騒動の後始末
領主の執務室に入るのは二度目だ。
座り心地がいいソファーに、過剰な装飾を排した品がある調度品。自分の生活と比べると、格段に高級な品に囲まれているのに居心地が良い。気取った華々しさよりも実用性を重視する、持ち主の性格が至る所に現れていた。
「場違い感がすごい」
「その割には落ち着いてるよね、リリィちゃん」
「この程度で動揺していたら、日本で営業なんてできないわ」
「良かった。久しぶりに営業だった記憶を引っ張り出して、冷静になろうとしてるリリィちゃんはいないんだね」
「人の心を読まないで」
せっかく冷静になりかけていたのに、ユーグの言葉で台無しだ。リリィは震えそうになる手で、テーブルの上に置かれた紅茶に手を伸ばした。
居心地がいいことと、高級品を扱うことは別だ。この来客用のカップだけで魔石何個分だろうか。落としてはいけないと思うと、逆に変な力が入りそうだった。
淹れてくれた人に感謝しつつ一口飲むと、口の中に茶の香りが広がる。上質の茶葉を使っているのもあるが、これを淹れた人の腕がいいのだろう。
「……シーリスが契約を結ぶこととなった切っ掛けであるが」
テーブルの上にある菓子から目を背けて、赤い少女――セルスラ・ヨルバ・ダンクレアが口を開いた。
彼女はシーリスの姉にあたる。過去に遭遇済みなので、互いに自己紹介はしていない。竜は魂の形で他者を見分けているそうで、リリィのことはすぐに気がついてくれた。
「経緯は単純だ」
執務机越しにフェリクスが答えた。
「そこの竜が、この土地を支配すると一方的に宣言した。俺は皇帝より土地を任された領主として対処したまで。遺恨を残さぬよう、契約という形をとることにしただけだ」
フェリクスは契約書を見せた。この距離で文字が見えるのかと不思議だったが、セルスラは文字ではなく契約書に込められた魔力を読み取っているらしい。次第に無表情になっていく。
「なるほど、エルフ製の契約の紙か。しかも契約は既に結ばれた後。途中で解約など出来んの」
「姉上、この人間らは名前を書いた後に契約文を記入したのです」
「見抜けなかったお主が悪い」
「しかし」
「黙れ、シーリス。他種族の土地を奪おうとしたなら、抵抗されることも予想していたであろう? 我らは人間が穏便に済ませてくれたことに感謝せねばならん。そう受け取っても良いかの?」
セルスラはリリィに聞いてきた。
「そうね。いきなり攻撃されたら、私たちは魔獣と同じ方法で対処する。仲間が討伐されたと知った竜は、本格的に侵攻してくるかもしれない。リール領は規格外の人たちがいるから防げるけど、他の国では負ける可能性が高い。だから直接戦いたくなかったの」
「ただでさえ魔獣の襲撃で弱ってるところだったからね。余計な血を流したくなかったんだよ。面倒な種族だから関わりたくないって思ってくれるといいなぁ」
「お主らがいると知っていたなら、翼に噛みついてでもシーリスを止めておったわ」
まるで疫病神のような扱いだ。身内が詐欺に遭ったのだから、仕方のない反応だろう。
「相変わらず他者を思い通りに動かす奴らよの。狙い通り、シーリスの現状を知ってなお人間の土地を攻める者はおらぬ。我らは自尊心が高いゆえ、負けた上に人間の道具になるような過ちは徹底して避ける。よく我らの性格を掌握しておるのぅ……」
「人間の性格は一種類じゃないから。竜と似たような気質の人と会ったことがあるだけよ」
「ますます人間とは交渉したくないの。エルフや魔族の方がまだ理解できる」
リリィはむしろエルフと交渉したくない。何でもない呟きが美化されたり、要望以上の成果が返ってきそうなところが怖い。
「それで、そこの駄竜がアルトロワに来た理由を聞いていなかったが」
「駄竜!?」
フェリクスの酷い言いように、シーリスが衝撃を受けて震えている。
「教育中でまともに働けない大人の竜など、駄竜で十分だ。嫌なら早く己の食い扶持ぐらい稼げるようになれ」
食事と部屋を与えてもらっているシーリスは、正論をぶつけられて黙った。自覚はあったらしい。
「シーリスには仕置きが必要かの」
「好きにしろ。だが領内の財産に損害を与えたら、お前も労働で支払ってもらうぞ。あらゆる生き物から草木の一本に至るまで、ここの財産だ」
