馬車道と古い森
その山道は帝都へ繋がっていた。傾斜が急で、人間が一人通るのがやっとの幅しかない。少々迂回することになるが、反対方向に整備された馬車道がある今は、ここを通る者は皆無だった。そのため追い剥ぎですら通行料を取ることを諦めて、根城を捨てたという。
半ば放棄されているとはいえ、地元の猟師たちは仕事のためにここを使っていた。人の足で踏み慣らされた道は、雑草に侵食されつつも通り道としての形をかろうじて保っている。
「ここを馬車道になるように整備すると?」
「ああ。今の道よりも傾斜が緩やかになるように……お前の故郷の言葉では『つづら折り』と呼ぶのだったか」
ユーグが荒れた道を指して言うと、領主は冷静に答えた。
「使われなくなって久しいが、ここに道があればリール領から帝都まで最短距離で到達できる。わざわざ遠回りをして他の領を経由して行くこともない」
「まあ、それは分かるんだけどね。領民も増えてきたし、今まで以上に物流を盛んにしたいって気持ちも」
リール領最大の町アルトロワからこの山の中腹までは、すでに馬車道が整備されつつある。山の反対側は帝都を含む皇帝の直轄地のため、リール子爵領の担当は山の頂上までだ。
「森林の伐採と根の排除か。一大事業だね」
「そのためにお前を呼んだ」
「僕は便利屋じゃないんだけどなぁ」
「常に人手不足の領に来た不運を恨め」
「パワハラだー」
棒読みで不満を述べたユーグは、かつての戦友でもある領主を見た。
貴族としての名はフェリクス・ド・デュラン。現在ではリール子爵として帝国の一部を任されている。帝国法では貴族として名乗るときはデュランを使い、領土を任された子爵として名乗るときはリールを使い分ける。
ビジネスネームのような扱いだろうかとユーグは解釈することにした。どうせ自分には縁がない貴族世界の制度だ。
最後に会ったフェリクスは恵まれた才能と容姿の青年だった。癖混じりの金髪に新緑のような瞳。表情にはやや冷たさがあるものの、その整った外見で多くの女性から関心を寄せられていた。
二十年経った今でも全体的な印象は変わらないが、歳を重ねた渋さと領主としての威厳が身に付いている。
――これはこれで夢中になる女性がいるんだろうなぁ。
若い頃は美形でも晩年は残念な容姿になる者がいる一方で、この男のように崩れることなく違う魅力が加算されてゆく者もいる。ただフェリクスに関しては優遇されすぎではなかろうかとユーグは思った。
「何か言いたいことでもあるのか?」
「世の中は不公平にできてるんだな、と」
「……理不尽の化身はお前だ。仕事内容を理解したなら、さっさと取り掛かれ」
フェリクスはユーグが二十年前と変わらない姿で現れた事情を知っている。周囲には作業員が待機しているため、聞かれないように強引に会話を終わらせた。
測量と経路の選定は既に済んでいる。ユーグは作業員数人がロープを張っている場所へ近づいた。魔力が尽きるまでは、ひたすら樹木の排除だ。まずは一本だけ魔法を使ってみて、作業に慣れようと木を観察してみる。真っ直ぐに伸びる木は、ほとんど手を加えなくても優れた建材になる種類だった。
「柱に丁度いいな。これ、もらってもいい?」
「道になる場所にあるものは好きにしろ」
領主の許可が出た。腰に佩いた刀を抜き、低く水平に構える。
「飛燕」
刀を振ると見えない刃が木の根元に当たり、衝撃が通り抜けた。わずかに生じたズレで切断できたことを確認し、ユーグは木を異空間へと収納する。枝を落として乾燥させるのは後でいい。次に地中に埋まっている根を魔法で掘り起こして排除すると、作業員の一人が持っていた地図を落とした。
「あ、あのう……領主様、これは……?」
引き攣った顔の領民が尋ねると、全く動じずに見守っていたフェリクスは静かに諭す。
「ここで見たことは他言無用だ。いいな? 工事の期限が迫っていてな、こいつの力を使わねば到底、間に合わん」
「いや、言っても信じてもらえないでしょうよ……」
