迷信と疑惑
犯人が自ら名乗り出ることはなかった。領主が一日の猶予を設けて、自首するなら罰を軽くしてやると言外に伝えたにも関わらず。
アルトロワの町は表面上では日常を取り戻していた。畑に撒かれた血は排除され、減った分の土はどこかから補充されている。残念ながら魔獣の血がかかった麦は枯れてしまったので、そこだけ何も生えていない。
犯人に関する様々な憶測や噂は相変わらず飛び交っていたものの、どれもが根拠に欠けるものだった。人々は同じ話題になることに飽き、少しづつ鎮静化していくのだろうとリリィは思っていた。
別の噂が立ち始めたのは、畑が荒らされた事件から十日ほど経った頃だった。
きっかけは些細なことだったのだろう。事件が起きた畑の近くで背中を押されたとか、もう季節は冬へ向かっているのに、家の周囲に生えている夏草が扉の内側にまで生えてきたとか、薄気味悪いことが続いた。
理解できないまま放置できないのが人間だ。理由があるはずだと探り、情報を共有していくうちに、いつの間にか別の話題へすり替わっていた。
「リリアーヌ!」
「アラン?」
市場で買い物をした帰り道、リリィは幼馴染に声をかけられた。
「重そうだね。半分持つよ」
返事を聞くこともなく、アランはリリィが持っていたカゴを取り上げた。市場で買った根菜が思いのほか重く、苦労していたところだったので助かる。
「仕事はいいの?」
「配達の帰り道だから」
「そう。じゃあ家の前までお願いしようかな」
リリィとアランの家は隣同士だ。帰る方向が同じなので、リリィは遠慮なく頼ることにした。
少し前を歩くアランとは、子供の頃はよく遊んでいた。学校に通い始めてから次第に一緒にいる時間が減り、最近ではお互いに親の仕事を手伝っていることもあって、すっかり疎遠になっていた。
――こんなに背が高かったっけ?
隣に並ぶとよく分かる。いつの間にかアランから子供らしさが消えて、大人になっていた。体格も良くなって後ろ姿が別人に見える。
歩く速さの違いで置いていかれそうになり、リリィは速度を上げた。
「ごめん、速かった?」
「平気」
リリィが遅れ気味になっていることに気がつき、アランが歩調を緩めてくれた。つい意地で平気と言ったが、少し息苦しい。小走りで家まで帰ることにならずに済んで、リリィは密かに安堵した。
体力も身長も、もう一緒に遊んでいた頃には戻れない。いくらリリィに女性らしさが欠けていようと、成長するほど性別の差が開いていく。どんなに否定しても自分の体の性を自覚せざるを得なかった。
――このままでいい、とは思えない。
自分が一般的な女の子とは違う理由が、前世にあることを知った。無意識で男として生きてきた過去を引きずっている。そのことを自覚した今、別の問題が出てきた。
ユーグはそれでいいのだろうかと。
リリィとは逆に女として生きていた過去がある。リリィと違って死を経験していない。完全に記憶が連続しているユーグが、女に生まれ変わったリリィを受け入れられるのだろうか。
もしお互いの体のことで嫌悪感を抱いてしまったら。
リリィは考えることを止めた。
転生してまで会いたいと願っていた相手を拒否するなんて考えたくない。別に体の関係だけが夫婦を繋ぐ絆ではないのだ。好きだから一緒にいる。今でも顔を見るだけで幸せなのだから。
しばらく帰り道を歩いていると、前から半ば脅すようなダミ声が聞こえてきた。
「だから、呪いのせいじゃないかって疑ってるんだよ。俺だけじゃなくて、みんなが」
ちょうど通り道の先に人が集まっている。中心にいる人物に、集団で問い詰めているようだ。いかにもガラが悪そうな男たちで、昼間から酔っ払っているのか、片手に酒瓶を持っている者もいた。
アルトロワにも一定数、素行が悪い者がいる。真っ当に生活していれば、ほとんど関わることがないので存在を忘れそうになるが、たまに路上で姿を見かける時もあった。
その集団を見た通行人は、巻き込まれないよう立ち去るか、遠巻きに見守っている。何かあれば介入するつもりでいるようだが、彼らを宥める様子はない。
「あれって……」
絡まれても何もできないリリィは、足早に通り過ぎようとした。だが彼らに取り囲まれているユーグを見つけて立ち止まる。
「お前がアルトロワに呪いを撒き散らしてるんじゃないか?」
「僕は呪いは使えないよ」
「じゃあ、あの変な魔法は何だよ」
「あれはただの魔法。帝国の魔法式と違うから、奇妙に見えるだけ」
今にも殴りかかりそうな男達とは対照的に、ユーグは冷静に諭す。その温度差がまた怒りを買っているようにも見えた。
「行こう、リリアーヌ」
「でも」
アランに腕を掴まれ、リリィは転びそうになりながら歩く。力が強く、振り解けそうにない。
「あいつなら、あの程度のことは切り抜けられるだろ」
苦々しくアランが言い捨てた。
「……リリアーヌ、あまりあいつに近づかない方がいい。精霊を利用して、俺達に嫌がらせをしてるって噂が流れてる」
「そんなわけないじゃない」
「全員が信じてるわけじゃないさ。精霊がミケーレ司祭以外にも懐いているみたいだから、悪い人じゃないって言う奴らもいるけど」
「けど?」
「ああやって疑われるのは、あいつに原因があるんじゃないのか?」
アランは何を言っているのだろうか。リリィは信じられない気持ちで幼馴染を見上げた。片手にカゴを持ったまま、強制的にリリィを連行するアランが、何を考えているのか分からない。
家の裏に到着した。アランはようやくリリィの腕を解放し、野菜が入ったカゴを足元に置いた。
「この町に来た経緯すら怪しい。魔法で畑を作れる奴なのに、母国で仕官してないなんて、後ろめたいことがあるんだろ? 噂を否定することすらしない。あれじゃあ、認めてるようなもんだ」
「そんなことない。全ての国がタルブ帝国みたいに安定してるわけじゃないでしょ。魔獣に滅ぼされたところだってあるのに。故郷に帰れない事情は、犯罪絡みだけじゃない」
「リリアーヌ、目を覚ませよ。見た目がいい奴に求婚されて舞い上がってるだけじゃないのか? どうせ飽きたら捨てて、どっか別の町に行くんじゃねーの。リリアーヌは町に溶け込むための道具にされてるだけ――」
諌めるよりも先に手が出た。身長差のせいであまり威力は出せなかったが、アランの左頬に拳が当たる。鈍い音と共に殴った右手が痛んだ。
「あなたこそ、ユーグの何を知ってるのよ! 憶測で勝手なことを言わないで!」
「俺はお前が心配なんだ。ずっと一緒にいて、家族――みたいに思ってた。だから」
「たとえ家族でも噂だけを信じるような馬鹿なことをしたら、本気で怒るわよ!」
リリィは野菜のカゴを拾い上げると、アランの呼びかけを振り切って裏口から家の中へ入っていった。




