古い森に眠るもの
タルブ帝国は隣り合う国を吸収して巨大化していった国だ。今のリール領がある地もまた、歴史を遡れば古代王国の一つに辿り着くと上皇は語る。
「――帝国が併合した時には自然消滅していて、幾つかの遊牧民が暮らす土地だったらしい。遊牧民が領土や国家について疎いことを利用して、勝手に帝国領だと主張したのが始まりだ。だいたい四百年ぐらい前だな」
「この辺りが戦場になったことは?」
領民から聞いた不確かなことを思い出し、ユーグは尋ねた。
「国家同士の戦場になったことはない。併合してしばらくは、遊牧民との間に戦闘行為ぐらいはあったかもしれんが」
遊牧民が暮らしている土地に町を作ったのだから、公式の記録に残っていない争いはあっただろう。ただ彼らの大多数が帝国の一部になることを受け入れたため、虐殺の憂き目に遭うこともなく、緩やかに同化することを許された。今でもリール領の各地には遊牧民の文化が残っているそうだ。
「リール領内で家畜に関わる仕事をしているのは、遊牧民の末裔が多い。姓にかつての民族名を使っているから、戸籍でも判別できるが」
フェリクスの補足で、ザイユ村で出会ったダミアンを思い出す。村に滞在している間、乗ってきた馬を世話してくれていた。彼も遊牧民の末裔なのかもしれない。
「この一帯を支配していた国については、遊牧民から聞いた話をまとめた記録しか残されていない。古代王国の文字らしき断片はあるんだが、解読するための手がかりが見つかっていなくてな……」
案外、エルフの里に手がかりが残っているのではとユーグは思った。どれほど前から人間社会の中に紛れ込んでいるのかは知らないが、長寿を誇る種族なので聞いてみても損はない。
「国の詳細について、まだ帝国の資料を漁っている段階だ。ただ、気になる記述を見つけた。当時の遊牧民によると、厄介な魔獣を封じた場所、らしい」
「厄介な魔獣……」
成仏させられない悪霊を封じておく魔法がある世界だ。魔獣を封じる方法もあるのだろう。
「お前達は、なぜ人が魔石を食べることを忌避するか知っているか?」
「魔力過多で肉体が耐えられないと聞いたことがありますが」
ベルトランの唐突な問いに、フェリクスが定説となっている答を返す。
「魔力の摂取過剰は身体に影響を及ぼす。魔石を人体に使って身体能力を向上させる実験が行われたことがあるんだが、いずれも失敗に終わっている」
「怪我の治りは早くなるらしいけどねぇ。失った腕が再生したって逸話もある。けれど、その腕は人間のものとは言えなかったとか」
異世界に転生した時に刷り込まれた記憶を検索すると、いくつか物騒な実験が検出された。多くの犠牲の果てに、人間が直接魔石を摂取することは諦めている。
「ま、それ以前に人間は魔石を飲み込むことができないらしいがな。本能では理解してるんだろう。あれは自分にとって毒だって。だから体が拒否する。帝国じゃあ拷問の一つに使ってたが、効率が悪いからと廃れたらしい」
さらりと帝国の暗部をのぞかせたベルトランは、出された紅茶に口をつけた。
「で、その厄介な魔獣というのが、遊牧民は『魔石を食べた人間』と呼んでいたらしい。ユーグ、古代の儀式について知っていることはあるか?」
古い時代に生まれた人間だと詐称した経歴を覚えていたのだろう。ベルトランに言われてから脳内の文献を検索してみると、それらしき記述が見つかる。
「儀式というか、迷信かな? 選ばれた子供に魔石を食べさせて、生き残った子を呪い師として育てる民族がいたらしいよ。子供の方が体の変化に適応しやすいからね。でも長生きはできない。大人になる前に体が保たなくて死んでしまう」
「廃れて当然だな」
フェリクスは冷笑して吐き捨てるように言った。子供がいる領主には、幼児が犠牲になる話は憎悪の対象なのだろう。見かけによらず家族愛が強い。
