迎撃戦の夜
日が沈んだアルトロワの町に警鐘が鳴り響いた。近頃はめっきり減った鐘の音は、魔獣が町に近づいていることを知らせていた。
アルトロワは低い防壁に囲まれた町だ。四つ足の獣が超えられない程度の壁を築くのは、帝国でよく見られる魔獣対策だった。防壁の外には畑と荒野が広がっている。
見張りからもたらされた知らせを受けて、自警団に所属する団員は防壁へと集まっていた。
通常、アルトロワ近郊に現れる魔獣は、畑の周囲に撒かれた忌避剤を嫌って近づいてこない。まれに防壁まで近づく個体もいるが、超えられない壁があると理解すると森へ帰っていく。それでも周囲をうろつく魔獣には、自警団が防壁の上から弓で始末するのが常識だった。
今日は様子が違っていた。
リール領に生息していない魔獣が、群れをなして町へ押し寄せようとしている。今はまだ畑の忌避剤に戸惑っている様子だが、慣れ始めたのか防壁の上に灯る明かりを凝視している個体が現れてきた。
「やけに人間くさい動きをするじゃないか」
「総数は……駄目だ、暗くて数えにくい」
ニコラは魔獣の数を掌握することを諦めた。夜目は効く方だが、魔獣の色が暗闇と同化してしまっている。今まで見てきた魔獣とは姿が違う、ということだけは分かった。
魔獣は弓で攻撃できる範囲外にいる。まるで警備の穴を探すように、防壁から一定の距離を保ったまま移動していた。
「森の結界が機能していないのか?」
「考えるのは後だ。領主様が戻るまでは、我々だけでここを守らねば」
ジルベールの指揮の下、防壁の上には弓を扱う団員が多く集められていた。なるべく安全地帯から魔獣を始末する作戦だ。他の武器を持った団員もいるが、それは最終手段だと聞いている。
じわじわと魔獣の包囲網が狭まってきた。魔獣の群は統制が取れているのか、二箇所に固まろうとしている。
指揮官のジルベールからは、弓の射程内に入れば攻撃しろと命令が出ていた。
「ユーグ達は大丈夫なのか……?」
捜索のために森へ入ったまま出てこない。無事だと思いたいが、見たことがない魔獣が現れたことで、確信が持てなかった。
日が落ちたアルトロワに獣の咆哮が響いた。
獣が動きだす。
「放て!」
防壁の上で待機していたニコラ達に号令が出された。
使い慣れた弓で魔獣を狙い、先陣を切って走る獣を射る。愚直に走ってくる獣に矢を射掛けるのは、そう難しいことではなかった。だが相手は数にものを言わせて防壁へと真っ直ぐ突っ込んでくる。
「お前達は攻撃に専念しろ!」
弓が不得手の仲間が、すぐに新しい矢を補充しに来た。
「練習の時だって、こんなに連続で射ることはないぞ」
「数が多すぎる!」
矢が刺さっても魔獣の勢いは衰えない。味方の死骸を乗り越えて向かってくる姿に、言い知れない恐怖を感じる。今のうちに倒しておかないと、あの牙が自分の体に食い込むのかと悪い想像が浮かんだ。
手が滑って矢が落ちた。
慌てて別の矢をつかんだ時、防壁の右手側でひときわ大きな声が上がった。
「あいつら、壁を登ってきてるぞ!」
仲間の声で何が起きているのか、ニコラにも理解できた。
魔獣の前足は猿のような指をしている。防壁の隙間や凹凸に指をかけ、登っているらしい。
ニコラがいる場所からも、その光景が見えていた。上にいる仲間は魔獣を確実に仕留めているが、相手は数が多い。さらに落ちてきた死体を踏み台に登ってくるため、頂上に到達するのは時間の問題に思えた。
「こっちにも来たぞ!」
隣の仲間が防壁の下を見ている。ニコラも釣られて覗いてみると、魔獣の瞳が確認できた。松明の明かりに照らされて、真っ赤な目がこちらを見ている。
急いで放った矢が魔獣の目に刺さった。片目を失った魔獣は咆哮をあげて、ニコラへ向かって一直線に登ってくる。
「あんなの、どうやって倒せばいいんだよ!?」
標的にされたニコラは腰の剣を抜いた。
戦争の経験がないニコラには、防壁を這い上がってくる敵に遭遇したことがなかった。同族が倒されても怯まず、勢いが全く衰えない。愚直に向かってくる敵とは、こうも厄介なのかと恐怖した。
ニコラを標的と定めた魔獣の手が、剣の間合いにきた。
爪が先か、牙が先か。傷つけられる前に落としてやろうと、ニコラは剣を振り上げた。
だが剣が魔獣に届くことはなかった。背後から伸びてきたイバラのツルが、登ってきた魔獣を串刺しにして地上へ落とす。さらに防壁に群がる魔獣にも襲いかかった。
振り返ったニコラの目の前に、植物で形作られた人形が現れた。膝丈まであるそれは、植物の精霊が現世に現れた姿だと聞いている。防壁の上を好き勝手に走り回る人形の奥に、ここにはいないはずの人物がいた。
「え……奥様? どうしてここに」
巫女が持つ杖を手に、領主の妻が登ってくる獣を見下ろしている。ニコラに気がつくと、柔らかく微笑んだ。
「少し、手助けを」
「助け?」
モニカは答えず、空へ向かって花びらを撒いた。夜空に散った花が鳥の形になり、魔獣の上を滑空し始める。上を通過された魔獣は、次第に動きが鈍くなっていった。
よく目を凝らすと、黒い魔獣とは別に緑色の獣が走り回っている。こちらは魔獣の動きを妨害するように後ろ足に噛みついたり、防壁を登る背中に覆い被さっていた。
防壁に張り付く魔獣が減ったことで、落ち着きが戻ってくる。魔獣に襲われないという安心感が、矢の命中率を上げているようだ。
「こちらにおられたのですか」
不在の領主に代わり、全体の指揮を執っているジルベールがモニカを探して走ってきた。だが防壁にいることを咎める様子はない。
「領主も、貴女も、昔から前線に立とうとするのは、いかがなものか」
「皆様を守る能力があるなら、惜しみなく使うのが我が家の方針ですから」
「……武のデュラン家といえど、女性に前線に立てとまでは言っていないはずですが」
再びイバラが動いた。防壁を越えようとしていた魔獣に絡み、地面に投げ落とす。
「アルトロワに来た頃は、日常の風景でしたね」
「あの頃はまだ、賢者の影響で魔獣が凶暴化していましたからな」
モニカは魔獣から森へと目線を移した。
「もうすぐ帰ってきますよ」
「ようやく指揮権を返せる。あいつらが帰ってくるなら、この戦いもすぐに終わるでしょう」
ジルベールは味方を鼓舞してきますと言って、元いた場所へ帰っていった。
二人の会話が聞こえていた者達の中には、領主が帰ってくるという朗報を隣へ伝えていく。たった五人増えるだけで、戦力が大きく変わるわけではない。だが魔王を倒した領主がいるということが、領民の精神面に多大な効果をもたらした。
後少しの辛抱かと、戦いの終わりを期待したニコラは矢を番えた。敵は少しずつ減ってきている。モニカと精霊が支援してくれたお陰で、狙いも定めやすい。
魔獣を狙って弓を引いたとき、森の中に閃光が走った。




