回想する者
領主が生活をする建物には何度か入ったことがある。
最初はフェリクスが領主として就任したとき、祝いとして大粒の魔石と呪い返しの札を贈った。呪いは教会に依頼すれば解いてくれるが、就任直後で激務が予想されるため、時間の節約になればと押し付けたものだった。
そのあと何度か訪問し、最後に来たのは研究が完成して長く眠ることになる前。何かあった時のためにと、フェリクスに全てを打ち明けた時だ。
久しぶりに入った談話室は、何年経っても変わっていなかった。さして広くはないが、温かみのある色合いの調度品が品よく配置されている。ユーグが今、座っている一人がけのソファは、座面の生地を張り替えたばかりのようだ。艶やかに磨かれた手すりが、快適な角度で腕を支えてくれる。
贅沢には興味がないフェリクスだが、こうした長持ちする質の良い品には出費を厭わない。意味がない派手な装飾が嫌いなだけで、道具としての機能が優れているかどうかはまた別の評価をしているらしい。
室内は隅々まで掃除が行き届き、いつでも使える状態に保たれていた。暖炉に火を入れた使用人が出ていくのと同時に、ワイングラスと軽食が届けられた。ユーグが提供したチーズも、薄く切って見栄えよく皿に盛り付けられている。
「じゃあ、さっそく」
開けたワインボトルを持つと、フェリクスがグラスを取った。互いに酒を注ぎ、静かな酒宴が始まった。夜が遅いため、モニカと子供達は挨拶だけで退席している。
「いいワインだな」
一口飲んだフェリクスが言った。
「当たり年のものらしいよ」
「飲む相手が俺で良かったのか」
「一人で飲むのはもったいないでしょ」
持参したチーズはウォッシュタイプだった。クセが少なく、滑らかな食感だ。
「談話室に入るのも、君と飲むのも、久しぶりだね。あの時は白ワインだったっけ」
「白がいいと騒ぐ奴がいたからな」
「うん、こっちのワイン事情には詳しくないからねぇ。自分で探すよりも君に聞いた方が早いし。でもあの時は生家のことを見抜かれるオマケが付いてくるとは思わなかったよ」
不意に沈黙が降りた。
「……知らなければ、何を隠すべきかの検討がつかん」
「隠してくれたことは感謝してる。推理小説の犯人みたいに、じわじわと理論で逃げ道を塞がれるのも楽しい経験だったな。君も体験してみる?」
「遠慮する」
不思議な時間だとユーグは思う。最悪な出会いを経て、互いに利用し合う間柄だったのに、今では二人でワインを飲む関係になっている。正反対の性格だからこそ、衝突して、上手くいっているのだろう。側から見れば親友としか思えないことも知っている。
「あれから十八年ぐらいだっけ? だいぶ領内が落ち着いたみたいだね」
「平和になれば、また別の問題点が出てくる。全く終わりが見えん」
「いやいや、よくやってると思うよ。己の知名度を活かして開拓に必要な技術者を集めたり、治安維持のために元騎士を引き取ったりね。発展させて国からの信頼を積み重ねた結果、大学の誘致に成功したじゃないか。農業以外の産業として、学術都市を目指すつもりかな?」
新しい街道が開通すれば、アルトロワと帝都は移動距離が短くなる。
帝都は人口が増え続けるばかりで、常に土地が不足していた。既に帝都にある学術機関も、研究内容の増加と施設の老朽化という大きな問題を二つも抱えている。静かな環境での研究を望む声が上がっているという話も出始め、移転を含めた解決策を探している最中だった。
そんな中、治安が良く学校制度が成功しているリール領は、帝都の学術機関の一部を移すには最適な立地だった。学び舎を作ることに抵抗がなく、研究に必要な魔石を森で採取することができる。
なにより帝都から離れすぎていないという点が、最終的な決め手となったようだ。
「お前が言うと、皮肉にしか聞こえんな」
「酷いなぁ。本気で感心してるんだよ、僕は」
社交界が嫌いと公言してリール領に引きこもっているにも関わらず、世間の流れに乗って最適の策を選んでいる。領内の安全を売りにして人の往来を活発にし、各地の情報を得てきた結果だろう。
人が動けば情報も動く。一つ一つは取るに足りない話でも、積み重なれば無視できない情報になる。それを知っているからこそ、フェリクスはユーグが生まれ育った家について見当がついたのだ。
*
およそ十八年ほど前、ユーグは手土産を持って談話室に来ていた。
