冤罪と精霊の怒り
ユーグが言った通り、呪いを振りまいているという根拠のない噂は、いつの間にか消えていった。元から信じる人が少なかったこともあるのだろう。噂に対して騒ぐことなく、領主から任された仕事を確実にこなすユーグを見て、周囲の態度は軟化していった。
不穏な噂が消えていくにつれ、アルトロワは穏やかな日が続いた。寒さは厳しくなっていくものの、忙しそうに冬支度をする中にも笑顔が見える。
ただ、畑に血を撒いた犯人や悪意のある噂をしている者には、面白くない変化だったに違いない。事件を思い出させるかのように、今度は森で領民が襲われたという話が舞い込んできた。
「リリア。嬉しい話とクソ忌々しい話、どっちから聞きたい?」
朝早く工房を訪れたアニエスは、苛立ちをにじませながら言った。珍しく言葉遣いが荒れている彼女に、リリィとテランスは準備をすることも忘れて固まる。
「えっと……じゃあ嬉しい話から」
テランスは己の客ではなかったことに安堵した様子で、工房の端へ逃げていった。リリィがカウンターまで来ると、アニエスの機嫌はわずかに良くなる。
「リリアが試食してくれたロウソクのケーキ、果物のジャムに変えたら売り上げが上がったわ。やっとお父さん達も私の意見を聞いてくれるようになったの」
「おめでとう。アニエスのケーキが店頭に並ぶ日も近いね」
彼女の夢は自分の店を持つことだ。着実に夢へ近づいている親友を見て、リリィも嬉しくなった。
「それで、もう一つの話なんだけど」
誇らしそうにしていたアニエスは、途端に面白くなさそうに顔をしかめる。
「森で誰かに襲われた奴が、ユーグの仕業だって騒いでるらしいのよ。殺されるって」
「何かの間違いじゃないの?」
ユーグが本気で誰かを始末するなら、中途半端なことはせずに跡形もなく消すはずだ。まして証拠を残すなどあり得ない。脅迫が目的だとしても、名前を出さないよう細工するだろう。
「その辺の事情は分からないけど、私としては客の一人がいなくなると困るわ」
「客? ユーグが?」
甘い菓子を食べようとしない人が客になるのかと思っていると、アニエスは変な意味じゃないわよと付け加えた。
「彼がうちで買ったケーキ、領主様が味を気に入ってくださったらしいのよ。たまに使用人が買いに来てくれるようになったわ。他にもね、彼が店に来て買うってことが宣伝にもなってるの。ほら、目立つから」
「無料で宣伝してくれる、いい人ってわけね。アニエスらしい」
思考が商売人そのものだ。彼女の好みはお菓子が好きな人なので、色恋沙汰は全く心配していないが。
「それでね、まだ森にいるらしいから、ちょっと見にいってみない?」
「行ってこい。俺も気になる」
リリィが迷っていると、テランスは背中を押すように言う。
「ただの冤罪だとは思うが。あいつを追い出したいほど憎んでいる奴ってのは思いつかない」
「じゃあ、行ってくるね」
リリィとアニエスは子供の頃によく使った抜け道を通って森へ向かうことにした。普通に道を歩くよりも早く森へたどり着ける。事件が起きた場所はアニエスが聞いているので、彼女を追いかける形で森へ入った。
森の入り口付近には騒ぎを聞いて自警団が集まっていた。リリィ達は見つからないように、声が聞こえるところで隠れる。
「犯人の姿? 見てねえよ!」
若い男の苦しげな声が聞こえてくる。複雑に絡みあったツタに巻きつかれ、身動きが取れない状態で木にぶら下がっていた。
「あの人、ドニじゃない? 私達の二つ上の先輩」
「言われてみれば見覚えがある気がする」
学校に通っていた頃の先輩だ。特に交流があったわけではないが、評判が良くなかったので顔と名前は知っている。
「あいつ、大人しそうな女の子に声かけてたから、よく覚えてるのよね。農家を継いでから出会いがないって愚痴ってたらしいわよ」
「よく知ってるね」
「ドニが飲んでる酒場、うちのお得意様なの。パイ生地を卸してるのよ。娘に手を出そうとしたから叩き出したって言ってたわ」
「噂通りね」
自警団の中にユーグ本人の姿も見える。ドニは体を揺らして、早く降ろせと騒いでいた。
「ひ、人をツタで縛って吊るすなんて、そいつしか出来ないだろ!? 早く降ろせよ! 俺を殴ったのもお前だ!」
「おいおい、さっき犯人の姿は見てないって言わなかったか?」
「じゃあ他に誰がやったんだ!?」
自警団長でもあるジルベールが呆れたように言うと、ますますドニが暴れた。よく見ると額から血が出ている。
「ドニ、お前は森で何をしてたんだ?」
「キノコを取ってたんだよ。明け方じゃないとフリュイは見つからないだろうが」
フリュイは秋から冬にかけて自生しているキノコの一種だ。明け方に発光して昼には萎んでしまうので、見つけやすい早朝に取りにいく。見た目も味も、前世で食べたポルチーニ茸によく似ていた。
「明け方か……」
