休息の前に
フェリクスが家に帰ってきたのは、夜中を過ぎたあたりだった。
起きていた使用人には労いの言葉をかけた後に下がるように言い、ようやくシャワーを浴びて楽な格好に着替えた。貴族の中には使用人に着替えの世話をしてもらう者もいるようだが、フェリクスは他人の世話になることが好きではなかった。
――軽症以上の怪我をした領民は治療所で一晩過ごしたあとに、それぞれの自宅へ移動だったか。教会には獣の浄化でも協力を得ている。今年は寄付金の額を増やさないと。
帰ってきてからも仕事のことが頭の中を支配している。行方不明者の捜索から防壁での戦闘を終え、その後の復旧作業の指示をして帰るまで、休んだ記憶がない。疲労は溜まっているはずなのに、神経が昂って全く眠れそうになかった。
一人きりで談話室に座っていると、防壁の上から家族が戦いの支援をしていたことを思い出した。
あの空を飛んでいた精霊は、間違いなくモニカが呼んだ個体だ。ミケーレ司教も精霊と会話ができるが、精霊に支援を頼めるほどの信頼関係は築いていない。長男は未成年であるにも関わらず、上から援護射撃をしていた。どのように周囲の大人を言いくるめて参戦していたのか、朝になったら問いただしておかないといけない。
他にも、長女は治療所でシスターに混ざって治療の手伝いをしていたと聞いている。末の子も屋敷を抜け出そうとして使用人に見つかったらしい。あの行動力は誰に似たのかと、フェリクスは己を顧みないままため息をついた。
戦いの最前線にいたことは親として叱らなければいけないが、言われなくても領民のために行動していたのは誉めてやりたい。疲れた頭では匙加減ができそうになかった。
子供のことを考えていたせいか、行方不明になったドニの両親のことが頭を過ぎる。畑への被害を調査している時に、母親の方から問いかけてきた。
普段の素行が悪いとはいえ、彼女にとっては大切な息子だったのだろう。もしくは、いつか更生して真面目に生きてくれると盲目的に信じていたのか。悲痛な訴えが蘇る。
――うちの息子は、どこへ行ったんですか。
森の奥へ行ったようだ、魔獣が奥から出てきて町へ向かったから引き返してきた。それだけしか答えられなかった。
若い頃なら適当な慰めを口にできただろう。だが子供がいる今は、そんな言葉は何の支えにもならないと知っている。親が知りたいのは我が子の消息であって、同情など何の役にも立たない。
同じ子を持つ親として、捜索を続けてやりたい気持ちはある。同時に、リール領の領主として領民に迫る危険を放置するなど、あってはならないと己を戒める心の声がする。
皇帝から領地を預かった帝国貴族は、繁栄させて次世代に繋いでいく義務があった。自分の行動一つで領地の未来が決まってしまう。たった一人の事情を優先するなど許されない。ましてや自分は『勇者』として名が知られている。常に公正を求められ、良い成果を出すことが当たり前だった。
英雄として名を馳せた者は、死ぬ瞬間まで光であることを求められている。
捜索を中断して町を守ったことは、きっと領主として正しい。森の中に発生した亀裂を消さなければ、獣は供給され続けて防壁を突破されただろう。だが大勢を助けるために切り捨てることになった一人の命は、きっともう帰ってこない。
――見殺しにした俺が、この二人に何を言える?
言葉に詰まったフェリクスに、なおも食い下がろうとしたドニの母親を止めたのは、父親の方だった。領主に手間をかけさせたことを詫び、畑の作業へと戻ってしまった。
ドニの父親は、ある程度はフェリクスの事情を理解していたのだろう。それでも『なぜ我が子が』という疑問は隠しきれていなかった。
重ねた非行の末に行方不明になったことか。それとも、こんな事態を防げなかったことへの自責の念か。
――もし行方不明になったのが自分の子供だったなら、冷静ではいられなかっただろうな。
考えたくない仮定に沈みかけたフェリクスの耳に、扉が開く音が聞こえてきた。ガウンを羽織ったモニカが茶器を持って入ってくる。
「きっと眠れないと思って、お茶を持ってきました」
「先に寝ていなかったのか」
「少し寝ましたよ。でもすぐに目が覚めてしまって」
モニカは手際よく茶を用意して、フェリクスにカップを差し出した。少し甘い香りがする薬草茶は、眠りを誘う種類のものだ。受け取ったフェリクスが一口飲むと、モニカは柔らかく微笑んで隣に座る。
「……あまり前線に出ないでくれないか。お前も、子供たちも」
「あら。同じことをお返ししてもよろしいですか? あなたは誰も死なせたくないからと言って、いつも無茶をなさる。それを知っていて、安心して眠れるわけがないでしょう?」
己の行動が家族に影響を与えているとはっきり言われ、何も言い返せなかった。領主の役目に隠した本音は、とっくに見抜かれている。初めて出会った時から二十年も経てば、仕方がないことだった。
「お前たちが無事でよかった」
「すぐに帰ってきてくださったおかげです。私たちだけでは守りきれませんでした。あなたの背中に、どれほど勇気づけられたか」
ゆっくりと眠気が心に入り込んできた。薬草茶の効果だけではない。最悪の事態を免れ、自分を気遣ってくれる家族がいる家に帰ってきたことで、身も心も落ち着いてきたようだ。
――弱音を吐くつもりはなかったが。
いつも支えが欲しい時に寄り添って、受け止めてくれるモニカには感謝してもしきれない。夫として情けない姿だろうが、領民や他の貴族には決して言えないことだった。
「眠りましょうか。朝になったら、また忙しくなるのでしょう?」
空になったカップが取り上げられた。放っておくといつまでも起きていると思われたのか、モニカはフェリクスの手を引いて立ち上がらせる。温かくて小さな手は、抵抗する気持ちを消していく。
誘導されるままに寝室へ行き、ベッドに入る。まるで幼児のようだと気がついて、フェリクスは笑いたくなった。
「この歳になって寝かしつけられるとはな」
「嫌だと仰るなら、次は談話室ではなくてベッドの中で考え事をしてくださいね」
モニカは優しい口調で厳しいことを言う。昔から気が弱いように見えて、言うべき時は言う性格だった。巫女として受けた教育と、本能のままに行動する悪霊を説き伏せて空へ送っていたのだから、芯が強くなるのも当然だ。
フェリクスは反論せずに返事だけをして、眠りに身を任せることにした。
起きたら腕枕をされていたので焦ったらしいです




