査問会
よく考えれば索敵――周囲の人間の位置を脳内の地図に表示できるような能力を持った男が、リリィ達の接近に気がついていないわけがなかった。リリィは諦めてアニエスを連れて茂みから出てきた。
「ア……アニエス? なんでここに来たんだよ!」
司祭を連れてきた自警団の若者が、慌てた様子でアニエスに詰め寄る。彼女に森のことを教えたのは、恐らく彼だろう。森から教会へ行く間に、アニエスの家がある。
「何でって、親友の恋人が疑われてるって聞いて、何もしないと思う?」
アニエスは強気な態度で若者を見上げた。腕を組んで堂々としているだけで、若者は気圧されている。
「誰かから余計なことを吹き込まれる前に、自分の目で確かめたいって思うじゃない」
「だから、何か分かったら教えるって言ったじゃないか」
口止めされていたところを無理にアニエスが聞き出したのだろう。若者は周囲の自警団に聞こえないよう小声でアニエスを説得しようとしている。
「それじゃ遅いのよ。朝早くに武器を持った自警団員が、通りを走ってたら話題になるに決まってるじゃない。しかも行き先は教会よ? 噂好きなおば様方は、きっと今ごろ、ありもしない憶測で盛り上がってるわ」
「考えすぎじゃないか? 憶測なんて放っておけよ」
「あんた甘すぎ」
はっきりと言い切ったアニエスは、誰も口を挟まないうちに畳み掛ける。
「厄介なのは憶測を事実だと思い込んで行動するような人なの。ミケーレ司祭が呼ばれたなら、また畑に悪戯をされたのかしら? じゃあ被害者はユーグ? 大変、リリアーヌちゃんに教えてあげないとーって感じでね、余計なことをしてくれるのが一定数いるの。そんな馬鹿みたいなことに仕事を邪魔される身にもなってほしいわ」
「聞かなきゃいいだけだろ」
「聞きたくなくても、向こうが勝手に喋ってくるのよ。客商売してるのに無視できると思う? こっちが思い通りに動かないと満足しないのよ、あの手の人達は。だから逃げ場がない工房で鉢合わせしないように連れ出したってわけ」
アニエスの主張を黙って聞いていたユーグは、面白そうなものを見つけた時のように瞳が輝いた。わずかに口角が上がっている。
リリィはアニエスが強引だった理由がようやく分かった。子供の頃から接客をしているため、彼女は人をよく見ている。もしかしたらテランスも気づいていて、リリィに行ってくるよう促したのかもしれない。
――もっと早く気がつくべきだった。
生まれ変わってから守られる機会が多くなったせいか、人の行動を読むことが少なくなった。営業をしていた前世に比べると、明らかに察する力が落ちている。
アニエスが知り合いの自警団員をやり込めている間に、リリィはジルベールやミケーレ司祭に騒がせたことを謝罪した。
「あの、邪魔をするつもりはなかったんです。もう帰りますから……」
「……ユーグを心配をする気持ちは分かるが、武器も持たずに森へ入らないようにな」
「今は精霊達がざわめいておる。何が彼らを駆り立てるか分からない。共に森の外へ出よう」
ミケーレ司祭に促されて、リリィとアニエスは自警団に守られるように歩きだした。森の入り口付近での出来事だったので、すぐに木立が途切れて何もない草原に出る。
「では手筈通りに」
ジルベールはドニを連行する一団を率いて、領主の館へ行くようだ。ユーグにミケーレ司祭のことを託す。
「そっちの二人は……」
「僕が送っていきます。自警団と歩いていたら、それこそ変な噂になるから」
ユーグはようやくリリィに、いつも通りに微笑んだ。盗み聞きしたことに対して後ろめたさを感じていたリリィは、何も言われなったことに不安になる。
「また後でね」
何かを書いた紙を渡され、視界が歪む。また自宅の裏に強制的に転移させられるのだろう。そう思っていたリリィは、いきなり現れた置き時計に驚く。
「ここ、どこ……?」
