猛風と雷震
森の中に現れた亀裂は、遺跡で遭遇したものと全く同じだった。こちらも遺跡から流れてくる力によって現れたらしい。もう遺跡から力は流れてこなくなったが、一度発生した亀裂は周囲の魔力を吸収して、その形を維持している。
精霊が『喰われる』と言って森の奥にいるものを嫌っていたのは、自身の魔力を吸収されてしまうからだった。
出てこようとした魔獣を斬り伏せ、亀裂ごと札で消してゆく。一つ消すたびに転移にかかる魔力の負担が軽くなっていった。
歩いていくには遠い場所の亀裂を片付けてから、ユーグは森の出口を目指した。札を渡した仲間は順調に作業を進めている。森の中にも魔獣はいるが、精霊が見つからないように隠してくれているようだ。
「他の場所はみんなに任せようか。案内、ありがとう」
精霊を頭から下ろし、お礼として魔石を渡した。エルフが住む樹海で収集してきた魔石を、精霊は不思議そうに眺めている。いつの間にか周囲から別の精霊も集まり、月の光にかざして鑑賞し始めた。
森の外は荒野と畑が広がり、その先にアルトロワの防壁が見えた。
黒い獣たちは防壁にしがみつくように登っていたが、荒野にいる獣が何者かによって倒されると、一斉にそちらを見た。
魔法すら切り裂くという剣が振られるたび、黒い獣が動かなくなっていく。剣の持ち主は身体強化の名称にもなっている疾風の言葉の通り、荒野を自由に走り回っていた。
一定数の獣が屠られると、防壁にいる町の住民がフェリクスに気がついたらしい。ユーグがいる場所にまで歓声が聞こえてきた。
「……あいつ、私怨とストレス発散を兼ねて剣を振ってるんだろうなぁ」
冬の間は作物を育てていないので農作物の被害はないが、雪の下の麦畑が踏み荒らされている。フェリクスは気を使って荒野で獣を始末しているものの、防壁から弓で射られた個体は麦畑で息絶えていた。
背後からフェリクスに近づいていた獣を斬り伏せ、彼の死角へと移動した。フェリクスは特に礼を言うわけでもなく、背中合わせの位置で敵の方を向いている。お互いに感謝の言葉が必要ないことなど分かりきっていた。
敵を倒すために相手を利用することすら厭わない。その程度で斃れる奴ではないという、ある種の信頼があった。
ふとフェリクスが見上げた方向から、矢が飛来した。防壁の上から飛来したそれは、獣の背中に突き刺さる。痛みで前足を振り上げた獣の脳天に向かって、フェリクスは剣を叩きつけた。
「……よくやった」
防壁の上から矢を放った射手へ、フェリクスが小声で褒める。決して届かないと分かっていても、言わずにはいられなかったらしい。
ほぼ正確に矢を放った者は、周囲の領民に比べると小柄に見える。まだ成人していない射手は、フェリクスの息子だった。母親譲りの金色の瞳で心配そうに下を見ていたが、すぐに新しい矢で別の獣を狙う。
「フェリクス、住民の中に死者はいない。怪我人はいるけどね」
群がってくる獣を始末してから背後へ伝えると、楽しそうに、そうかと返ってきた。
「俺が居なくても上手くやれると言っただろう? こいつらは領民から相当なもてなしを受けたようだが、まだ足りない。不遜な獣には、帝国式の歓迎をしてやろう」
荒野に冷たい風が吹いた。
よく知った殺意を感じたユーグは、フェリクスから大きく距離をとった。向かってくる獣を踏み台にしてさらに離れ、そのまま後ろを見ずに移動する。獣の断末魔を聞けば、背後で何が起きているか想像するまでもない。
暴風の勢力圏から逃げ、こちらへ向かってきていたネストリやレオンと合流した。
彼らも荒野で暴れている領主には近づけず、まとまって獣を狩っていた。
離れた場所から弓で援護射撃をしているのは、カミーユだろう。距離があるにも関わらず、獣の急所を射抜いていた。接近戦が苦手なカミーユは精霊に姿を隠してもらい、用意してもらった矢を使っているらしい。精霊の矢に貫かれた獣は、傷口から発生したツルに絡め取られて身動きが取れなくなっていた。
