秘密の茶会
「……そんなわけで、シーリスは大人しく領主様の言うことを聞くようになった。いきなり素直になって、邪推する人もいたらしいけど。やましいことは何もないよ」
リリィは真っ白なカップを慎重にテーブルに戻した。
正面に座るモニカは、そんなリリィに大丈夫ですよと声をかける。
「そんなことだろうと思ってました。人間との距離を計りかねていたあの子に必要だったのは、明確な上下関係でしたから。きっとあの人が分かりやすい何かを示したのだろうと」
さすがに二十年も付き合いがあると、フェリクスの行動は分かるらしい。モニカは急に態度が変わったシーリスに、全く動じていなかった。
モニカから正式に屋敷へ招待されたリリィは、二人だけの茶会を楽しんでいた。外は雪が降っていたが、暖炉に火が入れられたサロンの中は寒さとは無縁だ。話題はお互いの過去よりも共通の知り合いに偏り、いつしかシーリスのことに変わっていった。
「でもいきなり勝負を始めるから驚いたよ。ユーグも何も言ってなかったし。あの二人だけで計画を進めていくから」
「あら。男性って、いつもそうでしょう?」
モニカは穏やかに笑っていた。
「言わなくても分かってくれると油断してる。だから事後報告をする。特に戦うことに関しては、人一倍、責任感がある人たちですから」
「プライドが高いんだよ。良くも悪くも」
断言したリリィは、皿から焼き菓子を一つ取った。薄いクッキー生地の上に乗ったナッツが香ばしい。キャラメリゼした甘さと、ほんの少しの苦さが紅茶とよく合う。
「たまには怒ってもいいと思いますよ。リリィさんは全てを受け入れようと、無理をしている。どちらかが我慢を強いられる関係は、長く続きません」
「怒る、か」
「昔、いい子すぎるとリリィさんに言われたことがありましたね」
新しい紅茶をリリィのカップに注ぎ、モニカが言った。
「あの時、リリィさんが言っていたことが分かります。嫌われたくなくて、我慢してしまう。大切だから無くしたくないんですよね。不用意な一言で離れていってしまう予感がして。特にユーグさんは、ここに定住する理由が一つしかないから」
「……うん」
ユーグを、こちらの世界に繋ぎ止めたのはリリィだ。
そのリリィがここにいる。
それだけだ。
だからすれ違うことがあれば、ふらりと去ってしまう気がしていた。
――ユーグの生き方を決めてしまった負い目か。
自分の言葉で縛られているのは彼ではなく、きっと自分の方だ。
「それに、すぐに自分を犠牲にするから心配になりますよね。己の命に価値があると思っていない」
「うん」
「大丈夫ですよ。今のユーグさんには、ちゃんと生きる目的がありますから。だから何があってもリリィさんのところに帰ってきます。リリィさんがいなくなった時に比べると、雰囲気が変わりましたから」
「そんなに酷かった?」
聞きたくても聞けなかった過去だ。ユーグは極力、感情を排して当時のことを話す。思い出したくないのだろうと遠慮して、深く尋ねることは避けていた。
モニカは記憶を掘り起こすように、間を開けてから話し始める。
「酷いというより、虚無でした。生きているのではなく、ただ存在しているだけのような……教会では『肉体がある亡霊』といって、心を治療する状態です。リリィさんとの約束がなければ、きっと」
言葉が途切れた。
その先は聞かなくても分かる。
暗く沈みかけた気持ちを癒すように、モニカが明るい声を出した。
「本人が気がついていないだけで、きっと他にも大切なものは増えていますよ。リリィさんに会った日は嬉しそうに教えてくださいますが、たまに別の話も出てくるようになりましたから」
「子供か」
今日の出来事を親に報告する小学生だろうか。モニカのことだから、いつも優しく聞いてやっているに違いない。
「スケートをユーグさんに教えたのは、リリィさんだそうですね。この前、自警団の方々に誘われて、お酒をかけて競争してきたとか」
「楽しんでるな……いや、いいことなんだけど」
「リリィさんの顔に泥を塗らないよう、優勝を勝ち取ってきたらしいです。賭けに負けた方は悲惨だったでしょうね」
「始めて数日しか経ってない素人に負けたことになるわけか。一番得をしたのは居酒屋かな。自警団ってよく飲むらしいから」
「そのようですね。フェリクスさんが付き合わされた時に、飲まされすぎて辛いとこぼしてました」
あのフェリクスが弱音を吐く宴会とは――リリィはうっすらと恐怖を感じた。酒豪とまではいかないが、そこそこ強かったはずだ。
「……ユーグさんは平気なようですけど」
「そういえば酔い潰れたところを見たことがない気がする」
