する時が他の時と入れ替わっているというのが、見受けられる状況のように感じます。”

 “人は長寿も味わい始めている。いろんな面での発展が見受けられて好ましいことは確かなのだが、精神の長寿がこれからという段階なのか、やめておこうとしているのか。私が巡って感じることは、自分を顧みなくても、なんとなくやり過ごせる環境にあるということだ。人は死ぬ時、自分の人生を振り返る。走馬灯のように自分の人生を味わう時が訪れ、その時に自省する。光は、その人の心から発するものであり、その人しか発することができない。気づきを得るということ、納得することなど、何かしらの心の働きかけによって光が宿ると感じている。”

 “そうですね。物事がまだ整っていないのに、性急に起こってしまったり、これは、貴方をこの星に引き込んでしまうという力に似ていますね。掻き立てられるような、もっともっとというような渇きを湧き起こしたりするといった影響を認めています。それも、ひとつの選択肢なのかもしれません。そのような生き方を体験したいという、ひとつのコースのような。しかし、それによって、全体にゆがみが生じていることも確かなのです。このゆがみを私たちは調整する必要があります。できるだけゆっくり、できるだけ衝撃なきように。また介入ということではありません。そうだと信じているのですが。”

 山の貴人が向こうにたゆたう存在たちへと意識を向けた。そして、何とも愛おしむ表情を浮かべ、ひとつ息を呑んだ。

 “私は全体を心より愛おしんでいます。これは紛れもない確信できる意識です。しかし、より身近の部分をより愛おしむということもあるのです。だから、人間の感覚もよく分かります。こうして人間劇を繰り広げれば、その感覚がより理解できます。これ以上、私の身近の存在たちの戸惑いを放っておくことが困難になってしまったのです。”

 そして、山の貴人は、どこか遠くの方へ視線を向けたのが微かに分かったけれど、そのままにした。それより僕は、山の貴人が大好きになって、愛おしくなって、小さな体を良いことに、山の貴人の座っている膝に座って、お腹のあたりを抱き締めた。

 “おやおや、優しい気持ちを向けてくださるのですね。”

 山の貴人は、僕の頭にゆったりと手のひらを当てがった。静謐なひとときが流れ、穏やかに碧白く眩し過ぎない光を纏った光景が脳裏に浮かんだ。熱い想いがこみ上げてくると同時に、心地よく愛おしく、お役に立ちたいと思いが湧き上がってきた。

 “貴方はなんとも心の軽やかなお方ですね。私がお力を頂いた気持ちです。”

 山の貴人と僕はしばらく見つめ合った。

 “貴方の心に何か重たいものを感じられたときは、すぐに教えてください。どこにいてもすぐに。貴方のその軽やかさを決して手放してほしくはないのです。”

 “わかりました。大丈夫です。自分の心を決して見放さないでいます。”

 “ありがとうございます。貴方に心いっぱいの祝福をこめて。”

 龍のお人も少し目に涙をためていることが見て分かった。

 “ひとまず、光る欠片だけを集めていただけますか。光っていない欠片はおおよそが重たく、運ぶことが困難だと思われます。この麻の袋の口が締まるまで入れて、私の山頂まで集めて来てほしいのです。よろしいでしょうか。”

 “仲間に声をかけて、集まってもらう。一緒に動こう。”

 “はい。わかりました。”

 “ありがとうございます。”

 “光る欠片だけをどれだけ集めれば、バランスが整うのか、進行しながらの調整となると思います。よろしいでしょうか。“

 “海のフィールドでも動きがあるみたいだな。”

 “そのようですね。塩水によるバランス調整が可能か試しているようです。うまくいくといいのですが。熱によってどれほどの形状アプローチができるのか、その後の動きについても進行しながら見ていくことになります。”

 “わかりました。”

 “これは、今までにない試みとなります。欠片によってバランスを崩すという状況になったのは初めてなので。新たな挑戦でしょうか。言葉を使い始めたことによって、新たな学びを得たことは確かですが、この学びがよりよい方へと向かう一歩であると信じています。”

 “なぜ、テレパシーから言葉を主にすることへと移行したのですか?”

