秘密
エルフの仕立て屋から服を受け取ったあと、ハイセレスから離れた場所からアルトロワへ帰ることになった。最初はテランシアが精霊の道を開こうとしていたが、ユーグが雑貨屋の店主から道具を受け取っているらしく、丁重にお断りしていた。
精霊の道は里の中では使えない。同じ場所で何度も道を開いていると、精霊嵐という何でも吸い込む災害が起きやすくなるという迷信があるせいだった。
「いつの間に道具なんて受け取ってたんだ?」
里の巨木が見えなくなった頃、リリィはユーグに尋ねた。
「受け取ってないよ。ああ言わないと、君と二人きりになれなかったから」
悪びれた様子もなく答えが返ってきた。
「じゃあ、どうやってアルトロワに帰るんだよ。ここ、別の大陸なんだよな? いくら転移魔法が使えるといっても、魔力が足りるのか?」
「リリィちゃんは、ここがどういう場所か忘れたの? 魔力の素なら、そこら中にいるじゃないか」
ユーグは真っ赤な魔石を見せた。内部に凝縮された魔力を己の力として変換できる方法があるという。ただ説明が難しいので、他人が習得することは不可能だった。
「かなり勘に頼ってるからねぇ……なんかこう、ふわっと広がったものを集める感じ?」
「なるほど、分からん」
魔石を一つ砕いて見せてくれたが、赤い粉が散っただけのように感じた。下に落ちた粉からは魔力が消えている。リリィが枯渇するまで魔力を使うことは無いだろうし、回復方法の一つとして知るだけになりそうだ。
「エルフは転生した私を当たり前のように受け入れてたな。生まれ変わりは信じてないんじゃなかったのか?」
肉体が死んだら、魂はどこへ行くのか――エルフも知り得ないことだと聞いたことがある。
ユーグは憶測になるけれどと前置きをしてから言った。
「たぶん、転生した者がいることは昔から知っていたと思うよ。人間よりも長く生きてるんだから、そういった事例に遭遇する機会も増える。教えてもらえなかったのはね、エルフ以外には教えることじゃないから、かな?」
外見が似ているようでも、人間とエルフの精神構造は違うのだという。エルフには当たり前のことでも、人間には耐えられないことがある。
「誰かの生まれ変わりだと思い出すことが、必ずしも幸せに繋がるとは限らないからね。悲惨な前世なら、特に。そういったことを受け止められる心じゃないと、転生したことなんて知るべきじゃない」
彼がことあるごとに前世を思い出したことを後悔していないか、聞いてくる理由がこれだろう。
「忘れたい前世だったら、生まれてきてないからな。ちゃんと思い出して捕まえておかないと、勝手に悪い方向に考えて消えようとする奴がいるし」
「誰のことだろうね? 親近感が湧くなぁ」
自分のことだと分かっているくせに、爽やかに笑って誤魔化そうとする奴がいる。自覚しているだけ良いと受け止めてやるべきだろうか。
「ところでリリィちゃん。エルフから貰ったのは服だけ?」
「服と、あと大樹の雫から精製した水をもらった。人間の店にも卸してるって言ってたから、危険はないかと思って」
小瓶を見せると、ユーグの目が一瞬だけ冷ややかなものに見えた。
「……これ、エルフ用だから人間には少し効果が強いみたいだね。僕が薄めてから渡してもいい?」
「そうなのか。じゃあ頼む」
理由はそれだけではないように感じたが、素直に小瓶を渡した。無害なものなら最初から話題にしないだろうし、捨てろと言われるよりはいい。
「ついでにエルフの対応は任せた。あいつらが何か言ってきても、ユーグを通して下さいしか言わないからな」
「エルフ界のアイドルだねぇ。大変なのは今だけで、もう少ししたら落ち着くと思うよ。十年に一度ぐらいの頻度で会えればいいって考えてる種族だから」
「さすが長寿な種族はスパンが長いな」
では今回の訪問は二回分に該当するのだろうか。頻繁に会わなくてもいいと知り、リリィは気が楽になった。寄ってたかって人形にされる扱いは、一度で十分だ。
たまにユーグが魔獣を追い払うところを見学しつつ樹海を進んでいると、倒木が道を塞いでいるところに戻ってきた。今度は心の準備ができていたリリィは、名前を呼ばれて抱き抱えられても驚かずに済んだ。
――心臓に悪いことに変わりはないけどな。
ユーグに女性扱いされると落ち着かない。嫌ではないが、本当に自分でいいのかと悩んでしまう。
「リリィちゃんの口調も、そろそろ隠さないとねー」
「分かってる。たぶんカネルに抱きついたら前世返りが治ると思う」
「切り替えスイッチが家で飼ってる馬って、それ乙女としてどうなの?」
苦笑された。
リリィを下ろしたユーグは、そのまま肩を抱き寄せて不意打ちのキスをしてきた。軽く重ねただけの唇が離れ、鼻が触れそうなほど近くで囁く。
「この前の仕返し。これで元に戻らないかな?」
悪戯が成功した子供のような顔に、ふと迷いが現れた。頬に添えられていた手が離れて、リリィのうなじに回る。ほんの少し、抵抗をすれば止まる程度の力が、リリィを離さない。
躊躇いがちに再開された口付けは、一度では終わらなかった。しっかりと抱きしめてくれる安心感と、深くなるごとに満たされる気持ちが、嬉しくて苦しい。
ずっと抑えていた感情を気持ちを伝えるのは今しかなくて、しばらく時間を忘れて触れあっていた。
合間にこぼれた吐息さえ奪っていく強引さが、リリィの自意識を揺さぶっている。女として扱われていくうちに、己の性自認が書き変わっていく。
怖くはなかった。
唇が離れた。荒い呼吸で見上げた顔は、欲情に染っている。その薄紫色の瞳が、女としてのリリィを求めているのだと分かっていた。
「リリィ」
覆い被さるようにしっかりと抱きしめられ、そこから動かない。リリィはユーグの背中に手を回して、受け止めた。
ユーグの中にある男の意識を引き出しているのが自分なのだと理解して、リリィは充足感に満たされていた。触れて、お互いの性自認を交換して、ようやく生きている実感が出てきた。
リリィは一人では変われない。共通の過去を持つ、愛している相手と一緒でないと、きっと恐怖で尻込みしていた。どんなに変わっても受け入れてくれる――傲慢な願いすら聞いてくれる人。いつもリリィのことを優先しているのは、嫌われたくない気持ちの裏返し。そんな強くて弱い人と生きていたいから。
他の人では駄目だった。同じ過去を持っていて、二人にしか分からない時間を共有していたからこそ、この人のために変わりたいとリリィは思う。
「……帰ろうか」
「……うん」
どれほどの時間が流れたのか。ただ抱きしめあう形から、ゆっくり離れたユーグが言った。
お互いに顔は見ないまま、手を繋ぐ。いま目が合ったら抱擁から先を望んでしまうから。
欲と理性の間で染まった頬を、森の風が冷やしていった。




