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聞こえないのか? 心の声が。心には声があるのだよ。聞こえる人には聞こえ、聞こえない人には聞こえない。二つのどちらかなんだ。あなたがどちらになるかは、私にはわからない、あなたならそれがわかるんじゃないのか、なにせ、あなた自身のことなのだから。心は時に、叫び声をあげることがある。想像してごらん、血で真っ赤に染まった心が、誰にともなく叫んでいる様を。助けてくれと、言っているんだ。助けてあげるかい? それとも見て見ぬふりを決め込んで通り過ぎるかい? 見てしまった以上、聞いてしまった以上、もう無関係じゃないんだよ。少なくとも傍観者ではある。この世で一番卑怯なこと、それは、無関係を装うために沈黙することだ。卑怯者は軽蔑される。それが嫌なら、何かしらの意見を言うべきだと思うがね。言葉を紡ぐんだよ、その口から出てくる言葉を。共感してもらえるかどうかは何とも言えないな、そもそもどこまでの共感を求めているんだい? たとえ共感されたからといって、それはその事柄だけにおいてであり、決して全てにおいてではないんだ。結局、他人はどこまで行っても他人であり、あなた自身ではない。仲が良いといっても、何もかもをさらけ出せる人間は、そうそういるものじゃない。いないと見ておいた方がいい、期待すると落ち込む結果になることがあるからね。久しく会ってないんだよ、私は、友に。友を作るのが怖いんだ。人間は、裏切るからね。友とはいっても、裏切るかもしれない。どうすれば確実に裏切られないか、友を作らなければよい。そう思って生きてきた。結果、この年齢に至って周囲に誰もいなくなってしまった。私は望んでいないのだよ、このような事態は。自分の人生に可能性など、あっただろうか。過ぎてしまえば、あろうが無かろうが同じことなのかもしれない。一切は過ぎていく、とは、よく言ったものだ。感心する、感心を通り越してすごいと思う。真理の境地ではないのか。天才はすごい。すごいが、憐れだ。天才は天才の生き方しか選べない。平凡を望めない。これは一種、悲劇だ。天才がいるからこの世があると言っても過言ではない、あれもこれも天才がその直感によって発明したのだから。天才でない人は、天才を、羨むのではなく、敬わなければならない。天才は、憐れなのだ。同情して、優しくしてあげよう。私はそうするよ。あなたがそうしなくてもね。あなたはあなた、私は私。それ以上でも以下でもない。本当の敵は、中傷する者だ。その者をサタンという。サタンは決して表に出て来ない。常に誰かわからない所から言葉の刃を天才に向ける。守らなければならないのだ。天才を、サタンから。正義のありかを内外に示さなければならない。某国の国家元首も言っていたではないか、正義がなされた、と。正義とは、とても大事なもの、概念であり、サタンが最も疎ましく思うものの一つだ。サタンの言う正義は、いつも正義ではない。認識の時点でもう既にサタンとの戦いは始まっているのだ。騙されぬよう、気をつけなければならない、正義は私刑とは違う。高らかに叫ぼう。正義を掲げる誇りを。天を奉り、その子を敬おう。私たちは違う。互いに違う存在なのだ。違うことを、それをもって敵意とせぬよう、用心しなければならない。戦争とは、行き違いからも生じ得るのだ。比べあうのは悪いことでは必ずしもない。よく知りもしない何敵だと認定し合うのが悪いことなのだ。その者は、あなたが敵だと思っている人は、実は味方なのかもしれない。立ち止まって省みたら、案外そんなことが、あるかもしれない。可能性は、できるだけ除外し切らないことだ。ところで、自分とは一体なんだと思う? 間違いを犯す不完全なもの、だ。完璧な人間など存在しない。ただそれに近づくだけだ。