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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ふたりは青くて、らしくなくて。

作者: 海上

「悪い部分が似てくることが、本当の仲良しなんだと思う」


高校二年生。夏の始まり。


 学校帰り、河川敷に行かないかと言われ着いて行くことにした。何かするのだろうかという好奇心と、面倒くさいなという億劫な気持ちを混ぜながら後ろを歩く。

 そもそもコイツとは親友といえるほどの仲ではなかったけれど、ただのクラスメイトともいえなかった。俺たちは何回か他のやつを混ぜて遊んだこともあるし、学校でも一緒にいることがある。ただ、親友とはいえなくて、クラスメイトってわけでもない、友達という仲なんだろう。

 ついつい考えごとをしていたらいつのまにか河川敷に着いていた。

草の上にあいつが座ったから、俺も隣に座る。親にズボンを洗ってもらわなきゃいけないなと思いながらあいつを見ると、あいつは俺を見ていた。緊張したような眼差しで。

目が合った瞬間、先に逸らしたあいつは「ゲームをするから話しかけないでほしい」と言った。理不尽だなと思いながらも、この状況はなんなんだと混乱する。文句も言わずにイヤホンを取り出す俺も俺だ。

なぜ河川敷まで来て、男二人横に並んで、話もせずに、個々で時間を潰しているのだろう。河川敷を走っている人が俺たちを二度見する。深刻な関係だと誤解されているだろう。違うのに。

 空は薄明だった。見るからに綺麗なのに、あいつは見てもいないから、綺麗さを共有なんてできなかった。

イヤホンから音を流す。音量は微音だ。外の自然の音と音楽を共生できるように流すのが俺の楽しみで、俺の癖なのだ。少しだけ、音を堪能していればあいつの声が聞こえてきた。

「聞いてくれよ。イヤホンしてるけど、聞こえてるんだろ、僕の声が」

何だコイツは。お前がゲームをするから話しかけないでほしいって言っていたくせに。それにどうして音楽を微音で聴く俺の癖を知っているのか。それとも偶然か?ひとりごとだったりして。俺は揶揄いも含めて、横目で観察をしながら聞こえていないフリをした。

「…僕はいつも消えたくなることしか考えていなかったんだけど、最近は大切な人が亡くなった悲しみが死ぬ痛みよりもキツいんじゃないかとか、もう十年くらい会ってない父親と街で偶然会ったときに一番最初に発する言葉は何だろうとか、そんなことを急に考えるようになったんだ」

なんてことを俺に言ってるんだ。お前の言葉に微音さえも邪魔になる。静かにしてほしい。イヤホンをはずしたい。それにしても、お前がいつも消えたいと思っていたとは。

「僕の声を聞きながら、どんな音楽聴いてるの」

悲しみに溢れている声が微音を貫いて聞こえてきた。もうダメだと思った。揶揄いなんて向いていない。俺はイヤホンの音量を上げて空を見る。喉がぎゅっとなった口からは掠れた声が出た。

「大切な人より早く死ぬかも。父親とは一生会わないまま生きてるかも。消えたいと思いながら存在感を放っているかも」

あたかも音楽の歌詞を口遊む感じで。

音量が大きいから何も聞こえない。観察はやめたから何も見えない。この言葉がお前にどう届くのかは分からない。そして、なぜこんな行動をしたのかは俺さえも分からないよ。

 イヤホンから音が消えた。俺の好きなプレイリストが最後に達したようで、設定がリセットされていた。

気づかれないように少しの深呼吸をしてイヤホンを外す。隣にいたあいつは待ちくたびれたような顔をしていたけど、問い詰めてくることはなかった。

「ラーメン食べに行こうよ」

「お腹空いたな」

俺たちはせーので立ち上がって、尻についていた草をはらう。ついてるかとかついてないとか、土までついてるよなんて笑いながら近くにあったラーメン屋に走った。


 定番ラーメンを二つ頼んで食べた。味噌とか豚骨とか、互いに味を変えるより、今は同じものを食べて「美味しい」ということを共有するべきだと思ったからだ。

アツアツなラーメンを食べるのに必死だった俺たちは段々と麺をすするスピードが落ちていく。「ラーメン美味しいな」と言ったら「上手い」と返ってくるから、流れで聞いてみたくなった。

「空、綺麗だったな」

「あー…薄明だっけ?綺麗だった」

俺は箸を止めた。コイツ、見てたのか。いやむしろ、あんな綺麗な空を無視なんてできるわけないか。

 共有できなくて寂しかったものが共有できたという喜びに、俺は胸がぐわっと熱くなった。アツアツなラーメンを食べているから余計に熱い。

美味しさも、綺麗さも、しっかり共有できた気がする。今さっきまでは忘れていたが、お前のらしくないことも、俺のらしくないことも、互いにしっかり共有できた気がするよ。

お前はどうだろうか。

 会計は俺が先に払った。互いに出した金額は500円だ。ワンコインであの美味しさは感動である。食べ残しが無く、綺麗に食べ終わっている食器を見た店主は嬉しそうな顔をしていた。「ありがとうございました」と少し興奮気味の店主に、俺たちは「ごちそうさまでした」と挨拶して店を出る。