集まっている作業員は領内で募集した領民だ。ほとんどが収穫を終えた農家で、魔法を近くで見たことがない者ばかりだった。魔法をよく知らない一般人にしてみれば、魔法は戦うための手段でしかない。物語に出てくる魔法使いが圧倒的な力で地形を変えることはあっても、庶民の生活のために工事をしていたなんて話はどこにも存在していないのだ。
「魔法で切り開くなら、俺たち必要なかったんじゃないですか?」
年若い作業員が荷車に積んでいた土をバケツに入れながら言った。自分達が手作業で行っていたことを、ものの数秒で終わらせているところを見せられて、面白くない様子だ。
「おい、止せ」
「だって、あんな簡単に……」
「見た目ほど簡単ではないが」
フェリクスが後方の作業員に指示を出して戻ってきた。作業員は根が埋まっていた穴を、運搬してきた土で均している。
ユーグは説明をフェリクスに任せ、次々と樹木を消していった。余所者が言い訳をするよりも、彼らが信頼する領主が説得すれば受け入れてくれるだろう、という下心だ。
「作業時間は短くなるが、疲労は変わらん。むしろ魔力を使いすぎて昏睡する可能性があるから、使いどころは難しい。そのまま魔力を失った者は数知れない」
「え……」
まず魔法を使えば疲れるということを知らなかったようだ。想像したことすら皆無だったのだろう。若い作業員は困惑してユーグを見た。フェリクスはそれ以上、説明する気がないようだ。丸投げしようとしたことを見抜かれている。
「魔力が枯渇するまで使えば、回復するには何日もかかるんだよ。それに慣れていない使い方をすると、消耗が大きい」
「それなのに、引き受けたんですか?」
「領主様には移住する時に便宜を図ってもらっているからね」
「使える人材を、俺が冷遇するわけがないだろう」
「はいはい」
ユーグは建材に向かない木を根ごと掘り起こした。後で麓の広場に安置しておけば、町の木工職人が必要な分だけ持っていく契約になっている。職人が持っていかなければ、どこかで薪として使われるはずだ。
見えない場所に魔法を使うのは加減が難しい。一つとして同じ生え方をしている木がないので、微調整を繰り返しながらひたすら目印がついた木を掘り起こしていった。
たまに加減を間違えて使い物にならないほど木を粉砕しつつ、山を進む。ようやくコツらしきものを掴んだ頃には、しっかり汗をかいていた。
襟元を緩めて服の中に溜まった熱気を逃していると、今度は年配の作業員が尋ねてきた。
「ところで、領主様とユーグはどのような関係で?」
貴族でもないのに対等な立場でものを言い、領主がそれを咎める様子もない。作業員が不思議に思うのも無理はない。
ユーグとフェリクスはわずかに言葉に詰まった。
「戦友かな」
「戦友だ」
仕方なしに言い捨てた言葉は、完全に重なっていた。とても一言で言い表せる関係ではないのだが、他に適切な言葉が見つからない。
ある偶然が重なって、ユーグがフェリクスの体に憑依した状態だったことがある。記憶の一部が混ざり合い、赤の他人にも関わらず、家族以上に互いのことを知った。流れ込んできた記憶はもう消去したので元通りの他人へ戻ったのだが、今度は相手の思考が読めるようになってしまった。
長年の付き合いがある親友のように。
あるいは良き競争相手のように。
相容れない部分では衝突しながらも、奇妙な縁が続いている。
そんな裏側を知らない作業員達は、戦友という称号と嫌悪感丸出しの二人の態度に戸惑いながら、納得したふりをした。すぐに理解できるものではないとだけ伝わったらしい。
「そうだな……皆も知っていてもらいたいが、こいつは顧問として領地の運営に関わっている。萎縮せず本音で話せと俺が命じた。不敬に見えるかもしれんが、領民としての一線を越えるものではない」
それに――フェリクスは腕組みをしてユーグを一瞥した。
「こいつに敬語で話されると虫唾が走る」
「本音が酷すぎない? そこまで嫌うなら、時々は敬語に戻しましょうか、領主様」
ユーグが軽薄そうに言うと、二人の間の冗談だと受け取った作業員の間に笑いがおきた。
――顧問になってくれと要請されたことも、承諾した覚えもないけど。
