似ている人
転移した先はユーグが修繕をしている家の裏だった。真っ白な漆喰の壁が見える。急に現れたのどかな秋の風景に、先ほどまで査問会を盗み聞きしていたことが夢のように思えてきた。
「本当に、私が聞いても良かったの? 査問会を盗み聞きしたことなんて、迂闊に言えないわよ」
立ち上がったアニエスがスカートについた埃を払った。
「ユーグやドニのことは喋らない方がいいと思う。メイドの不名誉な噂が流れていたら、出来る範囲で訂正してあげてほしいってことよね、ユーグ。そこにいるんでしょ?」
「リリィちゃん、僕の行動を読むのが上手くなってない?」
全く驚いた様子はなく、裏口からユーグが出てきた。外は冷えるからと言って、家の中へ手招きする。リリィは遠慮をしているアニエスを連れて中へ入った。
「貴方が送り届けるなら、私の家の裏にしてくれるはず。自分の家に置き去りにするなんて考えられなかったから」
いつも紳士的に振る舞っているからこそ、そこから外れた行動があれば強く印象に残る。内密の話がしたいことは予想がついていた。
「ちょっと待ってよ。リリィも……えっと、ユーグさんも本気で言ってる? 訂正って言ってもね、私一人が事実を言っても効果は薄いわよ。噂好きな人が食いつくのは、大抵が低俗なものでしょう?」
アニエスは悩ましげにため息をついた。
領主への紹介料が高すぎではないかと言うアニエスに対し、ユーグは木箱に腰掛けてくつろいでいる。余裕のある態度を見せて、取引相手を彼のペースに巻き込もうとしているようだった。
「伝えるのは数人でいいよ。あとは事実を喋らずにはいられない人が、勝手に広めてくれるから」
「私の話を間に受けて広めてくれるような、都合がいい人なんて……」
「洗濯屋のパメラ、肉屋のサビーナ、あとは輸送屋のヨランド。この三人が鍵だね。メイドが噂のせいでひどく傷ついていることを、同性の君が言うことに意味があるんだよ。パメラは中心地の民家を中心に洗濯を請け負っている業者だから、世間話をする相手には困らない。サビーナの姑は、噂の中でも涙を誘うような話題が大好き。ヨランドは働く女性の立場から、ドニのような男に怒りを抱くだろうね」
「全員、うちの店に来てくれる人だわ……どうして知っているのよ」
アニエスの顔が引き攣っている。
「誰がどこで繋がっているのか、調べることはそう難しいことじゃないよ。方法は割愛するけど、行動範囲が分かれば、誰と関係があるのか予測することができる。サビーナが姑にメイドのことを話すかどうかは賭けだけどね。五分五分ぐらいかなぁ」
「リリア……」
「諦めて。こういう人なの。攻撃しなければ害はないから」
リリィは首を横に振った。
「別に言わなくても嫌がらせしたりしないよ。僕は領主の代理でやっているだけだからね。ほら、領主様が特定の誰かに肩入れするわけにはいかないでしょ? あの見た目だから、奥様以外に甘い顔をすれば絶対に勘違いされるからねぇ……苦労してるんだよ、あの男も」
心から同情しているのだろう。ユーグは苦笑して続ける。
「本気で噂だけで名誉回復できるとは思っていないよ。既に奥様が教会方面から働きかけているから、後押しが欲しいだけ。出回っていた話はドニの創作だったという事実が少しでも広まればいい。真っ向から否定すると、やましいことがあるから必死に隠そうとしているって勘繰られるだけなんだよ」
「……分かったわよ。私も噂話には思うところがあったから。さっきの三人が店に来たら、世間話として話す。それでいい?」
「ありがとう。問題が一つ片付いたよ」
完全にビジネス向けの顔だった。ユーグは満足そうに木箱から立ち上がり、ふと壁の一部を見つめる。外を透視して嫌なものを見つけたのか、不満そうな表情を隠しもしない。
