戻りつつある日常
ユーグの案内で向かった屋台には、カミーユという猟師がいた。自警団の同じ組で活動をしているらしい。リリィとはお互いに自己紹介をしたあと、一言よろしくとだけ言った。
初対面の相手に無愛想なのは、アルトロワの男性によく見られる性格だ。親しくなるにつれ態度が軟化していくので、ある意味では分かりやすい。最初から愛想がいいユーグに女性が集まるのは、こういった事情も絡んでいる。
カミーユはリリィたちから注文を聞き、薄く焼いた生地を鉄板の上に乗せた。半月型のパンは、中に具材を入れられるよう切れ目がある。
「店番はカミーユだけ? ここ、お姉さんの店だったよね」
「姉貴は自分のガキ連れて雪像を見に行った。旦那のほうは追加の食材を取りに行ってるよ。想定以上に売れてるんでな」
待っている間にも、リリィたちの後ろに順番を待つ客が増えてきた。
一人で店を任されたカミーユは、慣れた手つきで肉の塊から焼けた部分を削ぎ落とした。たまに手伝っているのだろう。千切りにして茹でた野菜と一緒にパンに詰め、上からソースをかける。
「いつもは商業ギルドの近くに店を出してる。味が気に入ったら贔屓にしてやってくれ」
ユーグがまとめて代金を払うと、宣伝と一緒に渡された。礼を言って受け取り、次の客のために店を離れる。
「あの、お金は」
「リリィちゃんからお金は受け取れないな」
「じゃあ飲み物は私が払う」
「強引だね」
「貢がれるだけなのは性に合わない」
「甘やかすのも大変だなぁ」
それはリリィが言いたいことだった。良くも悪くも働き者な彼に、リリィができることは何かを模索している最中だ。まだまだ知らないことが多い。
一通り屋台を巡り、欲しい料理を買ったリリィたちは、氷の壁に囲まれた広い休憩所を見つけた。
ドーム型の屋根の下に、木製のテーブルとイスが用意してある。どこかの飲食店から借りてきたものだろう。すでに何組かの親子連れや老人が座っていた。
「どの席にしようか」
休憩所をさっと見回してユーグが言った。まだ三分の一も埋まっていない。今なら自由に選べる。
「ゆっくり話ができそうな席」
「ご要望は密談? それとも裏取引?」
「普通の雑談」
密談と答えたら声を、裏取引なら姿が見えないようにしてくれるのだろうか。こちらが出せるのは、母親から教えてもらった手作りのネックウォーマーぐらいだ。
筒型で頭からかぶるだけの防寒具なら、急いでいる時でも簡単に身につけられる。森の中でも活動の邪魔にならないと思って縫ってみたのはいいものの、まだ渡せずにいた。雪が降る前にしようと決めていたのに、今も小さく畳んでカバンの中に入っている。
リリィたちは奥の壁に近いところにある席を選び、少し早い昼食にすることにした。
テーブルには潰した豆のコロッケと揚げ野菜のサンドイッチや、クレープにバターと蜂蜜をかけたものなどが並ぶ。家で料理をする時の参考になりそうだ。町で売っている時よりも量を少なく、値段を下げているのは、一つでも多くの屋台を利用してほしいという狙いがあるのだろうか。
「この器、やっぱりパンだよね?」
貝と野菜のクリームスープを味わっていたユーグが、皿を持ち上げて言った。
紙皿がない世界なので、屋台の料理は持参した皿に入れてもらうか、皿型に硬く焼いたパンを使うことが多い。店側が皿に入れて提供するのは、建物内に洗い場がある飲食店ぐらいだ。
パンでできた皿は味気なく、水分でふやける前に食べなければならない。だがスープや料理の汁気が染み込むと、格段に美味しくなるから好きだった。
食後に地元ではヴァン・ショーと呼ぶホットワインを飲んでいると、体の内側から温かくなってきた。少し残ったアルコールとスパイスの効果だ。