自警団にユーグを疑っている者はいないようだ。むしろ疑いをかけられて、同情的な視線を向けている。
――良かった。
完全な孤立無縁ではないことにリリィは安堵した。味方になってくれる人がいるなら、この状況も悪いようにはならないはずだ。
「な、何だよ。早くそいつを捕まえろよ。町の住人に、こんなことが出来る奴がいるってのか?」
「誰がやったのかは知らんが、ユーグではないことは確かだ。こいつはな、深夜から今まで、俺達と行動してたんだよ」
「……は?」
ドニは暴れるのを止めて、ジルベールの顔を見つめた。何を言われたのか理解できない。そう態度に現れている。
「昨日、大型の獣を狩るから森へ入るなと領主様から通達があっただろう? その狩りに参加していたんだよ。なあ、ユーグが一人になることはあったか?」
「いや、それはない。俺とユーグ、あとそっちの二人。四人で動いていたからな」
「深夜の森で、新人を一人にするようなことはしねぇよ」
ジルベールが仲間に問いかけると、すぐに近くにいた二人から返答があった。詰まることなく語られる内容に、ドニの目が泳ぐ。明らかに何かを隠している。
「……ユーグ、お前から何か言いたいことはあるか?」
ため息をついたジルベールが話を振ると、ユーグは腕組みをしたままドニを見上げた。
「そうだなぁ……君と僕、どこかで会ったっけ? 犯人扱いされるほど恨みを買った覚えはないんだけど」
「お……お前が知らないだけだ。俺達がモノにしたいと思ってた女を片っ端から奪いやがって。ベルティーユはお前が誘惑して屋敷に閉じこめてるんだろ?」
「……ベルティーユ?」
心当たりがないのだろう。ユーグは隣にいた自警団員に尋ねるが、聞いたことがないと返答される。
仕事上、住民の名前を熟知しているジルベールだけは、険しい顔でドニに問いかけた。
「領主様の屋敷で働いているメイドか」
「そう、そうだよ! 前は町で見かけたのに、こいつが来てから町に来なくなった。俺が先に目を付けて声をかけてたんだぞ。横取りしやがって」
「メイドというと、領主様のご家族が生活しておられる離れにしかいないね。僕が出入りできる場所じゃないから、メイドと会う機会すらないんだけど」
「嘘を言うな! じゃあどうして彼女は」
「ドニ、証拠もないのに責めるんじゃない。それより、ミケーレ司祭が来て下さったぞ」
自警団員の一人がドニを咎めた。町から続いている道を、ミケーレ司祭が他の自警団員と歩いてくる。司祭の肩には小さな藁人形が座っていた。
「何で司祭がここに?」
ドニの疑問には誰も答えず、集まっていた自警団員は左右に分かれて司祭に道を譲る。司祭は吊るされたドニを見上げて、残念そうに首を横に振った。
「愚かなことを。そなた、森に火を付けようとしたな? 精霊が怒っている」
「なっ……」
驚いていたのはドニだけだった。自警団員達は薄々、想像がついていたのだろう。わざわざ精霊の声を聞くことができる司祭を呼んできたのも、精霊から事情を聞き、怒りを鎮めてもらうためだ。
ミケーレ司祭は肩に乗っている藁人形を優しく掴み、手のひらに座らせた。
「この人間は我々が責任をもって裁きを受けさせましょう。今後の立ち入りも厳禁。どうかその怒りを鎮めてはもらえないだろうか」
ざわりと森が動いた気がした。大勢から一斉に注目されているような、不気味な視線を感じる。誰かが喋っているような気がするのに、枯葉が風で擦れる音しか聞こえない。
リリィとアニエスは慣れない感覚に恐怖を感じ、お互いの手を握った。
「……ありがとうございます。この償いは、いずれ」
長い沈黙の後、ミケーレ司祭は藁人形を地面に下ろした。恭しく頭を下げ、首にかけた教会のシンボルに手を当てる。
見えない視線が消え、リリィは体が軽くなるのを感じた。精霊は付き合い方次第では脅威になるのだと、身にしみて理解した。今までリリィが見ていた精霊の姿は、ほんの一部分だけだ。
ミケーレ司祭が立ち上がると同時に、ドニを拘束していたツタが解けた。乱暴に地面に落とされたドニは、強かに打ちつけた腰をさすりながら立ち上がる。自警団員達はドニを取り囲み、持っていた縄を腰に結んで逃げられないようにした。
「ひとまず領主様のところへ連行しよう」
ジルベールが方針を決めると、すぐにドニを連れた一行が動き出した。彼らを見て、ミケーレ司祭も後に続く。
「私も行こう。精霊から聞いたことを伝えねば。膝が痛むから少し遅れるが……」
「じゃあミケーレ司祭は僕がお連れしましょう。でもその前に――」
転移が使えるユーグが提案したかと思えば、リリィ達が隠れている茂みを真っ直ぐに見つめる。優しく微笑んでいるようで、全く笑っていない。隠すことに慣れた人の、仕事用の笑顔だ。
「あそこに隠れているお嬢さん達を、今の森に置き去りにするわけにはいかないね」