土産は南方の深海に生息する魔獣の一種だが、非常に美味な白身魚として魔族の間で流通している。見た目がグロテスクなことと、人間が住む領域には滅多に泳いでこないため、帝国での知名度は無いに等しい。
料理人には珍しい白身魚とだけ伝え、切り身にしたものを渡しておいた。正体を知ったら気絶するかもしれない。特徴的な見た目から、腐乱魚という別名があることは黙っていようと誓った。
「……お前の事情は理解したが、その研究はここでも出来るだろうが」
賢者の流れを汲む外法に手を出したことをフェリクスに告げると、呆れた奴だという目で見られた。
「なぜ言わなかった? 森の中なら地元の人間ですら奥へは行かない。良質な魔石も取れる。隠れ住むには最適だぞ」
「ダメだよ。君は品行方正な領主として売り出したんだから、僕みたいな不純物は抱えちゃダメなの。うっかり隠れ家を吹き飛ばしてバレても庇えないでしょ?」
空になったグラスに白ワインを注ぎ、ついでにフェリクスのグラスも満たしてやる。
「迂闊に家屋を吹き飛ばすような研究内容なのか?」
「高濃度の魔力を扱うからね。一度だけ、クァンドラの家の壁を壊したよ。本気で怒られた」
「……そうか」
フェリクスは能天気なクァンドラしか知らない。絵画に描かれる悪魔のように、禍々しい姿に変貌して怒られたことを思い出すと、今でも鳥肌が立つ。あれは人間が逆らってはいけない何かだ。
「それで、お前の不在間は『彼女』を保護すればいいのだな?」
「うん。頼んだよ」
「俺が動かずとも、モニカが察して動くと思うが」
「暴走しそうな時は止めてね。彼女、好きな人には尽くすタイプでしょ。領主の妻が領民の対応に差をつけるわけにはいかないから」
「……善処する」
「分かってる? 惚れた相手だからって遠慮しないように。放置してたら巡り巡って自分の首を絞めることになるんだよ?」
「それぐらい言われずとも分かっている」
「何で目を逸らすのかなぁ?」
ユーグはフェリクスに依頼するのは諦めた。こいつは惚れた相手には強く言えないタイプだ。モニカを説得した方が早い。
「僕の要望はそれぐらいだよ」
「そうか。いずれはここに定住すると仮定して、お前に聞きたいことがある」
「改まってどうしたの」
「お前の出自についてだ。東雲家は普通の家ではあるまい?」
もう聞くことはないと思っていた名前が出た。
「まさか。一般家庭だよ。どうしてそう思ったの?」
「歴代の勇者の中に、二刀流はいなかった」
わざわざ調べたのかという感嘆と、どうやってという疑問がわく。教会方面のツテか、帝国の蔵書か。今のフェリクスの地位なら、どちらでもあり得る。
「お前がこの世界に来た当初は、俺が習得した太刀筋の記憶を引き出して使っていたのだろう。武器も長剣しか持っていなかったからな」
「転生に巻き込んだタブレットとかスマホの演算能力のお陰だよ。明らかに情報処理の速度が上がったからね」
「この世界に来た当初は、そうだろうな。太刀筋を視覚化させていたのは、魔獣との戦いに慣れていなかったお前が、効率よく動くために作り出した機能だった。だが、それだけでは説明がつかない」
フェリクスは考えをまとめるように間を置く。
「どうして戦うことを忌避しなかった? 命を奪うことに躊躇いがない」
「魔獣は人間を襲うからねぇ。攻撃しなきゃ殺される。命乞いが通じる相手じゃないよ」
「それでも何かしらの心の揺れはあるだろう。内側から見ていたが、お前にはそれがなかった。あまりにも静かだ。命のやりとりをすることを、不自然なほど冷静に受け入れている」
「早い段階で覚悟を決めておかないと、由利さんを守ることなんて無理だよ」
「人間を相手に戦っていたとき、お前は動きに無駄が無かった。魔獣を相手にした時よりもな。もう一度聞く。東雲家は普通の家ではあるまい? 武人か、あるいは」
ワインを飲もうとグラスを傾けると、空になっていたことに気がついた。どうやら自分で思っていたよりも動揺しているらしい。
「それに、あの身のこなし。武器に振り回されたことが一度もない」
「それも君由来の知識じゃないかなぁ」
「太刀筋が全く違うのに? どれだけ頭で理解していようと、体が動くことは違う。それにタルブ帝国剣術は剣で敵を叩き潰す豪剣。鎧を着た兵と戦うための戦場の剣だ。対してお前の今の剣は、斬ることが主になっている。独特な反りの刀で、相手を殺すための技術だ」
これだから、この男は油断が出来ないのだ。たった一つの疑問から糸口を探り当てて正解に辿り着く。悪く言えば諦めが悪い。