「わ……分かっておる。シーリスが契約を終えて帰ってきてからの話よ」
セルスラはあからさまに視線を逸らした。放置しておくと荒野か畑の上で始めていたに違いない。勢いを削がれて何も言えなくなった顔がシーリスとそっくりだ。
「あー……シーリスよ。人間の土地は他にもあるが、ここへ来たのは何故か」
「ここに、姉上が人間に手を貸すきっかけになった者がいると聞いたのです」
「……おるの。目の前に」
ユーグもフェリクスも我関せずといった態度で紅茶を楽しんでいる。領主はともかく、ユーグは馴染みすぎだ。
緊張を知らないユーグを羨ましく思っていると、カップを置いた彼と目が合った。何を勘違いしたのか、皿の中から小さな焼き菓子を一つ摘んでリリィに差し出す。
食べたいけれど遠慮していたように見えたのだろうか。間違っていないのが悔しい。
ふと困らせてやろうかと口を開けて待ってみた。するとユーグはいつも通り優しく微笑んで、リリィの口の中に焼き菓子を入れてきた。
――何やってるんだろう、私。
戸惑わせたかった相手は、満足そうにヘラヘラと笑っているだけだ。全てを見ていたフェリクスなど、口元を押さえて窓の外を見ている。笑いを堪えていることは、肩の震えで分かった。
「なに笑ってるんですか、領主様」
「悔しそうな顔で菓子を食うからだ。策に溺れたな」
幸いだったことは、竜の姉妹が見ていなかったことだけだ。
シーリスはスカートを握り、ゆっくりと話し始めた。
「姉上がたびたび人間の国へ行っているのが羨ましかった。でも人間を背中に乗せているのは許せない。我らがなぜ人間に使役されなければならないのですか」
「シーリス、それはの」
「弱い者に従うなんて、竜としての誇りを忘れたのですか?」
「だったら勝負する?」
口を挟んだのはユーグだった。
「従っているのが自分より強いと思えないから、嫌なんだよね? だったら、もう直接戦うしかないんじゃないかな」
「俺は構わん。どうせこうなる予感はしていた」
フェリクスは転移門を展開させた。シーリスのすぐ近くに光で構成された門が現れる。
「先に荒野で待っていろ」
「最初からこうすれば良かったのだ。回りくどいやり方は嫌いじゃ」
シーリスは身軽に立ち上がって転移門に近づいた。己の勝利を確信して、不敵に笑う。
「待て、シーリス!」
セルスラが止める間もなく、白い少女は門の先へと行ってしまった。
「あの馬鹿! 人間が勝てない勝負を持ちかけるわけがないであろう!」
「勝負って、いいの?」
リリィが持ちかけた計画では、ここでセルスラを説得すれば終了するはずだった。故郷に帰ったセルスラから人間のことを聞き、面倒だから関わりたくないと思わせれば十分だ。
「リリィちゃんの計画は、もう成功したでしょ。ここから先は雇用主との問題。そうだよね?」
フェリクスは既に装具を身につけていた。動きやすさを重視しているのか、騎士の装いにしては軽装だ。両手剣は腰に佩かず、左手で持っている。
「ああ。不満を取り除いてやるのも、雇用主の務めだ。強くなければ従わないというなら、理解させるまで」
「そうだけど……一人で竜に勝てるの?」
リリィは小声でユーグに尋ねた。領主の強さはよく知られている通りだが、それは人間や魔獣が相手の時の話だ。
「大丈夫だよ。念のために護符は持たせたから」
「必要ない。すぐに終わる」
フェリクスが転移門をくぐると、門は粒子を散らして消えてしまった。リリィたちに勝負を見せる気がないのではなく、短時間で決着がつくから待っていろということだろうか。
「気になるなら見に行く?」
「お願い」
窓から飛んで行こうとしていたセルスラを呼び、ユーグの転移で荒野へ向かう。
移動した先は、町への被害を考慮したのか、見渡す限り何もない場所だった。フェリクスが無制限に転移門を使える範囲は、リール領内に限られる。領のどこかであることは間違いない。
先に移動したシーリスは白い竜の姿になっていた。雪原にいると体の大きさがわかりにくい。対峙しているフェリクスを上から見下ろしている。
フェリクスが剣を抜き、刀身を右肩に触れるように持った。戦う気持ちが全身に溢れているシーリスに対し、こちらは運動でも始めるかのような落ち着いた姿だ。
