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結局人間はどうして成功したいのかというと、繋がりのある、もしくはあった人たちに対して、いわゆるいい顔をしたいからであり、綺麗な異性と結婚したり、有名な人と知り合いになったりしたいからだ。私だってそうだ。綺麗な女性を見かけると、成功してそれをネタにお近づきになれたらどんなにか嬉しいだろう、と、想像をたくましくして、どこからともなくやる気が出てくる。昔はその思いに任せて色々と頑張っていた。だが今は違う。厳密に言うと綺麗な女性を見かけたらやる気にはなるのだが、その次に、自分のことをなんて浅はかなんだという風に、くだらなく思うのだ。実際そうだ。何ということはない、いわゆる美人を手に入れて、他人に自慢したいだけなのだ。そう思う、思っている自分を、心の底でくだらないと感じている。愛ではない、愛ではないのだ。単なる見栄、虚栄心なのだ。口ではどんなにか大層なことをのたまわっても、つまりは卑しい考えからなのだ。私はすごいんだぞと吹聴して回りたいだけなのだ。なんてくだらない、しょうもない存在なんだ。醜い、この一語に限る。美しくなりたい。心の底から美しくなりたい。美しさは尊い。尊大でありたくはないが、美しい存在であれ、とは思う。昔の人はすごい。現代人が、現代人だからという理由で、科学が発達しているからというただそれだけでもって、現代人が一番優れていると言うのは間違いだ。昔の常識と現代の常識は違うんだ、そもそも比べようがないではないか。現代人であることを誇る前に、昔の人を敬うことをはじめよう。私たちの時代は、かつて生きていた人たちが流した血の上に成り立っている。全ては連綿と続いているのだ。過去を忘れ去ってはならない。教訓として今の戒めとするのだ。私は偉いわけではない、偉そうに見えるかもしれないが、そういう意図は全くない。ただ事実を指摘しているだけである。今も昔も、人の心というものは同じだ。それをどう扱うか、どう育てるかだ。栄養を惜しみなく与え、綺麗な言葉でもって褒めてあげよう。きっと心はあなたに応え、健全になるに違いない。心を正しく育てることを忘れないようにして、日々生きていこう。朝から晩まで、心を大事にしよう。心から、全ては発している。頭にあるのか胸にあるのか、は、意見が分かれるところだが、心が存在するということは、確かなのだ。心を、大事にしよう。