 “それが、チャレンジの一環だったのだと思います。”

 “なぞなぞは難しい方が楽しいからな。”

 “ゲームの難易度を上げたのですか?”

 “そうですね。チャレンジは楽しいものですから。”

 “皆進化している。それが生きていくことだ。”

 “誰ひとり取り残しがないことを、切に祈ります。”

 山の貴人は静かに目を閉じた。僕もそれに合わせて、目を閉じた。

 “さぁ、語らいの時間は一旦おひらきとなりますね。またこのようなひとときが持てることを楽しみにしております。どうぞ、道中お気をつけていらしてください。山にてお待ちいたしております。”

 “お茶やお菓子をごちそうさまでした。ありがとうございました。この場の心地よさは格別に美しかったです。またお会いできる時を楽しみにしております。”

 

 お互いを讃え合いながら別れゆく時、その先がどうなるかわからないからこそ、しっかりと心真っすぐに精一杯向き合う必要があることを、この時多分半分くらいしか解っていなかったと思う。あの時のひとときを何度もやり直したいと思うことが今もあるんだ。もっと心を込めればよかったと。

 じいやのフィールドを去る時と同じくらい、それ以上の名残惜しさを胸持て余しながらも、山のフィールドから外界へと飛び出した。あの時、一度だけ後ろを振り返った。山の貴人は、人間劇のまま神々しい微笑みを向けて手を柔らかに振ってくれていた。僕はあの美しいお顔を今も時々思い出しているんだ。

 

 それから僕は、分身を使った。自分の中心を保ったまま、そこから派生するきらめきを分割した。そして、すべてに自分の意図と形状を乗せた。僕は、僕と同じものたちを前に自分の中心から発する音を結んだ。

 “それぞれに仲間たちをあてがう。乗せて移動しよう。”

 “ありがとうございます。”

 “君本体は、私と行こう。”

 龍の存在に変化した龍のお人は、頭部を地上スレスレに傾け、僕を乗せてくれた。先にこの星を飛び回った時とは、自分の気持ちが全く違っていることに気づいたけれど、それを深く見つめることはしなかった。

 “以前、分身を使ったことがあるって言っていたけど、どんなことがあったんだ。”

 龍の存在は、少し僕がこわばっていると感じたのか、和ませるような口調で質問した。

 “僕が星の生まれる場所のひとつで躓いちゃって…。星の赤ちゃんたちを蹴散らしてしまって…。方々に飛んで行ってしまった時、急いで集めるために。”

 “ハハハ。それはそれは。”

 龍の存在の笑い声が轟いた。

 “さて、この辺にあるものを集めてもらっていいかな。”

 龍の存在は、慎重に地上へと下りて行った。そして、僕は大地を踏みしめて、辺りを見渡した。沢山の欠片が光っていることが見て取れた。岩かと思うようなゴツゴツとした地面を歩いて、周りには沢山の建物が並んでいることが、今までいたところとの違いを痛切に感じさせた。この時、人間という存在に初めて間近で相対した。けれど、人間には僕が見えていないようで、僕の身体すら通り抜けていってしまう人もいた。龍の存在のことも、誰も気が付いていないようだった。初めて淋しさみたいな感情がポツリポツリと落ちて溜まっていっているような気がして、僕は慌てて気持ちを切り替えるように急いで集めて麻袋を閉じた。

 こうして、いろんな所を巡って、山へと運んだ。山の貴人の存在にはずっと会えず、忙しくなさっているということをネットワークから僕も知ることができた。

 

 そうして、僕たちには確実に転換点があった。欠片を集め続けるにつれて、僕の心に、この星を助けてやる、救ってやるみたいな重苦しい使命感が蜘蛛の巣のように張り付いていっていた。その気持ちを正直に龍の存在に伝えていれば、何より自分でしっかり見つめていたらどうなっていたのだろうかと、思う時がある。すべては進むべき道だったのか、今でも分からない。その転換点とは、光っていない欠片を麻袋に入れたことなんだ。おおよそは重たく僕の力では動かないものがほとんどだったんだけど、その場所にあった光っていない欠片は、僕でも持つことができたんだ。光っていない欠片を集めてしまえば、早くこの星のバランスが取れる、すべてうまくいく、と妄信してしまった。持てる限りの光っていない欠片を集めて、山へと運んだんだ。