「次は雪だるまを見に行かないとね。リリィの弟たちも参加してるって教えてくれたよ」
「そうなの? あの子たち、何も言ってなかったような……」
「加工作業で忙しそうだったから、言う機会がなかったんじゃないかなぁ」
確かに父親以外とはあまり顔を合わせることがなかった。繁盛期にはよくある話だ。弟たちも母親に言えば全員に伝わると思っているのだろう。実際にその通りなので何も言えない。
テーブルの上を片付けて立ち上がろうとしたユーグを、リリィは引き止めた。カバンから深緑のネックウォーマーを出して、そっと差し出す。
「本当は、もっと早く渡したかったんだけど……」
「……僕に?」
「エルフの里に行ったとき、ブレスレットをくれたから、そのお返しに」
途中から目を見て話せなくなり、自分の手元に視線が落ちる。
「ありがとう」
幸せがこもった声に顔を上げると、ユーグは自分のマフラーを外しているところだった。嬉しさが隠しきれない様子でネックウォーマーをつけて、外側の生地を撫でる。微笑んでいるはずの表情に消えてしまいそうな儚さが現れて、リリィは思わず声をかけた。
「ユーグ」
「温かいねー」
鼻まで覆って喜ぶユーグが、まるで子供のような無邪気さで言った。耳が赤いのは寒さではなく、照れているのだと思っていたい。
プレゼントしたネックウォーマーは外側に細い毛糸を編んだ生地を使っているので、普通のマフラーのようにも見える。内側は柔らかい狐の毛皮だ。そのぶん材料費は高くなったが、アルトロワの冷たい風をしっかり防いでくれるだろう。
ずっと悩んでいた問題が解決して、リリィは安心した。
休憩所を出て、改めて雪像が並ぶ広場へ向かう。
投票が終わるまで匿名にしてあると言うものの、作ったものの特徴から製作者の予想がついた。特に同業者で集まっているところは、さりげなくデザインに取り入れている。大きなバスケットにパンを盛りつけた雪像には、店名が堂々と彫られていた。
会場の入り口で商業ギルド員から投票のための棒を渡された。出口に設置された作品名が書かれた筒に入れるらしい。棒をよく見ると、それは折れた矢を適当な長さに切ったものだった。廃棄する前の再利用だ。
「滑り台まであるんだ」
親子連れが多く集まるところに、雪と氷の巨大な滑り台ができていた。遊んでいるのは子供だけではなく、大人も混ざっている。長さも幅も違うものがいくつも作られているので、年齢を問わず遊べるところが人気のようだ。
怪我をしないように商業ギルドと自警団から派遣された者が監視についていたが、出番がなく暇そうだった。
リリィの弟たちもここで遊んでいたらしく、こちらへ向かって手を振ってくる。だがすぐに友達との遊びに戻り、階段で斜面の上へと登っていった。
「頑丈に作ってあるのね」
「雪に水を混ぜて凍らせてるらしいよ。同じ組のニコルが参加しててね、たらいの中に入れた雪を、ひたすら水と混ぜる作業をしたって泣きそうになってた」
「可哀想に。雪練りは慣れるものじゃなくて、諦めるものだから」
いくら体力がある自警団といえども、寒い中での作業は辛かっただろう。
「リリィちゃんの前世って、雪国出身?」
「冬は校庭にスケート場を作るぐらい寒いところ」
「かなり北のほうだねぇ」
大きな氷の城を目印に見て周り、最後に子供たちが作ったという個性的な雪だるまを見学していく。弟たちの雪だるまを探したが、どこにあるのか分からない。妹のジョゼだけは、見覚えのあるマフラーが巻いてあったので見分けがついた。
獣の襲撃で疲弊していたアルトロワの住民にとって、子供たちの笑顔が見られる良い機会になっただろう。
投票所に来たリリィは、迷った末に巨大な滑り台に票を入れた。




