偽装した敵意
テランスは魔力を伝達するという管を手に取った。短く切られた断面を見ると、管の内側に塗られた塗料が見える。石鹸で作った泡のように、見る角度が変わると虹色に変化した。
「これを使えば、魔力が減らないって?」
「いや、減ることは減るんだけど、俺たちが分からないぐらいの量らしい」
隣にいた職人たちが囁いている。
アルトロワで最も大きな魔石工房に集まったのは、組合に加入している加工職人と行政棟の責任者たちだった。
遠く離れた場所に設置した魔導器に魔力を届ける。そうすることで魔石を補充する場所を一箇所に統一し、交換の手間を減らす。そんな技術革新を可能にするために、職人の協力が必要なのだという。
「で、今度はこれに合った魔石の加工をしないといけないのか」
「加工法は無料で教えてくれるらしいが、商品になるもんを作れるまで時間がかかるぞ」
「練習用の魔石は自腹か。まあ、加工法の技術料とでも思っておくか」
それぞれ感想を言い合っていた職人たちだったが、続いて加工法の説明に入ると、途端に静かになった。口を開けば文句しか出てこなくても、新しい技術には貪欲に食いついてくる。
「今から公開することは、いま集まっている皆さん以外には漏らさないようにお願いします。加工を手伝う弟子に伝えるかどうかは、お任せします」
自尊心が高い職人たちは、その役人の言葉にいらついた様子はなかった。仕事の秘密を守れないようでは、職人失格だ。技術を提供する際の挨拶のようなもので、いちいち心を動かされたりはしない。
「もし皆さんに加工法を聞こうとする部外者が現れたら、僕らに通報してください。こちらから説得しますから、一人で会わないように」
「要は面倒な客が来たら、あんたらに押し付けてもいいってことだろ?」
「ええ、二度と仕事の邪魔をしないように『説得』させてもらいます」
少しばかり血の気が多い役人のようだ。行政棟で働く役人の中にも、自警団に入っている者がいると聞いたことがある。きっと彼もそのうちの一人なのだろうとテランスは思った。
加工法を聞き、それぞれ持ってきた魔石で試していると、工房に隣接した店舗の扉が開いた。テランスの工房と違い、ここは加工する場と店舗がはっきりと分かれている。店舗に近いところに立っていたテランスの耳に、従業員の声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ。魔石の購入ですか?」
訪れた客は馴染みの者ではなかったのか、従業員はやや硬い声だった。
「ああ、全部もらおう」
「え……全部?」
奇妙なことを言う客だ。いや客ではなく強盗だったかとテランスは警戒し、隣にいた職人を見る。彼もまた声が聞こえていたらしく、テランスに頷いてから工房長に客のことを伝えに行った。
「さすがに一度に全てはお売りできません。必要な個数か魔力量を」
「面倒だな」
水が入った壺が割れるような音がした。テランスから見える店舗の床に、赤黒い液体が散っている。その中に頭がない従業員が横たわっていた。
一拍おいて、女の悲鳴があがる。店舗にいた他の従業員だ。
「おい、強盗だ! 誰か自警団に」
テランスは工房の出入り口に近いところにいる職人に向かって叫んだ。その間に武器を手にした職人が店舗へ走っていく。
加工前の魔石を掴んだテランスは、強盗に投げつけるために細工しようとして誰かにぶつかった。それが先ほど武器を持って強盗へ向かっていった職人だと気づいた時には、壁に打ちつけられて意識が遠のいていった。
*
どれくらい気を失っていたのか、テランスが目を開けたときには、ほとんど終わっていた。