「あの剣、魔力も何も込められてないのぅ」
強化しなくてもいいのかとセルスラが言う。
「あいつが要らないと判断したなら、必要ないね。始まるよ」
予備動作もなく、シーリスが発生させた氷が空中に現れた。尖った先から地面に落ち、フェリクスがいた場所に刺さる。横へ避難したところにも氷は降り注ぎ、フェリクスは近づけないまま雪原を走った。
「強者と称えられておるようじゃが、魔法は苦手らしいの? 非力な人間の身では我に勝つなど無理よの」
「使えないわけではない。戦場では使う必要がないだけだ」
「強がっているのも今のうちよ」
このまま遠距離から仕留める作戦だろう。シーリスは氷の柱でフェリクスを誘導し、退路を塞いでいく。
シーリスが大きな口を開いた。小さな氷が混ざるブレスが一気に吐き出され、前後を左右を塞がれたフェリクスを襲う。
リリィはユーグとセルスラを巻き込むように結界を発生させた。風雪は見学していた位置にも届き、地面を抉っていく。
猛吹雪の隙間から、フェリクスが氷柱の上に立ったのが見えた。
剣を担いだまま上を走り、シーリスに肉薄していく。
「甘いわ! 消し飛べ!」
「――欺け、ミラージュ」
シーリスのブレスが氷柱を薙ぎ倒した。
雪が完全にフェリクスを覆い隠し、結界まで押し寄せる。巻き上げられた剣の鞘が雪に突き刺さった。
次第に雪煙が晴れていく中、砕けた氷柱の中に倒れた領主が見えた。敵の姿を発見したシーリスは、幼い声で高らかに笑う。
「ふん、口ほどにもないの。所詮は人間か」
「戦場で油断する奴があるか。馬鹿め」
ガラスが割れる音がする。
横たわるフェリクスの姿がかき消え、雪が完全に晴れた。
「どこへ――ぐっ!?」
いつの間にかシーリスの下に潜り込んだフェリクスが、剣の腹を顎に叩きつけた。シーリスの頭部が左へ逸れた隙に、フェリクスは垂れた翼へ向かう。
「硬いな。一撃では無理か」
楽しげに笑うフェリクスは、シーリスの翼に飛び乗って背中へ立つ。そのまま頭部へ向かい、ただの両手剣を振り上げた。
「これが人間の強さだ、駄竜」
降ろされた剣はシーリスの額を殴った。
鈍い音だ。
ゆっくりとシーリスの頭が下に落ちる。体勢を立て直そうとしたシーリスだったが、目眩がするのか足元がふらついていた。
身軽に雪の上に飛び降りたフェリクスは、剣の汚れを落とすように振った。遠くに飛ばされた鞘を見つけ、振り返ることなくこちらへ歩いてくる。堂々とした強者の振る舞いも、変化に乏しい表情も、何一つ記憶と変わらない。
フェリクスとすれ違いに、セルスラは倒れたシーリスに走っていった。
「ユーグ。領主様って、竜と戦ったことあるの?」
「無いよ。あいつ、戦ってる最中に成長するタイプなんだ」
これだから天才型の人間は――ユーグは面白くなさそうに落ちていた鞘を拾った。
「こっちが努力して進んだ道を、一気に飛び越えていく。直感で正解が分かるんだよ」
「そんな人達と対等に勝負できるユーグも凄いと思うけど。嫉妬で終わらせずに努力してるところは好き」
「……リリィちゃん。もう一回言って」
「嫌よ。一度しか言いたくない。今はね」
意趣返しだ。向こうが気持ちを小出しにしてくるなら、リリィも同じように対処する。
悩むユーグを放置して、リリィはセルスラとシーリスのところへ向かった。シーリスは頭を雪原に伏せたまま落ち込んでいる。
「なぜ、我が負けるのだ……人間なんかに……」
「シーリス、諦めよ。お主では何度やっても同じこと」
「そんな」
「あの男は本気を出しておらぬ。鎧も、剣も、そこらの店で購えるものじゃ。身体強化すら使っておらん」
さらにフェリクスが使った魔法は、幻を見せるものだったとセルスラが語る。
「最初から相手にされてないの。お主がどれほど暴れたところで、簡単に制圧できる証拠よ。大人しく契約を果たせ」
シーリスは返事をする代わりに、ため息をついた。そんな妹の額をセルスラがなでる。
「まあ、契約相手がフェリクスだったことは幸いよの。あれは人の中でも信用できるゆえ。粛々と奉公するがよい。時々は様子を見に来てやろう」
人の姿になったシーリスは、黙ってセルスラの手を握った。
泣きそうになっているシーリスに、リリィはポケットに入れていた小さな飴をあげた。