もう薄明の空は落ち着いていて、辺りは青暗くなっていた。スズムシの鳴き声が心地いい。

俺たちは河川敷で話した話題をもう出さなかった。きっと河川敷で話した内容は、河川敷だから言えたのだろう。河川敷の特別感と安らぐ雰囲気に流されて言えたんだと俺は思うんだ。

"郷に入っては郷に従え"ではなく、まさに"河川敷に入っては河川敷に従え"とでも言うべきか。俺はおかしくなって笑ってしまう。


 家路を辿っているとあいつが深呼吸をした。

「また、来ようね」

俺も思いっきり深呼吸をする。

「ああ、来ような」

深呼吸をしたときに入ってきた風が美味しかった。季節特有の味がした。俺はこの風を忘れないと思う。

そして、あいつの言った「また来よう」というのは、ラーメン屋ではなく、きっと河川敷のことだと思う。だから俺も、河川敷にまた来ようなというニュアンスで返事をしている。

 その後は、家に着くまで「ゲームは勝ったのか」とか「音楽は何を聴いていたのか」とか「ズボンから草の匂いがする」とか「店主はラーメン愛が強そうだった」とか、たわいもないことを長々と話していた。

 本当に今日は、らしくないことを互いにしたから、らしくない寄り道をしたし、らしくない感情に出会ったなと思う。

今思うと、河川敷を走っている人が誤解してるであろう誤解は、誤解じゃなかった。だって俺たちは、しっかり、深刻な関係だったのだから。

あいつは消えたいと思っていたし、家族構成も複雑だった。俺もどうすればいいか、あいつの身になって悩んでいた。あの空間はどんよりしていたと思う。

そして、別に深刻な関係じゃなくて親密な関係だと誤解されててもいいと思った。男二人、並んで河川敷にいるのだから誤解されずにはいられないだろう。だけど、親密な関係も素敵じゃないか。物凄く仲が良い証拠になるのだから。


 青暗い空から紺色に変わった空に、夜だなと強く感じる。自動販売機や街灯に虫が集っている。夏の制服の袖を限界まで伸ばして、虫から肌を守りながら道を通り抜ける。

そんな夏の夜を、俺とあいつは、あと少しの家路のために並んで歩いていた。


❇︎


 テスト期間に入った。

校内では「勉強するのが面倒くさい」だとか「部活休めるから嬉しい」だとか「テスト範囲教えて」だとか、自分のためになることを口に出すやつでいっぱいになった。

この期間は「どうにか同士を見つけようとする人」と「どうにか自分が救われようとする人」に分立するから見ていて楽しいもんだ。

もちろん俺は「どうにか自分が救われようとする人」である。テスト範囲や復習するべき箇所を担当科目の先生に聞いて回りたいのだが、担任じゃない先生に話しかけるのは少し躊躇ってしまう。

 近くにいたクラスメイトがテスト範囲を復唱しているのを盗み聞き、俺も輪に入って確認する。自分が救われたいからだ。

 そういえば、あいつはどこだろう。

あれから普通に話はするものの、河川敷には行っていない。誘われないからだ。そして、俺も誘うことはないからだ。

別に頻繁に誘ってほしいわけではない。

もしかすると、あの夜で悩みという悩みをあいつが全て打ち明けたのなら、新しい悩みがでない限り行く意味がないのだろう。ただ、俺にとってあの時間は楽しかった。特別感があって心地よかった。らしくないことをすることで、自分らしくいられたような気がしていた。

 俺は荷物をまとめ、教室を出た。校内に居残りをしている女子を横目で見ながら階段を降り、玄関口に着く。あいつの上履きがあった。

「早いな、あいつ」

もう学校にはいないのか。俺より先にテスト勉強に取り掛かる気か。

 上履きを脱いで外靴と交換し、履き替える。明日がんばろうなとか言って帰ってくれたらいいのに。俺はもんもんとしながら学校を出る。

 校内と校外は別世界だなと感じる。校外じゃ俺は自由だが、校内のあんなにヒエラルキーが空気化している世界はない。若いやつほど、弱いものいじめを好んでいて、格付けをすることが勉学の息抜きになっている。噂話が好きなやつとか、失恋話が好きなやつとか、叱られているのを見るのが好きなやつとか。俺たちは無意識に自分のプライドを傷つけないように相手の何かを傷つけて程よい学生として生きているんだろうな。だから「嫌い」だとか「関わりたくない」という見方がついて、クラス内に個々のグループが出来るんだと思う。媚びずに生活していきたいけど、それが難しいのが学生であって、集団行動を大事にする学校だ。集団行動なんて、自分らしさが壊れてしまうからなくなればいいのに。