「それから、運よく生き残ったとしても魔石の摂取は終わらない。魔石で得た魔力は必ず消えるからね。人の身には過ぎた力だから、体は排出しようとする。もし魔石で得た力を増やしていきたいなら、それはもう『人間』から離れた存在にならないと」
「それが、欠損部位の異常再生として現れるのか?」
「多分ね。まさかあの森に、魔獣化した人間が封印されているって?」
ベルトランは紅茶が入ったカップをテーブルに戻す。
「ただの言い伝えなら静観してたんだがなぁ……魔獣が増えていると他の領からも報告が来ている。もう一つ気になったのは、あの賢者が若い頃に帝国にいた記録が残っていた。リール領を中心に聖典派の神父として活動していたらしい」
「……そういえば、面会した際に帝国のことに言及していました。当たり障りのない皮肉だったので、軽く考えておりましたが」
当時を思い出しながらフェリクスが言う。
「賢者の行動は非常に合理的です。何の目的もなく、この地に赴任してきたとは考えにくい」
「人を操って希望通りのところに人事異動するなんて簡単だろうしね。わざわざ上皇の身分にある貴方が来たのは、それを伝えるため?」
「賢者の目的やら正体は、一応は世間に秘されているからな。それもあるが、今回は視察の目的で来た。平和だからって理由でフェリクスに統治させていたけどよ、平和なりの問題もあるみたいだな」
良からぬ噂のことだろうかとユーグは思った。
リール領はフェリクスの生家であるデュラン家が任された土地の一つだったとベルトランが明かした。フェリクスの父親を近衛隊に召し抱える際に、一時的に皇帝の直轄地にしていたという。領主と近衛隊の仕事の両立が困難だという理由だ。
特に目立つ領ではないが、大きな問題を抱えているわけでもない。帝都が近いことから、領地の運営に手間取っても補佐につく人員を派遣しやすい。勇者としての評判を落とすことなくフェリクスに統治させる土地として、最適だろうと決まったそうだ。
「どこの土地にも、大なり小なり問題はあるよ。移民に寛容な土地って言っても、全員が歓迎しているわけじゃないし」
「……ま、お前らの問題に口出しはしねえよ。俺が言えるのは、人の評価なんてものは、目に見えている結果で簡単に変わるってことだ。陰でどんなに努力しようと、褒めてくれる他人は滅多にいない。お前らは真面目だからな、俺を見習って上手くサボれよ」
「遠慮しておきます。陛下を参考にすると日常生活にも影響がありそうで」
「フェリクス……本っ当に中身は親父そっくりだよなあ。今の言い方なんて特に」
「親子ですから」
冷めた目でベルトランに応対しているが、フェリクスはこれでもベルトランを尊敬している。上皇は素の言動が悪いだけで、治世者としては格段に優秀だ。
ユーグは彼らに見えないところで、そっとため息をついた。
悪意に晒されて平気なわけがない。常に見られて評価されているような状況で、常に最適解を選ばないといけないのだ。飄々とした態度で余裕に見せているが、内心では疲れている。
――目に見える結果か。街道を開通させて、森で間引きして、畑作り。急激な変化は反発を生む。だから次の手頃な作業が見つかるまでは大人しくしておこうかなぁ。
休憩も大切だからと考えたユーグは、己の思考の変化に気がついた。前世なら、きっと休もうなどと思わなかった。至る所に課題があって、吸収すべき知識と経験が待っていた。失敗を嫌う性質は変わっていないが、短期間で目標に到達しなくてもいいと、余裕が持てるようになっている。
――変われたのは、リリィの影響と。
目の前に座る元皇帝と領主も含まれているのが悔しかった。反抗期のような己の未熟さに由来した感情なので、素直に感謝したくない。この二人も、そんなことを言われても困るだけだろう。
もし伝えるなら、寿命で死ぬ間際になるに違いない。ユーグは素直ではない自分の性格から、そう推理した。




