傍観者の憂鬱
ようやく課せられた素振りが終わった。
アランは剣先を地面に付けないよう注意して座り込んだ。剣は騎士の命と教えられている。もし木剣を杖にしようものなら、自警団の団長から課題を追加されるだろう。
両腕が熱を帯びている。体を壊さないよう休憩を挟みつつ行ってもよいと言われていたが、休むと負けたような気がして意地で続けた。腕が上がらなくなる寸前に課題は終わったのだが、まるでユーグに実力を見透かされていたようで気に入らない。
アランは泥を付けた本人の姿を探した。
――いた。
呑気に他の領民と話している。同じように素振りをしていたくせに、全く息が上がっていない。こちらは立っていることさえ出来ないというのに。
リリィの関心を奪っているユーグが、訓練を見学しに来ると聞いて憂鬱だった。アルトロワに流れ着いた余所者だと思っていたのに、領主や団長と親しげに話すほどの知り合いだった。元騎士の大人達にも顔がきく。
ただの平民だと言っていたのに。どんな生活をしていれば、貴族や騎士団の中枢にいた人物と顔見知りになれるのか。知れば知るほど得体が知れない。
アランが苛ついているのは、ユーグの過去だけではなかった。アランは同世代の男に比べれば剣の腕がいい。もう少し腕が上がれば、騎士団への推薦状を書いてやると言われたのはアランだけだった。
自惚れていた。
上には上がいると、自分が見ていたのは狭い世界だったのだと思い知らされた。
あいつを叩きのめす機会だと意気込んでいたのに、木剣よりも短い筆で急所に印を付けられた。目で捉えても剣が追いつかず、自分の攻撃はかすりもしない。
弄ばれているだけなら、まだ感情の行き先があった。あいつの性格は最低だと罵れる。なのに、どこまでも真剣な瞳がアランの弱点を見つけて、成長を促すように印を付けていく。
本当の殺し合いなら、アランは何度も死んでいた。熱くなっていたのは自分だけで、相手はアランのことなど眼中にもない。敵どころか障害にもなれないのだ。
その事実が、ただ心に刺さる。
アランが行き場のない感情を持て余していると、にわかに周囲が騒がしくなった。領主が訓練の様子を見に来たらしい。領民と軽く話したあと、ジルベールに進捗状況を聞いている。
領主フェリクスはアランの憧れだった。領民思いの統治でリール領を豊かに成長させ、教会と連携して学校を普及させて、貴族や富裕層が独占していた知識を分けてくれている。剣の腕で敵う者はおらず、文武両道な指導者。遥かに高い位置にいても嫉妬すら湧かない。
世界中を混沌とさせた魔王を倒した勇者。子供の頃に何度も聞いた英雄の話。過去の栄光をひけらかすことのない禁欲的な態度。そのどれもがアランには眩しかった。
そんな相手と対等のように接しているユーグが嫌いだ。自分の世界が潰されていく様子を、ただ黙って見ていることしかできない。
「隣の領を荒らしていた盗賊団が姿を消したらしい。リール領とは逆方向へ逃げたらしいが、陽動の可能性もある」
「今日、村へ帰る者から各方面へ連絡させましょう。警備の強化と、念のために女と子供は村の外へ出ないように。無駄足に終われば良いのですが」
「工事に集まっている領民のうち、希望する者も帰らせようか」
代表者が集められて、領主から何事かを知らされている。疲れ切ったアランには、聞こえていても内容が頭に入ってこない。
「そういや、二人は決着が着いたのか?」
業務的な会話が雑談に変わり、ジルベールがフェリクスとユーグを交互に見やった。
「いや。再戦する機会がないままだったな」
「お互い、やらなきゃいけないことに追われてたからね」
「実はなぁ……ユーグが定住するって聞いた時から、これを用意してたんだ」
元騎士の一人が、変わった形の木剣を持ってきた。南方の国で使われている曲刀に似ているが、刃の反りが浅い。柄は両手で握れるほど長く、鍔の形は丸い皿のようだった。刀と呼ぶ種類の武器らしい。
「用意周到だなぁ。ここまでお膳立てされて、やらないわけにはいかないよね。魔法なし、盾なしでどう?」
「いいだろう。そろそろ体を動かしたいと思っていたところだ」
フェリクスが浮かべた好戦的な笑みは、アランが見たことがないものだった。
二人は武器を手に空き地へ移動し、合図もなく向き合って対峙する。
フェリクスは剣を手前に引き、刀身を胸から肩に当てているような構えだ。一見すると隙があるように見えるが、上からの攻撃が来るから迂闊に踏み込めない。戦場で鎧を着た相手と、両手剣で戦う構え方だ。一撃で倒せなくても、首や頭に怪我を負わせて戦場から離脱させることができる。
対するユーグは半身になって左の切先をフェリクスに向け、右の刀を上に構えている。剣二本を使う戦い方があることは知識で知っているが、見慣れない構えといい、どう攻めてくるのか動きが読めない。
「お前達、参考になるからよく見ておけよ」
ジルベールの呼びかけで領民は集まり、顔見知りの元騎士が二人をからかいながら応援し始めた。普段の領主と領民ではなく、気心の知れた仲間といった盛り上がりだ。