 テスト期間だからか、無性に腹を立たせていた俺は無意識に河川敷へ行く道を歩いていた。

あの日座っていた場所へ歩いているとイヤホンをつけているあいつがいた。

「おい」

呼びかけると驚いたのかすぐにイヤホンを外す。

「お前ここでなにしてたんだよ」

「そっちこそなんでここに」

「テスト勉強しろよ」

「こっちのセリフだよ」

言えば言い返すから俺は楽しくなった。いつのまにか腹を立たせている自分はいなくなっていた。

隣に座って荷物を置くと、あいつは俺を見ていた。

「何かあったの?」

「はあ?」

「だってここに来たから」

「お前だってここにいただろ」

「僕は日課なんだよ。毎日ではないけど、家に真っ直ぐ帰るより真っ直ぐここに来てる方が多いんだ。君が来てるのが珍しい」

「無意識だよ、無意識」

「無意識で来るなんてよっぽどだ」

本当にお前、言えば言い返してくるよな。それじゃあ河川敷のせいにして、俺が今から言うことにお前はすぐ返してくれるのだろうか。

「お前、なんでいつもここに来るとき俺を誘わないんだよ。また来ようって言っていたくせに」

女々しいなと自分でも思った。らしくないことをした。これは本当に俺らしくない。前言撤回は間に合うだろうかと考え込んでいるとあいつは笑いながら"それは勘違いだ"と言っていた。

「勘違い?何がだよ」

「悩みを言いたくなったら悩んでる方が誘おうねって意味で言ったんだよ。あの時は僕が悩んでる方だったから誘っただろ。そういうことだよ」

「あのひとことでその内容は難しすぎるだろ」

なぜか俺は嬉しかった。誘われない意味を知ったからだ。勘違いでよかったと、心から思えたからだ。

「誘われてはいないけど、君がここに来たのは何かあったってことだろ。何か話しなよ」

「何もないよ」

「聞くよ。僕が聞くってのはらしくないけど」

らしくないってのは、聞き手に向いてないって意味だろうか。それなら俺だって話し手になるのはらしくないよ。

「…これは悩みでもないし、単に俺が自意識過剰なだけなのかもしれない話なんだけど」

「始まり方が怖い話みたいだね。うん、いいよ。聞くよ」

ひとこと要らないなと思いながら、これがコイツの聞き手に向かない原因なんだなと理解した。

「今日テストのことを担当科目の先生に聞きに行こうとして躊躇ったときに思い出したんだ。中学生の頃、隣は隣でウチはウチっていうクラス特有のホーム感が嫌いだったなって。同じ生徒なのに、扱いが違うんだよ。それとクラスの雰囲気も違う。隣のクラスに俺が入ってったときの、まるで部外者が入ってきたぞみたいな目線と空気感。あれは本当に苦手だったなって。…あの先生いま何してんだろ」

「えこひいきで辞めさせられたんじゃない?」

「それじゃあ俺と同じ感じ方のやつがいっぱいいたのかな」

「結構いるんだよ。気にしてる人なんて」

「似たようなことあんの?」

「僕もあるよ。委員会の委員長になれたとき、人一倍頑張ってやろうって思ってたのに副委員長に落とされたんだ。先生からは向いてないって。確かあれは小学5年生だったかな」

「酷いなそれ」

「その日から成績表なんか気にしなくなったよ。どうせ先生の私情評価なんだろって」

「その先生も辞めさせなきゃだな」

俺たちは笑い合った。互いに口が悪くなって、互いに似たような過去を持っていたから。また、らしくないことで自分らしくいられた気がする。


 今回、薄明の空を見ることはなかったが、それでもいい。あいつとの共通点を見つけられたのだから。過去を晒せたおかげで心が気持ちいいもんだ。今日はこってりしたものより爽やかなものでも食べたい。

「ラーメンじゃなくてアイス買いに行こうぜ」

帰ろうという意味も込められた俺の言葉にあいつは俯いていた。その沈黙を変に気にすることもなく、立ち上がって尻についた草をとっているといきなり俺の手を掴んできた。

「あのさ」

「なんだよ」

「テスト終わったら、遊びに行こう」

急な誘いに固まってしまう。

てっきり俺たちは河川敷内の仲間のようなものだと思っていた。それが河川敷を出てどこへ行こうというのだ。


 男二人、手を掴み掴まれの状態で固まっている。タイミングよく現れた河川敷を走っている人。その人は横目で俺たちを見ながら通りすぎた。

スズムシの鳴き声は異様にうるさかったと思う。


❇︎


 暑い。風の吹かない外はまるでサウナだ。

あいつとの待ち合わせ場所に行く途中の俺は服を着てサウナに入っているようなものである。ただ、このサウナには"暑くなれば外に出られる"という快適さがない。永遠にサウナ状態なのだ。

 午後から寒くなるかもしれないという天気予報を真に受けて、しっかり長袖のパーカーを着ていた俺は天気予報士を恨んでいた。

「かもしれないってなんだよ。断言してくれよ。今は気分屋の天気に限らず天気予報士も惑わせてくるのか」

やけどしそうな太陽の熱に、まだまだ夏は続くなあと他人事になる。他人事ではないのに。

 そもそもこんな暑い日に遊ぶ約束なんかするんじゃなかった。あの時は勢いで頷いたが、後々考えると勢いに任せすぎたんじゃないかと思う。どこに行くかなんて計画もしないで、ただ遊ぶ日時を決めただけ。なにより快晴過ぎている。天気を言い訳にしていると、あいつは「じゃあ雨の日に」とでも言いそうだ。そんなの、傘をさして歩く方が嫌に決まってる。

