早朝の来客
*前作に関係する内容が出てきます
とある転生者の朝は早い。
夜明けと共に起床し、滞在している館の庭で鼻歌まじりに片刃の剣を振る。たまに護衛と剣を交えて互いの技術を学ぶこともあったが、新たな妨害魔法を披露してからは『剣のみ』という条件付きでなければ、断られるようになった。
何も見えない、聞こえない、感じないという五感を奪う魔法は、人間にとって非常に有効なようだ。発狂するかと思ったと、護衛が遠い目で語っていた。
十分に体が解れたら、森で手頃な魔獣を間引きする。ついでに自身が開墾した畑を見て回り、シャワーで汗を流してから、厨房に近い部屋で護衛達と朝食を済ませる。男しかおらず、人の顔を無粋に眺める者もいないので気が楽だ。
午前中は滞在費用代わりとして領主から任された雑用をこなし、午後は町の住民と交流しつつ空き家の修繕に勤しむ。
そんな日々の日課が形成されてきた頃、転生者は不定期に町を訪れる『元騎士』について伝え聞いた。
「マクシムさん? こう、ふらっとアルトロワへ来る人だね。領主様のところへ用があるみたいだけど、よく町に来て遊んでいくよ。もうだいぶ歳のはずなんだけどねぇ」
彼が贔屓にしているという武器商人は語る。マクシムというのが元騎士の名前のようだ。
「うちには大きな両刃の剣を持ってくるのさ。研いでくれって。ありゃ、かなりの使い手だよ。それから酒も好きみたいだ」
行きつけの酒場を聞き出し、同様に元騎士について尋ねてみる。酒場の主人は顔を綻ばせ、隠すことなく語った。
「マクシムさんね。いい客だよ。金払いはいいし、酔って暴れることもしない。うちが贔屓の店? 嬉しいねえ。いっそアルトロワに住んでほしいぐらいだよ。でも無理かもしれないね。隠してるみたいだけど、ありゃあ上流階級の人さ。体に染みついた癖ってのは、そう簡単に消せないから」
転生者――ユーグの脳裏に一瞬、そんなナレーション風の回想が流れた。
朝の日課を終わらせ、郊外の畑へ向かってアルトロワの通りを歩いている。前から堂々とした足取りで歩いてくるのは、元騎士のマクシムとしてアルトロワを訪問している男だ。
――よし、逃げよう。
即座に行動を決めたユーグは、脇道へ入ろうとして男から目を逸らした。
「おい、そこのお前。あからさまに避けようとすんじゃねえよ」
行動に移すには、少しばかり遅かったようだ。背後からマクシムが肩を掴み、逃がさないとばかりに力が込められる。身体強化でも使っているのか、骨が軋みそうになるほどの締め付けだ。
「ユーグ・ルナール、だな?」
「人違いです」
「堂々と嘘をつくな。その顔、珍しい紫の虹彩をした男が、そう何人もいるかよ。背格好もまるで変わってない」
「いえいえ。世界には自分に似た人が三人はいると言いますし?」
「別人なら俺を避ける理由はないはずだ。それにな、お前のことはフェリクスから聞いてるんだよ」
「あの野郎……」
マクシムは猛禽類を思わせる瞳で睨んでいる。言い逃れはできそうにない。
「……何か御用でしょうか」
体が触れている状態で転移を使うと、一緒に移動してしまう。ユーグは渋々、マクシムに話しかけた。
「用か。あり過ぎて、どれから聞こうか迷っているところだ」
「では優先順位が決まったら、またお会いしましょう」
「ここでお前を逃したら、次はいつ遭遇できるか分からん。野郎を連れ回す趣味はないが、ちょいと領主のところまで付き合ってもらうぞ」
「仕方ないなぁ……」
ユーグは人が集まってくる前に転移の座標を設定した。豪快で気のいいマクシムがいることに町の住人が気づいたら、きっと話しかけてくるに違いない。会話の終わりを読んで民衆から引き剥がすより、さっさと移動するべきだ。
マクシムだけ領主の屋敷へ送ることも考えたが、この町にいると知られた以上、彼はあらゆる手段を使って接触してこようとするだろう。そんな多少の無茶は押し通せる立場に、彼はいる。
先触れとして領主宛にメッセージを書いた紙飛行機を飛ばす。真っ白な三角形の飛行機は、風もないのに上昇して真っ直ぐ北へと飛び去ってゆく。
マクシムに移動することを告げ、独自の魔法式に必要な魔力を流し込むと、景色がアルトロワの通りから屋敷の前庭に変わった。
「便利だな。どんな魔法式だ?」
「教えてもいいけど、使えなかったからって文句言わないでね。マクシムさん」
「お。どこでその名前を聞いた?」
「色々なところで。きっと自分で思ってるよりも有名人だよ」
ゆっくりと歩いて行政棟へ入ると、待ち構えていた使用人に二階へと案内された。領主の執務室や来客用の応接室がある階だ。絨毯が敷かれた廊下を進み、使用人が開け放たれた扉の前で深く頭を下げた。礼を尽くしている相手は、もちろんマクシムだ。
「ご苦労」
慣れた様子でマクシムは言い、室内へと入る。
