過去の因果
連れてこられたのは一軒の雑貨屋だった。外国産の食品や酒、魔導器を扱っている。アルトロワに古くからある店なのだが、店主が数年で代替りすることで知られていた。一族で経営しているので、各地で経験を積むために交代しているというのが理由らしい。
雑貨屋『森の囁き』という看板には、洒落た模様で縁取りがしてある。ユーグが扉を開けると、甘い花の香りが流れてきた。
「いらっしゃい」
落ち着いた中年男性の声を聞き、その輝くような金髪を見たリリィは、全てを理解した。
「まさかエルフの店だったなんて」
決して知らない店ではなかった。魔導器が入荷されることから、テランスに連れられて何度か来店したことがある。
前世でエルフに会っていたにも関わらずエルフの店だと気がつかなかったのは、店全体に隠蔽魔法がかけられているからだろう。ユーグと再会して前世を思い出したことで、魔法にかからない条件が揃ったようだ。
「おや、どうやら魔法が効かなかったようだね」
「もう彼女には効きませんよ。過去を思い出しました」
「そうか。では奥へ行こうかね」
店主は店先に休業中と書かれた札を下げ、リリィ達に店の奥へ行くよう促した。ユーグの後ろをついていくと、広い中庭にたどり着いた。中央には若い木が青々とした葉をつけ、夏の花が咲いている。もう冬だというのに、この庭だけは暖かい。
「ここは?」
「精霊の道を覚えてる? エルフが遠くへ行く時に使う移動手段。ここはエルフが住む樹海と繋がっているんだよ」
「そんな重要なものが街の中にあっても大丈夫なの?」
「店の扉とか看板とか、至る所にエルフ文字で認識妨害の呪文が書いてあるからね。あれは人の深層心理に作用するものだから、滅多なことでは破られないよ。ある意味、領主の館よりも防犯面では上だね」
リリィは看板の模様を思い出した。あれこそがエルフが使う文字だったらしい。
「まずエルフのことを知っていないと、店の奥には入れない。それから、店主が許可しないと中庭に出られない結界が張ってあるみたいだ」
中庭を囲む壁を見回し、ユーグが言った。後から中庭に入ってきた店主は、その通りと静かに肯定する。
「準備はいいかね?」
「ええ、よろしくお願いします」
店主はあまり多くを語る性格ではないようだ。事情を知っている者だけの会話の後に、手に持っていたコップから水を垂らす。歌うようなエルフ語の呪文が流れ、中庭の空気が変わる。
店主の声に寄り添って囁きが混ざった。足元から浮かび上がった粒子が渦巻き、リリィとユーグを囲む。
「君も大変だな。しかし、これも避けられない因果だと思って、上手く乗り越えるといい。精霊の加護を」
視界が完全に光に塗り潰される直前、そんな店主の同情的な声がした。
優しい浮遊感の後に聞こえてきたのは、生き物たちの騒がしい鳴き声だった。目を開けると、中庭は消え失せて樹海へと変わっている。相変わらず命の密度が濃い。
「ユーグ、説明」
「その言い方、懐かしいなぁ」
ユーグはリリィの手を取って樹海を歩きだした。雨が降った後なのか、濡れた地面が滑りやすくなっている。苔を踏むと、内部に蓄えた水分があふれてきた。
「最初から説明すると、前世のリリィちゃんが日本に帰ったあと、空になった器が残された。異世界転移のことを知っているのは、僕達の他はフェリクスとモニカだけ。他の人達には、君が戦死したって伝えるしかなくて。で、僕が側にいたにも関わらず、そんなことになったから、君を信奉していたエルフが……キレた」
「……つまり?」
「テランシアから殺されそうになった。森の狩人の名は伊達じゃないよ。気配を消して襲ってくるから、常に索敵レーダーを起動している状態だったね。常在戦場の心構えとはどういうことか、身をもって知ったよ」
「よく生きてたね……」
「僕の師匠、ウィランサールの店に逃げこんで、彼から説得してもらった。最高齢のエルフと知り合いで良かったよ。みんな、あのエルフには頭が上がらないから」
獣道の先に倒木が見えた。
表面に苔は生えておらず、樹皮が崩れていない。まだ倒れてから日が浅いのだろう。病気の兆候は見当たらないので、魔獣に倒されたのか。倒れた幹はリリィの腰の高さまであるが、登って越えられそうだった。
――あ、でも今日の服は……。
汚れてもいい普段着とは違う。デートだったらいいなと淡い期待を込めて選んでいる。
「リリィ」
手を離したユーグがリリィの肩を抱き寄せた。そのまま何のためらいもなく抱き上げ、倒木を飛び越えた。
服を汚さずに済んだのは嬉しいが、せめて行動する前に一言欲しかった。心の準備ができていなかったせいで、胸が痛いほど動悸がする。
「……重くない?」
「七色森林ツノガメよりも軽いよ」
「牛より大きなカメと比べないでくれる?」
あのツノが万能薬になるカメなら、大抵の人間は軽い側に分類されるだろう。リリィをからかって遊んだユーグは、楽しそうに笑っていた。道の状態が悪いからと言って、そのまま歩いていく。
「続けるよ? ウィランサールを間に挟んで、リリィちゃんが転生してくる可能性があるって話して、とりあえず休戦することになった。君が生まれたことはエルフのネットワークで知ってたみたいだけど、前世の記憶が無いみたいだから接触することは避けてたみたいだね」
