アルトロワ流親睦会
ショットグラスに透明な酒が注がれた。アルコール度数は分からないが、決して低くはないだろう。
酒の席で諍いがおきた時に、アルトロワの男は飲み比べで決着をつけるという。それで喧嘩は終了、次の日に遺恨を残さないようにしている。飲んでいる最中にどうでも良くなるのか、または酔っ払って記憶を飛ばしているのではとユーグは思う。
いつまでも根に持たないところは好感が持てるが。
「これ飲んだら仲良くしろよ」
「どっちに賭ける?」
ボトルを持って審判を引き受けたジョエルの後ろで、貨幣が飛び交っている。酒に賭博が付き物なのは、どこへ行っても変わらないらしい。
八百長をしないように、ジョエル以外は別のテーブルへ移っていった。手際の良さから、彼らが慣れていることがよく分かる。日本人に比べればはるかに酒に強く、強力な酔い覚ましの薬なんてものも酒場に常備されているので、飲んだ後の心配は必要ないようだ。
ショットグラスの酒を口に含むと、強い酒の味がした。アーモンドに似た風味とわずかな甘み。濁りがない味から、上質な酒であることは間違いない。飲み込んだ体がふわりと温かくなる。
「おかわり」
ジョエルにグラスを向けると、新しいグラスに注いで渡してくれた。使用済みのグラスの数で勝敗を見分けるようだ。酔っ払った頭で数を覚えておきたくないので助かる。
二杯目は少し味わってから飲んでみた。一杯目より衝撃は薄れてしまったものの、後味に感じる果実の香りがいい。
――後で店主に酒の名前を聞いておかないと。
そのまま飲むよりカクテルにしてみたい。トニックウォーターとライムか、冷たく冷やした炭酸水とレモン果汁か。試してみるのが待ち遠しい。
新しい酒との邂逅に喜んでいたユーグは、ふと隣にアランがいたことを思い出した。つい美味しい酒に意識を奪われて、これが勝負だということを忘れてしまいそうになる。
アランはようやくグラスを空けたところだった。新しく注がれた酒を眠そうな目で見ている。飲み比べ自体が初めてなのだろうか。想像以上に強い酒に手こずっていた。
先が見えてしまった勝負に、周りの男たちは途端に優しくなった。賭けを中断して返金し、それぞれ酒を手に関係がない話で盛り上がり始める。勝負自体を無かったことにしたようだ。
見えすいた勝負よりも、接戦で興奮したいらしい。公平なのか、ただのギャンブル狂なのか判断が難しい。
「坊主、大人の勝負は初めてか?」
大して歳が変わらないくせに、ジョエルは年上ぶってアランのグラスに酒を入れた。
「みんな最初はそんなもんさ。繰り返し馬鹿やって強くなっていくものよ。今日はもう飲んで忘れてしまえ。ユーグも明日には喧嘩を売られたことなんて忘れてるさ。な?」
「そうだね。アルトロワの男にならって、酒の席で起きたことは水に流そう」
ジョエルはユーグのグラスにも継ぎ足し、残った酒を皆で分けようと席を離れた。
「……やっぱり気に食わない」
二杯目を飲み下したアランが呟いた。この様子では、明日の朝には喋ったことを忘れているだろう。急に倒れる心配は無さそうなので、好きに喋らせることにした。
「それはどうも。僕は仲良くしたいと思ってたんだけどなぁ」
「えっ……な、なんで」
「嘘だよ」
分かりやすく動揺したところに本音を浴びせると、アランは情けない顔で空のグラスを持った。酒の代わりに水と氷を入れてみたところ、正直に礼を言って一口飲む。根っからの善良な性格らしい。嫌いな相手でも素直に感謝するところは、むしろ新鮮だった。
「あんたは得体が知れないから嫌いだ」
「だろうね」
「ここにくる前はどこにいた?」
「魔族のところにいた」
「それも嘘か」
「これは本当」
アランは氷水を飲んで軽く頭を振った。理解したいけれど酒のせいで頭が回らないらしい。軽く突くだけで、いくらでも本音が出てくる。
「何で、リリィなんだよ」
「笑顔のせいかなぁ。気がついたときはもう手遅れだった」
「長い間、一緒にいたのは俺の方なのに」
「先に好きになったのは僕だよ。君には悪いけど、ずっと片想いしてたから、もう諦めない」