ぽつりと付け加えられたモニカの一言で、前世を含めた酒宴を思い出す。いつもほろ酔い程度に見えたのは、酒量を抑えているからではなく、単に酒に強いだけだったのか。
「酒癖が悪いよりはいいか」
「体の方が心配ですか?」
「粗食で満足してるような奴だからな。若いうちだけだよ、無理ができるのは」
「料理の作りがいがありますね。何を作っても喜んでくれそうです」
モニカの前向きな意見で、そんな捉え方もあるなと気付かされた。年齢を重ねて年相応に落ちついている彼女に、リリィが学ぶことは多い。
「あの、一つだけ聞きたかったことがあるんだけど」
「何でしょうか?」
「聖女は戦いの中で亡くなったことになってる。モニカは、そんな結末で良かった?」
あれで良かったんです――モニカは変わらず微笑んでいた。
「あのまま教会に残っていたら、私は教会分裂の切っ掛けになっていたでしょう」
非道な実験を繰り返していた賢者と、彼の狂気を発見できず加担するような形になっていた教会。
新たな指導者として聖女が担ぎ上げられるのは時間の問題だったという。
「せっかく脅威が去ったのに、教会が新たな火種を作ってしまっては、努力が無駄になってしまいます。私は聖女という肩書きに、何の思い入れもありません。むしろ私一人の死で争いを回避できるなら、と」
「だから、教会の上層部が出した提案を飲んだ?」
「私の処遇については、かなり配慮していただいております。教会の行政府に留めて、保護という名目で閉じ込めておくこともできた。歴代の聖女の行方が分からない事実を利用して、人知れず始末することも。私の意見を取り入れた結果、戦禍で身寄りがない女性の一人として、アルトロワの教会に来ることになりました」
「監視が付いていたって聞いたけど」
「有って無いようなものです。行動に制限はありませんでしたし、私が結婚すると同時に無くなりました」
モニカが事実を喋ることはないと判断されたのだろうか。死の偽装を強要されたわけではないと知り、リリィは安心した。
「私の背中を押してくれたのは、フェリクスさんなんです。死を偽ることを持ちかけられた時、私は英雄の重責を一人に押し付けて逃げることになるのではと悩んでいました」
目ざましい功績がある者には、相応の振る舞いを望まれる。常に採点されているようなものだ。少しの瑕疵で評価が地に落ちてしまう。
「とっくに想定済みだと言われたんです。それを承知で聖女の盾になる、だから自分のことは心配せずに、自由に生きろと」
突き放しているようで相手のことを考えている言い方が、あの領主らしい。
「選んで良かったと思います。全く後悔していないと言えば嘘になりますが、新しい生活を選んだ結果、またリリィさんに会えたんですから。聖女の称号にしがみついていたら、こんなふうに穏やかに過ごせなかったから」
モニカはリリィの手を握った。
「私たちと一緒に戦ってくれて、ありがとう。あなたがこの世界に来てくれたから、過ちを繰り返さずに済みました。真実を知っている人は少ないけれど、未来を含めてあなたが助けた人は数えきれないほど多くいます」
「礼を言うのはこっちだよ。モニカが反魂を使わなかったら、私とユーグはただの知り合いのままだった。あの経験があったから、親しくなれたんだよ。それに、ずっと見守っててくれたんだよね? ユーグが来るまで」
今回、こうして茶会を開いてくれたのも、リリィの不安を解消する目的もあったのではと思っていた。
「私ができることなんて、ごく僅かですよ。買い被りすぎです」
そうモニカは否定するが、人生の先輩になっていた元巫女が気がつかないわけがない。心からリリィの幸せを望んでくれている。
胸の辺りが温かくなってくるようだった。
「リリィさん。結婚式には呼んでくださいね。誕生日は夏の終わりですよね?」
「た、誕生日と同時に式はしないから……たぶん」
「早めに話し合っておいた方がいいですよ。女性は準備しないといけないことが沢山あるんですから」
「あ……は、はい……」
真顔になったモニカは本気だった。リリィの母親と同じぐらいの熱心さで、ユーグと大筋の予定でもいいから詰めておくよう説得してくる。
押し付けがましくない。
けれど素直に従っておいた方がいいと思わせる何かがあった。
ユーグが一日の出来事を喋りたくなるのも分かる気がした。
――そろそろ先のことを決めておかないといけない、か。
ユーグから話してくれるのを待っているだけでは駄目なのだ。分かっているのに、一緒にいる幸せに浸るだけで満足してしまう。
まだ時間があると思っていると、すぐに足りなくなる。
リリィはようやく己の未来について目を向けることにした。