「ごめん。時間がないから、壁の近くから動かないで。小声なら会話しててもいいから。後で説明する」
ユーグはリリィとアニエスの背中を押して壁際に寄せ、白い布を頭から被せる。布はすぐに半透明になり、外の様子が見えるようになった。ユーグが離れると同時に、裏口から間延びした可愛らしい声がした。
「ユーグさん。今日は会えましたね!」
いつだったか家の近くですれ違った少女だ。ユーグに菓子などの差し入れで気を引こうとしているようだが、全く相手にされていなかった。今日はバスケットを提げている。
「いい加減、諦めたと思ったんだけど」
明らかに警戒している声音だった。心を完全に閉ざして、敵の出方を伺っている。
「諦めるだなんて、そんな。私、本気なんですよ。どうしても振り向いてほしくて……」
少女は潤んだ瞳でユーグを見上げている。その仕草、表情の全てがあざとい。全体的な顔立ちは幼いが、真摯に見つめる表情には大人のような色香があった。ほとんど肌を見せない服を着ているものの、体型に合わせて仕立ててあるためか体の線がほどほどに分かるようになっていた。
背伸びをして年上との恋を実らせようとしている。己の長所を最大限に活かして迫っているところは、なかなか見応えがあった。彼女の相手によっては応援したい気持ちになっただろう。
ユーグは少女から十分な距離をとり、冷めた目で立っている。もし少女が偶然を装って抱き着こうとしても、左右どちらからでも逃げられるように立ち位置を計算しているようだ。
「決められた結婚をしたくないからって、僕を利用するのは止めてくれないかな」
「……え」
笑顔のまま少女は固まった。
「婚約者がいるんでしょ? 親の取引先に。だから僕と噂になるようなことをして、先方から断られるように仕向けてる。婚約を破談にしたら、今度は僕に騙されたって周りに泣きつくのかな?」
「ち、ちが……」
少女は怯えたように首を振る。
「噂の相手は町に来たばかりの外国人。よく考えたね。豪商の娘は親の社会的地位のお陰で、ただの被害者になれる。事実が明るみになる前に、僕を町から追い出せば真実は闇の中だ」
「違います! 私、本当に」
「君の親には全て話してある」
少女の顔色が変わった。泣きそうだった顔が徐々に険しくなっていく。
「なんで……分かったんですか」
自分の策が上手くいくと確信していたのだろう。失敗した落胆よりも、見抜いた上で先回りをしたユーグを睨んでいる。
少女が睨んだところで、ユーグに効果はない。少しも心を動かされた様子はなく、静かに言った。
「……君のやり方に見覚えがあっただけ。君がただの浮気性なら放置したんだけど、こちらの障害になるなら手加減はしない」
「あなたの敵ってことですか? 私、まだ子供ですよ。そんな……酷い……」
「子供と女を武器にして人を破滅させようとする方が酷いと思うね」
少女はうつむいた。泣いているのかと思ったが、悔しそうに口を閉じている。言い負かされてもなお反抗する心は折れていない。
「だって、結婚させられたら、私がやりたい仕事を諦めないといけないじゃないですか! 名前しか知らない人と夫婦になって、陰で支えるだけの人生なんて!」
「それを主張する相手は僕じゃない」
「親には一番に言ったわよ! でも聞いてくれなかった! だったら別の方法を使うしかないじゃない!」
「知らないよ。僕は巻き込まれそうだったから先手を打っただけ。どうしても逃げたいなら、結婚したくない理由も正直に話して、両親と向き合わないと。あれが嫌、これも嫌だけじゃ、子供の駄々と変わらない」
「夢を話すたびに、危険なことはやめなさいって言われて終わりなのに」