 汗をかいている手でスマホの液晶を触り、ロック画面に表示された時間を見る。約束した時間まで少し余裕があるから無理に走らなくてよさそうだ。あと少しの道のりが長い。待ち合わせ場所に行くだけで、俺がこんなに汗だくなのだから、あいつも汗だくであるべきだ。それと、俺と同じ天気予報を見ていてほしい。


 辺りに少しずつ日陰が増えてきた。そこに吹く風がなんとも気持ちいい。熱い肌に冷たい風があたる度に生き返る。この経験を活かして今度遊ぶときは絶対に涼しい日に限ろうと決めたが、実際俺たちの遊びに"今度"という延長線があるのかどうかが怪しいところではある。


 待ち合わせ場所にあいつの姿が見えた。またイヤホンをしている。そして残念なことに、あいつはパーカーなんか着ていない。シンプルな白地で通気性の良さそうなTシャツだった。

「おい」

驚いたあいつはイヤホンを外す。

「おはよう。今日も暑いね」

「俺を見て言ったな」

「違うよ」

コイツ、笑ってる。意地悪そうにではなく、素直に。愚直に。

 いつもどおり挨拶をした俺たちは自然に歩きだした。どこに向かうのか、何をするのかなんて一向に分からないままだが、あいつの顔を見た瞬間に分からないままならそれでもいいと思っていた。

「昼食べてきた?なに食べたの?」

「インスタントラーメンだよ。汁少なめにして卵を入れたらラーメンっぽくなくて美味しいんだ。お前は?」

「僕は冷蔵庫に入っていたサラダと唐揚げの入ったおにぎりを食べてきた」

「そういえばテストどうだった?」

「500点中212点だったよ」

「…お前勉強したのか?」

「してないよ」

テストの結果に対してどう思ったのかを聞きたかっただけなのに、点数をさらっと言うなんて本当に愚直なやつだ。

「それより写真撮ろう。テストが終わった記念に」

「写真?」

「落書きができるやつだよ。あれを君と撮りたい。落書きには僕の点数と君の点数を書く」

「なんで点数書くんだよ」

「自分の実力は誇りだからだよ」

なぜか否定できない。コイツの言葉には説得力がある気がする。たとえ間違いが含まれていても、盲目に信じることで良い方向へ転化していきそうな気がするのだ。

「これが今日の目的?」

あいつは大きく頷いた。続けて「河川敷じゃできないから」と真っ直ぐに笑っていた。俺はあいつと写真を撮るという行為が不思議と嫌ではなく、それよりも熱い夏に対しての嫌悪感を強く抱いていた。


 プリントシール機を目当てに、近くのゲームセンターに入った俺たちに大きな問題が現れた。

白い紙に書かれた『男性だけのご利用は禁止』という文字。今どきこんなに偏ったルールがあるのかと思いながらも気にはならず、ゲームセンターをあとにする。その後もプリントシール機を探すためにお店を転々としたのだが、必ず同じ張り紙があった。

「男って難しいな」

か細く放ったあいつの言葉には、張り紙に対しての意見と、それとはまた別の何かに対しての意味が含まれているような気がした。


 少しだけ日も落ちて、肌寒く心地良い風が吹き始める。やはりパーカーは必要だったと、あの天気予報士を思い出した。

 未だに俺たちは、ルールのついていない自由なプリントシール機を見つけられないままでいる。実を言うと、俺はもう撮らなくてもいいんじゃないかと思っている。こんなにプリントシール機が見つからないのは、今俺たちが撮るべきタイミングではないからだと。だけどそれをあいつに言えないのは、あいつの落胆が俺に伝染しているから。

「言いたくても言えない」というわけではなく、「言わなくてもいい言いたいこと」だと感じたからだ。

 足が帰る道の方向へ歩きだす。慣れない道を歩いたばかりに足首が筋肉痛だった。あいつはどうだろうかと目線を移せば真っ直ぐ誰かを見ていた。またその目線を辿ってみればその誰かも真っ直ぐあいつを見ていた。

「父さんだ」

あいつが咄嗟に言ったその声は震えていた。

河川敷で言っていた悩みが脳内に蘇る。もう十年ほど会っていない父親に街で偶然会ったんだ、落ち着いていられるわけがない。それにしても、会っていない年月が長くても親しい人の雰囲気は不思議と分かってしまうものなのか。あいつはどうしてあの人が父親だと感じたんだろう。

 その人は近づいてくる。あいつの心臓は破裂しそうなほど飛び跳ねていると思う。逃げ出してしまいたいと、そう思ってもいるだろう。

「どうしよう、どうしよう」

俺は手首を掴んだ。逃げそうなコイツの手首を掴んで、俺もいるということを印象付けた。

「変に構えなくていい。挨拶をすればいい」

会ったから何か話さなきゃいけないとか、話題の提供者は自分じゃなきゃダメだとかそんな積極性は必ずではない。相手に任せることが良い展開を生んでくれることもあるはずだ。

