昼下がりの淡い夢
ユーグが出張の話を聞いたのは、数日ぶりにリリィの家を訪れた時だった。
まず修繕中の家で作業をしていたユーグのところに、リリィの双子の弟エリクとリュカが遊びに来た。端材でコマを作って遊び方を教えている間に昼になり、双子を探しに来たリリィに、昼食用に用意していたクルミパンが見つかった。
もちろん昼食はこれだけだ。呆れたリリィに家まで連行されたのは言うまでもない。
「雪が降る前に、近隣の村へ行って魔石を加工するんですか」
「ああ。村は村で冬の備えが忙しいからな。わざわざ加工のために村とアルトロワを往復するより、俺が行って加工した方が早いだろ?」
昼食のために工房から出てきたテランスは、以前ほどの刺々しさは無かった。作業続きで疲れているのかもしれない。
「リリィも?」
「いや、リリアーヌは……」
「一人で馬に乗れたら、連れて行ってくれる約束だったじゃない」
そうリリィに言われ、テランスは複雑そうな顔で黙った。
リビングではコマで遊ぶ下の兄弟達が、楽しそうに笑っている。末妹のジョゼは上手くコマを回せなかったが、絵の具で鳥の絵を描いていた。双子から自分のコマにも絵を描いてほしいと言われ、満更でもないようだった。
幸せそのものの光景を尻目に、テランスがリリィを諭すように言う。
「村までの護衛が雇えないんだよ。今年は馬車道の整備で人手を取られてるだろう? みんな護衛よりも日給がいい工事に行ってしまった。去年までなら訓練で集まってた村人と一緒に行ったりしてたんだが、今年は早々に終わらせて帰ったらしい」
盗賊対策の弊害が意外なところで出ている。話ぶりからテランスも盗賊の話は聞いていると分かった。危険な時期だからこそ、慣れているテランスだけで村を回りたいと考えているらしい。
リリィも盗賊の噂ぐらいは聞いているだろうが、どこに居るか分からない危険よりも職人として経験を積みたい気持ちが大きいようだ。
「じゃあ、僕が護衛につきましょうか?」
彼女の夢を応援できるなら、とユーグは提案した。村まではそう遠くない。索敵なら得意だし、二人ぐらいなら余裕で守れる。
「……お前が?」
テランスは迷っている。父親として、職人としてリリィの教育には熱心だからこそ、出張へ連れて行きたい。けれど護衛に立候補した男が信用できるのか。そんな葛藤が透けて見えるようだ。
「領主様から魔獣の間引きを申し付けられているんです。近日中によその村へ行く予定にしていたので。どうせなら一緒に行きませんか?」
「一緒に行くのは構わんが、一人で森へ入る気か?」
「ユーグ君は強いって、噂になってるわよ。あなた達、護衛してもらったら?」
のんびりとした口調で、母親のカトリーヌが味方してくれた。
「領主様を相手に、互角だったらしいわねぇ」
「お父さん、いつも私が手伝うようになってから、仕事が楽になったって言ってくれてたじゃない。今年は出張を早く終わらせて、のんびり冬を過ごすんだーって」
「分かった、分かったよ」
ついにテランスが折れた。人前で妻と娘に言い負かされたのが恥ずかしいのか、仕方なくという体裁でユーグに尋ねる。
「お前、馬は乗れるんだろうな?」
「もちろん。単騎、馬車、どちらも」
「それならいい。お前の馬は駅馬車か他の農家から借りて来ないとな……」
リリィとテランスは家の裏で飼っている馬と、仲が良い農家から馬を借りる予定だという。
アルトロワには他の町や領へ向かう駅馬車がある。その業者が所有する馬を借りて移動に使うことは珍しくなかった。駅馬車に乗るよりも割高になるが、運行していない村へ行くために借りることが多いそうだ。
「貸してくれそうな人に声をかけてみます。いつ出発しますか?」
「二日後だ。村には到着する日を伝えてあるから、先延ばしにはできん。なるべく走れる若い馬にしろよ」
「あ、それなら大丈夫です」
ユーグはフェリクスに頼んでみようと決めた。子爵という身分の彼は、何頭か馬を所有している。そろそろ馬のストレス発散に遠乗りしなければと言っていたので、許可を得るのはそう難しくないだろう。
――あとは馬車道の森林を前倒しで排除しておけば、あの男なら文句は言わないだろうね。
庶民の冬の備えは、領主にとっても大切だ。むしろ雪に閉ざされる地方の民が無事に春を迎えられるよう、しっかり護衛してこいと言われるような気がする。
表情だけは無愛想な領主の言動を想像して、ユーグは遠出の準備が楽しみになってきた。
*
昼食後、テランスに工房を見学したいと頼んでみると、呆気ないほど簡単に許可が降りた。
「護衛につくなら、運搬する荷物の扱いを知っておいてくれ。魔石に余計なことをしなけりゃ、好きにしろ。あとリリアーヌに変なことするなよ! 叩き出すぞ」
そう言い含め、遠出に備えて買い出しに行ってくる、と工房を出て行った。とりあえず二人きりにしてくれる程度には、信頼を得たようだ。
――二人きり、といっても扉一枚隔たところに他の家族がいるんだけどね。
扉は開けっ放しにしてあるので、物音は聞こえるし耳をすませば話し声も伝わる。あの双子が回るコマ同士をぶつける遊びを始めたらしい。近所の友達まで呼んで盛り上がっている。明日には他の友達のコマも作ってくれと押しかけてくるに違いない。
ユーグは慣れた手つきで魔石を扱うリリィを見た。
