嵐の予兆
行方不明になったドニの捜索には、必要最低限の人員のみが選ばれていた。
猟犬を連れたカミーユがドニの足取りを追い、その後ろにフェリクスが続く。もし魔獣が現れたら、フェリクスがすぐに庇うことができる位置だ。カミーユは猟犬の動きに集中しなければならず、どうしても魔獣への警戒が疎かになる。
続いて弓と片刃の剣を持ったレオン、ユーグと続き、領主の護衛をしているネストリという男が最後尾についた。最悪の事態になっても、自力で森を脱出できる人選だった。
ネストリは元々、帝国の騎士団に所属していたと聞いたことがある。上司と折り合いが悪く、耐えかねて殴ってしまったそうだ。そのままクビになって路頭に迷うところを、現場を目撃していたフェリクスに拾われてアルトロワに流れ着いた過去がある。
戦斧を軽々と扱うネストリは、ユーグの良い鍛錬相手だった。
彼は穏やかで思慮深いが、あまり己のことを話さない。他人に踏み込まれたくない領域があるということは、初対面で判った。秘密を抱えた者同士、どこか通じるところがあったのか、フェリクスの護衛の中では最も交流がある。
「レオンも弓を使えたんだね」
捜索の邪魔にならないよう、小声でレオンに問いかけた。レオンは腕に期待するなよと前置きをした。
「猟師やニコラには劣るが、魔獣の牽制ぐらいはできる。アルトロワの男はガキの頃に使い方を教わるんだ」
「なるほど。武器屋にやたらと弓矢が充実してる理由が分かったよ」
猟犬は迷いなく先へと進んでいく。辺りは森が広がっているだけだ。ドニがいたという痕跡は、まだ匂いしか残されていない。
ユーグは周囲に聞かれないよう、フェリクスに向けて通信を試みた。脳裏に思い浮かべた術式を使って話しかけると、すぐに何かあったのかと声が返ってくる。口を動かさない以外は、普通の会話と変わらない。
「いや、聞きたいことがあるだけ。この捜索隊の人選なんだけど」
「戦力で選んでいる。お前も含めて、単独でも森を走破できる実力があると思っているが」
「森から流れてくる魔力で君が魔王化したら、どうするつもり?」
「その時のために、お前を連れてきた。お前なら、俺を斬ることを躊躇いはしないだろう?」
「そうだね」
もちろん狂うような軟弱な精神はしていないと、フェリクスは言い切った。傲慢なようにも聞こえるが、この男に心の弱さは縁遠い。繊細さが無いわけではないが、豪胆と言うべきか、図太さが優っている。
「僕が狂わされる可能性は考えなかったわけ?」
「その時は、遠慮なくお前を斬るから安心しろ」
「安心できる要素、どこ」
もし狂いそうになっても、自力で解決してやるとユーグは誓った。フェリクスは宣言したことは実行する性格だ。狂ったユーグに打つ手なしと判断すれば、本当に斬るだろう。
剣に頼るのは最終手段にしてくれと念を押し、ユーグは会話を終わらせた。フェリクスと同じく、簡単に発狂するような精神はしていない。お互いに不測の事態への備えと思っているだけだ。
魔獣とは一度も遭遇しないまま、開けた場所に到着した。足元に見えている石はどれも平に加工されている。人の手によって敷き詰められた石畳は、植物に侵食されつつも、まだこの地に文明があったことを表していた。
「あれは……?」
レオンがつぶやいた。
視線の先には濃い灰色の石でできた建造物が建っている。階段状のピラミッドに似たそれは、森の中で異様な存在感を放っていた。長い年月で石の角が丸みを帯びていたが、かつては正確に切り出された石で構築されていたのだろう。左右対称の形は高い建築技術を持っていた人々がいたと疑いようもない。
「領主様が発見されたという建物は、これですか?」
「……いや、違う。俺が見つけたのは住居跡。結界の内側にある。誘拐犯が根城にしていた場所だ」
ただの巨大建造物には見えない。言葉が出てこない皆の前で、猟犬が怯えた鳴き声をあげて後ずさった。
「おい、どうした?」
カミーユは己の猟犬を宥めようとしたが、完全に尻尾を巻いて地面に伏せてしまった。両耳も後ろに倒れ、困惑した顔で主を見上げている。躾けられた猟犬でなければ、ここから逃げ出していただろう。
魔獣の気配は感じられない。人には感知できない何かが、あの建物に存在しているのかと、ユーグは敷地全体に索敵の力を延ばす。行方不明のドニも探そうとピラミッドにも力を向ける。
「――返せ。私の瞳」
耳元に、あの声がした。
年齢も性別も分からない。全ての音が消えた隙間に入り込んだ声は、鮮やかに脳裏に届いた。
すぐに警戒レベルを上げて捜索してみるが、声の主は捉えられない。またしても言葉だけを残して消えてしまう。
「ユーグ、来るぞ!」
フェリクスの怒声で我に帰った。周囲に人型の紙と魔石を撒き、一言で魔法を発動させる。
「陣月!」
魔石が動いて防壁が完成した直後、強い魔力の波が襲いかかってきた。
黒い、としか表現しようのない力は、人の感情に似ていた。憎悪、怒り、嘆きといった負の心を形にした魔力を叩きつけられ、防壁に細かい亀裂が走る。身代わりのために撒いた人型が弾け、青い炎を上げて燃えていく。
防壁を抜け出したフェリクスが魔法を斬るという剣を振ると、魔力の流れが変わった。防壁に当たる力が減り、ユーグの負担が減る。
荒れ狂う魔力の嵐は終わりも唐突だった。
索敵のノイズが酷い。魔獣を探すために展開していた機能がかき乱され、自分が立っている位置すら曖昧になる。
めまいを感じたユーグは目を閉じて、その場に膝をついた。ユーグと同じく体調がすぐれないフェリクスに、ネストリが駆け寄る。
「何だ、今のは……?」
レオンがユーグを座らせ、辺りを見回しながら言った。猟犬を抱えたカミーユもまた、周囲を警戒しつつ答える。
「薄気味悪い風だった。こいつは……駄目だな。すっかり怯えている」
猟犬はすっかり腰が萎えて、カミーユの腕の中で震えていた。
「自分よりも大きな魔獣にも立ち向かっていくような、気性が荒い奴なんだが……」
カミーユは猟犬に魔法をかけて眠らせた。恐慌状態で暴れられると咬みつかれる可能性がある。肩に担いで町まで運んでやるのだろう。
「全員、備えろ。嫌な予感がする」
浅い呼吸を繰り返しながら、フェリクスが剣を振った。苛立たしげに剣先を上に向け、鳩尾のあたりに一度だけ柄頭をつける。声には出さずに何かを唱え、使い込まれた盾を異空間から取り出す。
帝国騎士が出撃の前に行う動作を見て、全員がそれぞれの武器を構えた。




