争う理由
樹海を進むにつれ、ユーグの表情が物憂げなものに変わっていく。気怠げな表情だというのに、色気が漂っているように見えるのは、リリィの気持ちの問題だろうか。この顔で『お願い』をされてしまったら、聞いてあげたくなる力がある。
「大丈夫? その、エルフと会うのが嫌なら、私だけでも……」
リリィが提案すると、ユーグは首を振って拒否した。
「樹海で君を一人にしたら、今度こそ殺される」
「そんな物騒な」
「僕がエルフに襲われそうになったら、助けてください。リリィさんが言うことなら、喜んで聞くと思うから」
「敬語!?」
目が本気だった。リリィがいない間、想像がつかないような駆け引きがあったのだろう。亡者の群れに平気で突撃していくような彼に、ここまで言わしめるほどの戦闘種族が待っているようだ。
詳細を聞くのが怖くなり、リリィは分かったとだけ言った。周囲を警戒しながら歩くユーグを見ていると、とても断る気にならない。
もうすぐ里の巨木が見えてくる頃だと教えられたとき、遠くの景色が歪んだ。さっとリリィの後ろに回ったのを見て、ついに来たのだと分かる。歪みから排出された影は、瞬く間に走り寄ってリリィ前で膝をついた。
「お待ちしておりました、先生」
「先生って呼ぶな」
うっとりと見上げてくるベリーショートの女エルフに本音を返す。人間とは時の流れが違うテランシアは、前世で別れた時と全く変わっていなかった。
「再びこの里を訪れて下さったことに感謝を。さあ、こちらへ。精霊の道を開きます」
テランシアがユーグを見た。笑みを浮かべていた顔が曇る。リリィは彼女が何かを言う前に、ユーグの腕を抱くようにしがみついた。
「この人と一緒じゃないと行かないからな。それから、攻撃したら二度とエルフには会わない」
「そ、そんな……」
「あんなことになったのはユーグのせいじゃない。私が望んで、叶えてくれただけだ」
「己が死ぬことを選んだというのですか」
「……近いうちにこの世界からいなくなることは分かってた。自分に残された時間で、こちら側に置いていく人が穏やかに暮らせるようにしたかった。だから、傷つけられたら困る」
テランシアは目を閉じてため息をついた。
「どうやら私の負けのようですね。いいでしょう、先生の最愛の座は貴方であると認めましょう」
「ようやく理解してくれたみたいだね。命をかけて築いた地位、そう簡単には渡さないよ」
真面目な顔をしたエルフがおかしなことを口走ったかと思えば、尊大な態度でユーグが勝ちを宣言する。リリィが想像していた争いとは根本的な何かが違っているようだ。
「待て、お前ら。どんな理由で争ってたんだっけ?」
「もちろん先生を失ったことへの怒りから始まった、庇護者決定戦ですが」
「……庇護者?」
余計に混乱してきたリリィをよそに、テランシアは穏やかに語りだした。
「最も愛を受け取っている者こそ、先生を守る役割に相応しい。もちろん貢物を優先的に献上できるという誉れもありますが。その庇護者の座をかけて、その男とエルフの代表の間で争うこととなったのです」
エルフの中で勝ち上がったのは私ですと、誇らしげに宣言をするテランシアを見て、リリィは目眩がしそうだった。自分がいなくなった後の世界で、頭痛がするような争いが行われていたなど、誰が想像できるのか。
「なるほど。ユーグ、お前、後で土下座な」
「リリィさん、口調が前世に戻ってますよー」
本気で怒っている空気を読んだユーグが控えめに囁く。指摘通り前世返りをして心が男に戻りかけているが、今は些細なことだ。
「いかにも暗殺されそうです、みたいな雰囲気だったくせに。実際に蓋を開けたら違う話になってないか」
「争いの前半はね、アサシン同士の仕掛け合いっぽいところはあったんだよ。話し合いをしているうちに、ちょっと軌道が逸れただけで」
「ちょっと逸れるどころか大惨事になってるだろうが。さっきの憂鬱そうな顔は何だったんだよ」
ユーグの胸ぐらを掴んで引き下げると、気まずそうに目を逸らされた。
「樹海に来ると一対多数で争ったことを思い出してねぇ……また木陰から矢が飛んでくるんじゃないかとトラウマが」
「確認したいんだが、まず私の死を巡って本気で戦ってたんだよな? それから最高齢のエルフを間に挟んで、何を話し合ったって?」
「エルフが知らないリリィちゃんの可愛さについて!」
「先生の隠しきれない魅力について!」
「同時に言うな」
しっかり聞き取れた自分が嫌だ。
「よくウィランサールさんに怒られなかったな」
「ちょっと頭を冷やしておいでって言われて、樹海のど真ん中に転送されたよ。見たことがない魔獣だらけで面白かったなぁ」