工房と店舗の間にある壁が崩れ、瓦礫に下敷きになっている者が見える。敵に立ち向かおうとしたのか、武器を手にした者は血を流して倒れていた。ここからでは、生きているのか死んでいるのか分からない。聞こえてくるうめき声が、生存者がいる証だった。
倒れた者たちの間を、黒い影が通り過ぎた。床に落ちているものを拾い、口の中に入れて噛み砕いていた。影は長い尻尾を持ち、獣のような頭だった。仕立ての良さそうな服だけが浮いている。
下手に動けば、あの従業員のように一瞬で殺されてしまう。出入り口にいた職人は、自警団へ通報できただろうか。
テランスは上着のポケットに入れていた魔石を掴んだ。
のそりと立ち上がった獣が、テランスに近づいてきた。
「魔石……」
「これが要るのか?」
ポケットから出した魔石を見せると、獣はじっと見つめて、よこせと言った。
テランスは魔石を強く握ってから、獣へ向かって放り投げる。獣は放物線を描いて落ちる魔石に走り寄り、犬のように食らいついた。獣が魔石を噛んだとたん、口の中で魔石が弾け、顎や頭部から棘が生えた。
立ち上がったテランスは魔石をもう一つ投げた。片目を閉じて店舗へ走る。魔石が床に落ちる音と共に、激しい閃光が工房に満ちた。
片目は閃光で眩み、見えにくくなった。閉じていた方の目を開け、店舗の扉を目指す。
店の外には人が集まりつつあった。壁が壊れた音や怒号が聞こえたのだろう。
「逃げろ! 中に魔獣がいるぞ!」
テランスが叫んだことで、ようやく何があったのか知った住民が焦り始めた。慌てて逃げる者、加勢しようとその辺にあったもので武装しようとする者、さまざまだ。
逃げる集団が向かっている方向に知り合いの自警団員を見つけたテランスは、もう一度工房に魔獣が現れたと知らせようとした。だが凄まじい勢いで上着を掴まれ、引きずられた。
先ほどまでテランスがいた場所に、黒くて長いものが刺さっている。店舗から出てきた獣の腕だ。
テランスのそばを焦茶色の毛皮が通り過ぎ、獣へ向かって低く唸った。猟犬だろうか。ぴんと立った三角の耳に、赤い首輪をしている。首輪には、角が生えたオーガのような奇妙な飾りがついていた。
犬はテランスを守るように、背中を見せている。この犬が助けてくれたのだろう。
「怪我はありませんか?」
影が差し、ユーグの声がした。犬の隣に立って獣を警戒している。
「かすり傷だ。そいつ、人間に擬態してやがった」
「あの服は……そうですか」
ユーグは犬の頭をなでて言った。
「お前はお義父さんを守れ」
犬が短く吠えた。
近所の住人がテランスを立たせ、巻き込まれないように下がらせた。濡れたタオルで顔を拭かれ、自分が血に汚れていることに気がつく。工房にいた誰かのものだろう。
黒い二足歩行の獣は、集まった自警団員に囲まれているにも関わらず、嬉しそうに口角を吊り上げた。鋭く並んだ犬歯が見える。
「見つけた」
獣が一歩踏み出す。それが合図だったかのように、獣の体に矢が刺さった。ふらついた獣は左手を石畳について、矢が放たれた方を見た。
「そんな玩具で倒せると思ったのか?」
獣の腕がしなる。体の一部を伸ばして、近づいてきた団員を薙ぎ払おうとしたが、わずかに距離が足りない。だが攻撃は爪だけではなかった。遅れて発生した炎が、一番前にいた団員の服に燃え移った。
彼にとって幸いだったのは、建物内に避難していた住民が、すぐに気がついて水をかけてくれたことだ。料理用か洗い物用か、家の中に溜めてあったものを、惜しげもなく浴びせる。
「ああ……間違えた。では、こちらの魔法か」
「させるか!」
再び矢が放たれ、剣を持った者たちが接近する。ほぼ同時に獣に斬りかかったが、薄い膜に妨害されて弾かれた。