 山では、欠片を山と直結するこの星の中心部へと運び、熱による形状と性質の変化を試みていた。ある程度の成果を得てきているとの情報も入ってくるようになった。僕はその結果を知って、達成感とともに、優越感みたいなものも同時に味わっていた。やってやったぞ、自分がやってやったんだという気持ちがフツフツと沸き起こって、僕の心のバランスが少しずつ崩れていっていた。龍の存在は、きっとそのことに気づいていた。でも、僕を諭したり、何かを言うことはなかった。ただ、僕から話すことを待っていてくれたんだ。次第に龍の存在にも疲労が見え始めていた。この状況を、欠片の影響だと感じるかもしれない。確かに、影響は少なからず受けていたと思うけれど、外がどんな状況だとしても、僕が僕をしっかり見てあげていたら、たぶん、状況はもっと違った形で進んでいたと思うんだ。

 

 そして、起こってしまった。大地が揺るぎ、大切なあの山が噴火してしまった。綺麗な形の山が砕け、マグマが流れ始めてしまった。龍の存在と急いで、山へと向かった。この星で一番高く美しいとされてきた山がその姿を変えていた。僕は、呆然とした。龍の存在も同じだった。龍の存在に掴まる手が震えていた。しかし、その噴火は長くは続かなかった。しばらく震えた大地が落ち着きを取り戻し、赤の色から黒へと急速に変わっていった。その瞬間、龍の存在は、雄叫びを上げた。この星すべてに轟く物凄い音と力だった。そして、大地へと落ちていった。僕は、地上近くで振り落とされてしまったけれど、急いで龍の存在へと走り近づいた。すると、大粒の涙が、龍の存在の目からこぼれていることに気が付いて、どうしていいかわからなくなった。近くでただ側にいることしかできなかった。すると、僕の足元に龍の存在の涙が流れてきた。その涙に触れて、その時、僕は憑き物が取れたように体の力が抜けてしまった。

 “自分のすべてをかけて、この現象を止めた。存在すべてが霧消した。”

 龍の存在の低く、ただ事実を淡々と述べる声を聞いた。

 “山の総指揮者はいなくなった。結びがほころばないといいが。これから山のフィールドでどこまで連携が取れていくのかわからない。そのことを考えなかったのか…。貴方がいなかったら、どれだけの存在に影響があるか、考えなかったか…。いや、考えて、この結果を選んだんだよな…。“

 龍の存在は、同じく淡々と独り言を吐き出していた。

 “僕の責任だね。僕が光っていない欠片を入れたから。”

 “違う。君を通して、みなで納得して行ったことだ。みな知っていた。そして、試してみた。ただそれだけだ。君はただその思いに応えて行動しただけだ。”

 “でも、その行動の根底には、重いものがあった。重たいものを感じられたら、伝えてほしいと言われていたのに、僕はそのままにした。僕は僕の心を見放したんだ。”

 “それさえも、すべてみな分かっていた。嫌な役をやらせてしまった。申し訳ない。”

 “ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。”

 僕は、ごめんなさいを言い続けた。こんな気持ちを感じたのは、初めてだった。すべてが初めての感覚だった。

 “ネットワークから、欠片に関して、一旦休止することが伝わった。海でも難航しているらしい。”

 龍の存在は、落胆の色を隠せないでいた。

 “いつでも、どんなことが起こっても、すべては進み、歩みを止めない。ここにずっとこうしていることはできない。”

 “はい。”

 “少し雨を降らせて、様子を見てくるよ。一緒に来るか?”

 “はい。”

 僕たちは、何だか久しぶりにただ空を飛んでいた。何も持つものも抱えるものもない、空虚な気持ちが漂っていた。空を飛びながら、山の貴人の顔が浮かんできて、心が斜め後方へと引っ張られ続けて苦しくなった。山の貴人にすべてを引き受けてほしくなかった。一人で抱えて持って行ってほしくなかった。みなで分けたかった。みなで分けて立ち向かいたかった。山の貴人にいてほしかった。僕は、そんな思いがグルグルと絡んでほどけなくなった。

 “考えているか?”