「教会に侵入した手口も手慣れていたな。魔法の助けがあったとはいえ、普通の家に生まれた者が、警備の裏をかけるものか? どのような道具があれば人の目を欺けるのか、よく知っていたな」
「人の視界と、一度に処理できる情報は、あまり個人差がないものなんだよ。たまに例外がいるけどね。魔法を除いた人間の機能が地球と変わらないなら、何から身を隠せばいいのかは想像がつくよ。人は異変を嫌う。いつもと変わらないという幻想を見せてあげることが、あの時の最適解だっただけ。君が思っているよりも、人の心理は単純だよ」
「単純か……そうかもな」
話を逸らそうとしても、フェリクスは引っ掛からなかった。間違いなく、この男は答えを確信している。
「最後に、最も優れている者が家を継ぐそうだが、何をもって優秀と判断している? 他人の心理に精通して、あらゆる場で対応できる能力を有しておきながら、まさか職業の社会的地位や稼ぐ金の額を競うような、幼稚な競争を強いるとは思えない」
「……まぁ、君ならいつか気がつくと思っていたよ」
そうだね、普通じゃない――ユーグは認めた。
「雨乞いの儀式がきっかけで権力者に取り立てられた呪い師。けれど、その権力者が見ていたのは、効率よく人心を掌握したところだよ」
己の力で雨を降らせたと錯覚させる仕掛け、舞台装置、反感を抱かせずに報酬を増額させる手口。あらゆる手段を使って、狙った結果を引き出す狡猾な性格。だから権力者の『手駒』として求められた。
「表向きは無力な民を装い、裏で汚れ仕事を請け負う。諜報は基本中の基本。たまに武力で解決したりね。伊賀や甲賀のように、歴史上には決して名前が出てこない。だって、まだ仕事は続いているんだから」
最初に支えた家はとうに食い潰したらしい。主人に値しないと判断したら、侵食して更に上を望む。そんな腐食毒みたいな家だ。あの家が誰についているのか、知っているのは当主だけ。
「そんな家を乗っ取って存続させることが、優秀であることの証かな? いや、途中で脱落した僕には正解なんて分からないんだけどね」
優秀な人材なら何人もいた。誰か一人が欠けたところで傾くような、軟弱な家ではない。決して表には出ずに、これからも存続していくのだろう。
「武家かもしれないって予想は、ある意味では合ってるよ。剣術や弓は使えて当たり前だし、馬も乗れないと。学校の成績が良いことは普通すぎて自慢にもならない。人間関係で摩擦を起こすなんて論外。人の心を操れないとスパイにはなれないからね。正道を行く騎士とは、似て非なる存在だ。それで、君はどうする?」
フェリクスはすぐに答えなかった。
「……この世界に来たのがお前でなければ、今こうして酒を飲んでいることもなかっただろうな」
「ん?」
「何の因果か、彼女はアルトロワに生まれてくる。いずれまた、お前もここへ来るのだろう? 全容を知っていれば、何を隠すべきかも分かるというものだ」
その言葉が、利用するためでなく正しく知って隠すという意味だと理解するのに時間がかかった。人の嫌な面ばかりを見過ぎていたらしい。
「……真っ直ぐな性格だなぁ。疲れないの?」
「褒め言葉として受け取っておく」
「君が困ってたら、できる範囲で協力するよ」
「ああ、期待はしない」
今日のワイン代ぐらいの働きはすると言うと、しっかり飲めとグラスに注がれた。
*
「思い返せば、あの時のワイン代以上に働いてる気がするなぁ」
「公共事業への参加は領民の義務だ。病気や怪我がなければ働け」
短い回想の果てにぼやいてみたが、全く意味がなかった。領主が真面目に働いて成果を出しているので、説得力しかない。上が勤勉すぎると下は苦労するだけだと痛感した。
「嫌なら金を納めろ……と言いたいところだが、お前は金だろうと物資だろうと、すぐに調達してくるからな。黙って労働力になれ」
「くっ……反論できない」
今まさに物資で手を打たないかと持ちかけようとしていたところだった。
「こう頻繁に駆り出されると、僕の家の完成が遅れる」
「雪が降れば街道工事は一時中断する。家の外側は完成しているのだろう?」
「早く雪が降らないかなー。占い師の末裔らしく、雪乞いでもしてみようか。魔法がある世界なんだから、成功するかも」
「大雪になったら、どうしてくれる。馬鹿め」
「その時は雪まつりだね!」
窓の外を見れば、空から白い欠片が降ってくるところだった。一足早い冬の訪れに期待していると、本格的に降る前に森の結界を巡回する業務があるぞと冷や水を浴びせられた。




