本心
目の前には一枚の婚約届。そして一人の美少女の岸本桃葉がいる。大丈夫、一応状況は理解できている。しかし状況は理解出来ているが意図は全く理解できない。
「何が起こっているんだ。って顔をしてるね」
「この状況で動揺しない人はいないと思う」
転入してきた美少女からラブコメ展開になる。と言うのはラノベでもド定番ではある。しかしどうだろう。転入当日に家に来られて、名乗ってもいないのに名前を呼ばれ、終いには婚約届を目の前に出される。この場にいない人にこの状況を伝えれば羨ましいと思われるかもしれない。その場を代わってほしいと言われるかもしれない。代われるものなら代わってやりたいとまで谷田は思った。
「良いよ。私だって鬼じゃないから、君の質問に時間が許す限り答えてあげよう」
「何で上から目線なんですか」
「いいからいいから。あと、敬語禁止ね。固っ苦しいの好きじゃないから」
「あー……分かった。岸本、じゃあ一つ目の質問は……」
「ちょっと待って」
桃葉は何故か眉間にシワを寄せて不満そうにしている。谷田は何か癪に触るようなことを言ったかと思ったが心当たりがない。
「修哉くん。今、なんて言った?」
「え、いや、特に」
「桃葉」
「え?」
「岸本じゃなくて桃葉って読んでもちろん学校でも」
桃葉は名前呼びを要求してきた。この際、正直呼び方なんか対して気にしていなかったが、桃葉によっては苗字で呼ばれるのはお気に召さなかったらしい。
「…………」
「ほら、りぴーとあふたーみー。も・も・は」
名前で呼ぶだけそれだけのことだ。しかし何故だろう。微妙に恥ずかしい。せめて目の前にいる女子がもう少し慣れ親しんでいたり、顔が普通だったら容易く言えただろう。しかし今目の前にいるのは、今までの人生の中で見た女性で一番可愛く、魅力的だと言えるだろう。だからこそ名前で呼ぶのは少し気恥ずかしかった。
「言えないなら私帰っちゃうよー」
「わ、分かった。言うから待って。その……桃葉?」
「あはは。何で疑問形なのよ。面白いね」
目を合わせずに名前を呼ばれた桃葉は、谷田の姿が少し可愛く思えたのと、情けなさで腹を抱えて笑っている。そんな仕草ですら可愛いと思える桃葉の美貌は凄いと谷田は心から感じた。
「とりあえず一つ目の質問。この婚約届にはどういった意味があるの」
「婚約届の意味なんか一つしかなくない?修哉くんと結婚するために持ってきたの」
「ツッコミたい所はたくさんあるが……。とりあえず法律的に俺は桃葉と結婚出来ないよ」
「あと二年なら待てるしそこは問題ないよ」
「はぁ」
話がぶっ飛んでくると最早ツッコミをする気力も無くなるということに谷田は気づいた。
「じゃあ二つ目。なんで俺と結婚したいの」
自分でも質問の内容が意味分からないが、とりあえず今一番知りたい情報だった。転入初日に家に来るくらいだから何かしら深い理由があるんだろう。
「さっきも言ったでしょ。約束したからよ」
「その、約束っていうのは?」
「あなたが私に言ったんじゃない。『もう一度会えたら結婚して』って」
「え、俺そんな事言った?いつ?」
「十二年ぐらい前の話ね」
四歳のプロポーズを今も真に受けている人がいるのだろうか。今、目の前にいるが流石に信じがたい。
「え、てか俺たち本当に会った事あるのか」
「さっきからそう言ってるじゃない。まさか本当に覚えて無かったの?」
「ご、ごめん」
桃葉は面食らった顔をしながら頭を抱えている。面食らっているのはこっちなのに。
「まあいいわよ。これから少しずつ思い出していけば問題ないから。時間は沢山あるし」
「はぁ。今、この場では教えてくれないということか」
「そういうことよ。面白みが無くなっちゃうじゃない」
この意味がわからない展開に面白みは求めていないとは思いつつ、毎回突っ込む元気もないのでスルーしつつも、無反応という訳にもいかず、一つ大きめなため息だけついた。
「とにかく、気が向いたらその婚約届にサインをしてよね」
「俺に拒否権は?」
桃葉は口角を上げた。目は微塵も笑っていないが。表情一つで相手を恐怖に陥れることができるんだな。サインはしなくてもこの場で断るのは止めておこう。
「それじゃあ、私はこの後ちょっとだけ用事があるから。この辺で失礼するね」
「お、おう。気をつけて」
桃葉は荷物を持って家のドアに手をかけながら谷田の方に振り向いた。
「またくるね」
「歓迎はしにくいかな」
「あはは、何よそれ」
軽快に笑う桃葉は美少女そのままだった。黙っていれば可愛いのに。
「私変じゃなかったよね?変じゃなかったよね!?」
自宅についた桃葉は自室のベッドに顔を突っ伏して悶えていた。その様子は学校や谷田の前とは違って、ただの恋する乙女であった。
「やっぱりいきなり婚約届渡すなんて重かったかな?家に押し入ったら行けなかったかな?私なんか変なこと言ってないよね?」
頭の中で行われる大反省会。その話の内容を知るのは桃葉だけであった。