 “はい。どうして一人で、いってしまったんだろう”

 “あのままだったらどうなっていたのか、わからない。自分を消滅させることも厭わず、これからに賭けたんだ。そして、託した。まだ猶予はある。”

 “はい。”

 “巻き込んでしまったな。分身を集めている。これから分身をまとめて、その後は自由に選んでほしい。”

 “もう少し、この星にいてもいいですか?”

 “もちろん。じいやの所に集めようか。”

 “はい。うれしいです。”

 龍の存在は、僕をじいやの所に下して、また空へと飛び立った。

 “またお会いできてうれしいです。”

 僕は、立派な大木の幹を抱き締めた。しばらくすると、触れているところからじんわり温かくなって、じいやの思いが伝わって来た。

 “よくいらしてくださいましたね。来てくださってありがとうございます。”

 “いろんなことが起こってしまって、ごめんなさい。僕は何もできませんでした。”

 “何をおっしゃいますか。貴方は素晴らしいお働きをしてくださいました。この星のために自分の信念や行動を変えてまで、思いを寄せてくださったことにこの上なく感動し、感謝しております。もう十分です。貴方は貴方の旅を続けてください。貴方の行動はとても美しかったのですよ。今回この星では、自分の美しさを見に来たと思ってくださると嬉しく思います。”

 “ありがとうございます。でも、僕は欠片を集めながら、重苦しい感情を見て見ぬするという醜さを見ました。”

 “そのことがひっかかっているのですね。その重苦しい感情もこの星の貴重な一部です。美しくはないかもしれない。貴方にとって。でも、この星のかけがえのないものなのです。それは必要があってあります。すべては必要があって存在して、バランスを取り合っています。どのような状況になっていたとしても、すべては流れの一部なのです。だから、醜さをどうか優しく抱きしめてあげてください。後からでもいいので、その優しさが美しさの一つにもなりますから。そう、欠片の放つ光を美しいと感じませんか?そのことと同じです。”

 じいやは、僕をまるごと包み込んだ。

 “貴方の思いのままに。貴方の選ぶ道をどうぞ喜びとともに歩んでください。その道には沢山の祝福がありますように。”

 ずっと斜め後方へ引っ張られ続けていたいびつな心が、僕の中心にまるく戻って来た。

 “分身を集めてきたぞ。”

 龍の存在は、時を見計らったように現れた。僕が分割した分身たちが、ワラワラと僕の足元に集まって来た。僕は納めるために目を閉じて、何重にも重なる音に聴き入った。その音を僕の中心の音と重ねていく。すると一音、音が違っていた。僕に戻らない。

 “どうしよう。一体、僕と違う。”

 “どうしてだ。”

 “僕がやっぱり心をちゃんと見て、その場でチューニングしなかったから、音がズレたんだ。どうしよう。”

 “その存在は、どうしたがっていますか?”

 じいやは、僕に落ち着くようにという気持ちを乗せて伝えた。

 “欠片を集め続けたい。この星の役に立ち続けたい。この欠片の光が好きになったから。って。この星に残りたいの?”

 僕は、もう一人の僕に尋ねた。僕は、コクリと頷いた。

 “どうしよう。”

 “どうぞ、思う存分、ご自身のやりたいことをなさってください。この星にいてもいいのですよ。”

 “いいのですか?”

 “ええ。もちろん。”

 僕はもう一体の僕に向き合った。

 “もう僕に戻りたくなっても、戻れないかもしれないけれど、いいの?”

 その僕は、またもやコクリと頷いた。そして、ソワソワとあたりを見つめながら、僕を何度も見た。

 “もう行きたいの?”

 コクリ。

 “欠片を集めても山に持っていけないよ。”

 そして、コクリ。

 “元気でね。”

 僕をじっと見つめてすぐに、飛び立っていってしまった。

 “行っちゃった。”

 “分身が一体戻らなくても大丈夫なのか?”

 “大丈夫。きらめきはいくらでも増やせるから。”

 “そうか。なら、よかった。”

 すると、じいやの巨大な枝がユラユラと揺れ始めた。サラサラと葉の音が心地よく響いて、僕の頭上に一枚落ちてきた。

 “海から呼ばれておる。行ってくださいますか?”

 “もちろん。”

 “僕も行ってもいいですか?”