「自由になりたいなら、信頼と実績をつくることから始めたら? 君をよく知っている家族が不安になるようなことはしないの。素行が良くない友達と縁を切って、お金で人を従わせようとしない。僕に似合わない色仕掛けをする暇があるなら、今すぐ家に帰って親の手伝いでもしてなよ。世間について何も知らないまま夢を語るよりは、よっぽど現実的だから」
少女の頬が赤くなった。逃げるように裏口へ走る横顔に、演技ではない涙が見える。少女は振り返らずに帰っていった。
「……あの子、最初は打算で近づいて、恋心が芽生えたところで粉々に砕かれたわね」
アニエスが冷静に分析して言う。リリィにはどこからが計算で、どこからが恋なのか分からなかった。少女の事情は理解したものの、そこに恋愛が混ざると途端に複雑に思えて思考力を奪われる。
「打算と、恋……」
「そういう子、けっこう多いのよ。ほら、変わらない日常に嫌気がさして刺激を求めるような?」
「その刺激を僕に求められるのが、一番困るんだよね」
布が取り払われた。ユーグは疲れた顔で布を畳み、木箱の上に置く。
「僕と親しくなったところで、得られるものなんて何もないのに」
「あら、さっきの子に丁寧に助言してあげていたじゃない。そういうところが良くも悪くも人を引き寄せるんじゃないの?」
アニエスが率直な感想を述べると、ユーグはため息をついた。
「だって、無視すると泣くんだもん。移住しようと思ってる土地で、女性を敵に回すとろくなことないし」
その辺りの面倒さは、リリィよりも熟知していそうだ。
「僕に近づいてくる人なんて、みんな打算しか持ってないよ。外の人間がもたらす刺激を恋と勘違いしてるだけ。わかりやすくていいけどね」
「全員が利用するために近づいているわけじゃないと思うけど」
むしろ外見に惹かれたものの、関心を得られないことを察して身を引いた人の方が多そうだ。ユーグの心に踏み込むには、まず時間をかけて分厚い仮面を取り払うことから始めなければいけない。
「とにかく、用件は分かったわ。早めに新しい噂を流した方が良さそうだし、私は先に帰るわね」
アニエスはそう言って、リリィに意味ありげに微笑んだ。
「二人っきりの時間、大切になさいな。あなたは周りに見せびらかして自慢するぐらいで丁度いいのよ。さっきみたいな余計な女を遠ざけるためにもね」
リリィが上手く答えられないでいる間に、アニエスはユーグに軽く挨拶をして家から出て行った。
「……ユーグは、いつからあの子が利用するために近づいてきたって分かった?」
「最初から」
即答だった。
「僕の妹に似ていた。視線、声音、人の興味を惹く仕草。ただ、妹に比べれば稚拙だったけど。特に、噂に便乗して僕が孤立していると思わせて、自分だけは味方だからと匂わせるところかなぁ。もう少し巧妙なら、人を洗脳する魔女にまで成長したんだろうけど」
あの子はあれが限界だね――ユーグは少女をそう評価した。
「もうお互いに関わることもない。そう願いたいね」
会いたくないのが少女なのか、異なる世界にいる妹なのか、リリィには区別がつかなかった。あの少女がユーグの思い出したくない記憶を刺激したことで、棘のある態度が隠せなかったのだろう。
「……今日はもう帰って寝る。疲れた」
ユーグが珍しく自分から休む宣言をしたので、リリィも自分の家に帰ることにした。
「じゃあ私は歩いて帰るから、ユーグは転移でも何でも使って早く帰るのよ。ベッドに入って本を読むのも禁止」
「さすがに今日はそんな気になれないなぁ」
家の外へ出ると、ユーグは裏口に鍵をかけた。敷地に侵入防止の魔法がかけてあるらしいが、防犯は念入りにしておくようだ。
またね、と言ってユーグの姿がかき消える。本当に疲れている様子だったので、寄り道をせずに帰るのだろう。滞在している領主の屋敷なら、誰にも邪魔をされずに眠れるはずだ。
そうであってほしいと、リリィは朧げに思っていた。