「お前が悩む必要はないよ」

俺を見て軽く頷いたあいつの目の前に、その人は来た。遠目では気づかなかったが、けっこう大柄な印象だった。俺は一歩下がって二人を見ていた。


 ぎこちない挨拶をしたあとに「幸せでいてね」とか「無理をせず頑張ってね」とか、互いが互いのために言葉をかけていた。今までの生活を語り合うような長話なんかせずに、案外あっさりとしていた。あいつの表情も明るくなっている。

 それからあっけなく、あいつと父親は別れた。

数分くらい父親の後ろ姿を眺めていたあいつの目に悲しみが見えた。きっと、自分の記憶に父親の姿を焼き付けているんだろう。次こそ、一生会わないかもしれないから。

 もう写真なんて撮らなくてもいいんじゃないかと思っていた俺は、どうにか、今日という日を記憶しなければならないと思った。写真を撮るべきタイミングは今なんじゃないかと感じたのだ。

 俺はあいつの手を掴んで走った。筋肉痛を我慢したその痛みが明日に響いても構わないと思いながら夢中に走った。人混みを抜けて近くの商店街に入るとそこはシャッター通りだった。常連だけがくるような小さな惣菜屋だけが開いている。その通りを抜けると、俺が目指していた証明写真機に辿り着く。

「これで撮ろう。落書きはできないけど、今日の俺たちを撮ろう」

「僕たちだけで写真が撮れるの?よかった」

あいつは乱れた息を整えながら汗を拭う。いきなり走り出した俺に文句など言わず、逆に連れて来てくれてありがとうと言いながら笑っていた。

 カーテンのような布をくぐり、肩と肩が密着しながら写真を撮る。「狭いな」とか「地味だな」とか「どこを見ればいいんだ」とか、あらゆることを貶しながら俺たちは沈黙をつくらないように時間をつぶす。今さっきまでは涼しかったのに今は異様に暑くるしいということを狭いからではなくパーカーのせいにした。

 撮り終えたものが取り出し口から出てきた。あいつは待ってましたと言わんばかりにすぐさま写真を拾い上げ、カバンに入っているペンケースからマジックペンを取り出した。

「お前ペンケース持ち歩いてるんだな」

「何があるか分からないから」

鼻唄をうたいながらマジックペンで落書きを始める。真剣に書くあいつの上から何を書いているんだと覗けばテストの点数を書いていた。212点の横に384点の数字。

「お前何で俺の点数知ってんだよ!びっくりした」

「気になって机の中見たんだよ」

「なるほどな。朝お前がさらっと点数言うから不思議に思っていたけど、実は俺の点数を知っていたから、フェアになるように言ったんだろ」

笑いを我慢しているあいつに俺はつられて笑ってしまう。「笑うなよ」と言いながら笑う俺に「説得力ないよ」と笑っているあいつ。

 ペンケースから小さなハサミを取り出して写真の枚数が半分になるように切ろうとするから「俺はいらない」と言うとあいつは手を止めた。

「ダメだよ。思い出は半分こだ」

「じゃあ一枚でいい。点数ないやつで」

言いくるめられた気がする。もう「いらない」なんて言えなかった。

 一枚だけ、ハサミで切りとられた写真に新しい文字を書き始めた。また点数を書いていたらどうしようとか、最後の最後に俺のパーカーのことを書いているんじゃないかとか、もしくは、暑がっていたのがバレていたんじゃないかとか、一枚の写真をもらうだけでこんなにも緊張していた。

 渡された一枚の写真を見ると、カメラの位置を理解していなくて焦点があっていない俺たちの写真に『消えたくなることから救ってくれたひと』と文字が書かれている。その言葉の下にある矢印は俺をしっかりさしていた。

胸がぐっとなったのを感じて咄嗟に見て見ぬふりをしていた俺は「ありがとう」とだけ呟いて写真をパーカーのポケットに入れた。


 あいつと並んで帰る途中、今日起きたことすべてをふりかえりながら「いつもより濃い日を過ごした」とたくさんの感想を言い合った。

 お前は気づいていないかもしれないが、今の空は薄明で、ものすごく深くて濃い色をしてるんだよ。今日の俺たちの一日みたいに。


❇︎


 イヤホンをつけたあいつが、俺の中で違和感を纏い目立ってきたのはいつ頃からだろう。


 新しく就任したという女性の栄古(えいこ)先生が挨拶として教壇に立ち、朝にあるホームルームの時間すべてを使って、クラスに自身の過去を熱血に語っていた。

 物珍しそうに話を聞いている学級委員長や、前の席にいる優秀なやつの顔色を伺いながら話をだんだんと誇張していく栄古先生は、興味がないことが顔に出ているやつとか、前を向いているフリをして時計や掲示板を見ているやつとか、明らかな嫌悪を示している生徒に気づきながらも見ていないことにして、自身の自己顕示欲を満足させていた。

 先生のくせに真っ赤で派手な唇をしてるなあと思っていれば時間の終わりを知らせるチャイムが鳴って、担任の先生が礼を促す。きっと先生も、あの栄古先生に嫌悪を示している一人だったんだろう。