 “もちろん。海のフィールドは呼ばれないと行けないところなんだ。あちら側で準備してもらわないと、入れない。だから、山のフィールドのように、気軽には行けないんだ。”

 “さっきの葉に、今回のフィールドの場所を刻みました。そちらへよろしくお願いいたします。”

 僕はさっき落ちてきた葉を偶然にも手にしていたので、龍の存在に見せた。龍の存在がその葉を見つめた時、一瞬で葉っぱが空を切ってなくなった。

 “行こう。”

 僕はまた、龍の存在へと跨って、今度は海のフィールドへと向かった。

 “おそらく、1回、いや2回くらいしか、海のフィールドに入ったことがない。海底まで行くには、海水の中を通してもらわないとならないから。だから、情報はすべてネットワークを通してやり取りされている。直接フィールドに招くということは、何か欠片に関することだと思うが。”

 “僕も行って、大丈夫でしたか?”

 “じいやから伝わっているから、心配ない。”

 しばらく進むと。それはそれは美しい海に出た。360度ぐるりと青の世界になったところで、海面に丸いトンネルのような空洞が認められる場所に着いた。

 “あのトンネルを通る。息は気にしなくていい。”

 “はい。”

 龍の存在は、トンネルに向かって直角に下りて行った。海面を通り抜けたところで、不思議な音色が聞こえ始めた。そして、体に丸い圧力がかかったと思ったら、すぐにはじけていった。それが何回か繰り返したところで、真っ青な空間に出た。

 “ようこそおいでくださいました。お呼び立てしてしまいまして申し訳ございません。”

 そこには、見目麗しい女性がコバルトブルーのサラサラとした綺麗な衣装を着て立っていた。

 “ご無沙汰いたしております。お招きいただきありがとうございます。”

 龍の存在もまた、山のフィールドと同じ男性へと変化していた。言葉遣いが今までと違っていて、他の存在になってしまったかと思った。

 “今回、人間劇に変換してお会いすることをお許しください。少し意図がありますが、それは後程。”

 美しい音楽を聴いているような、何とも心豊かになる海の貴女の言葉にうっとりしていると、

 “まぁ、愛らしいお客様をお迎え出来て嬉しく思います。初めまして。そして、ようこそいらっしゃいました。貴方がこの星にいらっしゃっていることは存じておりましたが、直接ご挨拶せず失礼いたしておりました。”

 と話しながら、深く頭を下げた。その身のこなしは、この星の美しさのトップクラスだった。

 “いえ、こちらこそ、ご挨拶せず申し訳ございませんでした。はじめまして。お会いできて大変光栄です。ありがとうございます。”

 僕は思いついたままに、言葉を急いで並べてしまうほど、海の貴女の雰囲気に圧倒されていた。

 “どうぞ、こちらへ。”

 そう告げると、山のフィールドと同じく、おもてなしを受けた。

 “山の彼のことは、なんと申し上げてよろしいのか、まだ言葉が見つかっておりません。その大いなるお心を慮るに、ただ祈ることしかできないでいます。”

 海の貴女は、長い睫毛をきらめかせて目を閉じた。

 “私たちは、まだ何かできると思っています。それが託されたものの道ではないかと。”

 “そうですね。”

 しばらくの沈黙が流れたあと、海の貴女は意を決したように話し始めた。

 “私には、ご存じのとおり、海の秩序の変化によって生み出された娘がおります。彼女は、私の働きの補佐として存在しておりました。”

 僕は、話し始めた海の貴女の雰囲気に変化があることに気づいた。

 “彼女は、今回、山の彼のことを知って、一番心を痛めておりました。なぜなら、彼女は、山の彼を愛していたからです。”

 海の貴女の目から大粒の涙がこぼれた。僕はどうしてよいのか、分からなくなった。横にいる龍のお人を見た時、同じく泣いているのが分かった。山の貴人を改めて想い、その想いに重ねていた。

 “ネットワークから伝わる山の彼の働きとその慈愛に、思いを馳せ、初めは憧れに近いものであったと思います。しかし、その想いが膨らんだ時、彼女は彼に想いを伝えた。一生会うことも叶わず、ただ想いを飛ばすことしかできない二つの存在は、時間をかけて、少しずつ愛しい想いを重ねていったのです。”