ユーグがアルトロワに現れたことで、何か変化があったと察して接触してきたらしい。あの雑貨屋の店主はエルフの里の連絡員だ。エルフ側から、それも戦士の職についている者が里に人間を呼ぶのは珍しい。いきなり闇討ちされることはないだろうが、十分に注意するよう警告してくれたという。
「私が生まれたって簡単に分かるものなの?」
「見た目は変わったけど、魔力の質は変わってないからね。エルフも竜や魔族みたいに、外見以外で人を見分けてるんだよ」
「魔力の質が変わってないってことは、私が使える魔法も変わらないってことか」
使える魔法の違いは、持っている魔力の種類で決まっている。どんなに努力をしても適性がなければ使えない。リリィの魔力が変化していないなら、戦闘で使えるのは結界と回復魔法だけということになる。
「試してみる? 今なら誰も見てないよ」
ユーグはリリィを降ろすと、近くの木から青い木の実を摘み取った。形はカリンの実に似ている。ハンカチに包まれた実を受け取ったリリィは、手順を思い出しながら徐々に魔力を流していった。
表面についた傷を癒していると、ハンカチから熟した甘い果実の匂いがしてくる。果実に回復魔法をかけると追熟させることができるという効果だ。回復魔法の使い手にとって、患者がいなくても手軽に練習できる方法だった。
あともう少し必要だろうと魔力を注いだとき、水っぽいものが弾ける音がした。
「あっ……」
ハンカチを開かなくても分かる。失敗だ。
「前世も苦手だったな。あと少しってところで、いつも」
「完璧じゃなくてもいいと思うけどね。八割から九割ぐらいの治療でいいと思うよ。人には治癒能力があるんだから」
ユーグはハンカチごと果物を取り上げ、どこかへ消した。
「教会の治療院でも、果物を破裂させずに完熟にできるのは一握りの治療士だけだよ。それぐらい難しい。治療士になるわけじゃないのに、完璧を目指すつもり?」
「うん。怪我してるのに無理して動き回りそうな人が、ここにいるから」
「……なんで僕を見るの」
「あと痛覚を倍増させる魔法があったら教えて。動けなくなるぐらい強いやつ」
「リリィちゃん、目が怖いです」
遠回しに却下されてしまった。
再び歩きだしたリリィ達だったが、しばらく歩いたところでユーグが立ち止まった。
「思い出した。リリィ、お義父さん以外の前で結界を使ったこと、ある?」
「アニエスと誘拐された時に。魔力が足りなくて、一瞬だけ」
「目撃者の中に分析できる人がいたとしても、短い時間ならバレなかったかな……」
ユーグは細いブレスレットを取り出した。銀色の鎖に薄紫の天然石が一つだけついている。リリィの左手首に付けて、そのまま手を引いて歩く。
相変わらず、さりげなくプレゼントをしてくる人だとリリィは思う。昔からそうだった。怪我を癒す薬や、身代わりになる指輪など、忘れた頃に必要になるものを渡してくる。
「君の結界は分析しようとしても、捉え所がないんだよ。良く言えば流動的な魔法式。解析されないために偽装している、って言えないこともない。悪く言えば原始的な魔法だね。思いつきで作って、魔力で無理やり維持してるように見える」
「実際はそうじゃないの?」
この世界の魔法を知らない時に、どこかに引きこもりたいと願った末に作り出された魔法だ。詳しい原理は製作者のリリィも知らない。結界を解析しようとした聖職者に、似たようなことを言われた記憶がある。
「魔法式の中には、魔力を無駄なく使うための循環式が組み込まれてる。でも君の結界には、それらしきものが見当たらない。リリィの結界の維持に使う魔力って、ほんのわずかだよね?」
「大きさにもよるかな。私だけなら、たぶん寝ながらでも維持できると思うよ」
「ほとんど魔力を消費しない結界。それも、物理と魔法の両方を防ぐものなんて、滅多に存在しない。ぜひ手に入れたいと願う人は多いだろうね」
自分が使う結界の影響力など、考えたことがなかった。人の探究心は際限がない。合法、違法を問わず接触してくる者がいるであろうことは、容易に想像できた。つい最近、人の悪意に遭遇してしまったばかりだ。
暗い未来を想像してしまったリリィを励ますように、明るい声でユーグが言った。
「そうならないために、僕がいるんだよ。結界のことを聞かれたら、そのブレスレットの効果だって言えばいい。しつこい人には、僕から説得しておくから」
だからね――片手を繋いだまま、もう片方の手がリリィの頭を優しく撫でる。
「君は安心して魔法を使って。危ないときは、遠慮しなくてもいいから。結界でも魔石でも何でも使って、僕が来るまで待ってて。この前みたいに」
「……早く来ないと殴るから」
「泣かないところがリリィちゃんらしいよねぇ」
照れ隠しに乱暴なことを言うリリィに対し、ユーグはヘラヘラと笑っている。何を言っても、理不尽なわがままだろうと、こうして受け止めてくれるのだろう。本当に、どちらが年上か分からなくなってきた。
大人しく手を引かれながら、リリィはもらったブレスレットを見下ろした。薄紫の石は小指の爪ほどの大きさで、濁りがなく綺麗だ。澄んだ石を眺めているうちに、リリィの心は静かに落ち着いていった。