 礼が終わったあと、栄古先生は物足りない顔をしていたが、誰一人として続きが聞きたいと寄っていくやつはいなかった。


「あの人、自分が大好きなんだろうね」

いつのまにか俺の席に来ていたあいつはすぐさま栄古先生を批判した。あいつと俺は、やっぱり観点が一緒なようだ。

「まさに『経験者は語る』って感じだったな」

「ああいう人は自分を偉人と思っているから、経験したものが全てであって、それ以外は聞く意味がないと思っている。唇が真っ赤なのは、自分のお喋りを豪華に着飾りたいから。絶対に聞いてほしいんだ。頷いてほしいんだ。他を見てほしくないんだ」

「誰かの経験論なんて、完璧に役立つわけないのにな」

俺たちはクスクスと微笑み合った。だって、あまりにも悪い部分ばかりが似過ぎていたから。

 朝のホームルームから二限目が過ぎる頃にはもう栄古先生のことが嫌いだという人が増えていて、栄古先生のことをエゴ先生というあだ名まで出来上がっていた。その当て字に俺は笑ってしまったけど、きっとあいつは大笑いでもしていたと思う。


 昼食は一人で食べた。いつも食べているやつはいるけど、それは自然な集まりで、約束しているわけではないから「あいつがいない。待とう」なんてことにはならないのだ。

 職員室に提出物を持って行ったついでにミルクパンとハムの入ったタマゴパンを食堂で1つずつ買った。上履きのまま外へ出て、日陰になっているベンチに座る。校舎の中に響いている活発な声に「元気だな」と呟きながらミルクパンをかじる。決して羨ましいわけではない。俺にはこっちのほうが合っているから。

 ポケットから携帯音楽プレイヤーを取り出す。繋がっていたイヤホンを耳につけ、気に入っているプレイリストを選択し、シャッフル設定にして流す。音量は、もちろん微音だ。

「ミルクパンうま」

あまりの美味しさに言葉がこぼれた。だとしたら、もう一つの、ハムの入ったタマゴパンもきっと美味しいに違いない。俺は音楽にのせて期待を高めていた。

 見事にパンは美味しかった。満腹感をゆったり味わいながら、ゆっくり流れていく雲を目で追っているとプレイリストに入っている音楽がスローテンポの曲に変わった。自然の音と微音が絶妙にマッチしていて、その真ん中にいるような俺は最高に居心地がいい。


 音に集中しようと目を瞑っていただけなのに、その居心地の良さにいつのまにか眠っていた。多分数分くらいだと思う。授業が始まる5分前のチャイムが鳴っているのに気づいて目が覚めた。

「おはよう」

「びっくりした」

あいつが隣に座っていた。俺を真っ直ぐ見ていたのに、何食わぬ顔でおはようと言い終われば、目線はすぐに空に移った。俺は音楽を停止し、イヤホンを耳からはずしてポケットにしまい、パンが入っていた袋などを一つにまとめた。近くにあったゴミ箱に捨てたあと、あいつは自然に俺の横を並んで歩いた。

「お前なにしてたんだよ」

「探してたんだよ。一緒に食べたかったから」

コイツ、いつも大事なことを後から言うんだよな。遠慮があるのか、言わなくても分かるだろうと生意気なのか。俺は偶に、お前が分からなくなるときがあるよ。

「じゃあ今度は一緒に食べよう」

「教室じゃなくて、あのベンチでね」

「悪口言いやすいから?」

愚直に頷くあいつに、俺は腹を抱えて笑った。あいつは薄笑いをしながら笑うなよと言っていたけど、続けて、君もだろと挙げ句の果てには大きく笑っていた。


「今日、河川敷に行こうよ」

教室に着きそうな頃に、あいつが静かに言ってきた。授業が始まる前とはいえ、喧騒が溢れている廊下にあいつの小さな声が俺には鮮明に聞こえていた。ストレートな誘いに、「悩んでる方が誘おうね」というあいつの言葉が一瞬頭をよぎる。そして同時に、何かあるのかもしれないという不安を感じていた。


 授業はうわの空で終わり、放課後になった。

どこかのクラスで挨拶をしていたであろうエゴ先生の経験論が、静かな廊下から少しだけ聞こえたのだけは覚えている。

 帰る用意が終わってあいつの席に行くと、持って帰るものとそうじゃないものを整理しながら、教科書を乱雑に、カバンの中へしまっていた。

カバンの中の内側にある小さなポケットには、この間撮った俺たちの証明写真とイヤホンが入っていた。

「…お前、イヤホンなんてするやつだったっけ」

俺は聞きたくても聞けなかったことを、なぜか自然と聞けていた。あいつがイヤホンをつけることが、俺にとって、珍しく感じていたのは最近だ。写真を撮るために遊んだときも、河川敷で偶然会ったあのときも、どちらも黄昏たような顔をしてイヤホンをつけていた。いや、それよりも、俺たちが河川敷に行くようになった頃より前から、あいつはつけていたのかもしれない。単純に、俺が知らないだけなのかもしれない。

 俺は自己解決した。あいつは音楽を聴くよりもゲームをする人間だったから、俺の真似でもしたのだろうと。そして、真似をしているうちに、いい音楽に出会って、それが大事になっちゃったんだろうと。それが答えだった。