 海の貴女の涙は、話しながらも流れ続けていた。

 “永遠に存在として重なることはできない。その宿命の中で、ただ純粋に相手を想い合い、相手の幸せを祈り続け合ったのです。その彼女が、山の彼の消滅を知った時の絶望を想像できますでしょうか。”

 海の貴女は、強い意志を持って、涙を拭い、また話し始めた。

 “しかし、彼女は静かに受け止めていました。私にはそう見えました。取り乱すというエネルギーは一切なかった。ただ、静かに受け止め、全身全霊で悲しんでいました。そして、彼女は、私に知らせることなく、自分の道を選んで進んで行ってしまったのです。”

 “どうなさったんですか。”

 龍のお人が幾分強い口調で尋ねた。

 “欠片をわが身に取り込んで、自身の力で変換させ始めたのです。彼女にそんな力があるなんて、知りませんでした。”

 “なんですって!”

 “私たちは、海水など海の成分で溶解する実験を始めていましたが、成功には程遠く、海に流れてきていた欠片を処理することが叶わずにいました。そのすべてをわが身に取り込んだのです。”

 “そのお方は今どうしていらっしゃるのですか。”

 “あるエリアにおります。”

 “大丈夫なのですか?”

 “いえ、おそらく永遠に眠り続けるでしょう。”

 “どうして…また一人で…。”

 “そうですね。彼が一人でいってしまった想いに呼応したのでしょうか。それだけ、二つの存在の想いは相似していましたから。まず、彼女は、私に知られることなく、海流の操作をしました。自分の周りにすべての流れが辿り着くようにしました。そして、自分のエリアにドーム状の結界を施しました。一切、他の生命が触れることができない状態にして。そして、欠片を取り込む機能を結合して上で、身を横たえ、取り込んだのです。しばらくして、閉じた彼女の目から涙が流れ始めました。キラキラとした光を帯びた涙です。それは、一定のテンポで今も流れ続けています。おかげで、海に溜まっていた欠片のほとんどが無くなってきています。”

 僕も泣いていた。僕は涙を初めて流した。涙はこんなにも心をせつなくし、そして軽くするものなのか、と思った。

 “今回、人間劇で、お会いいたしましたのも、彼女が人間劇のフェーズですべての状況を固定したからです。いつしか、人間の次元でこの状況を知れるようにしたかったのではないだろうかとも考えます。それは、決して、私がこんなことをしてるのよ、と誇示するためではございません。その想いは確かです。山の彼が全体をこよなく愛おしんでいたことの相似です。欠片を作らないで、という啓蒙でも決して違うと断言できます。そうですよね。”

 海の貴女は龍のお人へと視線を向けて言った。

 “はい。まさしく。私たちはそんな想いで動いたことは一切ありません。”

 “愛していることを伝えたかった。ただその想いだと思います。私たちが動くのは、バランスを取るため、ただその理由だけです。しかし、私たちがいくら人間劇のフェーズで固定したとしても、人間が知ることはできないのですが。”

 海の貴女は、龍のお人の手を取って、その甲に自身のおでこをあてがった。

 “今回、ここにお呼び立てしたのは、大地で増えた欠片を、雨と川を使って、海に流してほしいというお願いのためです。力の変容という大変なお願いをすることをどうかお許しください。どうかお力添えをいただきたいのです。”

 龍のお人は、海の貴女の手に手を重ねて、深い祈りをするかのようにおじぎをした。

 “承知いたしました。全身全霊で、お心に添わせていただきます。”

 “ありがとうございます。ありがとうございます。”

 海の貴女は、またもや涙を流していた。

 “彼女は、すべてを引き受ける覚悟で、すべてを整えました。流れ得るすべての欠片を、彼女の元へと集めていただきたいのです。それによって、どれほどのバランスが取れるかは、未知数なのは確かです。しかし、ゆっくりと時間をかけて、ひとつずつ進むしかありません。”

 “もし光っていない欠片が混ざっていたら、大丈夫なのでしょうか。僕が、手にすることできた光っていない欠片を、山に運んでしまったから、あんなことになってしまったんです。そのお方に何か起こりませんか。”

