密談、密約、秘密
「のう、そこの護衛とやら。そうお主じゃ」
聞きたくなかった声がする。ネストリはついに遭遇してしまったことを悟り、全てを諦めて振り返った。
白い子供が立っている。この町に降り立った時は血族を表す模様が入った服を着ていたようだが、今は人間の子供と同じ服に着替えていた。子持ちの使用人から譲ってもらった服だろうか。
雪よりも白い髪と額の小さな角が、彼女が人ではないことの証だった。真っ青な瞳でネストリを見上げ、こちらの正体を見極めようとしていた。
「やはりの。見間違いではなかったようじゃ」
少女――シーリスはネストリの全身を眺めて、満足げに頷いた。
「何故、獣人がここにいる? もしやお主も理不尽な契約をさせられたのか」
周囲に誰もいなかったことは幸いだった。使用人と護衛が使っている宿舎から行政棟までの間は、低い花壇と小道しかない。隠れる場所がないため、他人に盗み聞きされる事故は防げる。
「それは違います。俺は自分の意思でここにいる」
久しぶりに使う種族の言葉は、少しかすれていた。ネストリから見れば、シーリスのような竜人は絶対的な支配者だ。持って生まれた本能が、竜と敵対することを拒んでいる。
「己の意志だと?」
望んで人間の支配下にいると知り、シーリスは年相応の驚きを見せた。理解できないことを言われ、機嫌が悪くなっていく。ようやく大人になったばかりの竜らしい、素直な反応だった。
「それは我らの庇護下を離れるほどの理由か?」
「……そうですね。子供の頃に、食べ物を求めて侵入した人間の町が忘れられなかった。我々よりも弱い種族であるにも関わらず、竜の庇護下を離れて一つの種族だけで繁栄している」
人間は竜の情けで土地を分けてもらい、生きている集団だと思っていた。だから強者の竜に守られた獣人は、弱者の人間から恵みを奪うことが当然だと考えるようになっていた。今でもそれが獣人の、人間に対する評価だろう。
だが子供だったネストリが迷いこんだ町は、獣人の集落よりもはるかに大きかった。豊富な食糧に頑丈な家屋、魔石を利用した道具まで作っている。社会構造は似ているはずなのに、決定的に違う何かが人間社会を発展させていた。
食べ物を生産して外敵から身を守るだけではない。生命活動には必要ないはずの娯楽に興じる余裕もある。弱者は自分達のことだと気がついてしまった。
「彼らの強さを知りたかった。獣人とは何が違うのかを」
「我らを否定するか」
ネストリが濁した部分を感じ取り、シーリスの声が低くなった。
体に刺さるような威圧で冷や汗が出てくる。ネストリは震えそうになる唇から声を絞り出した。
「そう解釈されても仕方ありません。俺は、異端ですから」
シーリスは面白くなさそうに鼻で笑った。
「では異端者に聞こう。人間のふりをして、奴らの道具となったお主は、人間の何が分かった」
「人は、やはり単独では弱い」
「当然のことが分かっただけか」
「弱いからこそ集団になる。互いに欠点を補い、支えあって、己にできることで発展に寄与する。我々にはないことです。一人でなんでもできるあなた方には、理解し難いことでしょうが」
沈黙が落ちた。
いつの間にか威圧は消え、ネストリは顎を伝う汗を拭った。
「人間は成長する生き物です。今の生活を続けていたら、人間と獣人との差はますます大きくなる。いずれは竜にも及ぶかもしれない」
我々も変化を受け入れる時期なのではと言いかけて、ネストリは口を閉じた。竜の支配には未来がないと言ったも同然だ。この場で噛み殺されても仕方がない。
最悪の事態を想定して身構えたネストリだったが、いつまで経ってもシーリスが動かないことに戸惑った。悔しそうに黙ったまま俯いている。ネストリに反論しようとして、迷っているようにも見えた。
どう扱えば良いのかと悩んでいると、行政棟の方から見知った顔が近づいてきた。ユーグだ。周囲に警戒心を抱かせない不思議な身のこなしで、ネストリとシーリスの間に立つ。
「シーリス。フェリクスが呼んでたよ。君の先生を紹介するって」
ユーグは二人の間に流れる緊張感など気がつかないような、鈍感さで言った。
呑気に割り込んだように見えて、この男は全て計算しているのだとネストリは思っている。どうすれば心の隙間に入り込んで、狙った方向に他人を誘導できるのか。熟知していなければこの場をおさめることはできない。
「む……仕方ないの。契約ならば従ってやろう」
「執務室の場所は分かる?」
「馬鹿にするでないわ。この距離ならばどこに領主がいるか、手に取るように分かる。お主らは我らの力をみくびっておるようじゃの」
なぜか自慢げに言うシーリスは、案内など不要だと一人で行政棟へ向かった。放置しても問題ないだろう。見た目が少女にしか見えないので、子持ちの職員を中心に世話を焼いてくれる者が現れるに違いない。