アニエスが不安そうに周囲を見回している。
二人が転移してきたのは、どこかの部屋のようだった。中央に大きな机が置かれ、左右にイスが並んでいる。会議室だと咄嗟に思ったのは、前世の記憶のせいだろう。
窓からアルトロワの町が見えたことから、ここは領主の屋敷ではないかと予想がついた。
「領主様の屋敷かもしれないね」
「リリア、来たことあるの?」
「この部屋は知らないけど、ほら、あそこに町の時計塔が見えるでしょ?」
「あ……本当だ。言われてみれば外の前庭に見覚えがあるわ」
両親が税金の申告をする時に、何度かついてきたことがあるそうだ。
領主の屋敷と安直に呼んでいるが、厳密には行政を行なっている建物と、領主とその家族が暮らす建物に分かれている。行政棟には領民が各種の手続きのために訪れることもあった。領地の運営に関わっている者以外は、一階の玄関付近に設けられた窓口までしか入る機会がない。
リリィとアニエスがいるのも、行政棟のどこかにある部屋だろう。
「どうしてここに移動させられたの。リリア、何か聞いてる?」
リリィは握ったままだった紙を広げた。
「たぶん、捕まえたドニの話をこの部屋でするから、それを聞かせたいんだと思う」
「私達が聞いてもいいの?」
「領主様にお菓子を宣伝したことへの見返りに、正しい情報を発信してほしいってことじゃないかな。アニエスは顔が広いから、自分で言うより効果的だと思ってるよ、きっと」
「本当だとしたら、ずいぶんと高い紹介料ね。でも、これからどうすればいいの? このまま部屋にいたら見つかるんじゃない?」
「私かユーグがいいって言うまで、喋らないようにしてて。この紙に書いてある通りにすると、見つからない……らしいよ」
「それ、どこまで信じていいの?」
アニエスは不安と諦めが混ざった顔になった。ユーグの能力を知らない彼女には、紙切れ一枚で何ができると言いたいようだ。
リリィはアニエスと隣接する部屋に入った。物置として使われているらしく、埃よけの布がかけられた家具や、木箱が並んでいる。あまり人の出入りがないのか、部屋の隅には埃が溜まっていた。
扉の上には空気を入れ替えるための小窓が設けられている。今も開いたままになっているので、問題なく盗み聞きできそうだ。
紙に書いてある通りに魔力を流し、扉の前に座って待っていると、誰かが会議室に入ってきた。複数人の足音と話し声がする。ジルベールの声がするので、集まっているのは自警団の男達だろう。
彼らは思い思いに雑談をしていたが、扉が開く音で一斉に静かになった。
「査問を始める。森に火を付けようとした理由は、先ほど聞いた通りか」
遅れて入ってきたのは領主だった。
まず一人が席につき、続いて数人がイスに座る音がする。一人だけリリィ達が隠れている扉の近くに移動したようだ。
「ええ。森に火をつけて、その犯行をユーグに押し付ける計画だったのでしょう。杜撰すぎてすぐに頓挫しましたが。その動機も一方的な逆恨み。ベルティーユ嬢が他の男に懸想するなど、到底考えられません」
「そのような娘なら、親元へ送り返している。ユーグ、お前は本当に知らなかったのか?」
「そんな名前で呼ばれているメイドがいることは、存じ上げておりましたよ。ですが直接会ったことはありませんし、興味もない。メイドの素性やら、そのメイドに手を出そうとしている男のことなんて、仕事じゃなきゃ知りたいとも思いませんね」
淡々と話すユーグの声がする。領主に比べて声量が大きく聞こえやすい。扉の前にいるのは彼だろう。領内で起きた問題について、聞き取り調査を受けているようだ。
森でメイドのことを知らないと言ったのは、なるべく早くドニの身柄を確保するためだろうとリリィは思った。精霊が苛立っている森に長居するのは危険だ。ドニは勘違いからユーグのことを恨んでいる様子だったため、興奮しやすい状況にあった。下手に暴れられると面倒だ。