ショッキングピンクのエイリアンに追いかけられたんだよ、と楽しげに話すユーグにつられて、リリィも薄く笑う。この男を好きになってもいいのかと疑問が湧くが、時すでに遅い。こんな奴だと知っていても恋に蹴落とされたのだから、逃げ道など存在していなかった。
生ぬるい気持ちになったリリィの目の前で、今度はテランシアが悔しげに言った。
「魔獣を討伐しつつ、先生への愛を語る――残念ながら言葉が尽きた私の負けでした……愛の深さでは負けていないのに!」
「だから言ったでしょ。ファン一号の僕には未来永劫、勝てないと」
「こいつら、もしかして馬鹿なのか……?」
ちょっとどころではない盲目さに、二人の未来が不安になる。もしリリィが『世界が欲しい』と妄言を吐いたら、即座に実行に移すのではないだろうか。新たな魔王が誕生してしまう。絶対にその手の発言は慎むべきだ。
ふとリリィはユーグが大量の魔石を持っていたことを思い出した。エルフがいる樹海で採取したものだと言っていたはずだ。
「まさかお父さんの骨折を治した魔石は」
「うん。その時に倒した魔獣から回収したものだよ。樹海に迷いこんで何百年も経ったゾンビから――あっ。ゴメン、今の忘れて」
リリィが苦手なものを思い出したらしく、ユーグは即座に謝ってきた。
「なるほど。人の親に腐乱死体から回収した魔石を使ったのか。まあ、魔石に貴賎はないとは言うけどな、土下座のあとは人間椅子だ。上に座るから覚悟しろ」
「わぁ。天国と地獄を同時に味合わせてくるなんて、上級者だね!」
何の上級者だろうか。リリィは深入りしたくない世界を垣間見て寒気がした。これ以上はご褒美になりそうなので、反省を促すことは諦めるべきだと心の声が必死に告げている。
ついでに『私にも何か懲罰を』と輝く瞳で見上げてくるテランシアには、はっきりとお断りしておく。雨の日に捨てられたアフガンハウンドのような目で縋り付いてきたが、嫌なものは嫌だ。
「エルフが絡むと残念なことばかりだな……で、いつになったら精霊の道を開いてくれるんだよ」
「ふ、ふふ……では改めて里へご招待いたします」
残念エルフの筆頭は素早く立ち直り、樹海にいるらしい精霊に語りかけた。渦巻いた風が花の香りを運んでくる。働いている精霊の違いか、術者の匙加減なのか、雑貨屋から転移したような眩しさはない。
「あ、そうだ。テランシア、王都の戦いに協力してくれてありがとう」
人間の争いには極力関わらないようにしているはずなのに、手勢を連れて参戦してくれた。死者側に有利だった市街戦で、彼らの戦力は大きな助けになったことだろう。
風の中に純白の花びらが混ざった。木々のざわめきが激しくなり、どこからか金色の粒子が降ってくる。無駄に神々しい特殊効果の中で、テランシアは歓喜で震える声で言った。
「……聞きましたか、ユーグ。私への感謝の言葉を!」
「良かったね。リリィちゃんは優しいからね」
「一位の座が不動であることは口惜しいですが、少しでも好感度を上げておきましょう。やはり先生が歩く道には花の絨毯を敷き詰めるべきか」
「おい、やめろ」
リリィは手刀でエルフを強制停止した。普通に連れて行かないと帰ると脅し、ようやくエルフが住む里の一つ、ハイセレスを訪れた。
*
再会したテランシアが全く変わっていなかったことから、ハイセレスも変化していないと思いこんでいた。
ハイセレスは広大な樹海の中に作られた、エルフの居住地の一つだ。
巨大な木に貼りつくように足場や階段が設けられ、木造の建物が建っている。それぞれの建物には草花が絡み、遠目には巨木の一部に見えた。地上に広がる人間の町とは違い、上へ上へと拡張していくのがエルフの里だ。地上に近い階層は素材の加工やら鍛治を行う建物ばかりが並び、上の階層は彼らの住居と明確に分かれている。
立派な筋肉を身につけたエルフが薄着でうろついているのは、いつものこと。だが体格がいい通行人の中に、明らかにエルフとは違う種族の姿がある。一房だけ色が違う髪に、尖った耳。コウモリに似た羽を生やしているのは、魔族の特徴だったはずだ。
「魔族って、立ち入り禁止だったはずじゃ……」
エルフが大切にしている巨木を倒そうとして、全面戦争になりかけたと聞いている。お互いに接触しないようにしていた二つの種族が、和やかに談笑している姿を見るのは初めてだった。
「リリィが前世で広めたプロレスとサッカーの効果だよ」
「広めたっていうか、無理矢理アイデアを強請られたんだが」
「言わないと帰してもらえない雰囲気だったからねぇ」
ユーグはボールを持ってコートへ走っていく子供達を見送ってから続けた。