 “小さく尊き貴方に、心を込めてお伝えいたします。どうぞ、ご自分のせいだという思いを、今、私に手渡していただけませんか。貴方のせいではございません。どうか、その思いのすべてを今、私に。”

 海の貴女が、僕の方へとやってきて、僕をやさしく抱きしめた。あたたかくて精妙なぬくもりが僕全体を包み込んだ。僕の目から一粒の涙がこぼれ落ちた。

 “もう大丈夫です。貴方のお幸せを心よりお祈りいたしております。心より感謝いたしております。これからも、美しさとともに、良き旅をお続けください。貴方にお会いできて本当に良かったです。ありがとうございます。”

 海の貴女は、僕の鼻の頭をツンと指で弾いて、元居た場所へと優雅に戻っていった。

 “さて、光っていない欠片についてですが、彼女はそれさえも取り込む設定にしています。自分の姿が変容する可能性もあります。それでも、自身の全体形状は保持していく強い意志を持っています。もしかしたら、不安定な設定なのかもしれません。今は分からないというのが、正直なところです。でも、彼女の強靭な意志が働いていることを、どうぞ信頼していただければと願っています。”

 しばらく、静かなひとときが訪れた。すると、僕はふいに、口をついて言葉があふれていた。

 “そのお方に遠くからでもお目にかかることはできませんか。”

 僕は、海の貴女の目をまっすぐに見つめた。

 “わかりました。少しお待ちいただけますか。結界のすぐそばに空間を作りますので。”

 海の貴女は、海のフィールドの端に立つと、イルカがやってきた。海の貴女がフィールドのフィルムから手を伸ばして、イルカの鼻先に手を添える姿になった時、数知れぬイルカたちがフィールドを取り囲んだ。すると、イルカたちの口から無数の泡が出て、大きな球体となった。

 “あの中へお進みいただけますか。”

 龍のお人と、僕は慎重な足取りで、球体の中へと入った。すると、ユラユラと動き出した。心地の良い揺れの中で、体を丸めたくなる気持ちが押し寄せた。しばらくすると、球体が止まって、前方にカーテンヴェールが現れた。その中へ入ると、海の貴女が微笑みをたたえて待っていた。

 “あちらです。”

 海の貴女が手を向けた方へと視線を向けると、そこには、光のドームが浮かび上がっていた。そして、中に女性が横たわっている様子が見て取れた。美しい横顔、手は固く胸の上で組まれ、薄紫のドレスが水の流れを思わせる形で体に添っていた。目は軽く閉じられ、一定のリズムで涙が流れ落ちていた。そして、横たわっている体の周りに色とりどりの宝石がキラキラと輝いていた。

 “涙が宝石になっている。”

 僕は、その美しい光景に驚嘆した。よく見ると、口元は微笑んでいるのが分かった。

 “彼女の涙が、地に落ちた瞬間、宝石に変わるのです。”

 海の貴女は、哀しいけれど、誇らしい、けれど、どうしようもなく切ない、愛おしい、そんな気持ちを表情に潜ませながら言った。

 “しかし、彼女の黒髪は、あのように白くなってしまいました。姿の変容の一つかもしれません。これから、どんな変容が起こるかも分かりません。”

 “とても、美しいです。とても、神々しいです。”

 “はい、とても、美しいです。”

 この光景を目に焼き付けるために、僕たちはしばし時を止める思いだった。すると、一頭のイルカが、光のドームに近づいて、鼻先を結界へと入れている様子が見えた。

 “あのイルカは、あのドームへ近づけるのですか。”

 “彼女がいつも遊んでいたイルカです。あのイルカだけが、あの結界を少しだけ入ることができるのです。そして、彼女の涙の宝石を外に出しているのです。”

 そう言われて、ドームへと視線を戻すと、イルカが入った鼻先から宝石は零れ落ちていた。海底に水の流れとともに広がっていく。そして、何頭ものイルカたちが、その宝石を口にくわえ始めた。

 “あの宝石を、イルカたちは、海に広げ続けています。彼女の祈りのこもった宝石が光る海を目指しているようです。”

 中には、宝石をキャッチボールのように投げ合いながら、遊んでいるイルカたちもいた。口から輪っかを出して、宝石をその輪っかに入るか遊んでいるイルカもいて、みな楽しそうだった。