 俺の質問に、あいつは小さなポケットからイヤホンを取り出した。

「イヤホンをつけ始めたのは最近だよ。君の真似をしていたら、素敵な音楽に出会っちゃってさ」

俺は笑ってしまった。涙が出るほど。まさか自己解決した答えと一言一句同じだとは思わなかった。俺はコイツの観察が得意なのだろうか。

「俺の予想が当たってた」

「そっか。恥ずかしいなあ」


 ぐだぐだと話しながらやっていた帰る用意がやっと終わって、あいつと教室を出る。

 お前、教科書は乱雑にしまうのに、小さなポケットに入れるイヤホンは大事そうにしまうんだな。

 玄関口に着いて、上履きを脱ぎ、外靴と交換する。校内にはまだまだ生徒が残っていた。「やっと終わった」とか「学校めんどくさい」とか不満を言いながら居残っているけど、それならとりあえず、校外に出ればいいのにと思った。結局、不満を言いたいだけで、学校が大好きなくせに。

 居残っている集団を通り過ぎて駐輪場へ歩く。いつもは歩きだけど、今日の登校手段は自転車の気分だった。だけど、放課後あいつと河川敷に行くことを知っていたら、歩幅を合わせるために歩きで登校していたのに。


 自転車を押しながら、歩いて河川敷へ向かう。

「あのさ、聞きたいことがあるんだ」

「なに?」

「ずっと会っていなくても、父親って分かるもんなの?」

「うーん。はっきり見つけられたわけじゃないけど、父さんと僕には近い何かを感じたんだと思う。だから雰囲気的に見つけられたのかもしれない」

「へえ…雰囲気か」

「雰囲気を記憶するのは得意だよ。だから、会わないまま年月が経っても、僕は君を見つけられると思う」

「大袈裟なやつ」

愚直なやつ。

 今日はやけに沈黙が嫌になる。車の通りが多くて助かった。河川敷まであと少しだけど、河川敷に着くと、俺たちはどうなるのだろう。

「卒業したら離れるのかな」

「まだまだ先だろ」

「遠いものはすぐ近くなるよ」

「…卒業したらそりゃあ離れるよ。俺は進学でお前は就職だろ?まず進む道が一緒じゃない。そして、俺にもお前にも大切な人ができると思うよ」

「思うよって。断言してよ。惑わしてくる天気予報士みたい」

「じゃあできる。断言する」

「僕、大切な人はつくれない気がする。君との思い出が邪魔をすると思うから」

「断言したのに」

「だって仕事して帰るとき、家じゃなくて君といた頃の河川敷に帰りたいって思っちゃって家庭が崩壊しそうだ」

「それは邪魔そうだなあ」


 車の通りも少なくなり、沈黙が増えていく。俺は自転車を手で押すのをやめて、二人乗りを持ちかけた。あいつはすぐに頷いて、後ろに座った。最初は慣れなくてよろよろと進んでいたけど、今じゃ軌道に乗れている。


 俺は、このまま進んでいく途中で警察に見つかって止められてもいいと思った。止められて叱られたかった。河川敷という目的地がはっきりあったとしても、俺たちはどこに進んでいるのか未来的な意味で分からなかったから。俺たちのあやふやな流れに、誰かが堰を立ててくれたらいいのに。はっきりしないことを叱ってくれたらいいのに。叱られたことも、青春として笑えばなんでもないこんな時間も潰せるのに。

 俺たちは関係がはっきりしていないから、どうしても「親友とはいえなくて、クラスメイトってわけでもない、友達」という関係になってしまう。その長くてくどい関係名も、今じゃ俺には違う気がしていた。


 街の喧騒を聞きながら、俺たちは、はっきりしない関係のまま河川敷に着いた。自転車を止めた近くの地面に並んで座る。俺はあいつが話を切り出すまで、急かさないし何も話さない。だけど、へんに沈黙が続いてしまうのは不安になる。一瞬だけでもいいから表情を見ようと横を向けば、あいつと目が合った。その瞬間互いに目を逸らしてしまう。多分、俺の方が先に逸らしてしまったと思う。俺は焦りに緊張して、堪らなくなって、話を切り出してしまった。

「悩み、言いにくいんだったら待つよ。何個くらいあるのか言って」

「秘めてるものは一つだけ」

その言葉に変な感じがした。上手く流せることができないような。さらっと返事ができないような。喉に引っかかって、取りたくても取れない魚の骨のような。

「『秘めてる』って、前からずっとあったってこと?ずっと持ち越してきたってこと?その一つだけ?」

分からないから、あいつを見た。顔を見れば、目を見れば、表情を見れば、意図が分かると思った。伝わってくると思った。でも、見れば見るほど分からなくなった。大事なことを先に言わないから、俺はほんとにお前が分からなくなる。

