結界と目印2
ユーグはカミーユの後ろを歩きながら、警戒レベルを最大値に設定しておく。魔獣の気配は微塵も感じられないが、念のためだ。
注意深く周辺の木を観察していくと、塗料は一定間隔に付けられていた。昼間の森の中では目立たない薄茶色をしているが、手で影を作ってやると途端に存在感を主張する。真夜中の森ではいい目印になるだろう。
もう一つ、ユーグには塗料に込められた魔力で、おおよその場所が分かった。一定の量ではなくばらつきがあり、何か意味があるのだろうかと思わせる。
「猟師とか、自警団の団員以外が森の奥へ来ることはあるの?」
カミーユの背中に話しかけると、彼はやや迷ってから答えた。
「……無いとは言いきれない。森は奥へ行くほど危険だ。大切な結界もある。許可した者以外は立ち入るなと領民には命令が出ているが、全ての侵入を監視できるわけじゃない。森に入るだけなら、厳しい罰則はないからな」
放火や勝手な伐採なら法律が適用されるが、広大な森に入る者を細かく取り締まるのは限界がある。現に森の浅いところでは盗賊が隠れていたことがあった。本気で取り締まるなら森への立ち入り自体を禁止しなければならない。それでは領民の生活に支障があるので、個人の判断に委ねるしかなかった。
「もう一つ聞いていいかな? このフリュイの塗料は魔力を込めて使うのが基本なの?」
初対面の時に本職が猟師だと自己紹介していたカミーユに、一番聞きたかったことを尋ねる。驚いた顔で振り返ったカミーユは、どう答えようか迷っているようだった。
「……なんで分かった?」
「あー……僕は人一倍、魔力に敏感でね。その、知られちゃいけないことなら、今すぐ忘れるよ」
剣呑な空気を察して、焦っている態度を装う。カミーユは演技と気づかずに、俺が喋ったって言うなよ、と前置きをした。
「猟師には猟師の符号がある。塗料の塗り方と魔力で、誰が何を言いたいのか判断してるんだ。森の恵みを管理して、必要以上に取らないようにな。罠の目印以外の使い方をするのは、獲物を求めて森を移動する猟師のやり方だ」
キノコから抽出した発光成分は、そのまま使えば二日ほどで効果がなくなる。罠猟は仕掛けた翌日に様子を見に来るので、一晩保てば十分だった。
カミーユによると、元々は猟師や木こりが迷子にならないように付けていた目印だったそうだ。ところが塗料を塗ってから魔力を込めると、発光できる期間を伸ばすことができると気がついてからは、符号を知っている猟師仲間への伝言として使うようになった。
「上質な毛皮が取れる獲物は夜行性なんだ。だから迷わないように目印が必要になる」
「毛皮と革製品はリール領の産業の一つだったっけ」
規模は大きくないが良質なため、主に帝都の富裕層へ向けて輸出されているらしい。余所者に乱獲されないよう、徹底して管理をしているに違いない。だから秘密を探ろうとする者には警戒する。
「魔力は多すぎても少なすぎても駄目だ。未熟な奴は加減を間違えて、やたらと長持ちさせたりするがな」
「この塗料みたいに?」
「ああ。こりゃあ……素人だ。塗料も作り慣れてない」
猟師仲間の符号なら、塗料の話題が出た時にカミーユが問題ないと言及していたはずだ。これはただ塗料を塗りつけただけで符号にはなっていない。組長のレオンが周囲を見て回ると言わなければ、彼が辺りを警戒すべきと進言していただろう。
「俺に分かるのは、これを塗ったのがアルトロワの猟師じゃないってことぐらいだな。木こりの方は自信がないが、あいつらは森の奥じゃなくて山の植林したところで仕事をしてるはずだ。お前はどうだ?」
「僕の知り合いに該当する魔力の持ち主はいないね。自警団員、領主様一家と護衛は排除していいよ。あと教会関係者も」
「一部の符号は自警団の奴らにも教えて活用してもらっている。魔獣の巣がある場所とかな。ただ魔力で長持ちさせることは、あまり言わないでくれ。もし重大な伝言の上に塗られて荒らされたら、俺たちは安全に移動ができなくなる」
「大丈夫。魔法に関することは領主との契約で口外できないことになってるんだ」
それぞれが勝手に目印を付けるようになったら、混乱をきたすことは容易に想像がついた。一番困るのは森で活動する時間が多い猟師だ。
ユーグの態度から言いふらす心配はないと判断したカミーユは、安堵して微笑んだ。
最後の結界に到着して点検を始めると、見回りに出ていた二人が合流した。手が離せないカミーユに代わって、道中の様子をレオンに報告する。
「それから、塗料は結界の魔導器にも付着してるよ」
傘についたところを示すと、レオンの表情が曇った。
「塗料は町がある方向へ続いていた。森の外までは追っていないが、おそらく」
町から結界までの道標として、塗料を使った。それは明るい昼間ではなく夜中に結界がある場所へ来るためではないかと、レオンは言いたいらしい。
「やっぱり盗賊とか、ならず者の仕業じゃないですかね」
ニコラが周囲の塗料を見つけようと、辺りを見回している。
「結界の魔導器って貴重だし、持ち去って売ろうとしているとか?」
「考えられないこともないが、一つだけ持ち去っても結界は作れないぞ」
「でも分解して解析したい買い手はいると思いますよ。なんの目的もなく目印を付けるとは思えないし。転移の魔導器を使う誘拐犯がいたんだから、台座ごと持ち去られる、なんてことも……」
エルフ製の結界なら、分解したところで解析はできない。だが売り手には関係のない話だ。需要があるから盗んでいく。それだけの理由だ。
「目的が窃盗か破壊かは分からないけど、こういう場合はどう対処するか決まってるの?」
「結界に異変があれば、本部に報告。おそらく結界の位置を移動させることになるだろうな」
「じゃあ報告だけでも早く済ませておこう」
ユーグは手紙に結界の現状を記入して、レオンに文面を見せた。彼が確認をして許可を出すと、鳥の形になるように折る。最後に必要な魔力を込めてやり、白いハトに変化させて空へ放った。
「ユーグと同じ組になったのは当たりだったな。わざわざ戻る手間が省ける」
レオンが嬉しいことを言ってくれる。彼も魔法が使えるが、領主と同じく前線で戦う時のものに偏っていた。斥候や伝令が使うものとは系統が違う。
「何で紙が鳥になるんだよ」
「全てのものに命があるからね。名前で縛って役割を与えるんだよ」
日本古来の式神の概念を応用したものだが、ニコラは余計に分からないと首を横に振った。万物に命があると考える万物有魂論は帝国には根付いていない。感覚で知っているものを説明して、理解してもらうことは困難だ。
点検を終えたカミーユが結界には異常が無かったとレオンに言った。場所が場所だけに、ただのいたずらとは考えにくい。やはり窃盗の下調べだったのではと話題が堂々巡りになりかけたとき、白いハトが返事を持って戻ってきた。
「班長、痕跡を消して移動させろってさ」
「よし。さっさと終わらせて本部へ帰るぞ」
「この寒いのに結界の移動かぁ……誰だよ塗料なんて使った奴は」
ニコラは犯人への不満をあらわに、弓を肩にかけた。
「そんなニコラに朗報だよ。森で寒い思いをした団員のために、領主夫妻から昼食の差し入れが届いてるらしい。アニエスちゃんの店のケーキもあるって」
「班長、早く作業に取り掛かりましょう!」
甘いものがあると聞いて、ニコラは途端にやる気を出した。分かりやすい反応にレオンとカミーユは苦笑して後に続いた。