細く長い指が少し荒れている。魔石を加工して、畑仕事を手伝って、積極的に家事もしていると母親のカトリーヌから教えてもらった。ユーグに働きすぎだと諌めるくせに、自分だって似たようなものではないだろうか。
ゆっくり横顔を見るのは初めてだった。下を向いた青色の瞳に長いまつ毛の影が落ちている。閉じた唇は艶やかな桜色。大人の女性と呼ぶには幼さを残した顔立ちだが、完成された美しさも同時に併せ持っている。成長する過程の、ほんのひと時にしか見られない不安定さが、守りたいと思わせる。
リリィがカゴを持って立ち上がった。完成した魔石をカゴごと棚に入れて、また作業台に座る。
――スタイルいいなぁ。
歩く姿を見て体の線に目がいくあたり、完全に意識が男に偏ったなとユーグは自覚する。細い腰とは真逆の主張をする胸を注目しかけて、そっと視線を外した。
「魔石の加工を見るのは初めてよね?」
「うん。いつも無理矢理、術式を刻んでたから参考になるね」
面の皮が厚くて良かったとユーグは心から思った。リリィは鋭いところがあるから、不埒なことを考えていたらすぐに気付かれそうだ。
「ユーグが馬に乗れるなんて知らなかった」
「前世で、ちょっとだけ馬術をやってた。就職してからは全然乗ってなかったんだけど」
「貴方が言う『ちょっと』って、他の人には『かなり』って意味よね」
淡いベージュ色の髪を耳にかけて、リリィが笑う。
二人きりで過ごす時間は、穏やかで心地よい。同じ空間にいるだけで幸せ。けれど、もう少し踏み込んでみたいような、淡い望みを呼び起こしてくる。
「……リリィは、昔のことを思い出したけど。後悔してない?」
ユーグには、どうしてもリリィに聞きたかったことがあった。記憶の混乱が生活に支障をきたしていないか、辛い出来事まで思い出して悩んでいないか、外見からは分からない。
前世を思い出すことは、必ずしも幸せなこととは限らない。リリィを苦しめてまで側にいるくらいなら、お互い忘れた方が良いのではと思う。
リリィは計測器から魔石を外し、作業台に置いた。小さなメモに数値を記入してからユーグの近くに歩いてくる。そっと両手でユーグの頬を包み、目線を合わせてから言った。
「また変なこと考えてるでしょ。私を優先して自分を犠牲するようなこと」
「大筋では合ってる」
「思い出して後悔してるなら、貴方を避けてるわよ。むしろ自分の性格が前世の影響を受けてるって分かって、納得してるから」
「納得?」
リリィの手が離れた。人肌の温もりが消えて、少し寂しい。
「女の子の遊びにはほとんど興味なくて、その辺で走り回ってるような子供だったのよ。父親にくっついて森へ狩りに行くこともあるし、こうやって職人の見習いもしてる。この前、貴方が食べたウサギのシチューだけど、私が仕留めて下処理をした野ウサギだったのよ」
「あれは美味しかったね。森でウサギを捕まえたら、リリィに持っていくよ」
「鹿肉でもいいわよ。三食しっかり食べたいって思わせてやるから」
リリィは作業に戻った。計測した魔石を取り、動力にするための魔法式を刻んだ。
「私ね、ずっと秋が嫌いだったの。よく分からないけど寂しくなって、憂鬱で。なかなか思い出せなかったけど、前世で貴方と別れたのが今ぐらいの季節だったでしょ? 意識の深いところでは、ちゃんと覚えてたからだと思う」
そんな素振りは見たことがなかった。
――ああ、でも。
外見は変わっても、その表情や仕草は記憶の中のものと何ら変わらない。リリィが過去を完全に忘れていたら、きっと全くの別人になっていたのだろう。
「今は……?」
「平気。ユーグに会えたからだと思う。だから、一人で抱え込んで、勝手にいなくならないで。貴方のことだから、自分に関する記憶を消して去って行くんでしょ?」
「んー……それは否定できないなぁ」
「否定しなさいよ」
懐かしいようなやりとりに、思わず笑いが漏れた。二人でしばらく笑っていると、悩んでいたことがいかに小さいことだったか知らされる。
「とにかく、ユーグが心配しているようなことは何もないの。今も昔も私は私だから。まあ、思い出すまで十六年はかかってるから、もう男だった前世みたいな振る舞いは難しいけど」
性自認が女性に固定されたのだろう。ユーグのような柔軟性は、普通の人間は持っていないのだから。
「今から男になれって言われても、きっと無理ね。それとも、昔みたいな喋り方が良かった?」
「リリィが楽な方でいいよ。どっちも好きだから」
「す……そ、そう」
リリィの頬がほんのり赤くなった。素直に好意を伝えるだけで、意識してくれていることが嬉しい。
脳裏に表示している地図に、目印をつけた光点が見えた。もう少し遊んでいたかったけれど、用事を終わらせたテランスが帰ってくる。あまりリリィにちょっかいをかけて出入り禁止にされたくない。
ユーグは作業をしているリリィに声をかけた。
「僕も出張の準備をしてくるよ。また遊びに来てもいい?」
「ええ、いつでもどうぞ」
工房の扉を開けると、上部に取り付けられた鈴の軽い音がした。
まずは領主に話を通しておこうと屋敷へ向かう。徴収した税金の報告書を作成すると言っていたから、きっと執務室にこもっているはずだ。差し入れにはリンゴのケーキか栗のパイ、どちらが向いているだろうか。
――フェリクスに差し入れなんて、出会った頃には考えもしなかったな。
たぶんリリィと話したことで悩みの一つが消えたお陰だろう。ユーグは焼き菓子を扱う店を見つけ、上機嫌で中へ入っていった。




