酒宴への誘い
フェリクスのカウンセリングはモニカに丸投げして、ユーグは修繕中の家に向かった。あの男は自分と同じく、精神的に弱っていても気合いで乗りきろうとする性格だ。疲れている相手を気遣う程度の優しさは持ち合わせているので、作業を理由に夕方まで帰らないと言っておいた。
元巫女のモニカは多くの遺族と接してきた経験がある。心が弱っている人の扱いなら慣れているので、上手くなだめてくれるだろう。
家で黙々と作業をしていると、合同訓練で知り合ったジョエルという男が遊びに来た。ユーグと歳が近く大工として働いており、時間がある時は作業を手伝ってくれる。勝手知ったる様子で大工道具が入った箱を裏口の近くに置き、ユーグが集めた建材を珍しそうに眺めた。
「この液体は?」
「断熱材。このポンプの中に入れて壁とか床下に吹き付けると、膨張して綿みたいに膨らむんだよ。はみ出した所を、こうやってノコギリで切り落として、板で塞ぐ」
「初めて見た……どこの建築方法だ?」
「かなり南の方。知り合いに譲ってもらったから、これだけしかないけど」
魔族の建築様式なのでジョエルが知らないのも無理はない。
膨らむ様子を気味が悪そうに見ていたジョエルだったが、作業を交代してみると子供のようにはしゃいで、残り全ての吹き付け作業を済ませてしまった。面白さに気がついてしまったらしい。空になったバケツを名残惜しそうに見ていた。
「これ、他の家でも使いたいな。固まる時間が短いから、すげー楽」
「魔獣から採取する素材だから、ちょっと厳しいね。毒を無効化させる作業が難しくて」
「魔獣素材か……値段が跳ね上がるんだよなあ」
樹木の魔獣の中には、頑丈で見た目も美しいことから建材になるものがいる。だが対象になる魔獣を探して倒す手間がある分、どうしても費用が嵩んでしまう。資金を見せつけたい貴族ならともかく、庶民の家に用いることは滅多にない。
魔獣と聞いて諦めたジョエルは、吹き付けに使った道具をユーグに返した。彼は道具を丁寧に扱ってくれるので、安心して貸し出せる。
「そうだ、夕方から仲間で飲みに行くんだけど、お前も来るか? 合同訓練で集まってた奴らだから、気兼ねしなくていいと思うんだが」
「楽しそうだね」
ユーグは誘いに乗ることにした。フェリクス宛てに手紙を飛ばし、酒場へ誘われたので夜中まで帰らないと伝えておく。少し悩んだ末に、同じ内容のものをモニカにも飛ばしておいた。ちゃんと知らせておかないと、夕方になるとどこからか精霊が現れて連行されてしまう。
夕方までジョエルの手を借りて作業を進め、他の参加者と合流してから町で評判の酒場に入った。
かつて酒場といえば女性の接待が含まれているところが多かった。一階に酒場、二階に宿がある店は、その名残だという。現在の帝国では酒を提供する飲食店と風俗店は明確に分けられたため、女性も酒場に来るようになったそうだ。リリィに変な疑いをかけられずに仲間と酒が飲めるのは良いことだ。
連れてきてもらった店は酒の種類が豊富だそうで、金さえ払えば帝国産だけでなく隣国からわざわざ取り寄せた酒も飲めるらしい。
ブドウを使ったワインは庶民にはやや高く、特別な日に栓を開ける人が多い。そのため酒場では蜂蜜酒や手に入れやすいリンゴを原料にするシードル、熟成期間が短いエールがよく消費されていた。
「まだ全員揃ってないけど、先に飲み始めておこうや。お前は何飲む?」
「そうだなぁ……じゃあエール」
名前は聞いたことがあるが飲んだことはない。ビールの一種なら甘くないだろうと思い、好奇心に従って注文することにした。
数人の若者と一緒に一つのテーブルにつき、注文を聞きに来た従業員にチップと小さな包みを渡す。途端に従業員の女は愛想が良くなった。上機嫌で注文を聞いて奥へ行くと、すぐに酒を用意して、乾燥させたナッツ類と一緒にテーブルへ持ってくる。
「チップ以外に何を渡したんだ?」
隣に座った男が小声で聞いてきた。彼はこの店の常連だ。女性従業員の変わりように引いている。
「砂糖菓子だよ。最近の流行りらしいね」
「抜け目がないな。見ろよ、もう酒が出てきた。いつもはもっと待たされるのに」
砂糖菓子は日本円だとおよそ五百円ほどで買える。少額のチップと同時に渡すだけで格段にサービスが良くなるので、使わない手はなかった。
こんな裏技があったなんてと嘆く男に、砂糖菓子の中でも好まれそうな品を伝えておいた。菓子ならどれも同じだと思ったら大間違いだ。相手の好み、見た目と味、それに希少性を総合して選ばないと、ただの嫌がらせになってしまう。
