短編 妖精王の腕輪 前編
ようやく傷を気にせず体を動かせるようになったユーグは、鍛錬のために宿舎の裏に出てきた。
早朝のアルトロワは空気が凍りついている。厚いコートを着ていても体から急速に熱が逃げていった。
鞘から抜き放った刀を軽く振ってから、基礎の動作を繰り返す。剣術に限らず、基本が最も重要だ。先人達が年月をかけて無駄を削ぎ落とした、技の原点。基礎を疎かにする者は、その時点で成長が止まる。
癖を修正しつつ基礎を終える頃には、十分なほど体が温まっていた。邪魔になってきたコートを脱ぎ、再び刀を持つ。
「やっぱり練習できなかったからキツイな……」
ほぼ毎日続けていた日課だったが、怪我で中断している間に体が鈍ったようだ。運動量は減らしているのに、疲労を感じるのが早い。
まずは体力の回復を優先して行うべきかと計画を立てていると、フェリクスが歩いてきた。
「おはよう。ここに来るなんて珍しいね」
使用人が落ち着いて休めるよう、領主はあまり宿舎に近づかない。用があるなら個別に呼び出せば済む。
「ああ。部屋に居なければ、ここだと思った」
「緊急の用事?」
「森のことを中央に報告したが、危険な場所だと伝わらなかったようでな。調査の重要性が軽視されている上に、ただの魔獣の暴走だと結論づけられた」
「それはまた。役所らしい対応だと言えばいいのかな?」
フェリクスが中途半端な文章を送ったとは考えにくい。詳細を知らせたにも関わらず調査を却下されたなら、受理した相手が悪かったのだろう。
調査には専門的な知識を持った人員が行うことが望ましいと訴えても、帝都からの返事には領内で解決できる問題だと記されていたという。
「君なら一人で何とかなると思われてるんじゃない?」
「出来ないから再三にわたって要請したのだが」
「それで、愚痴を言うために来たわけじゃ無いんでしょ?」
「ああ。直訴しに行くから協力してほしい」
「僕が?」
「お前の転移魔法、帝都でも制限なく使えるのだろう?」
「何のこと――って誤魔化したいけど、バレてたのか」
ユーグが使う魔法は帝国や他の国とは系統が違う。存在自体が知られていないため、帝国が魔法を封じるために全土に張り巡らせている結界に引っかからない。
フェリクスは悪戯を持ちかける悪友のように笑った。
「いつか使えそうだから黙っていた」
「悪い奴だ。勇者の評価を改めないとね」
近いうちにフェリクスは気がつくと思っていた。奴隷商に捕まった領民を追って外国へ行ったことも知っているのに、短期間で助けて帰ってきた方法を聞いてこなかった。
「それで、僕は帝都への往復に魔法を使うだけでいいのかな?」
「貴族と繋がりを持ちたいなら、護衛としてついてくるといい」
「絶対に嫌だ。君の仕事が終わるまで、帝都で遊んでるよ。交渉が終わったら呼んで」
刀を鞘に収め、ユーグは即答した。関われば面倒なことになると分かっている人々に、自分から接触する趣味はない。
領民の命がかかっているなら、出発は早い方がいい。幸い、お互いに出立の準備には時間がかからない。フェリクスの業務を考慮して、昼過ぎにアルトロワを出ることになった。
*
フェリクスを帝都にある彼の実家に送り届けたあとは、ただひたすら暇だった。
観光といっても特に見たいものはない。寒い冬は大道芸人も少なく、大規模な催し物も行われていなかった。同伴者がいるなら劇場にも足を運んだかもしれないが、男一人で遊べる場所など無いに等しい。
結局は、体力の向上がてら地下水路で魔獣を狩ることにした。
「これはこれで暇だけど、貴族と会ってるフェリクスに比べればマシかな」
足を引っ張られそうな人間関係を構築するより、目が退化したネズミや光る魚の群れを相手にする方が楽だ。ヘドロを寄せ集めたような厄介な魔獣にも遭遇したが、良質な魔石を残して消えるから、探すのが楽しくなってきた。
たまに地下に潜伏中の犯罪者らしい一団が襲いかかってくることもあったが、返り討ちにして騎士団の巡察路に転がしておいた。
「……多少は治安維持の助けになると良いけど」
帝国の情勢が不安定になると、今後の生活にも影響がある。平和な土地で暮らすために、不穏の種は絶やしておくべきだ。そうユーグは判断して、帰る時間になるまで清掃活動を続けることにした。
帰還の知らせが届いたのは、二日目のことだった。上手く上層部を説得できたフェリクスは、疲れきった顔で帰るぞと急かしてくる。
「よく短時間で話がついたね」
「あまりにも話が通じないから、皇帝陛下に直訴してくると言ったら要望が通った」
「力技すぎない? そんな簡単に皇帝に会えるの?」
「さすがに根回しも無しに会える方ではないが、謁見を申し込む許可は頂いている」
子爵の身分でありながら直に話しかけることができるのは、やはり勇者としての功績があるからだろう。粗末に扱えない臣下の一人として地位を築いている。この男なら権利を濫用して自滅するような心配はない。
「帝都でやれることはやった。もう用はない」
あまり長居すると、貴族同士の付き合いに呼び出されてしまうそうだ。本人は煩わしい交流が嫌で、リール領からあまり出ようとしない。滅多にない接触の機会を狙っている者は、ここぞとばかりに社交の場へ誘ってくる。
どうしても避けられない交流のみに絞っても、一週間は消費させられることが確定していた。領内が気になっている時だからこそ、誘われる前に姿を消すべきだとフェリクスは主張する。
「同感。魔獣を狩るのも飽きたし、帰ろう。途中から歩くことになるけど、いい?」
犯罪者の輸送で魔力を消費したことを伝えると、お前は何をやっているんだと呆れた声で言われた。
「帝国の平和に貢献してきたんだよ」
「そうか。ご苦労だったな。では転移を頼む」
いつも通りの淡々とした態度だ。歩いて帰ることを拒否しないのは、人目を気にせず体を動かせると目論んでいるのか。魔獣の影を見かけたなら、速攻で討伐しに行きそうだ。
転移魔法でリール領に入り、街道を通ってアルトロワに帰ることにした。




