散歩以上、デート未満
「リリィ、半日だけ時間をもらえるかな?」
昼下がりのある日、工房に来たユーグにそう聞かれた。あの誘拐事件が終わってから、二週間後のことだった。
「いいけど。どうして?」
「いや……ちょっとね。ゴメン、ここじゃ言えなくて」
ユーグの視線の先には、母親のカトリーヌと妹のジョゼが工房の軒先に果物を干している。換気のために窓を開けているので、会話は筒抜けだ。
家の裏からはテランスが弟たちに燻製肉の作り方を教えている声が聞こえてくる。こちらは大声でなければ聞こえないが、周囲にいる家族が話の内容を知ってしまう可能性は十分にあった。
「そう……」
あれからリリィとアニエスは風邪をひき、しばらく家の中にこもっていた。医者によると薄着で屋外にいたことと、誘拐された心労だろうということだった。家族に囲まれて看病されているうちに、心身共に癒されている。
体調が戻ってからは一人で外出することは禁止され、父親か母親がいる時でないと近所ですら歩けない。そろそろ息苦しく感じてきた頃だ。ユーグと一緒なら許可してくれるだろう。
むしろ歯切れが悪い言い方をするユーグのことが気になる。面倒な案件を押し付けられたプログラマーのように覇気がない。
「いつでもいいよ。そっちの予定に合わせるから」
そう言うと、ユーグはホッとした様子で微笑んだ。
「じゃあ明日の午後。迎えに来るから待ってて」
工房を出たユーグは家の裏に周り、テランスを説得しに行った。護身や魔導器といった断片的な言葉が聞こえてくる。やがて話がついたらしく、店先のカトリーヌ達に爽やかに挨拶をして帰っていった。
「相変わらず忙しいのねぇ」
果物を干し終わったカトリーヌたちが工房に入ってきた。使っていた道具はジョゼが率先して片付けに行く。リリィが食事を作る時も手伝ってくれる、真面目で可愛い妹だ。
「お母さん、明日の昼から出かけるね」
「ええ、いいわよ。ユーグ君とデートね」
「……どうしてそうなるの?」
「盗み聞きなんてしてないわよ。さっきの訪問は、そういうことでしょう? 分かるわよ、それぐらい。あなたの倍以上生きてるんですもの」
前世を含めればリリィの方が長く生きているが、女性としての時間はカトリーヌが圧倒的に長い。降って湧いたようなリリィの恋愛に、一番喜んでくれているのも彼女だ。
「お父さんの説得も、もう済んだのでしょう? ああ、それよりあなたの服を何とかしないと」
「そこまで気合入れたくないんだけど」
カトリーヌは針子の内職をしている。勤務先で仕事をしてくることもあるが、大半は家で縫製や刺繍をして納品していた。時間を見つけて家族の服を修繕したり仕立ててくれるので、服装が野暮ったいと言われたことがない。
「何を言っているの。二人で並んだ時に釣り合っていないと悲惨なのよ。陰で女の趣味が悪いと言われることは避けてあげないと。あなたが身なりに気を使わない分、彼を狙っている女の子が増えるの。自分の方が釣り合うからって理由でね」
「その発想は無かったわ」
相変わらず女の子の心理は分からない。付き合っている二人が釣り合っていないことから、どうして横取りできるという結論に到達するのか。リリィには備わっていない方程式が存在しているらしい。
行動的で自己評価が高い女の子は、とにかく厄介だとカトリーヌは言う。
「もう。魅力的な男の子と付き合ってることを、もっと自覚しなさい。もうすぐ成人でしょう? 今更あなたに女性らしさなんて求めてないけれど、逃げられないだけの魅力は身につけておきなさいね」
「リリア! 注文してた魔石は仕上がった?」
母親の小言が始まると身構えたとき、アニエスが工房の扉を開けた。外には大型犬が行儀良く座って待っている。よく訓練された白い猟犬だ。彼女は自宅の番犬と一緒なら外出の許可が出ているらしい。
アニエスは珍しくカトリーヌがいることに気がつくと、にっこりと笑って声をかける。
「こんにちは、おばさん」
「いらっしゃいアニエスちゃん。ちょうど良かったわ。うちの子ったらユーグ君に誘われてね」
「デートですか? じゃあ今から服装を考えておかないといけませんね」
「アニエス、魔石を取りに来たんじゃなかったの?」
なぜかリリィを放置して二人が盛り上がっている。これは短時間では終わらないと予想したリリィは、また魔石を加工する作業に戻った。
*
次の日、カトリーヌにダメ出しをされながら着替えたリリィは、二階の自室にある鏡の前で髪を触っていた。服装はいつもより少しだけ小綺麗にしただけ。その代わりに髪型を変えてみようと丁寧に編んでみた。
「……やっぱり止めた」
出来上がった髪型は我ながら上手くできたと思う。だがそれがいけなかった。ものすごくデートに乗り気で気合いが入った見た目になっている。意識しすぎているようで、昨日のユーグの様子と釣り合わない。
結局、いくつか三つ編みを作って一つにまとめるという、いつもの髪型に落ち着いた。ただそれだけだと物足りなくて、リボンの色を冬らしいワインレッドに変える。
いつもと少し違うだけ。もう少し変えた方がいいのかと未練がましく悩んでいるうちに、約束の時間になってしまった。
「リリア、準備はできたの? あら」