「畑の被害について何か言っていたか?」
領主は再びドニのことを質問した。イスの背もたれが軋む音がした後、ジルベールが報告をする。
「自身の犯行ではない、と。ドニは狩猟をしません。ニワトリを締めるぐらいはできるでしょうが、弓も罠も人並み以下です。あの様子だと誰かを庇っていると言うよりは、実行犯を知らないのでしょう」
「……そちらはまだ動く気はない、か」
声がぐっと低くなり、リリィの位置からは聞こえなくなった。
――あの口ぶりだと、また何か被害があることを予想しているみたいだけど。
犯人の絞り込みが終わっているのだろうか。
複数人が話す声がしてから、ユーグに退室するよう命じられた。参考人かつ書類上は領民ではないので、ここから先は聞かせないようにするらしい。
ユーグと入れ替わるように、別の誰かが入室してきた。すぐに名前を呼ばれたことで、監視付きでドニが入ってきたと分かる。
「ベルティーユに聞いたが、町でしつこくメイドを辞めるよう迫っていたようだな。さらに職を辞してお前の家に嫁ぐようにと勧めていたと証言しているが」
「そ、それは……」
感情がこもらない領主の声が、ドニを心理的に追い詰めているようだ。彼が動揺する様子が、容易に想像できる。
「メイドの安月給では贅沢はできないだろう、自分なら苦労はさせないと言っていたことは事実か?」
「た……旅の商人が言っていたので……その、メイドは安い金で使い潰されているって」
「俺も同じようにしているに違いないと?」
「すぐに間違いだと気付きましたよ! 領主様がそんなことするわけないって!」
「メイドがお前に靡かない理由として、ユーグの仕業ではないかと疑っているようだが。そう確信したのは何故か」
「ベルティーユを見かけなくなった時期と、あいつが町に来た時期が一緒ですから……」
わずかな沈黙の後、領主が諭すように言った。
「まず、使用人を端金で雇ったことはない。お前は『旅の商人』に騙された。そうだな?」
「は、はい」
「正直さに免じて、一つ教えておいてやろう。ベルティーユは行儀見習いとして預かっている、俺の姪だ」
リリィとアニエスはお互いの顔を見合わせた。
「とある辺境伯の娘だ。身内が言うのもなんだが、貴族令嬢として非常に出来がいい。縁談にも恵まれて、何も問題が無ければ上位貴族へ嫁ぐことが決まっている」
「そ……そうですか……おめでとう、ございます」
「ここへ来たのは結婚前に使用人の苦労を知るためだ。己の立場を理解して、よく国のために尽くせという、辺境伯の教育方針に添っている。決してお前が酒場で吹聴しているような関係になるためではない。噂によると、お前は随分と我が家のメイド達と関係を持っているようだが?」
「ひっ……さ、酒の席の戯言ですよ。領主様が本気になさるようなことは何も」
「実名で嘘を流された娘達はどうなる。ありもしない話で、卑猥な目で見られたと何件も俺のところまで聞こえてきている」
イスから誰かが立ち上がった。ゆっくりとドニがいる方へと歩いてくる。
「庶民が酒場で何を話そうが構わん。だがその結果、不当な扱いを受けている者がいるなら、それなりの償いをしてもらう」
足音が止まった。
「己の処置が決まるまで、家で大人しくしていろ」
重いものが床に落ちる音は、ドニが膝から崩れ落ちた音だろう。
リリィが持っている紙が淡く光った。砂のように手から零れ落ち、床に丸く円を描く。リリィとアニエスがぎりぎり入れる大きさだ。光に気がついたアニエスは、円を踏まないようにリリィにくっつく。
見えないものに包まれる感触がして、茶色い扉が見えなくなる。埃っぽい空気がかき混ぜられ、爽やかな風が吹いた。反射的に目を閉じたリリィは、聞こえてきた鳥の鳴き声で外へと転移させられたことを知った。