最初に仕掛けたのはユーグだった。左の刀で突くと見せかけ、フェリクスが防御に動いたところを右の刀を振り下ろす。だが本命だった右の刀は、動きを読んでいたフェリクスに阻まれた。ユーグの刀を柄の近くで受け止め、フェリクスは手首を返して首を狙う。
理想的な教練のような攻防は、二人にとって挨拶代わりだった。基本的な動きで短時間に決着がつくなら、互いを好敵手とは認識していない。
フェリクスが持つ両手剣の方が刀身が長い。ユーグが力で押さえ込んで同じように相手の首を狙ったとしても、確実に負ける。
ユーグは屈んで剣先を避けると、流れるような動きで左の刀を防御に切り替えた。自由になった右の刀で小手先を返して胴を狙う。
両手剣の剣先が下を向いた。ユーグの左の刀を逃し、右手を刃に添えて受け止める。そのままフェリクスはユーグへ蹴りを放った。
後ろへ動いたユーグを見て、アランは蹴られたと思った。だが実際にはユーグが後ろへ下がる方が速く、軽く当たっただけだ。
アランは言葉が出てこなかった。一瞬の攻防は、かろうじて目で追えただけ。試合を超えた命のやり取りに呑まれて、呼吸をすることすら忘れそうだ。
距離をとった二人は、それぞれ薄く笑っていた。
「この馬鹿力め」
「相変わらず捉えにくいな」
互いに有効な攻撃が出せないにも関わらず、明らかに楽しんでいる。本気で戦える相手と再会したことは、二人にとって喜ばしいことだったらしい。周りに人がいることも忘れているのではないだろうかとアランは思った。
剣先をユーグへ向けて構えたフェリクスは、高めに薙ぎ払った。咄嗟にユーグが弾くと、フェリクスの手から両手剣が離れる。
武器を落とすほど強い防御ではなかったはずなのに――呆然と見ていたアランの目の前で、フェリクスは手袋をした手で両手剣の刃を掴んだ。間を置かずに両手剣の柄でユーグの刀を引っ掛け、力任せに引っ張る。ユーグは体制を崩されたが、左の刀を手放して追撃から逃れた。
フェリクスがわざと武器を弾かせ、相手に気付かれにくいよう持ち方を変えたのだと、ようやく理解した。ユーグが刀を持つことに拘っていたなら、フェリクスは続く柄の打撃で止めを刺していただろう。だがユーグは短い時間の中で武器を捨てることを選び、結果として試合は続いている。
刃を持って柄で相手を攻撃する技は、当然ながらアランも知っている。練習もしてきた。だがフェリクスが使うと、全く別の動きのようだ。
簡単に武器を犠牲にしたユーグの行動も、生きるための戦いなら正しいのだと朧げに分かっていた。剣は騎士の命とはいえ、武器を守って死ぬことは正しいことではない。
ユーグが両手で刀を構えたとき、空気が変わった。ぞくりと鳥肌が立つ。
いつしか声援は止んでいた。この場にいる誰もが注目して、行方を見守っている。
「ようやく本気になったか?」
「僕はいつでも本気だよ。けど、君には遠慮しなくてもいいって思い出した」
「俺がただ老いるのを待っていたとでも思ったか」
「その点については謝罪する」
同時に仕掛けた剣戟は、剣術の型を守りながらも、互いの命を喰らう暴力的なものだった。細かい駆け引きなど力任せに壊し、ただ目の前の敵を蹂躙する。二人から発散された殺気でアランは動けず、目前の殺し合いを見ていることしかできなかった。
どれほど続いたのか、終わりは唐突に訪れた。少しづつ位置を誘導したユーグが落ちていた刀を拾い上げ、上段から振りかぶる。下から迎え撃ったフェリクスの剣とぶつかると、鈍く割れる音がした。二人はすぐに武器を引き、後ろへ下がって距離を取る。
二人の武器は半ばで折れかかっていた。激しい攻防に耐えられなかったようだ。
あんなに闘争本能をむき出しにしていたのに、互いを気遣うほどの理性は残っていた。引かなければ壊れた武器が相手を傷つけていただろう。
「ごめーん、隊長。壊した」
先ほどまでの殺意が嘘のように、ユーグは陽気に笑った。それだけで見守っていた見学者は釣られて笑い、二人の周りに集まってゆく。
アランが尊敬するフェリクスは折れた剣を観察している。いつもの領主の顔に戻っていた。
「お前と戦うと、すぐ武器が壊れる」
「しれっと人のせいにしないでくれる? 領主様も作ってくれた人にごめんなさいしてよ。せっかく僕専用に用意してくれたのに」
「新しいものが欲しいなら、まず材料を取って来い」
「壊した本人が言うセリフじゃないよね、それ」
この二人は、いつもこうなのだろう。口喧嘩をしているように見えて、互いを信頼している。
「また引き分けってことでいいのか?」
「こいつら、なかなか決着がつかないなー。もう剣以外で決着つけろよ」
二人をよく知っているらしい元騎士が呆れたように言う。そんな和やかな雰囲気に流されて、他の領民が会話に加わっていく。
領主が話題の中心になることは当然だとアランは思う。けれどユーグは何だ。
突然やってきたかと思えば、リリィを横取りして、憧れている領主と互角に戦っている。短時間で畑を開墾したり、馬車道の整備にも貢献していると聞いた。何人分もの働きをしているのに、いつ休んでいるのか知らない。町の人も受け入れ始めていて、最近では差し入れをしたり家造りを手伝っているらしい。
――何なんだアイツは。
あいつは簡単に特別な存在になれる――アランはわずかでも凄いと思ってしまったことが悔しかった。




