過去からの呼び声
「それで、本当の目的だった視察って何?」
上皇の立場で見て回るものがあるのだろうか。関係者以外が聞いてはいけないなら、最初から話題に出さないだろうと予想して尋ねてみた。
「ああ、リール領が平民にも学問を解放しているのは知っているな? 教会と共同で子供に教えているんだが。成績優秀な子供がいたら、教会に引き抜かれる前に手を打っておこうと計画していることがある」
リール領で運営されている学校が成功していることから、帝国全土に学校を作る計画が進んでいるそうだ。リール領出身の平民が行政に携わる貴族に雇われ、目覚ましい貢献をしているともっぱらの噂だった。たまたま優秀な人材が能力を活かせるところに就職できた結果なのだが、リール領が発展を続けていることもあり、注目を集めている。
「学校へ通いたい大人向けに一つ、それから更に高度な学問を学べる学校を作る。知能に階級は関係ない。さすがに無料ってわけにはいかないが、上位者の学費免除と就職先の紹介を餌にする。文官になりたがる平民が増えてきてるからな。爵位がなくても実力で取り立てられる職だからかもしれんが。学ぶ機会と本人の意欲で上を目指せる場所があったら、面白いだろ?」
つまり夜間学校と大学を作りたいのか――ユーグはそう解釈した。教会の影響力が落ちている現状を見て、貴族制度を維持したまま帝国を繁栄させることに限界を感じているのかもしれない。
人を育てて国を豊かにする。障害も課題も山積みで、知識を得た民衆によって貴族制度が否定される危うさも秘めている。それもまた彼らの選択なので、ユーグに止めろと言う資格はない。ただ、その移り変わりが穏やかなものであってほしいとは思う。目の前の二人は否定される側だ。
「知識を平民に解放したくない奴らはいる。そいつらを黙らせるために、俺が学校の設立に首を突っ込むことにした。俺が一枚噛んでいると知った上で、嫌がらせをしてくる奴は、そういないだろうよ」
「ある意味、権力の正しい使い方だね。子爵領じゃ限界があるだろうし」
「この領主サマが上の爵位を望まないどころか、拒否してやがるからなあ」
それはユーグが気になっていたことだった。彼の父親は侯爵であり、本人は国の内外に名前が知られている英雄だ。
「君の功績を考慮すると、父親と同じ侯爵位を与えられても問題はなかったんじゃない?」
タルブ帝国の爵位は主に戦争の功績によって与えられてきた過去がある。法改正をされていないので、フェリクスの場合にも当て嵌めることができるはずだった。ユーグが素直に疑問を口にすると、フェリクスは嫌なことを聞かれたとばかりに口角を下げる。
「上位貴族は国政への参加が義務付けられている。仕事が増えるだろうが」
「ほう、建前ではそう言ってんのか」
ベルトランがやけに生ぬるい目でフェリクスを見た。
「貴族の婚姻は細かく決められていてな。巫女やシスターと結婚できる上限が子爵までなんだよ」
「へぇ……」
この男にとって爵位とは職業の一種としか思っていないようだ。妻子を養う障害になるなら、簡単に捨てるに違いない。
「……何か問題でも? 望む爵位を与えると仰ったのは、そちらの上皇陛下だ」
「だからって本当に子爵を望むとは思わなかったぞ。彼女の教養なら、どこかの家の養子にしてから迎え入れるって選択肢もあったんだが」
「しがらみが増えるだけです」
「爵位が低すぎるって批判の矢面に立たされた俺の身になれよ……」
苦言を呈した者には、本人の希望だから文句を言うなと一喝し、フェリクス本人からも説明させたらしい。経験不足の若造なので、いきなり高位を与えられても困るとでも理屈を捏ねたのだろうか。
「どうせ伯爵以上を与えられたら出奔するとでも言ったんでしょ。最初から陛下の負けだねぇ。勇者が帝国を捨てたなんて醜聞は流されたくないし?」
「家督を継ぐ心得のなかった三男に高位を与えることこそ、よろしくない。領地の運営に携わったことも、嫡男としての教育を受けたわけでもないのに」
デュラン家なら教育に大きな差はつけていないだろうが、さすがに家を継ぐ長男と三男のフェリクスでは習得すべきものが違う。前者は家を存続させるために、後者は帝国貴族の末端として生きるために必要なことを学ぶ。
「なぁフェリクス、お前にリール領を任せて二十年経った」