 一旦考えようと、俺があいつから目を逸らして携帯音楽プレイヤーを手に取った瞬間、あいつは言葉を発した。

「あのね、君が好きなんだ」

携帯音楽プレイヤーを手に取るために下を向いていた俺の顔がすぐに前を向いた。瞬時にあいつを見ていたんだ。俺の返しなど、気にもせずにあいつは続けた。

「恋人になりたいとかじゃなくて、ただ友達で終わりたくもないんだ。僕も分からないんだけど、君はもっと分からなくてもいい。親友以上になりたいんだよ」

目を逸らせない。逸らさせてくれない。コイツはメドューサなのか。俺は石像になってしまったのか。だけど俺の鼓動は早い。瞬きもたくさんしてしまう。きっと石像にはなっていない。人間のままだ。俺は、あいつに、思いを伝えられた側の人間のままだ。

「僕の気持ちを伝えるためには好きって言葉が一番近いと思ったんだ。秘めていたかったけど、見つかってもほしいと思っていた。伝えたいことがたくさんあるのに、言葉を選ぶことが難しくて。なんだか」

「男って難しい」

言葉が重なった。お前がこれを言うと思ったから。あの時、お前がプリントシール機の貼り紙に対してか細く放ったあの時、別の何かに対しての意味が含まれていると俺が感じたのはこれだったのか。少なからず、あの時から、お前は俺を思っていたのだろうか。

 俺はうつむいた。それから、何も言わずに笑顔で頷いた。あいつもつられて笑顔になった。

 お前が自分の気持ちを分からないなんて当然だと思う。俺だって、常にお前が俺の中にいることが分からないんだ。好きってなんだ。大切にしたいってだけじゃダメなのか。恋ってこれなのか。愛ってこれなのか。違う気がする。分からない。俺たちは、深く考えてしまうから、単純が難しい。

「きっと分からなくても、俺たちの思いは一緒だろうな」

「卒業しても、離れたくない」

「卒業するまでは一緒にいられるんだから、そのあとのことは卒業が近くなってからにでも考えよう」

 俺たちは空を見上げた。あと数分もしたら消えるような薄明の空を。

そして、今が「綺麗だ」ということを共有して、忘れられない情景をつくった。記憶した。

 もうすぐ夏は終わるけど、この空や、この風の匂いをふと感じられたとき、俺はこの記憶が蘇ると思うよ。お前はどう?


「なあ、お前の名前の意味を教えてよ」

「そのまんまだよ。僕がいつも真実の心を持っているようにって意味で真心(まこ)って。君は?君のも教えて」

「だったら俺の方がシンプルだ。何事にも止まらずに進めって意味で(しん)

俺たちは笑い合った。ここまでも似たもの同士なんだと。

 俺たちは、真実の心のまま、何事にも進んでいかなきゃいけない。要は、『自分らしくいること』を大切にしなきゃいけないんだ。

「お前の言う、『素敵な音楽』を聴かせてくれよ」

あいつは「もちろん」と頷いてカバンを開き、内側にある小さなポケットからイヤホンを取り出して、携帯に接続する。左のイヤホンを自分の耳につけたあと、右のイヤホンを俺に渡す。受け取ってから俺が耳につけたのを確認すると、携帯の液晶画面を触り、ロックを解除したあとに音楽アプリから曲を再生した。音量は少し大きいくらいだった。いつもお前が聴いている音量はこれなんだな。

 俺の右耳からは音楽が流れ、左耳からは自然の音が流れている。あいつはイヤホンをつけていない方の耳を手で押さえていたけど、俺にとってはバランスが良かった。

 前奏が終わって、流れてくる歌声に胸が高鳴る。お前はこの曲を大切にしてるんだな。


 河川敷を走っている人が俺たちを横目で見ていた。だけど、恥ずかしくないよ。見てほしくないなんて思っていないよ。誤解を感じたりもしないよ。もう、あやふやな関係ではないのだから、俺たちを堂々と見てほしいんだよ。

 そう思いながらあいつの手を繋ぐと、あいつは俺の手を握り締めた。互いに離さないように。

 俺たちは決して思いもしなかっただろう。らしくないことをして、夏を刻むなんて。ただ、この手は、ほんとうに、あたたかいね。

「いい音楽だな。真心」

「うん。進くん」


高校二年生。夏の終わり。



僕/実崎真心(まこ)

俺/好田進(しん)

学校への不満や、同い年への見下し、大人に対しての批判、誰しも考えることはあると思う。その窮屈さを、彼らは雑談として語っている。

普通は「あの夕方のアニメがさ」とか「ユーチューブがおもしろかった」とか楽しいことを共有するのに、彼らは苦しいことや楽しくないこと、悪いことを共有したがる。そうすることが楽しいからだ。

群れずに、教室の隅で、こそこそと話をするクラスメイトの日常をのぞいちゃった、と思って読んでもらいたい。

そして、不思議と名前を呼ばずにいた二人の名前を最後に明かしたことで、彼らの世界が一変したことを表してる。俺とか僕とか、お前とか君とか、色がない世界から鮮やかな世界に変わった雰囲気を表現している。


最後に二人が聴いていた音楽は、とあるアーティストの曲。

この物語は「俺」である好田進の目線で始まって終わるが、最後に聴いた音楽は「僕」である実崎真心の目線が繰り広げられている。進に対しての真心の思いは音楽が語っているようなものである。

佳境で、一番大事なような最後は、あえて交わす言葉を最小限にした。


そんな彼らの価値観や文句が、読んでくれた誰かの背中を押してくれることを願っている。

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