過去を知らないアランは、怪訝そうに首を傾げた。
「その余裕ぶったところが気に食わないんだよ。酒、ちゃんと飲んでるのか?」
「酒には強い方でね。とはいえ、これはキツいなぁ」
三杯目で一気に酔いが回ってくる。これ以上は飲みたくない。アランが早々に負けてくれて良かった。
「そろそろ止めようか」
「お前の指図は受けないぞ」
グラスを取り上げようとするユーグに、アランが涙目で抵抗する。だがすぐに心地よい酔いが回って、テーブルに伏せて眠ってしまった。
「……ジョエル、ここに飲み代を置いておくから」
「もう帰るのか? って、アランめ。お前、酔い潰れるのが早すぎるんだよ」
勝手に飲み比べをさせておいて、なかなか酷い言い草だ。アルトロワ流の洗礼はなかなか手強い。
「アランも酒には強い方だから、いい勝負になると思ったんだがなぁ……」
「疲れてたんじゃない? 体調で酔い方が変わるよ」
ユーグが帰ることを知った仲間が引き止めてきたが、アランを家に送る口実で帰ることにした。床に転がしておけという助言には心惹かれるものがあったものの、酒で前後不覚になる前に抜け出したかった。
外は冷たい夜風が吹いていた。アランに手を貸してやりながら歩いていると、次第に酔いが醒めていく。
アランの家が遠目に見えたとき、半分夢の中にいるアランが呟いた。
「突然出てきたお前にリリィが靡いているのが、よく分からない」
「初めて意見が合ったね。僕もそのあたりはよく知らないんだ」
聞けば答えてくれるだろうか。知りたいけれど、はっきり言われるのも怖い。
――この前の問いに答えるのが先って言われそう。
リリィのどこが好きなのかと聞かれ、上手く言葉にならなくて逃げたばかりだ。面と向かって打ち明けるのが恥ずかしい。しばらくその話題には触れないでおこうと決めている。
アランの家に辿り着き、重い扉をノックすると、中で人が動く気配がした。もう一度ノックすべきか悩んでいる間に鍵を開ける音がして、中からアランとよく似た中年の男が出てくる。父親だろう。
「アラン? それに、あんたは」
「一緒に飲んでいたんですが……すいません、ちょっと飲ませすぎました」
「いや、こいつももう大人だ。謝ることじゃあないよ。それより、わざわざ連れてきてもらって悪いな」
父親は奥にいる家族の名前を呼んだ。
「中へ入ってくれ。外は冷えるだろう」
ユーグはアランを連れて中へ入り、玄関の長椅子に座らせた。アルトロワの民家では靴を脱いでから入る。父親と協力して靴を脱がせ、アランの寝室まで二人で運んだ。
他の兄弟はもう眠っているらしい。三つ並んだベッドのうち、一つだけが空いている。平和そうな寝顔を起こさないよう、静かに歩く。
「まぁ。この子ってば、酔い潰れて帰ってくるなんて。ごめんなさいね、大変だったでしょう?」
アランの母親は息子の姿に呆れていたが、優しく毛布をかけてやっていた。
「アランが起きたら、これを飲ませてあげて下さい。二日酔いに効きますから」
「あら、いいのよ、そんな。具合が悪くなるまで飲んだ本人の責任ですからね。それより、あなたも休んでいく? お茶入れるわね」
「いえ、お構いなく。もう遅いので帰ります」
ユーグは母親に薬が入った小瓶を渡し、玄関へ向かった。見送りに来てくれたアランの両親に挨拶をしてから家を出る。
魔法で転移をする気になれず、ユーグは滞在先の館まで歩くことにした。
あれが普通の家庭だろうか。
子供に呆れつつも愛情に溢れていた。
眩しくて、逃げてきた。
アランの家が特別ではなく、自分が育った家が異常なんだと再認識させられる。
――大丈夫、これからは一人じゃない……はず。
そう遠くない未来、あんな光景が日常になるのだからと、ユーグは暗くなりがちな気持ちをなだめる。
「本当に? 歪んだお前が?」
耳元で声がした。雑多な音が消えて、はっきりと。
周囲には誰もいない。警戒網にも引っ掛からなかった。
性別も年齢も分からない。
胸の奥に黒くもやついたものだけを残して、声の主は完全に沈黙した。