部屋に来たカトリーヌは、あまり変わらないリリィを見て、仕方ないわねと微笑んだ。
「そんなことだろうと思ったわ」
ポケットから口紅を出したカトリーヌは、リリィが何かを言う前にさっと塗ってしまった。リリィが薄化粧しかしないことを見越して、似合う色を選んでくれていたようだ。
「迷ったら血色がよく見える色を使いなさい。どうせ細かい色の違いなんて、男の人は見てないわ。健康で笑っていてくれる子を求めてるのよ」
「そう……かな」
リリィは化粧の違いに気がつかなくて怒られた前世を思い出した。チークの色を明るめに変えたと言われても全く分からなくて、理不尽だと常に思っていた。だが自分が化粧をする立場になると、わずかな違いに気がついてほしいと思ってしまう。
好きな相手には何も言わなくても望んだ言葉を返してほしいなんて、傲慢でしかないと分かっていても。
下の階からリリィを呼ぶ声がした。デートではないのに足がすくんだ。意識しすぎると緊張して動けなくなるから、考えないようにしていたのに。
「大丈夫よ。最初は誰だって緊張するの」
カトリーヌがリリィの背中を優しく押した。
――前世でも似たようなことはしてたのに。
散歩と称して帝都を歩き回ったことがあった。だから二人っきりになることなんて、今さら意識することではないと思いこんでいた。
あの時は服も化粧も全部ユーグに任せて、自分が行きたい場所を伝えただけ。好きだと認める前だったから、触れられても平気だった。
緊張が解けないまま、リリィは一階へ降りた。リビングでは弟達がユーグにまとわりついて、遊びをねだっている。双子の息が合った連携で腕と腰にしがみつき、楽しそうにぶら下がっていた。
ユーグに嫌がっている様子はなく、どこからか蝶の形に折った紙を二つ取り出した。
「よく見てて」
広げた手のひらに乗せられた蝶は、淡く光って羽ばたく。まるで本物のようにリビングを翔ぶ蝶を、双子は手を伸ばして追いかける。
「それ、適量の魔力を流すと飛び回るよ」
「面倒じゃん」
「エリク、出来ねーの? 俺できるし!」
不満をこぼしたエリクに対し、蝶を捕まえたリュカは床に座り込んで試し始めた。だが蝶は全く動かず、リュカの手の中で沈黙している。
「お、俺だって出来るよ。リュカは雑だし飽きっぽいから無理だろうけど」
二人が張り合っているのは、いつものことだ。双子が離れた隙にユーグはリリィのところに来た。古い床板を軋ませず、音もなく歩くのは、どういった技術だろうか。
「じゃあ、リリィを借りていきますね」
「ええ、遅くなっても構わないわよ」
「お母さん!」
デートかどうかも分からないのに、勝手にプランの延長をしないでほしい。
余計なことを言わないでとリリィが止める前に、ユーグは残念ですがと切り出した。
「さっき、お義父さんに『一分でも門限に遅れたら軒下に吊るす』って先に言われちゃったんですよ」
「もう、いい加減に認めたらいいのに。成人と同時に結婚なんて、この町じゃ珍しくもなんともないのよ?」
「お母さん、その話はいいから」
あまり先の話をされると、まともに顔が見られなくなる。リリィは逃げるようにユーグの腕を掴むと、急いで玄関へ向かった。靴を履いて外に出たあたりで冷静さが戻ってくる。いつもと少し違うリリィを見た、ユーグの反応を知ることなく出てきてしまった。
――いや、いつもと変わらなかったような……?
目が合ったことは間違いない。だがいつも通り微笑まれただけで、視線はさっさと他所へと向いてしまった。釘付けとまではいかなくても、違った反応が見られなかったことは残念だ。
「今日はリボンの色が違うんだね。深い赤も似合ってるよ」
「あ……ありがと」
人の心を見透かしたのか、さりげなく褒められた。期待が外れて諦めかけたところだったので、上手く言葉が出てこない。自分の耳が熱い気がする。
だが視線を感じて見上げた顔は、戸惑うリリィを面白がる表情そのものだった。
「からかわないで」
「違うよ。リリィちゃんが可愛いから言ってるの」
「あなたが私を『リリィちゃん』って呼ぶ時は、悪戯したい時でしょ」
「言われてみれば、そうかもしれない」
酷い男だ。けれど許せないほどではないのは、お互いに心を許している関係だからだろう。
「それで、家族の前で言えない用件って何?」
ユーグは、アルトロワの中心へ向かうと告げた。
「以前から君を連れてこいって騒ぐ奴らがいてね……本当に、急な話で悪いんだけど、会ってあげてほしいんだ」
「私に会いたい人?」
心当たりは全くない。
「エルフだよ」
「エルフ」
なぜかリリィの脳裏に密林で暮らす部族の姿が思い浮かんだ。彼らの髪は金から銀、耳は少し尖っている。人間から見れば恐ろしく整った顔立ちは、エルフの特徴として伝わっているものだ。だがよく日に焼けた健康的な肌と、存在感しかない立派な筋肉が伝承とはかけ離れていた。
「待って。今、何か変なものを想像した」
「それね、たぶん合ってる」
なかなか絶望的なことを言ってくれる。ユーグと再会するまで忘れていた、真実の姿を思い出してしまったようだ。
「そんな絶望的な顔しないで。君専用の魔導器を作りに行くだけだから」
大丈夫と言いつつも、ユーグの表情はどこか憂鬱そうだった。