 “実は、海だけではなく、陸にもこの宝石を広げたいと、ウミガメたちが、産卵の時に抱えて持っていくことも計画しているようです。”

 “悲哀を感じると思っていました。でも、ここには全くそれらを感じない。むしろ歓喜に溢れている。”

 龍のお人は、自分の中心から話していた。僕も同じ気持ちで眺めていた。

 “不思議ですね。涙は悲しくても、嬉しくても、流れるのですから。”

 海の貴女が、こちらを向いて、優雅に頭を下げた。

 “お呼び立ていたしまして、申し訳ございませんでした。お越しいただき、誠にありがとうございました。そして、お力添えを頂けること、深く深く感謝申し上げます。どうぞこれからよろしくお願い申し上げます。”

 丁寧な挨拶の後、海の貴女は、美しく微笑んで、龍のお人と、僕を一人ずつ抱き締めた。

 “愛をこめて。”

 そうつぶやくのが聞こえた。

 “ここからは、イルカたちがお送りしてくれるようです。また、あのイルカたちの球体に入ってお帰りいただいてもよろしいでしょうか。”

 “ありがとうございます。お会いできて、本当に幸せでした。この想いを胸にこれからも飛べそうです。”

 龍のお人も、丁寧な口調で、真摯なおじぎをした。僕も慌てて挨拶しようとしたところで、海の貴女が、もう一度僕を抱き締めた。

 “貴方が喜んで旅を続けていくことが、私の歓びの一つとなりました。どうぞ良き旅路を。どうぞ楽しんで!”

 “ありがとうございます!”

 お別れの時は、とても軽やかだった。イルカたちも楽しい声を出しながら、僕たちを入れた球体を優しく、でも時に面白おかしく転がして、岸の方へと押していった。一度、海の貴女を振り返って、大きく手を振った。あの微笑みは、これからの旅のお守りになった。辺りに波の音が響き始めた。速さを自在に変化させながら、リズムを刻んだ波が僕たちを岸へと運んで、そして、球体がはじけた。そして、大海原を振り返った。生まれ変わった気がした。

 “もう行くのか?”

 “はい。もう少しだけ、ここにいて、また旅を続けます。この星は本当に美しかったぁ。色々とありがとうございました。”

 龍の存在へと変化した、その清らかで威厳ある姿を目に焼き付けるように見つめた。龍の存在も微笑んで言った。

 “これから、色々と調整することがあるから、忙しくなる。君と過ごした時間を納めて、これからも、邁進するよ。色々とありがとう。君に出逢えて本当に良かった。この星に遊びに来てくれてありがとう。また会おう!”

 “はい、また会いましょう!”

 そして、龍の存在は、その身を天空へと飛ばした。はるかかなた見えなくなるまで、僕は空を仰ぎ続けた。


 これが、僕のこの星で経験した物語。君に伝えたい物語。僕がこの物語を読み解いて、感じたたったひとつのことは、君は愛されているということだ。すごい力で、すごい優しさで、すごい慈愛で、愛されている。ただそれだけを覚えておいて。そして、なんでもいい。自分の歓びを選んでいって。どんな道だとしても。それを望むのであれば。

 僕もこの星が大好きだよ。あっ、僕の分身一人。この星を結構忙しそうに飛び回るかもしれない。ちょっと勘違いしてるところもあるかもしれないけれど、どうかお許しを。見つけたら、ちょっとは褒めてあげてね。

 では、もうお別れだ。また、旅を続けるね。美しいものが在り過ぎて、この旅ははてしない。でも楽しいよ。ありがとう。バイバイ。




 ごめん。もうこの星を出たところなんだけど、この星を出てみて、気づいたこと。追伸でテレパシー追加するね。

 山の貴人と海の貴女の娘が、離れ離れで愛を育んでいたって言ってたけど、いいや、ずっと一緒だったようだよ。この星は、大地と海が抱き合って、6と9が○になって見えてるよ。抱き合って、支え合って、この星は回ってる。それだけ、言いたくなったんだ。

じゃあ、これで、もうおしまい。バイバイ。


読んでいただきありがとうございます。

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