越えるべき壁
ベルトランの周囲に魔力が渦巻いた。それが身体強化に使われたものだと気づく前に、距離を詰められる。
見えてから刀を振っていては遅い。相手の手首の動きで軌道を察し、迎え討つ。
「――雷電!」
己の力を魔力で底上げして、真横に薙ぎ払われた剣にぶつける。勢いを完全には消せず、軌道が斜め上に逸れた。
視界の端でベルトランの足が動いた。地面を蹴って後ろへ下がり、強烈な蹴りを回避。流れる動きで再び襲いかかってくる剣を、大きく左へ避ける。
「桜――」
「させるか!」
ベルトランが剣先で地面を引っ掻く。
最初に地面を転がったときに雪の中に撒いていた魔石が、赤い煙になって霧散した。剣から放出された衝撃が魔石に当たり、破裂したようだ。
「色を塗った程度で、魔力が誤魔化せるかよ!」
「魔法の素人にはよく効くんだけどね!」
瞬時に仕掛けを見破って有効な攻撃をしてくる。それも魔力を一切操作せず、己の剣だけだ。
赤い霧に紛れて接近するものの、剣を振る風圧で散らされて居場所を暴かれた。いつもならここで引いて次の仕掛けを仕込むが、あえて踏み込んでベルトランの腕を狙った。
斬ったと錯覚するより早く、左肩に重い衝撃が当たる。威力を殺すための回避も間に合わず吹き飛ばされた。
肩への攻撃は剣ではなく蹴りだった。
体を捻って着地したユーグは、敵へ向かって構え、追撃に備える。だがベルトランはその場に立ったままだった。
「お前を殺しに来た奴に遠慮してんじゃねえよ!」
軌道も速さも十分だったはずだ。それなのに当たらなかったのは、これが試合だという意識が抜けていなかったから。対戦相手に怪我をさせてはいけないと、竹刀剣術のように動いたせい。
――だから手加減されたのか。
当然だ。甘さを見抜かれて、説教されるほど弱いのだから。
「知り合いだろうが、お前が敵だと思ったなら潰せ! 敵のことなんざ倒した後で考えりゃいいんだよ!」
左手が痺れている。
体の内側を流れている魔力を動かして、強制的に腕を動かす。
「強襲型雷電、二閃」
景色が流れた。距離を詰めながら構えた太刀に、さらに強化魔法を上乗せする。
連続で斬りつけた刃が弾かれた。
「三閃っ」
追加の攻撃も押さえつけられる。相手の軸足に狙いを変え、突きを放つ。
初めてベルトランが後ろに下がった。
ここで一撃を入れさせてくれるほど、相手は優しくない。退くことは攻撃の回避ではなく、己の攻撃に有利な間合いを取るため。
豪剣から繰り出される暴風が、獣の爪のような傷を頬につけた。刃に触れていなくとも、この威力だ。
あそこで踏み込んでいたら斬られていた。
判断の遅れが致命傷になる。
薄氷の上にいるような恐ろしさと、忍び寄ってくる危険。間違えられない緊張感に包まれているのに、気持ちは高揚していく。
試合などという生ぬるい遊びなど存在していなかった。手にしているものが武器なら、殺し合う以外にない。
――この人には勝ちたい。
壁のような人だと思っていた。追いかけても遠ざかっていく背中ではなくて。いつもそこに在って、何度でも挑戦させてくれる。
「いい顔するようになったじゃねえか!」
ベルトランが獰猛に笑った。殺気が肌を刺す。
水平に剣が来る。走り寄る速度は変えずに、刃が来る直前で跳躍した。剣の軌道が強引に上向きに変わり、ユーグの足を追いかける。
飛び越える間に、ベルトランに魔石を投げつけた。
「踊れ桜花!」
赤い光が不規則に飛び回る。
当たれば弾ける石は、豪剣の一振りで半数が落ちた。
敵のほうを向いたまま着地。迫っていた剣を弾き、回り込んで刀を叩きつけるように振り下ろした。体の側面を狙った攻撃は、相手の剣に阻まれた。
押し返そうとしてくる力を横へ逃す。空いた脇腹へ蹴りを入れたが、ベルトランの肘に妨害された。強化された腕は鋼のように硬い。
地面で魔石が爆ぜた。ベルトランの意識がわずかに外れる。たとえ一瞬でも注意が分散されたなら、仕掛ける価値はある。
右へ動いたユーグに合わせて、切先がついてきた。
太刀を投げ捨て、上着の内側に隠し持っていた短刀を引き抜く。
懐に入り込んでくるユーグに、ベルトランは上から剣を振り下ろした。
――今度は逃げない。
向こうが潰す剣で来るなら、こちらは受け流す。
頭上で剣の腹に短刀を添わせた。このまま盾にしたら短刀が折られる。間合いを詰めながら剣の柄へ移動させ、敵の軌道を逸らした。
左手がベルトランの顎に触れた。後ろへ引くベルトランの足を引っ掛け、顎を上に押し上げて体勢を崩させる。一緒に倒れて馬乗りになったユーグは、ベルトランの首に短刀を押し当てた。
手が震える。