「エルフ達が楽しそうにサッカーをしているところを見て、見様見真似で魔族も始めたらしいよ。ある日、練習で鉢合わせしたチームが練習場所を賭けて試合をして、そこから交流が始まったとか」
今では互いの居住地に滞在するほど関係が改善したという。長年にわたり不仲だったので、全てのエルフや魔族が友好的ではないそうだが、それでも流れが変わったことに違いはない。
「魔族は勝手に試合内容を変更しているようですが、私達と試合をする時は当初の決まりを守っております」
内情に詳しいテランシアによると、二十年ほどの間で様々なルールが追加されたが、それは円滑に試合をするための規則だという。魔法は使わないという、最初に決めた規則は変わっていない。
反対に魔族だけのリーグでは空中戦も行うなど、自由に作り変えて楽しんでいるようだ。
「私が教えたのは人間向けのルールだからな。それぞれの種族に合わないところは好きに変えてくれ」
口調がなかなか戻らない。家に帰るまでに元に戻しておかないと家族にまた心配されそうだ。
参考にしているアニエスの口調を記憶から掘り起こしていると、突然ユーグがリリィの目を塞いだ。
「な、何?」
「ごめんね、シュクリエルさんがいたから」
この世界に来て、初めて遭遇したエルフだ。温泉郷近くの森で巨大な亀と迷子になっていた。リリィのエルフ観を跡形もなく砕いてくれた張本人でもある。
「あの人、また全裸になってんのか?」
森で迷ううちに服が朽ち果て、それ以来裸でいることに抵抗を感じなくなったという、変態の称号を与えるに相応しいエルフだ。無事にハイセレスに帰ってきてからも、ことあるごとに服を脱ごうとしている。
「あ。息子さんがすごい形相で走ってきて連れて帰った」
早口のエルフ語と共に、鈍い音がした。鈍器で殴られたのだろうか。重いものを引きずる音は、息子がシュクリエルを引きずって帰る音に違いない。見えてはいないが、その光景が容易に想像できる。
視界が開放されると、そこには何事もなかったかのように談笑するエルフと魔族がいた。露出狂のエルフは、もう既に日常の一コマと化していているのか。恐ろしい場所だ。
「先生には我々の歓待を受けていただきたかったのですが。あいにくと準備が整っておらず……どうしてもっと早く言ってくれなかったのですか?」
テランシアがユーグを睨むが、当の本人は涼しい顔のままだった。
「だって教えたら半日じゃ帰してくれないでしょ? 今日はダメだよ。リリィの家族と約束してるんだから」
「くっ……家族との約束ならば仕方ありません。先生の偉業を称えるのはまた別の日にしましょう」
「しなくていいからな。歴史の影でひっそり生きていきたいんだよ」
再びテランシアが捨てられた犬の顔になったところで、上の階からエルフが手を振った。リリィには分からないエルフ語で歓声をあげている。
「残念ですが時間です。今日の面会者はくじ引きで服飾を担当している者に決まりました。ぜひ先生の服を献上したいと――」
テランシアはそこでリリィの体型を上から下まで観察した。細身だった前世とは反対に、女性らしい曲線に恵まれている。肩が凝るのが欠点だが、怨嗟を集めてしまうので他人には言えない。
「まずは計測からになりそうですね。しかし着られそうなものは一通り試着をしていただきたいのです」
つまり着せ替え人形になれと言いたいらしい。この世の地獄はエルフの里に存在していた。
「ユーグ、助け……」
「僕は君が使う護身用の呪具を作りに行く予定だから、また後でね!」
どう考えても面倒そうだから逃げていったという表現が正しい。裏切り者はウィランサールの呪具店にいるからねと言い、爽やかな笑顔で去っていった。
――今度、家に来たらハチミツ入りの甘い紅茶を振る舞ってやる。あ、でも最近は疲れてるみたいだし、レモンも入れてやるか。お茶請けは炒り豆でいいかな。
陰険すぎない悪戯を考えているうちに、いつもと似たメニューになった。分かっていたことだが、自分には嫌がらせの才能はないようだ。
「先生、参りましょうか」
「ま、待て。まだ心の準備が」
「みな心待ちにしておりました。エルフと人間の時の流れは違うとはいえ、やはり早い別れは辛いものです。里の発展に貢献して下さった方なら、特に」
「……それ言われると断りにくいな」
リリィは諦めて階段へ向かった。
上の階から細身の女エルフが駆け下りてきて、リリィを抱きしめた。物語で伝え聞く姿そのもののエルフに、感動して涙が出そうになる。もう少し出会いが早ければ、きっと残念の二文字で装飾されることはなかったに違いない。
前半のシリアスどこ行ったんやろか。