膜の表面が波立ち、白く濁り始めた。石畳が隆起して、無数の棘が襲いかかる。
棘は団員の体を貫く寸前、耳障りな金属音をたてて捻じ曲がった。どこからか現れた白い紙片が、団員の代わりに棘に当たり、花びらのように散る。
「そいつ、帝国式の魔法を使うよ!」
棘の間をすり抜けて、ユーグが獣に斬りつけた。やはり薄い膜に絡め取られて、刃が通らない。
「屠龍」
二度目の攻撃が膜を切り裂いた。止まることなくユーグは獣を襲う。とっさに腕で庇った獣は、体を斬られて後ろへ下がった。
斬り飛ばされた獣の腕がテランスの近くに落ちた。黒い獣の毛皮に覆われた腕は、細い腕輪を残して蒸発していく。
「帝国式なら、俺たちでも防げるな!」
団員の一人が短く呪文らしき言葉を唱えた。武器を持っている全員に淡い光がまとわりつき、燐光を残して消える。
獣は素早く見回し、黒い欠片をばら撒いた。地面に落ちる前に、欠片が浮かび上がって蜂の形になる。向かってくる団員に蜂をけしかけた獣は、ユーグに狙いを定めて、かぎ爪で反撃した。
なぜかユーグを中心的に狙っているようにテランスには見えた。獣は魔法を織り交ぜて襲い、たまに蜂にも襲撃させている。それに対してユーグは蜂に襲われそうな団員を補佐しながら戦っていた。
「天上の檻、展開せよ」
膠着状態に陥りそうになったとき、若い男の声がした。獣の周囲に光の槍が降り注ぐ。光に触れた蜂が次々と蒸発していった。
「やはり、獣……どこから入り込んだ?」
白い僧服を着た若者が、荒く息をしながら立っている。獣の気配を察して、急いで駆けつけてくれたのだろうか。右手に握っている教会の印が、清らかな光を放っていた。獣は光を見ると、苦しげに唸った。
「潮時か」
「逃すわけないだろ。ここで果てろ!」
蜂の攻撃を耐えた団員が剣を振り下ろした。獣は身軽に跳び上がり、ユーグの近くに着地する。繰り出したかぎ爪を刀で受け止めたユーグに、獣が語りかける。
「お前の大切なものは何だ?」
獣の体が溶けた。流れ落ちて刀を回避し、地を這って包囲網を抜ける。再び獣の姿に戻って、そのまま通りを走り出した。
「待て!」
追いかけるユーグの背中が、どんどん遠ざかっていく。獣が向かった方向には、防壁がある。その先は森だ。
テランスを守るためにそばにいた犬が、急に白い紙に変化した。ユーグの魔法だったのかと驚いたテランスは、それを拾って眺めていた。
*
瞳の情報は得られなかったが、後継者は見つけた。走りながら『それ』は喜んでいた。これでまた一歩、主の解放が近くなった。次は情報を引き出す駆け引きをしなければいけない。
体に残された知識を探り、最適な方法を探す。
相手は人間。ならば、人間の流儀を使う。
また一人、疾走する姿を見た人間が叫び声を上げた。付近にいる人間を片っ端から獣にしていったら、言うことを聞くだろうか。後継者に揺さぶりをかけた一瞬だけ、力の揺らぎが見えた。あれには手を出されたくない領域がある。そこを狙うことができたなら。
逃げる先に工房を見つけた。本部で聞いた彼女の職場とは、この辺りではなかったか。
迷わず中へ入る。
やはり女が一人、作業台の前にいた。
捕まえようと手を伸ばすが、奇妙な結界に阻まれた。
珍しい。面白い。心の中に興味がわく。
追いついた後継者が、刀で『それ』の背中を斬る。致命傷には至らない。核の位置は人間の心臓とは違う。
その怒りの感情は好ましい。
鳥肌が立つほどの純粋さ。
負の感情で構成された『それ』は、すぐにでも取り込みたい衝動を我慢した。
そして証明された。後継者が侵されたくない領域が。
体を溶かした『それ』は、結界ごと女を大切に包んで、偉大な主の元へ帰還した。




