終わったこと、始まったこと
アルトロワに雪が積もった。
夜の間に静かに積もった雪は辺り一面を白く覆い、一晩で町の景色を変える。まだ雪かきをするほどの量ではない。住人は雪用の頑丈なブーツに履き替え、防寒具に身を包んで、いつも通りに冬を過ごしていた。
アランは手荷物を抱えて郊外へ向かっていた。本当は行きたくないが、早いうちに済ませておきたい用事がある。目的の人物はしばしばアルトロワを留守にするため、今日まで先延ばしになっていたのだ。
誰かが歩いた跡をなぞるように進むと、かつて幽霊屋敷と呼ばれていた家が見えてきた。崩れかけていた壁は修復され、屋根に空いていた穴もない。窓や扉など家の外側に必要なものは揃っているようだ。
あの荒屋がまともな家に生まれ変わっている。協力者の手を借りながら、ほぼ一人で作業をこなしていると聞く。本気でここに住むつもりなのだとアランには感じられた。
何もない庭にも雪は積もっている。家の玄関付近には大きな雪玉を重ねた像が鎮座し、枝や石で顔が作られている。誰かのマフラーまで巻いてあった。
庭にいたのはユーグだけではないらしい。楽しげな声に導かれるように裏に回ると、ユーグと子供達が雪玉を投げ合って遊んでいた。
最初は二つの組に分かれて投げ合っていたが、そのうち一度も雪玉が当たらないユーグに攻撃が集中し始めた。余裕で避けていたユーグだったが、雪に足を取られて姿勢を崩したところに突撃されて倒れこむ。
ユーグは近づいて雪玉を投げつけようとした子供を捕まえて、一緒に雪の上に倒れて道連れにした。すると他の子供も真似をして雪の上に倒れ、奇妙な跡をつけて遊び始めた。
「何やってんだよ」
雪まみれになった集団に近づくと、上体を起こしたユーグに見つかった。
「珍しい客が来たね」
アランを見上げる顔には、特に嫌そうな感情はなかった。会うことに抵抗を感じていたのは、アランだけだったらしい。ユーグはと言えば、背中にのしかかってきた子供に、倒れるよーと笑いながら仰向けに寝転がっている。
「アランがいる!」
「何で? ついに決闘?」
リリィの双子の弟、エリクとリュカも集まってきた。二人とも雪が頭についている。
「決闘って、お前らなぁ……」
「違うの?」
「みんな、そろそろ帰る時間だよー」
アランが双子にどう答えようか迷っていると、立ち上がったユーグが子供達に呼びかけた。まだ遊び足りない子供は口々に不平を漏らす。
「早めに帰って着替えないと、昼ご飯の時間に間に合わなくなるよ。せっかく楽しく遊んできたのに、怒られたくないでしょ?」
「仕方ないなあ。帰ろっか」
「ブーツの中まで雪まみれだよ」
「また遊んでねー」
怒られる可能性を示されて、子供達は素直に集まってきた。そんな子供を見送ったユーグは、コートについた雪を払いながらアランに話しかけてくる。
「たまには童心に帰るのもいいね。雪まみれで風邪ひきそうだけど」
「童心ねえ」
誘ってきたのは子供側だろうが、いい歳をした大人が全力で相手をするのもどうかと思う。しかも相手をしてあげたというよりは、一緒になって楽しんでいたようにも見えた。
「それで、わざわざどうしたの?」
「あー……この前の飲み代と、薬の礼だよ」
アランは立て替えてもらっていたことを、他の仲間から聞いたと伝えた。二日酔いの薬はアルトロワでは見たことがないものだったので相場が分からない。そのため酒代とは別にウサギのハムを持ってきていた。
「別によかったのに。酔い潰して二日酔いにさせたのは僕なんだから」
受け取ろうとしたユーグは、雪と泥で汚れている手を見て迷っているようだった。
「お前も着替えたら? それぐらい待っててやるよ」
「悪いね。寒いし君も中に入って」
外で待っていようと思っていたアランは戸惑った。だがユーグはすでに裏口を開けて中へ入ってしまっている。断る機会がないまま、アランも裏口から入った。
家の中はあまり作業が進んでいないようだった。床の下地や壁板までは貼られているが、中で生活するには何もかも足りない。ずっと家の修復に専念できたなら、今頃は家具を搬入しているのだろうかとアランは思った。街道の開通工事や自警団の活動に顔を出したり、今日のように子供の相手をしているのだから、なかなか作業が進まないのだろう。
ユーグは二股に分かれた金属の筒の前にいた。膝まである長い筒の横に、短い筒を取り付けた形をしていて、剥き出しの地面から垂直に立てられている。短い筒には木材が突っ込まれていた。
