勝負の提案
防音の結界を解き、ユーグとフェリクスは竜に近づいた。
「話とやらは、まとまったかの? ふむ、よく見ればお主らは強そうよの。人の中にも強者がいると聞いていた通りじゃ。我が相手をしてやろうか」
「それ、僕たちにメリットないよね」
急な手合わせの提案を、ユーグは遠回しに断った。
「こいつは怪我人だぞ。竜は弱っている人間を痛めつけるのが趣味なのか?」
「ふえっ!? そ、そのようなことはないぞ!」
フェリクスが信じられないものを見る目で言うと、竜は慌てて否定した。以前から思っていたが、領主は意外と演技ができる。普段の真面目な姿を知っている人間ほど騙されそうだ。
「我らは誇り高き竜人族よ。弱っている者と戦うことはない」
戦うことを禁止されるほどの怪我をしたのはユーグだけだ。こんなに簡単に思考を誘導されて大丈夫だろうか。
「しかし勝手に人の領土に入ってきて、自分のものだと宣言するのは、誇り高い者がやることなのか? もしや新種の羽トカゲではあるまいな」
「お主、我を愚弄するのか」
竜が翼を広げて低く唸った。鳥肌が立つほどの威圧感だ。リリィは悲鳴が出そうになるのを堪えた。
「二人とも、そう攻撃的にならないでよ」
ヘラヘラと笑ってユーグがなだめに入った。軽薄な態度を装っているが、竜の攻撃を警戒していることは間違いない。フェリクスの肩を掴んで距離を取らせた。
「僕たち人間は、竜のことをよく知らないからなぁ。こっちが提示した方法で勝負して、君が勝ったら喜んで支配下に入るよ」
「お主らが出す条件だと? それは公正なのか?」
疑う竜に、ユーグはゆっくりと歩み寄る。
「へぇ。負けるのが怖いんだ?」
「なっ!?」
「あんなに勇ましいことを言ってたのに、勝負から逃げるんだね。竜ってその程度の生き物だったのかぁ。なんだか興醒めだなぁ」
やれやれと肩をすくめ、もう一度、残念だなぁと嘆くユーグ。煽りが悦に入っている。
「千の種族の上に立つ者だって聞いて、きっと強いんだろうなって期待してたのに。口先だけの生き物に支配されたくないなぁ。ね、領主様」
「……そうだな。肝心な時に勝負から逃げる者は信用できない。魔獣が出てきても守ってもらえないからな」
「や、やらないとは言っておらんぞ!」
体を震わせて聞いていた竜は、とうとう我慢できずに叫んだ。
「受けて立とうではないか! 我に二言はないぞ!」
ニヤリと黒い笑いを浮かべたユーグを見て、リリィは激しく不安になった。
――私、この人を好きでいいんだっけ?
しかし、この交渉をやらせたのは自分だ。甘んじて毒を飲めと心の声が言っている。
取引がまとまり、竜が勝負の内容を聞いてくる前に、転移門からネストリが戻ってきた。上質な紙とペンを持っている。全てフェリクスに渡すと、竜から隠れるように後ろに下がった。
「む? お主は――」
「じゃあ勝負をする前に契約書にサインしようか!」
竜が何かを言いかけたようだが、ユーグが空気を読まずに遮った。竜がこちらの意図に気づく前に、必要な下準備を済ませておかないといけない。
「君が勝ったらアルトロワは君の支配下、僕らが勝ったら諦めてね。どちらも未来を決める重要なことだから、魔法の誓約書を作らないと」
「ふん、我が約束を違えることはせぬ」
「人間のためだと思ってよ。ちゃんと書面で残しておけば、この勝負を知らない人も納得できるでしょ? 竜人族らしい広い心で受け入れてあげて!」
「む……仕方ないのぅ」
「では、ここに名前を」
竜が納得したことを確認すると、フェリクスが目の前で紙に署名して見せた。眺めていた竜は、人の姿に変化する。
雪のように白い髪をした女の子だ。見た目の歳は十歳ほどだろうか。フェリクスからペンを受け取り、青い瞳で紙面を睨む。
「魔法がかかっておるの」
「重要な契約だからな。ここに住む大勢の命を預かるのだ。遊びの勝負ではない」
「わ、分かっておる」
フェリクスの言葉には実感がこもっていた。統治してきた者にしか出せない重みに竜はたじろぐ。
「本名で書いてね。偽名で書いた時点で、僕たちの勝ちだから」
「……これで良いか」
紙面にペンを走らせ、竜が二人を見上げる。
「うん、確かに。じゃあ勝負の方法は後で知らせるよ!」
さっさと署名した紙を回収したユーグは、フェリクスと共に戻ってきた。
「ただいま。向こうで見物してる領民に、近づかないよう警告してから撤収、作戦会議かな?」
「ええ、早く引き上げないと」
不安そうに見ていた領民は、領主から直に説明をされると素直に町へ帰っていった。しばらく畑には出て来られないが、今は冬なので問題ない。堂々とした態度のフェリクスに任せておけと言われ、領民は安心したようだった。
ユーグに行こうかと促されて転移門をくぐると、領主の執務室と繋がっていた。初めて入る場所に戸惑っているのはリリィだけだ。ネストリは入り口近くに立ち、フェリクスとユーグは向かい合ってソファーに座っている。リリィは自分の家のようにくつろいでいるユーグの隣に腰を下ろした。
「順調すぎて哀れになってくるな」
フェリクスが複雑な心情を吐露すると、ユーグは署名させた紙をローテーブルに置く。二人にそれぞれ飴役と鞭役に分かれてもらい、竜を騙す計画は成功した。
「リリィちゃんってば悪どいねぇ。サインだけ先にさせて、契約内容は後から考えましょう、なんてさ」
「言質はとったでしょ。人間のやり方で勝負することに同意したんだから。勝負の内容を聞いてこなかったのは、向こうの落ち度」
リリィは静かに立っているネストリの方を見た。
「あの、いつもこんな一方的な取引をしてるわけじゃないので……」
「いえ、その……そうですか」
乾いた笑いで目を逸らされた。絶対に勘違いされている。
「契約書は隅々まで、細かい文字には特に気をつけようねってことだよ、ネストリ。商人も職人も、その辺りは厳しく教育されるから、リリィだけが特別なわけじゃないよ」
ユーグが代わりに説明してくれたお陰で、悪女の疑いは晴れたようだ。先ほどよりも態度が軟化している。
「それで、肝心な勝負と契約についてだが。あれに諦めさせる案はあるのか?」
「まず体力や攻撃は、圧倒的に竜が上。人間が対等に渡り合うなら、それ以外じゃないとダメね。領民の投票で決めるわけにもいかないし」
強者が正義の竜に民主主義など通用するわけがない。この勝負は竜に諦めさせることが目的だ。
「投票か。適度に竜を消耗させて、かつ負けを認めさせたらいいんだよね?」
両手を頭の後ろで組んで、ユーグがのんびりとした声で言った。
「何か思いついたの?」
「面白そうなことが一つだけ。領主様、この勝負に領民を巻き込んでもいいかな?」
「……危険なことがないなら」
熟考したフェリクスが許可を出すと、ユーグは穏やかな表情で窓の外を見た。
「大丈夫。ものすごく平和で、ストレス発散になるから」