取り残されたネストリとユーグは、シーリスの背中を見送ってから苦笑した。
「余計なお世話だったかな?」
「いや……助かった」
やはりネストリが考えていた通りだった。どう逃げ切るか思いつかなかったネストリには救いの手になったが、同時に不安も湧いてくる。
「今の話、聞いていたか?」
人間の聴覚には届かない距離だったはずだ。しかしユーグは常人の枠には収まらない力を使う。親しみやすく、かつ油断ならない。
ユーグは少し考えるそぶりを見せてから、静かに言った。
「君が人間じゃないことは、初対面の時から分かってた」
「知っていて、黙っていたのか?」
「探られたくない過去があるのは、お互い様だからね。領主が雇うと決めて、君が従っているのに、部外者の僕が口を挟むのは野暮だ。でも獣人ってことを隠しておきたいなら、領主には話しておいた方がいいんじゃないかな? あの竜が人前で余計なことを喋る前に」
フェリクスから『ネストリについて喋るな』と命じられたら、シーリスは従うしかない。自尊心が高いシーリスは過ちを犯すことを嫌い、言われた通りに沈黙することは想像がついた。
領主に打ち明けるか迷うネストリに、ユーグは大丈夫だと背中を押すように言った。
「あいつは獣人だからって理由で解雇する奴じゃないよ。内側に抱えこんだものは守る性格だから」
「詳しいのだな。アルトロワに来る前からの知り合いと聞いているが」
「ちょっとした腐れ縁でね。僕とフェリクスは魔王を倒す前に会って、僕だけ歳を取らずに眠ってた。生まれた年は領主と同じぐらいだよ」
嘘のようなユーグの経歴は広く知られているものの、本人が冗談めかして喋るせいか深刻に受け止めている者は少ない。
きっとそれも彼の計算のうちなのだろう。どういった心理によるものなのか、ネストリには想像がつかなかった。
ネストリがユーグの隠し事に気がついたのは、獣人としての勘の鋭さゆえだった。
落ち着いた態度と表情なのに、ほんのわずかに緊張した空気を纏っている。人間の中に混ざって生活してきたからこそ分かった、秘密を抱えた者の特徴だ。
ユーグは困ったように笑った。
「……自分だけ秘密を暴露されるのは平等じゃない、って言いたそうだね」
「俺がユーグの秘密を教えろと言えば、教えてくれると?」
「君の要求を満たせるかは分からないけどね。僕には前世の記憶がある。アルトロワに来たのは、その前世で約束したことがあるからだよ」
「それは、あの少女のことか?」
他の人間とは少し違う気配がしていたと、ネストリは記憶を呼び起こす。年齢に見合わない落ち着きと、場を仕切ることに慣れている態度。領主が当たり前のように彼女の提案を受け入れていたことが、ずっと引っかかっていた。
「そう。僕とリリィは前世からの縁がある。こんなこと言ったら、気が狂ったかと思われるだけだね」
「人間は生まれ変わりを否定しているのか」
「生まれ変わる段階で前世の記憶は消えている、というのが通説だよ。だから前世のことを話す人間は腫れ物扱いされる。君がリリィに危害を加えないかぎり、君の秘密は守るよ」
真剣な眼差しで告げたユーグは、またすぐに表情を和らげた。
「せっかくできた友達が、すぐにいなくなったら寂しいじゃないか」
猫の目のように表の顔が変わる奴だ――ネストリは呆れに近い感想を抱いた。
きっと自分と同じく、ユーグも異端なのだ。だから『普通』に憧れて、少しでも近づこうとする。他人を常に観察して、模倣して、平凡な人間になりたいと願う。大勢に埋没して目立たないことが、幸せなのだと思っている。
「ああ、そうだな。アルトロワは居心地がいい。今日は休みだったが、領主様のところへ行ってこよう。俺も今の職を手放す気はない」
ネストリの提案を聞いて、ユーグは安堵したようだ。
「怪我はもう完治したのか? 故郷から持ってきた南方の酒があるのだが」
「……その言葉は怪我をする前に聞きたかったなぁ。まだ飲酒の許可が降りなくてね」
「治療師に言われたのか」
「いや、リリィちゃんに。回復魔法が使えるから、怪我のことは隠せなくて」
「……そうか」
見た目は温厚そうな少女にしか見えなかったのだが、内面はユーグを制御できるほど強いらしい。
――人間の力関係は外見では判断できないな。
やはり人間社会は獣人としての感性が通用しない場所だ。一つを知れば別の知らなかったことが見えてくる。人間の複雑さを面倒だと思うと同時に、面白さも感じていた。
いつかは故郷に帰るつもりでいるが、それは今でなくてもいい。
ネストリは領主との面会を取り付けるため、ユーグと別れて行政棟へ向かうことにした。




