苦い薬
目覚めは最悪だった。
アランは痛む頭をこらえて起き上がった。飲み比べを始めたところまでは覚えているが、一杯目を飲んだあたりから記憶がない。何か大切なことを話したような気がして、思い出せないことに苛立つ。
「アラン、起きたのかい?」
キッチンで食器を洗っていた母親が振り返った。学校へ向かう弟たちを見送り、食卓に座ったアランへ小瓶に入った薬を渡す。
「死にそうな顔して出てきてさぁ。これでも飲みな」
コルクの蓋を開けて呷ると、どろりとした液体が口の中に入ってきた。甘くて苦い、恐ろしく不味い薬だ。母親はどこでこの薬を手に入れたのだろうか。吐きそうになる前に、アランはコップに水を入れて一気に飲んだ。
「どこで買った薬だよ……まだ口の中が気持ち悪い」
「ユーグ君がくれたのよ。お前なんかよりも、よっぽど立派だよ。酔い潰れたうちの息子を送り届けて、ちゃんと自分の足で帰っていったんだからね」
テーブルに伏せて母親の小言を聞いているうちに、頭痛が消えてきた。ユーグから貰ったことは引っかかるが、薬の効能には感謝している。話しかけたくないけれど、礼は言っておかなければ気が済まない。
朝食はスープだけを胃に入れて、アランは父親と共に森に入った。
自警団が大型魔獣を討伐してくれたおかげで、立ち入り禁止が解かれている。アランの家は罠を使って狩猟をする許可を得ているため、仕掛けた罠を見に来ていた。雪が降ると罠が見えなくなる。本格的に冬が来る前に回収しておかなければ、他の住民が引っかかってしまう。
罠には野うさぎが一匹だけかかっていた。手早く脚を縛って袋へ入れ、罠も回収して家へ向かう。今年の狩りはこれでおしまいだ。ウサギの毛皮はブーツの内側に使う予定だった。柔らかくて温かい毛皮は厳しい冬を乗り切るには欠かせない。
「やけに機嫌が悪いじゃないか」
森を出たところで父親が話しかけてきた。
「リリアーヌのことか」
「別に。いつも通りだろ」
核心を突いてきた父親に、つい無愛想に返してしまった。これでは肯定しているようなものだ。
「相手が悪かったんだろうなあ」
「応援ぐらいしてくれてもいいじゃないか。親子なんだし」
「息子を応援する気持ちは、もちろんあるさ。相手が悪かったって言っただろう? 十七年かけても家族ぐるみの付き合いから抜け出せなかったんだから、どうしようもないさ」
「……分かってるよ、それぐらい」
リリィにとって、自分は幼馴染以上にはなれない。とっくに気付いていた。隣に住んでいて、それぞれの両親の仲が良いという理由で交流がある。それだけだ。
なんとかして気を惹こうとしたけれど、リリィがアランを意識することは一度もない。試行錯誤をして足掻いているときに、ユーグが現れてリリィの心を掴んでしまった。
何をしても敵わないと実力の差を見せつけられて、どんなに頑張っても追いつけない。世界が違うという言葉の意味を痛いほど知った。
「リリアーヌが誰を選ぶのかは、彼女の自由だろ。でも」
その相手に納得がいかない。ほとんど知らない奴が、ずっと好きだった彼女の隣にいることが。
「ユーグなぁ……」
父親は野うさぎが入った袋を背負いなおした。
「ありゃあな、ようやく安住の地を見つけた移民の目だ。それこそ、相手が悪いわな」
「移民……」
口が悪い者は、他所から来て自分たちが築いてきた成果を横取りしていると言う。偏見の目で見てはいけないと思いつつ、幸福を切り取られている錯覚に陥ることは確かだった。
「お前、テランスが地元の人間じゃないって知ってたか? 魔王のせいで故郷を壊滅させられて、死にそうになりながら帝都にたどり着いたらしい。もともとタルブ国籍だから厳密には移民とはちと違うんだが」
「……知らなかった」
リリィの父親のテランスは、アルトロワにとって重要な魔石職人だ。町に馴染んでいて、一度も移民ではと疑ったことなどない。近所の人たちだけでなく、大通りに店を構えるような商人もテランスの腕を信頼していて、よく加工を依頼している。
「あいつは苦労したことを喋らないからな。あの頃は移民が多かった。犯罪奴隷や貧民に混ざって、河川の大規模工事に参加して日銭で食いつないで。そんな時に、リール領が移住者を募集してると聞いて移り住もうと思ったらしい」
「移民全員がテランスさんみたいな勤勉な人ばかりじゃないよ」
「そうだな。色々な奴がアルトロワに来て、去っていった奴もいる。だがな、本気でここに骨を埋めようとする奴は目が違う。幸せになるために、苦労を厭わない。けれど平和を脅かす敵には、徹底的に抗う。この町の大人がユーグを受け入れているのは、自分たちの過去を思い出しているのさ」
「出身地すら言わなくても、か?」
「そりゃお前、例えば、目の前で家族が魔獣に食い殺されちまったら、出会う人全員に喋ろうと思うか? 言わないんじゃなくて、言えないのさ、彼らは」
森の出口が見えてきた。父親は外へ出られることに安堵して、白い息を吐く。
「移住してきたばかりのテランスそっくりな目だ。テランスだけじゃない、生きることに必死な人間は、ちょっとやそっとじゃ諦めない。お前、ユーグに勝ちたいと思うなら並の努力じゃ追いつけねえぞ」
ここは平和だからなぁという一言が、ゆっくり心に沁みてくる。
どうしてリリィを好きになったのかを思い出した。彼女は良い意味で気を使わなくてもいい。こちらが言いたいこと、心情を察して適切な言葉をくれる。だから一緒にいたいと思った。
ずっと続けばいいと思っていたのに。
家が隣同士だから、お互いの生活に大きな変化もないだろう。
そんなことを考えていたのは、自分だけだった。
直視したくない現実を知るにつれ、苦い薬の味が蘇ってくるようだ。もう奇跡など起きないと分かっているのに、違う未来を願いそうになる。
――俺、どうしてこんなに弱いんだろう。
ユーグの存在に苛立っていたのは、己の甘さを知りたくなかったのではないのか。アランは遠くに見える幽霊屋敷をぼんやりと眺めた。