眺めることしかできなかった場所に、一人で立っている気がした。
忘れていた呼吸が戻ってくる。全てが終わってから、生きることを思い出したかのようだ。
しばらく無言になっていたユーグは、短刀を首から離した。ベルトランの首には、うっすらと赤い線が残った。
「強くなったな」
ベルトランの手がユーグの頭を乱暴になでた。晴れやかとは違う笑みを浮かべている。成長した子供を眩しげに見守るような、親の顔に見えた。ユーグは何も言えなくなって、ベルトランの隣に座った。
「久しぶりに本気で戦えた。俺に身体強化を使わせて、かつ勝利するとはな。誇っていいぞ」
背中を叩かれた。
「少しは迷いが消えたか? お前は深みにはまったら抜け出せなくなる性格だろ。いいか、お前に殺気を向けるのは敵だ。まず自分を守れ。それからお前の大切な奴を守れ。敵のことを考えるのは、それからだ」
敵とは、腹に怪我を負う原因になったドニのことだろう。
「生きることに貪欲になれ。お前はそれぐらいで丁度いい。間違った道を選んだら、俺が殴って矯正してやるよ。まあ、俺より先に嬢ちゃんが喝を入れそうだけどな」
ベルトランは立ち上がって背中についた枯れ草を払った。
「ありがとう、ございました」
「おう。次は酒に付き合え。強いらしいな?」
「リリィちゃんの許可が出たらね」
「尻に敷かれてんな……」
座っていたユーグの膝に精霊が乗ってきた。落ちていた魔石を拾ってきてくれたようだ。こちらへ小さな赤い粒を見せている。
戦っていた影響で、周囲の地面が荒れている。迷惑料代わりに君たちにあげると言うと、精霊の頭に花が咲いた。膝の上から飛び降りて、仲間のところへ走っていく。
「なんで、迷ってるって分かったの?」
「獣の襲撃を無傷で終わらせた奴が、悪霊ごときに大怪我するか?」
「フェリクスから聞いたのか」
「いいや。怪我した話は町で聞いた。断片でも情報が集まれば想像がつくんだよ。俺を誰だと思ってんだ」
「上皇様」
「狡猾に生きてきた年月は、お前の人生より遥かに長いぞ。俺に隠し事ができると思うなよ、若造」
ベルトランはもう一度、ユーグの髪を乱すように荒っぽく撫でた。不快ではない、不思議な気持ちが心の中に渦巻いている。
もう手は震えていなかった。
*
ベルトランは屋敷の裏口から中へ入った。フェリクスに勝手に宿泊場所を指定され、荷物は客室に置かれている。町の宿屋で気ままに過ごそうと画策していたのに、行動に移す前に先手を打たれてしまった。
上へ続く階段前でフェリクスに呼び止められ、振り返る。
「お疲れ様でした。いま治療師を呼びに行かせています」
「すまんな」
脇腹を庇った肘が痛む。強化をしていなければ、骨が砕けていただろう。もしユーグの狙い通りに脇に入っていたらと思うと、ゾッとする。
非凡な奴だとベルトランは思った。適応力が高く、判断の速さもいい。使う技に斬新さはないが、機転がきく。手持ちのものを組み合わせて、有利な状況に好転させるような発想ができる者は少ない。
そのくせ悩んでいることは実に人間味あふれている。その悩みも周りが見えすぎているだけ。適度に鈍感になれば、もっと上を目指していけるはずだ。
「お望みの結果は得られましたか?」
「ああ。身体強化まで使って負けたのは久しぶりだ」
「……そうですか」
ふとフェリクスの視線が裏口に向いた。
「俺はまだ一度も剣技の指導を受けたことがありません」
「ん? そりゃ、お前に俺が教えることは何も」
「お若い頃は滞在先で後進の育成をされたと、父から聞いたことがあります」
「お、おう……」
無表情で淡々と喋るフェリクスから圧を感じる。フェリクスの性格は彼の父親によく似ていた。ユーグに先を越され、なおかつ一本取ったことへの嫉妬だとベルトランは読んだ。達観しているようで、子供っぽさを残しているところまで一緒だ。
「いつか剣を交える日が来ることを楽しみにしていたのですが」
恨みがましい視線を向けられ、ベルトランは折れた。
「わ……分かった、分かったよ。色々と片付いたら相手してやる!」
「ありがとうございます」
不敵な笑みを浮かべたフェリクスは、思い出したように付け加えた。
「もちろん、その剣で相手をしてくださると信じております」
「信じるも何も、この剣を持ってこいって丁寧に言ってるだけだろ」
手間がかかる息子が二人も増えた気分だ。ベルトランはため息をついた。
「次は治療師を先に手配しておくか」
「お任せください。雇っている治療師は、腕が千切れても繋いでくれますよ」
「そりゃ心強いね」
なるべく早く相手をしてやらないと、本気で拗ねそうだ。
もう若くはないんだが――ベルトランは内心でつぶやいた。