ただ、選ぶのが面倒ならチップの額を大きくしろと言うと、男たちは揃って黙ってしまった。投資をしなければ見返りも期待できないのだが、懐事情が許してくれないらしい。
酒に続いて簡単な料理も届き、少人数での宴会が始まった。
「今日の酒が飲める理由は?」
「新人の歓迎会ってことにしてくれ」
誘ってくれた住民の中には、妻帯者もいる。人付き合いの一環でないと、飲み代を出してもらえないそうだ。話を合わせてほしいと切ない顔で頼まれてしまった。新人というのもユーグのことだろう。間違ってはいないので、彼らの妻に聞かれたら協力できるように覚えておく。
軽く乾杯をしてからエールを一口飲むと、強い苦味と爽やかな柑橘系の香りがした。だが後を引く苦味ではないので、無理なく飲める味だった。常温で飲むビールを想像していたが、日本で多く流通していたラガービールとは味わいが違う。ワインのように香りを楽しみながら、ゆったり飲む方が向いているのかもしれない。
しばらく他愛のない話をしながら飲んでいると、酒場の扉が開いて遅れていた集団が入ってきた。ジョエルがその集団に手を振り、近くへ来るよう手招きする。
「あ」
「あっ……」
集団の中にアランがいるのが見えた。ユーグがいることは聞いていなかったのだろう。わずかに嫌そうな顔をされる。
「何で、ここにいるんだよ」
「見て分からない? 酒飲んでるんだけど」
「余所者が来て、でかいツラしてるようにしか見えないな」
「癇癪持ちのお子様はジュース飲んで帰ったら?」
喧嘩腰に話しかけられ、つい同じように返してしまった。どうも酒が入ると細かいことが気に障る。
「まあまあ、そう突っかかるなよ二人とも。酒でも飲んで落ち着けって。おーい、エールを追加で持ってきてくれ!」
ジョエルが不穏な空気を察して明るくとりなし、空いているテーブルとイスを寄せて宴の輪を広げた。ただアランの席をユーグの隣にしたことは恨んでもいいのだろうかと思う。
座るしかない雰囲気にアランは緊張した様子で席につく。ユーグはアランが座る間に目を閉じて、気持ちを切り替えた。
息を吐いて三秒数えるだけ。いつもやっていたことだ。消化しきれない気持ちがあっても周囲の流れについていかないといけないときは、こうやって心に蓋をして考えないようにしておく。争いは感情的になった方が負けだ。
シードルを選んだアランは、しばらくユーグをいないものとして見ないようにしていた。彼は誠実な性格のようなので、そんな卑怯な振る舞いしかできない己に苛立っている様子だ。リリィのことがなければ、普通に付き合いやすい青年だっただろう。
「意外と庶民的な酒を選ぶんだな」
しばらく飲んでから、アランはようやくユーグに話しかけた。
「味が気に入れば値段は関係ないよ」
「その割にはあまり進んでないような」
「水代わりに飲むものじゃないと思うけど」
「てっきり酒に弱いんだと思ってた」
「は? 僕が飲んでるものより弱い酒を選んでおいて、よく勇ましいことを言えるね」
「なっ――」
襟を掴んでこようとした手を抑え込み、アランを無理やり座らせた。酒でほろ酔いになっているところに喧嘩を売られたら、どうしても徹底的に返してやりたくなる。
――いかに己の戦場に相手を引き摺り出すか……いや、勝ち負けの単純な話じゃない。
冷静になろうとする一方で、黙っていても何も解決しないと心が囁く。
周りは楽しく飲んでいる最中だ。水を差すようなことをしてどうするのか。
「お、何だ喧嘩でも始めるのか? 若いねぇ、アランは。暴れたい年頃か?」
「いや、これは……」
「最後まで言うなよ。誰しも通る道だ」
またしてもジョエルが仲裁に入る。かなり酔っ払っているようでいて、人間関係に気を配ることを忘れていない。お調子者と言われることもあるようだが、今はこの明るさが必要だった。
「喧嘩だとぉ? こんなところで殴り合いなんて華がないだろうが」
他の男が楽しげに加わってきた。ユーグはアランが戦意を失ったことを察して、手を離す。
「どうせなら酒場らしい勝負をしろや。店長ぉ! いつものアレ持ってきてくれよ!」
奥の厨房からいかつい中年男が顔を覗かせた。呆れたようにため息をつき、一本の酒瓶を手にテーブルまで来る。店長を呼んだ男が金を先払いしたところを見ると、お互いかなり慣れているようだ。
「お前ら毎度毎度、懲りねぇな。今度は金か? 女か?」
店主はテーブルに酒瓶とショットグラスをいくつか置き、店は壊すなよと念を押すように言って帰っていった。
嫌な予感しかしない。
「じゃあ始めようか。アラン、ユーグ、どうしても喧嘩したいなら、飲み比べで決着つけろ。アルトロワの酒場じゃ常識だぞ」