「お待ちしておりました。上皇陛下」
中にいたフェリクスは入ってきたマクシムへと臣下の礼をする。急な訪問に動揺した様子などなく、礼儀作法の手本になれるほどの完璧な所作だった。
「いつもすまんな」
「いえ、陛下をお迎えできることは、臣下としての誉れです」
上皇陛下と呼ばれたマクシムは来客用のソファに腰を下ろし、フェリクスが対面に座る。ユーグは扉の近くで立っていることにした。
ユーグの現在の立場では、空いているソファに座ることは許されていない。秘書官であればフェリクスの斜め後ろに、護衛なら出入り口付近と決まっている。使用人の目があるうちは、堂々と護衛のふりをすることにした。
「街道は予定よりも早く開通しそうだな」
「はい。雇った人足がなかなか使える能力を持っていたので」
使用人が茶器を用意している間、二人は当たり障りのない話をしている。
「良いことだ。民衆を蔑ろにして、国の発展は成し得ない。優れた技能を持つ者を見つけ、生かすことを忘れなければ、リール領は更に栄えていくであろう」
二人の前に香り高い紅茶が入ったカップが置かれた。短時間で用意されたにしては、素晴らしい出来だ。急な訪問客への対応といい、練度の高さが窺える。
使用人が退室して扉を閉めると、マクシムは行儀悪く背もたれに上体を預けた。
「さて、ここからは気楽にいくか。ユーグも座れよ」
「じゃあ遠慮なく」
ユーグは空いている一人がけのソファに座った。
町の住人でマクシムが上皇だと知っている者はいない。平民には先代の皇帝は『ベルトラン』という名前だけが知られており、セカンドネームの『マクシム』を知ることができるのは富裕層や貴族階級に偏っている。
アルトロワに伝わっているのは、数年前に第一皇子に帝位を譲り、離宮で隠居生活をしている話だけだった。
――まさか各地で水戸黄門みたいなことしてないよね?
国政から退いたのをいいことに、気ままに帝国内を放浪していそうだ。奇妙な仮面をつけて貧民の救済活動をしていたこともあり、破天荒な人物であることは否定できない。
「会えたか?」
ユーグが座るなり、マクシム――ベルトランが唐突に尋ねてくる。誰と言われなくても、リリィのことだと分かっていた。
「お陰様で」
「そうか……」
ベルトランは天井を見つめ、ため息をついた。
「馬鹿者。あんな紙切れ一枚で説明したつもりか」
「そう言われても、直接説明しに行くわけにはいかないでしょ。リリィに何かあったら許さないって言っちゃったんだから。お互いに気まずくない?」
「だからってなぁ……お前よぉ、彼女に何かあったら殺すぞってキレた後に『彼女が転生してくる可能性があるので首は頂きません』なんて一言で納得できると思うか? あ?」
「他に説明のしようが無くてね」
前世の話だ。魔王という名前の世界を脅かす存在を、長年にわたり作りだしていた男がいた。その男――賢者を倒すには、リリィが持つ結界の力がどうしても必要だったため、当時の皇帝だったベルトランや教会から依頼されて参戦することになったのだ。
リリィの安全が一番大切だったユーグとは当然ながら意見が対立することになり、感情に任せて発言したことが両者の溝になっていた。
「俺はな、これでも覚悟してたんだぞ。それを、一言でひっくり返されたわけだ」
「若気の至りでした。すいません」
「じゃあ許す」
「太っ腹すぎない?」
「反省した子供に、いつまでも怒るような情けない真似できるかよ」
気怠げに立ち上がったベルトランは、ユーグを見下ろせる場所に近付き、乱暴に頭を撫でてきた。荒さと優しさが混ざった、不思議な手だ。
「良かったな」
「……痛いってば」
込み上げてきた感情を押し込めて、ユーグはベルトランを睨む。長く皇帝の座にいた男は、そんな心の揺れなど簡単に見通した顔でニヤリと笑った。
どんなに歳を重ねても、ベルトランには敵わないのだろう。こちらが本気で噛みついたところで、簡単にあしらわれる。器の違いを見せつけられるだけだった。悔しいのは、それが不快ではないというところだ。安心してぶつかっていける壁だと思える。
元の席に着いたベルトランは、何事もなかったかのように話を切り出した。
「で、フェリクス。こいつが歳をとっていない理由は?」
「かの賢者に比べれば、さほど理不尽ではないかと」
「それもそうか」
諦めに似た納得をされた。
「ものすごく遠回しにバカにされた気がする」
「気のせいだろう」
いつも通り、フェリクスは冷たい。今更この男に優しくされたいわけではないが、もっとまともな言い方をしてほしいとは思う。
「長年の憂いが解消したところで、本題に入るか」
ベルトランがそう告げただけで、室内の空気が変わった。己の振る舞い一つで場の流れを操る手腕は、帝位を退いた後でも衰えていない。
「リール領に面する古い森。その情報を伝えに来た」