やけに優しい声でベルトランが言った。
「喜べ。よく発展させた功績で陞爵だ。国政に参加している全ての家が賛成して、もう決定している。春からは伯爵を名乗れよ」
「面倒ですが受け賜りました。より一層、帝国の発展に寄与する所存」
もう逃げられないことを悟り、フェリクスが無表情で返した。ベルトランが帰る頃には、正式な通達が届くのだろう。それから陞爵に向けた準備に取り掛かる。家格に合わせて服装から変えなければいけない貴族は大変そうだ。平民で良かったとユーグは心から思った。
「本音がダダ漏れですよー領主サマ。とりあえずおめでとう」
子爵という立場で甘んじていたかったフェリクスは、嘆かわしげに首を横に振った。彼の能力なら爵位が上がって国政に参加しても問題ないだろうが、やる気は全く出ないらしい。どうせ家族との時間が減るから嫌なのだろう。
「妻の家格が合わないから離婚しろと騒ぐアホがいたら言え。俺が何とかする。手を出すなよ?」
「相手によります」
「三人までなら協力するよ。上皇陛下が動けない時は言って」
「……もう二人ほど追加できないか?」
ユーグが冗談で提案すると、謙虚な態度で要求された。もう既に騒いだ愚か者がいたようだ。モニカをただの修道女だと思って、英雄の妻に相応しくないとでも暴言を吐いたのだろうか。命知らずなことだ。
「仕方ないなぁ。奥様の顔に免じて三人ほど追加しよう」
「助かる」
「お前ら物騒すぎるわ」
普段の会話なのだが、ベルトランには刺激が強かったのだろうか。ため息まじりに嘆いている。いまいち皇帝の裏の顔が分からない。
「あー……とりあえず、森には気をつけろってことだ。何らかの形で賢者が関与している。魔獣が増えたことといい、あれが消えた影響が出始めているのかもな」
「影響か……」
執務室の窓からはアルトロワの町が見える。その奥に、深い森が鎮座していた。ただの紅葉した秋の森のようでいて、不穏な秘密を抱えている。じっと見つめていると、不定期に空気が脈打っているような錯覚をおぼえた。
同じく森を眺めていたフェリクスが、不意に顔を顰めて胸を押さえた。
「フェリクス?」
「……聞こえたか?」
「何を?」
「どうした」
異変に気がついたベルトランがフェリクスに近づいた。
「あの森から、時おり何かを感じていた。日ごとに強くなる。それが何か分からないままでいたが……ようやく分かった。あれは渦の中に飲まれた感覚に似ている」
「そいつは、賢者が勇者を魔王にするために利用した力、ということか。人の魔力と負の感情を集めたものだったな」
「世界中から集められた恨言が聞こえたってこと?」
「明確に聞こえたわけではなくて、あの力に触れたときと同じおぞましさがあった」
両手を見つめるフェリクスの表情は暗い。一方的に魂を蹂躙された記憶は、そう消えるものではない。持ち前のプライドの高さで恐怖を抑え込んでいる。
犠牲者の一人になりかけたフェリクスなら、人一倍敏感だろう。ユーグは魔王になる過程を思い出し、フェリクスの肩に触れて魔力を流した。
「……魔王化に必要な核は出来てないね。油断はできないけど」
「本格的に調査が必要だな。今すぐってわけにはいかないが、近いうちに調査に必要な人員を送る。それまで無理はするな。必要なら森から離れろ。ここを出る理由がいるなら、いくらでも捏造してやる」
皇帝の顔に戻ったベルトランは、視察は中止だと言って上着のポケットから楕円形の魔導器を取り出した。一見すると青い石がはまったブローチに見える。ベルトランが魔力を込めると、ソファの後ろに転移門が現れた。
「また来る。じゃあな」
見送りの言葉を言う間もなく、ベルトランが門を潜って帰っていった。転移門は青白い粒子を空中に漂わせ、溶けるように静かに消えていく。
「……大丈夫?」
「この程度で潰れるほど脆弱ではない」
フェリクスは強がっているが、顔色は良くない。モニカに薬草茶でも入れてもらえば気持ちが紛れるだろうか。そう思って彼女を探しに行こうとしたユーグは、背後から呼び止められた。
「ユーグ。お前も渦の力に触れたことがあるはずだ。影響されるなよ?」
「その時はリリィちゃんに殴ってもらうことにするよ。ショックで世界征服どころじゃなくなるから」