「火を付けたから、もう少ししたら暖かくなるよ」
どこに置いてあったのか、ユーグは長い筒の上にヤカンを置いた。
「これは……?」
「ロケットストーブ。この形だと木材が節約できるから便利だよ。持ち運んで、どこでも使えるしね」
外国の言葉なのか、少し聞き取りにくい名前だった。携行するという使い方と形は面白い。旅の商人や騎士団の間で使われている物だろうかと考えている間に、ユーグは家の奥へ行ってしまった。
イス代わりの材木に座って暖まっていると、裏口が開いて外の冷気が入ってきた。
「ユーグいる? って、アラン? どうしてここに」
「リリアーヌか」
温かそうな白いロングコートを着たリリィが入ってきた。胸の前で大切そうに布の塊を持っている。
「その……あいつに渡すものがあったから」
「そう。奥にいるの?」
「ああ。子供と雪合戦して泥まみれになったから着替えてくるって」
その光景を想像したのか、リリィは楽しそうに笑って木箱の上に荷物を置いた。別の箱に入っていた茶器を取り出し、ヤカンを覗いて温度を確かめる。ここへ来るのは初めてではないのだろう。どこに何があるのか、よく知っている様子だった。
「……慣れてるんだな」
「何度か来てるからね。放っておくと食事なんて忘れて作業に没頭する人だから、たまに様子を見に来ないと」
「そんな子供じゃないんだから……いや、子供に混ざって遊んでたっけ」
「たぶん、子供らしい遊びはしたことないのかもね。体験しないと分からないことってあるから」
どういう意味かと尋ねようとしたとき、着替えたユーグが戻ってきた。リリィがいても驚かず、いらっしゃいと出迎える。
リリィは木箱の上に置いていた荷物を持った。布を広げて包んでいたものを取り出し、ユーグに渡す。瓶詰めにされた魚は、保存食として作ったものだろう。
「近所の人が、いつも子供と遊んでくれてるお礼にって」
「わぁ、ありがとう。オイルサーディン?」
「白身魚のコンフィ。塩をまぶして低温のオイルで煮てるの。白ワインに合うんじゃない?」
「じゃあ白ワインを調達しておかないと。どこへ買いに行こうかなぁ」
「その前に休憩したら? 雪合戦は楽しかった?」
「うん」
嬉しそうに話すユーグは、まるで子供のようだった。
話している間にリリィはお茶を淹れて、テーブル代わりの木箱に置いていく。アランの分も用意されてしまったので、さっさと帰るきっかけが失われてしまった。仕方なく座り直してユーグにお礼の品と代金を渡す。
「これ」
「ああ、そうだったね。ありがたく貰っておくよ」
あっさりと受け取ってもらえたことで、アランは気が楽になった。リリィが淹れてくれたお茶を飲んでから帰ろうとカップに手を伸ばす。そこで昼前だというのに昼食の準備も何もしていないユーグが気になった。
「……お前、普段は何食ってんの?」
「何って、そこにパンがあるでしょ」
ユーグはストーブの近くに雑に置かれた紙袋を指さした。開いた袋の口から丸いパンが見えている。
「ねえ、まさか昼ごはんはアレだけなんて言わないわよね?」
会話を聞いていたリリィが生温かく微笑んでいる。幼馴染のアランには、それが言いたいことを我慢している時の態度だと分かっていた。
「えっ……そ、そんなことないヨ?」
不穏な空気を感じたユーグは、リリィを見ないように答えた。だが無言の圧力に耐えられなくなったのか、席を立って袋を回収してきた。
ものすごく仕方なく、渋々といった様子でユーグはナイフとチーズの塊を取り出す。どこから出しているのか、まな板の上でチーズを薄切りにし、丸いパンの横に切れ目を入れる。最後に二つに切ったパンの間にチーズを挟んで、真っ白な皿の上に乗せた。
黙って見守っていたリリィは、完成したらしいものとユーグの顔を交互に見て、信じられないといった声音で言った。
「え……すごい、あなたサンドイッチが作れるようになったの!?」
「これだけで!?」
リリィは感動しているが、ただ切って挟んだだけだ。
もっとバターを塗ったり他の具材を挟んだり――アランは自分が作った時のことを思い出す。初めて料理を手伝った幼児ですら、もっと具材を工夫するだろう。
「そ、そうかな……?」
褒められた本人は照れ臭そうに微笑んでいる。子供のように褒められたことは、全く気にならないらしい。
――こいつ、本当にユーグか?