ユーグは爵位持ちではない。それどころか帝国国民ですらない、移民という立場だ。フェリクスは領民の間に混ざって彼らの声を聞くような変わり者の領主だが、本来なら面会すら叶わないほど身分の差がある。
顧問は領主が平民を雇う時の役職の一つだ。領内で問題が発生したときに、必要な知識を提供する。持てる人脈と技能で領主を補佐することもあるが、政治的な権限を与えられることはない。あくまで専門家のような立場から助言をする領民のことだ。
フェリクスはわざとユーグを顧問だと宣言することで繋がりを示した。これにより新参者のユーグが領主に招かれて、外国から移住してきたのだと考える者が出てくるだろう。ユーグは領主によって身元を保証されたも同然だ。
相変わらず義理堅い男だとユーグは思った。
今だに命を救われたことに恩義を感じ、新しい生活を助けてくれている。
「ユーグさん。さっきはすいませんでした」
休憩時間になったとき、若い作業員が意を決した様子で話しかけてきた。ユーグに差し入れの果実水を差し出す。
「俺、魔法のこととか何も知らないのに、勝手なこと言って……」
「気にしてないよ。よく言われるから」
自分が持っていない力を見ただけで理解するのは難しい。この作業員の反応が普通なのだ。
作業員はクロードと名乗った。アルトロワで家具職人の見習いをしているという。ようやく親方に作業の一部を任されるようになったころ、馬車道を整備する人足として集められたそうだ。
農家であれば秋の収穫が終わった農閑期で、良い小遣い稼ぎになる。だが家具職人は適切な材木があれば季節はあまり関係ない。
「仕事が楽しくなってきたところに、親方から行ってこいって言われたんです。山へ行って、良い木を見る練習をしてこいって。でもいざ来てみると、そんな余裕は全然ないぐらい疲れるばかりで、つい八つ当たりを……」
「良い木か。家具に使いたいのは、どんな種類?」
「俺が作りたいのは、長く使ってもらえる家具なんです。机とかソファの枠とか。だから硬くて重い木材を――」
ユーグはクロードの説明を興味深く聞きながら、もらった果実水に口をつけた。柑橘類と砂糖を混ぜたような味がする。後味がすっきりとしていて、疲れていた体によく染み渡った。
――あれは何だろう。
山の麓は平野と森が広がっている。アルトロワの町に住む者は、森の恵みを採取しに出かけることがあった。だがそれは森の入り口に限られ、奥深くまでは入ろうとしない。
ユーグは凶悪な魔獣が出るからだと思っていた。実際に森の奥へ行くほど、人の手に終えない魔獣が生息していることは世界の常識だ。
その森から、ほんの一瞬だけ何かを感じた。
「どうしたんですか?」
急に森を見つめたまま動かないユーグを、クロードが心配そうに見ている。
「え? ああ……えっと、あの森は? 奥に何かあるのかな?」
「いや、俺は聞いたことないですね。入り口付近しか入ったことなくて……誰か知ってますか?」
クロードが周りで休憩していた作業員に話しかけると、年配の男達が集まってきた。
「古戦場だって聞いたことがあるぞ」
「遺跡じゃなかったか?」
「領主様が調査したとか……」
「俺は猟師をやってるからよく中へ入るが、石の柱のようなものは見たことがある。ただ強い魔獣がいる範囲だから、遠目に見て、それっきりだよ」
彼らに礼を言ってフェリクスに確かめてみると、住居跡らしきものを発見したと告げられた。
「石の柱は知らないな。俺が見たのは古代の建物群だ。植物に浸食されていたが、人の手で石を積んだ壁が残っていた。気になるのか?」
「……気になるってほどじゃないけど、良い予感はしない」
「あそこは精霊も嫌っているらしい。食われるそうだ」
「精霊が食われる? 力を奪われるってことかな。調査してるってことは、君も嫌な予感がしたんだよね?」
「久しく忘れていた何かを思い出した。ただ、その何かは俺にも分からん。その感覚が年々、強くなっている」
かつて一方的に勇者と任命され、魔王と対峙することになった領主は、感情が見えない瞳で森を見下ろした。だが微かな手がかりすら得られず、諦めた様子で馬車道へと戻っていった。