「ユーグ! 領主様は何かおっしゃっていたか!?」
「門の前から獣を一掃しろってさ。このままだと中にいる味方が外へ出られない」
門前には武器を持った領民が集まっている。防壁の上から攻撃を集中させて敵の戦力を削ごうとしているが、獣の攻撃は途切れるどころか激しさを増す。
防壁から少し離れたところにいた個体が吠えた。それが合図だったのか、周囲にいた獣が一斉に共食いを始めた。他の個体に喰らい付いた獣は大きさを増し、不定形な塊へと変化していく。
人間側が気がついた時には、塊は猛禽類に姿を変えていた。重力を感じさせない動きで空中に飛び立ち、上を旋回していた精霊の鳥を目指す。精霊の鳥は避ける間もなく巨体にぶつかられ、黒い体の中へと吸収されていった。
精霊の鳥が消えると、獣の動きが少しずつ回復していく。
「あいつ、防壁の内側に降りる気か!?」
鳥の動きから目的地を察したレオンが叫んだ。
大きく旋回した黒い鳥が防壁を目指す。飛んでくる矢が届かない高度まで上昇し、着陸の体制に入った。
走って間に合う距離ではない。
「ちょっと離脱するね」
ユーグはネストリとレオンに言った。
魔力の乱れはまだ残っているが、無視できるほどに弱くなっている。転移の座標を防壁の内側に固定して、残していた魔力で無理に空間を繋いだ。
視界がかすみ、風の流れが変わった。防壁の内側に転移したユーグは黒い鳥を探す。門に繋がる大通りから見上げれば、鳥は人間の攻撃などものともせず、こちらへ向かってきていた。
上空から攻撃する動きは見られない。ユーグが立っている大通りに降りるつもりのようだ。
防壁近くの建物では負傷者のために入り口が開放されている。教会から派遣されたらしい聖職者が主体となって、簡易の治療所が作られていた。ここに戦える者はいない。
「下がって、獣の着陸に巻き込まれるよ!」
突然現れたユーグに多少の混乱はあったものの、上から巨大な鳥が降りてくると告げると、路上にいた領民たちは巻き込まれないように避難し始めた。
ユーグは足元に魔石を叩きつけた。割れた魔石が粉状になって舞い上がり、必要な力を補っていく。持っていた刀を収納し、野太刀に持ち替えた。普段使っている刀よりも長くて重い。久しぶりの両手持ちだ。
「迎撃型」
野太刀に放電が走った。身体強化と魔法の間に位置する『技』の発動に向けて、余分な魔力が空気中に放出されている。無駄に消費された魔力を回収している暇が惜しい。
あれを討ち漏らせば、防壁の内側に獣の侵入を許してしまう。一塊になった黒い鳥が、また複数の獣に分裂しないとは限らない。
住む場所に執着はないと思っていたのに、とっさに体が動くほどの愛着が生まれていたらしい。門から続くこの大通りを壊されたくないと思うほどに。
建物の壁際に積んである木箱に飛び乗り、さらに窓枠に足をかけて上へ登る。鎧戸を足場代わりにして屋根の上に到達すると、降下してくる鳥に向かって構えた。
「雷電!」
降下してくる軌道を読み、跳躍して野太刀を振る。下からすくい上げた野太刀は鳥の首に食い込んだ。鳥と共に落ちながら体を捻り、刀身を引いて首を切り落とす。胴体に切先を刺して上に乗ったユーグは、獣をクッション代わりにして地上に戻った。
黒い鳥は己の役目を全うすることなく息絶えた。危惧した通りに分裂する予兆があったが、別の個体として分かれる前に倒せたようだ。
防壁の上から見ていたらしい領民から歓声が上がった。鐘が鳴らされ、開門が告げられる。ようやく先が見えない防戦から開放されたことで、全体の士気が高揚していく。
弓が使えないために出番がなく耐えていた領民が、残った獣を片付けていくのが見えた。さらにその奥にはネストリたちが奮闘している。もう一息かと、ユーグは野太刀を獣の胸から引き抜いた。
最後の一匹が倒されたのは、朝日が顔を覗かせた時だった。