領主と実戦さながらの試合をしたり、何でもそつなくこなす男と同一人物だとは思えない。料理ができないということが、欠点で済まされる話を超えている。
「でもどうせなら、もっと美味しくしない?」
リリィはユーグに材料を出すように言い、アランが持ってきたハムを切った。ヤカンをストーブから下ろし、ユーグが渡した小さなフライパンを置く。温めている間にパンの表面にバターを塗り、いつの間にか用意されていた葉物野菜を乗せた。
熱したフライパンでハムの両面を焼き、チーズを乗せて軽く溶かしたあと、パンの上に移す。格段に美味しそうなサンドイッチが出来上がった。
「リリィは上手だなぁ……」
ユーグは皿に乗っているサンドイッチを大切そうに眺めている。
「一つずつ出来ることを増やすだけよ。仕事と一緒」
汚れたフライパンはユーグが片付けると言ったので、リリィとアランはそれぞれの家に帰ることにした。
家の外に一歩出ると、冷たい風が体を冷やしてくる。ほとんど出来上がっていない家でも、しっかり風を防ぐ効果があったらしい。
「あいつ、いつもあんな感じなのか」
敷地を出たあたりで、アランはリリィに話しかけた。
「そうね。放っておくと休憩しないし、いつまでも仕事してて寝ることも忘れてるし、食事なんて胃に入ればどれも一緒なんて思ってるところあるし」
「……私生活は欠点だらけじゃないか。どこに惚れてるんだよ」
「へ……? どこって……」
唐突に、リリィの顔が真っ赤になった。恥ずかしいことでも思い出したかのように落ち着きがなくなり、両手で頬を押さえている。その手首に細い鎖のブレスレットが見えた。
「な、なんでアランに言わなきゃいけないのっ?」
「え?」
リリィは雪道だというのに走って逃げていった。足を滑らせるような危なっかしいところはない。残されたアランはかける言葉が見つからずに、呆然と後ろ姿を見送るしかなかった。
あんな表情は見たことがなかった。いつもどこか大人びていて、落ち着いているというのがアランが知っているリリィだった。男心をよく理解してくれて、適切な距離を保ってくれる。アランにとって話しやすい女の子だ。
そんなリリィがユーグのことを考えただけで、走って逃げていった。まるで初めて恋愛をしたような、年相応の女の子にしか見えなかった。
「……完全に終わったな」
アランは自分が失恋したことを知った。一方的に想っていただけだ。最初から何も始まっていない。そんなことは自分が一番よく知っている。
一人で雪道を歩いていく。
清々しい気分だった。完全に未練を断ち切るには時間がかかるだろうが、もうリリィが振り向いてくれないことに悩まなくてもいい。
「今日は酒でも飲むか」
仲がいい奴らに声を掛ければ、何人かは集まってくれるだろう。何かあったのかと察する奴もいるが、どうせ飲んでいるうちにどうでも良くなる。今はただ仲間と馬鹿な話で騒ぎたい。
アランは雪で滑らないように、いつもよりゆっくりと家に向かった。




